3.5 (1)

 

 辰巳の前には今日一日の予定を読み上げる平がいる。その姿はサングラスと口髭さえなければ社長秘書といってもおかしくはなかった。
 「以上が今日の予定になってますが、若頭の方で何かございましたら」
 「いや、それでええ」
 そう言ってから辰巳は事務所の中を見渡す。
 「藪と坂下は今日も向こうか?」
 事務所内にいない若い組員の名前を辰巳は挙げた。
 「はい、今月いっぱい、ですからもう今週いっぱいですが、南郷金融に出向になってます」
 平の返事を聞きながら、辰巳は壁のカレンダーを見た。
 「南郷のリスト持って来い」
 辰巳の指示に平はすぐに近くのデスクの上のファイルを手に取り、辰巳に差し出す。
 「どうぞ」
 「相変わらず手回しがええな」
 平は常に辰巳の行動を読み、その指示にすぐに答えられるよう準備を怠らない。今もいつもならきっちりと片づいているはずの平のデスクの上に、すぐに渡せるようにとファイルを置いてあった。
 辰巳は平の用意したファイルに目を通す。
 「回収率が下がってきとるな」
 「私もそう思います」
 「藪と坂下をすぐに引き上げさせろ。あの親父ももう十分にええ思いをしたやろ」
 南郷金融はいわゆる闇金融だった。もともとが違法スレスレの金融業者だったものを、倒産寸前のところを辰巳が手を貸すことによって完全な違法の闇金融になった。闇金融になっても儲けの8割以上が辰巳に吸い取られることになっても、南郷にとっては倒産よりはマシだったようだ。辰巳の顔色を窺い、辰巳に見放されないようにと必死に媚びへつらう姿は辰巳の失笑を買うだけだった。
 「藪と坂下はどうしますか?」
 「そうやな、藪はコピー屋に回せ」
 辰巳は頭の中で現在の組員の配置状況を考えながら言った。桐山組が関係している会社は片手では足りない。けれど、登記簿上はどこを探しても組関係者の名前は出ない。南郷金融と同じように経営状態の悪化した会社を実質上乗っ取り、利益の見込めるうちはとことん貪る。そして、危なくなったらいつでも切り捨てる。辰巳の言った『コピー屋』も違法でCDのコピーをしてネット上で販売している会社だった。もちろん表向きはゲーム制作会社にはなっているが、それらしい仕事はこの1年していない。
 「坂下はしばらく遊ばせておけ」
 「遊ばせるんですか?」
 平の困惑した声に、辰巳は意地の悪い笑みだけを返す。坂下はまだ20歳を超えたばかりの一番若い構成員だった。高校卒業後、することもなくフラフラしていたところを、高校の先輩だった藪が連れてきた。まだ若いせいか仕事と遊びの区別がついていない。
 「ああ、遊ばせろ。それが嫌になったら自分から動くようになるやろ」
 「動かなかったら?」
 「アレの代わりはなんぼでもおる」
 辰巳は冷たく笑う。使えない人間に対して、辰巳は容赦なかった。見込みがないと分かれば切り捨てることをためらわない。それが辰巳をこの若さにして若頭にまで至らせることになった要因の一つでもあった。
 「ほな、ワシはややこしい仕事を片づけてくるか」
 辰巳はそう言ってソファーから立ち上がった。
 「平、お前は残って南郷の始末、ワシが戻ってくるまでに片づけとけ」
 「承知しました」
 平が深く頭を下げる。平には辰巳に反論することなど許されない。辰巳の言葉は絶対だった。もちろん、辰巳は平になら出来ると判断して任せている。平がその期待を裏切ることはないだろう。
 「安田」
 辰巳は事務所にいる組員の中で、いちばん付き合いの長い安田の名を呼んだ。
 「今日はお前がついてこい」
 「そしたら、車、表に回してきます」
 安田が勢い込んで事務所を飛び出していく。辰巳はゆっくりとした足取りでその後を歩き出した。
 
 
 辰巳が事務所に戻ったのは夕方と呼ばれる時間を過ぎ、辺りが暗くなり始めた頃だった。
 「お疲れ様でした」
 事務所に残っていた入江と紺野が立ち上がり、辰巳を迎える。運転手をしていた安田は事務所まで送らせてから、藪のいるコピー屋の様子を見てくるように命じた。
 「平はどうした?」
 辰巳はどちらにともなく問いかけた。
 「一度戻って来られたんですが、秀一さんから電話があって飛び出して行きました」
 桐山組の組員で秀一の名前を知らないものはいない。秀一と知り合ってすぐに辰巳が全組員に通達を出した。「秀一の言葉は自分の言葉だと思え」。その一言で秀一の存在は絶対になった。桐山組の組員である限り、辰巳と秀一の関係まで知らなくとも、辰巳の言葉には従う以外の方法はない。
 「秀一から? 何時ごろや?」
 「えっと」
 入江が壁の時計を見る。
 「4時過ぎやったと思います」
 「もう2時間たっとんな」
 秀一から連絡が入らないのはいつものことだとしても、平から報告がないのはおかしい。秀一のことになると、辰巳が望んでいることがわかっているのだろう、平はいつも以上に事細かに報告をする。
 「あの、若頭」
 入江が控えめに声を掛けてきた。
 「なんや」
 「食事はどうしはります? 平さんがいないんで、どこかに行かはるんやったら、俺が店の予約しますから」
 「おう、もうそんな時間か。お前らもまだやろ?」
 「はい」
 入江と紺野が頷く。
 辰巳は胸ポケットから黒の財布を取り出すと、その中から1万円札を抜き取る。
 「これで好きなモン食うて来い」
 「若頭は?」
 「心配せんでもじきに平が戻ってくる。急ぎで平に用があるんでな。ワシはここで待っとる」
 「そうですか、ほな」
 入江が辰巳から札を受け取ると、
 「ありがとうございます」
 紺野と二人で頭を下げ、事務所を出て行った。
 辰巳は自分のデスクに向かうと、その上に置かれた平の報告書に目を遣った。やはり、平は辰巳の期待を裏切らなかったようだ。辰巳は中を開く。桐山組はダミー会社の名を借りて南郷金融に融資していた。融資額以上に儲けさせてはもらったが、手を切るとなれば1円たりとも南郷にくれてやるつもりはない。平はそんな辰巳の意向を十分に理解していた。融資の未返済分は全て南郷個人の借金へと形を変え、しかもその返済期日が今日になっている借用書のコピーが一緒にファイルされていた。明日になれば南郷の自宅から車まで全て売り払う手はずも整っている。辰巳は笑みを浮かべてファイルを閉じた。
 
 
 平が事務所に戻ってきたのはそれから5分後だった。
 「連絡が遅い」
 「申し訳ありません」
 平は弁解することなく謝罪した。
 「秀一は何やて?」
 「秀一さんがというよりは、うちの組の問題です」
 「どういうことや、分かるように手短に話せ」
 「坂下が全治3ヶ月の重傷で入院しました。坂下を病院まで運んでくださったのが秀一さんです」
 「坂下が入院? 何をやらかしたんや」
 「アメ村をうろついてたところを、タチの悪い若い連中に絡まれたようです。詳しいところは坂下の意識が戻ってからでないと分かりませんが、秀一さんが通りかからなければ命も危なかったかもしれません」
 「秀一がアメ村なんかに何の用があったんや」
 「家出人の捜索だと仰ってましたが」
 「そらまた、仕事の邪魔をして悪かったな」
 辰巳の口からは一言も坂下の容体を心配する言葉は出てこない。力のない奴、馬鹿な奴、そして使えない奴に、辰巳は何の興味もなかった。
 「しかし、よく秀一が坂下の顔なんぞ覚えとったな」
 「以前、ここに来られたときに坂下がいたのを覚えておられたそうです」
 「さすがやな」
 刑事時代の習慣が抜けていないのか、秀一の人の顔を覚える能力には毎回感心させられる。
 「それで、坂下をやったんはどこかの組のモンか?」
 「いえ」
 平が珍しく口ごもる。
 「秀一に何を口止めされた?」
 「そういうわけでは」
 「ワシと秀一の命令、お前が優先させなあかんのはどっちや?」
 「若頭です」
 平は即答する。そして、
 「坂下をやったのは、全くの素人だそうです。どう見ても組関係には見えなかったことと、そのうちの一人が専門学校の学生証を所持していたとのことで」
 平の説明に、辰巳は吹き出した。
 「ヤクザが学生に袋にされたてか。ようできた笑い話やないか」
 辰巳はすぐに笑いを治めると、
 「坂下は今日限りで破門や。間違うても入院費用を出してやろうとか考えるな。藪にも言うとけ。今度、使えんアホを連れてきたら、そいつのケツもお前に拭かすとな」
 「承知しました」
 「それで、秀一はもう事務所に戻っとんのか?」
 「病院で別れたときにはそのように仰ってましたが」
 「よっしゃ、ここの留守番はお前に任せた」
 辰巳はそう言ってソファーから立ち上がった。行き先は言うまでもなく平には通じている。平はただ深く頭を下げて辰巳を送り出した。




 



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