3.5 (2)

 

 いつものように何の連絡もなしに部屋のドアを開けた辰巳を、いつものように嫌な顔をした秀一が出迎える。
 「やっぱり来たか」
 「待っとったんか」
 「誰がそんなことを言った?」
 秀一がさらに険しい顔をする。
 「正直になれや」
 「これ以上ないくらい、正直だ」
 相手にしてられないとばかりに辰巳に背中を向けて、秀一がキッチンに歩いていく。辰巳はその背中に、
 「坂下に情を掛ける必要はないぞ」
 「情?」
 秀一がゆっくりと振り返る。その顔には何の動揺も見られない。
 「何の話だ?」
 「素人にやられたことを平に口止めしたんは、坂下の立場を考えてのことなんやろ?」 「口止めをした覚えはない。聞かれるまで言うなと言っただけだ」
 「お前は身内には甘なるからな」
 「だから、何の話だと言ってるんだ」
 「坂下を助けたんは、ワシの組のモンやったからやろ? そうでなかったらヤクザ嫌いのお前が、わざわざヤクザやて分かってて助けるはずがない。それに平の口止めをしたんも坂下がワシから責められることを見越してたからやろ?」
 「お前の考えすぎだ」
 「まあ、そういうことにしといてもええけどな。その代わりに坂下を襲った奴らの名前を教えてもらおか」
 「知ってどうする? 坂下はもう組員じゃなくなったんだろ?」
 辰巳が来るまでに平から連絡があったらしい。秀一は既に坂下が桐山組から絶縁されたことを知っていた。
 「たまにはガキにお灸をすえることも必要や」
 もっともらしい辰巳の言い分に秀一は鼻で笑う。
 「どうせヤクザの面子のためなんだろうが」
 秀一は胸ポケットから手帳を取りだし、その中の一枚のページを破り取って辰巳に差し出す。
 「とりあえず名前だけだ。逃げ遅れた奴から聞き出した」
 「男には容赦ないな」
 辰巳に名前を教えた時点で、このメモにある名前の男達の運命を秀一が知らないはずはない。それでも秀一は迷わずに辰巳にメモを渡した。
 「集団で一人に暴行を加えるような奴らに同情の余地はない」
 「そういうことを堂々と言えるようになったんは、刑事を辞めたおかげやな」
 辰巳のからかいに秀一は冷たい視線を返すだけだった。
 「家出人捜しに行ってたんやて? 最近、忙しいみたいやないか」
 「そうだな」
 そう言って秀一は口元を緩ませる。
 「向坂さんやカオリさん、それに下の野田さんまで俺に仕事を探してきてくれる。ありがたい話だ」
 「仕事が欲しかったらワシがなんぼでも世話したるがな」
 「ヤクザの仕事なんかするつもりはないと前にも言ったはずだ」
 「聞いたような気もしないでもない」
 秀一の怒る顔見たさに、辰巳はわざとふざけて答えた。案の定、秀一は眉間に皺を寄せる。
 「いつまでここにいるつもりだ? 用が済んだんなら早く帰れ」
 「用が済んだ? これのことを言うてんのか?」
 辰巳はさっき秀一から受け取ったメモをかざしてみせる。
 「こっちはついでや。ワシの用はまだ済んでへん」
 辰巳の言葉に、秀一はさらに表情を険しくさせた。
 「そっちか」
 「そっちや」
 辰巳は秀一の腰を抱き寄せた。そして、当然、それ以上先に進もうと顔を近づけたそのとき、辰巳のスーツの胸ポケットに入れていた携帯が鳴り出した。
 「これからっちゅうときに、どこのアホや」
 携帯の画面には平の名前が表示されていた。
 「急用と違たら腕の1本や2本、使いもんにならんようにすんぞ」
 辰巳は通話ボタンを押すなり、そう切り出した。
 「申し訳ありません。急用です」
 至って真面目な平の声が返ってくる。秀一と一緒にいるのを承知している平が、急用以外で電話をしてくるはずがないのは辰巳も分かっていた。
 「なんや?」
 「南郷金融の件ですが」
 「おっさんがごねよったか?」
 辰巳は平に全てを言わせなかった。ここに来る前に平から事務報告は受けていた。書類上の手続きは全て済んでいる。となれば、南郷金融の社長がおとなしく引き下がらなかったのだとしか考えられない。
 「事務所に立て籠もりました」
 「そらまた、思い切ったことしよったな」
 辰巳は呆れて笑う。
 「すぐ戻る」
 「お手を煩わせて申し訳ありません」
 辰巳は電話を切って秀一を振り返った。
 「残念ながら一時中断や」
 「中断? 戻ってくるつもりなのか?」
 「嫌そうやな」
 「明日早いんだ。何時に戻ってくるのか分からないのに待ってられるか」
 「朝から仕事か?」
 「ああ」
 秀一は短く答えた。家出人捜しなのか、それともまた別の仕事なのか、秀一には辰巳に教えるつもりはないようだった。
 「商売繁盛で結構やな」
 「わかったら」
 「そうやな、まあ、そういうことやったらしゃあない」
 意地の悪い笑みを浮かべた辰巳を、秀一が訝しげに見ている。
 「平の奴、ずいぶんとお前に忠誠を尽くしとるみたいやな」
 「何が言いたい?」
 辰巳の真意を測ろうというのか、秀一が言葉少なに尋ねる。
 「ワシにも隠し事をしようとしよる。ヤクザの世界をまだ分かってへんようや。もっぺん教育し直さなあかん」
 「おい、辰巳」
 「うちの組やと周りから情が入るやろから、東京か福岡か、懇意にしとる組に預けて、ヤクザの世界を一から叩き込んでもらうしかないやろな。まあ、腹に二人目のおる由紀子は寂しい思いするかもしれへんけど、しゃあないわな」
 「脅しのつもりか?」
 秀一がチンピラなら竦みそうなほどの険しい目つきで辰巳を睨みつけている。
 「最近独り言が多うてな。何か聞こえたか?」
 辰巳はとぼけて答える。秀一は身内の人間には弱い。一度、自分の内側に入れた人間は、何としてでも守ろうとする。東京で築いたそんな関係を全て断ち切って、たった一人、大阪にやってきた秀一は、既に何人もの『身内』をこの大阪に作っていた。平だけでなく、たった一度会っただけの由紀子ですらも秀一の『身内』になっている。その由紀子を悲しませるであろうことを、秀一がさせるはずがなかった。
 「くそったれ」
 秀一が苦虫を噛みつぶしたような顔で、その秀麗な顔に似合わない言葉を吐き出す。
 「待ってればいいんだな」
 「なんや、待ってたいんか?」
 にやついた口元を隠しもせずに、辰巳はさらに秀一を挑発する。秀一は一瞬、辰巳の挑発に口を開き掛けた。けれど、すぐにそれを閉じ、代わりに艶めいた笑みを浮かべて、
 「そうだ、この俺が待っててやるんだ。ケチな仕事なんかさっさと片づけて急いで戻って来い」
 秀一だけに許された態度。辰巳にどんな言葉をぶつけてもどんな態度を取っても許されるのは秀一だけだった。桐山組の組長でさえも辰巳には何も言わない。辰巳は声を上げて笑った。
 「そないに熱烈に誘われたら飛んで帰ってこんわけにはいかんな。2時間で戻ってくる」
 「1時間だ。それ以上は待たない」
 「どっちの方が優位なんかわからんなあ」
 脅迫めいた取引で始まった二人の関係も、もう半年が過ぎた。時折、切り札として誰かを使い秀一を脅しはするが、一度として秀一が本当に辰巳に屈したことはない。唯一、秀一だけが辰巳と対等に渡りあえる人間だった。
 「ええやろ。1時間や。1時間以内に戻ってくる。文句は?」
 「お前への文句を言い出したら1時間なんかで終わるはずがないだろう」
 「ほな、それはまた時間のあるときに寝物語にでも聞かせてもらおか」
 「くだらないことばかり言ってないで、とっとと行け」
 秀一が苦々しげに言葉を吐き捨てる。
 「やれやれ。ワシがこないに尻に敷かれとんのが他の組の奴らにばれたらええ笑いモンやぞ。桐山組の辰巳はかかあ天下やてな」
 「お前、本気で俺を怒らせたいのか?」
 「なんや、今までは本気と違たんか?」
 揚げ足を取って尋ね返すと、秀一の不機嫌さが目に見えて増した。
 「残り56分」
 低い声で秀一が言った。
 「おいおい、もうカウントダウン始まっとんのか」
 「当たり前だ」
 そろそろ秀一の機嫌の悪さが最高点に達しそうだった。秀一を怒らせることは辰巳の日課であり趣味だったが、これ以上怒らせると、1時間後の楽しみが半減する。辰巳は腕時計を見た。平の電話から5分経っている。迎えの車がもう下に着いている頃だろう。
 「そしたら55分後に戻ってくる」
 「ああ」
 辰巳の冗談が終わったことに秀一も気付いたらしい。短く答えて頷く。
 座る暇もなかった秀一の部屋を、辰巳はドアに向かいかけ足を止めた。
 「おっと、忘れモンや」
 振り向いた辰巳に、秀一の顔が近づいてくる。重ねられた唇からは秀一が愛用している歯磨き粉の味がした。挨拶のような軽いキスをして、秀一はすぐに顔を離した。
 「どうせコレなんだろ」
 そう言って秀一が小さく笑う。53分、52分、確実に減っていく残り時間、それが50分を切るまで、辰巳は今更ながら秀一の笑顔に見惚れていた。


end.

 



当サイトで使用されている画像及び文書は個人でお楽しみください。
転載、配布、改変はお断りいたします。