真昼の月・第3話 (1)

 

 「おはようございます」
 朝一番の元気な挨拶が気持ちいいというのは、その状況と相手による。秀一は思いきり不機嫌さを露わにその声の主に顔を向けた。
 「今日も来たのか?」
 「そら、秀一さんが毎朝掃除してるいうのに、俺が手伝わへんわけにはいかんでしょ」
 秀一が管理するビルの掃除を毎日していると、たまたま掃除中にやってきた賢治に知られてからというもの、賢治はそれを手伝うことを口実に、毎日顔を出すようになった。賢治が来る前に掃除を終わらせようと、時間を早めれば賢治も翌日はその時間に来るようになり、それの繰り返しで、今日の掃除は朝の8時に始めることになってしまった。
 「もう終わった」
 秀一はほうきとちり取りを片手に持ち、掃除の終わった階段を上がり始める。
 「掃除くらい俺がしますって」
 秀一の後を追って、賢治も階段を上がってくる。そして、秀一が部屋に入ると、そこからは秀一の許可がいると思っているらしく、賢治はドアの前で秀一が言葉を掛けるのを待っていた。
 「入って来い」
 結局はこれの繰り返しだった。放っておくと、賢治は何時間もドアの前にいる。
 「毎日顔を出しても、お前に頼む用なんかない」
 「急に人手がいるようになったときに便利やないですか」
 「そんな簡単に仕事が来るわけないだろう」
 「そやからいつ仕事の依頼が来てもええようにですよ」
 秀一の言う他のことなら何でも聞く賢治が、これだけは何度言っても納得しない。いつも根負けするのは秀一の方だった。
 「秀一さん、朝メシ、食べました?」
 「いや、これからだ」
 「俺が何か作りますよ」
 「好きにしろ」
 秀一が諦めてそう言うと、賢治は嬉しそうにキッチンに向かう。
 秀一はその背中にため息を吐いて、ソファーに座った。そして、テーブルの上に置いてあった電話帳を手に取る。
 賢治に言われたからではなく、秀一はそろそろ本気で仕事を探すつもりだった。ただ待っていても依頼人は来ない。何か宣伝をすべきなことはわかっている。
 電話帳でちらしを作ってくれる店をピックアップしていると、
 「秀一さん」
 ノックされたと同時にドアが開いてカオリが顔を覗かせた。
 「珍しいな、こんな早くに」
 カオリが秀一の部屋を訪ねてくるのは、大抵が出勤前の夕方だった。
 「今日は秀一さんに仕事の依頼に来たんやけど、かまへん?」
 「ああ、どうぞ」
 秀一の言葉に、カオリはドアを大きく開けて、カオリの後ろに立っていた少年と一緒に部屋の中に入ってきた。
 「賢治、あんたまた来てたん?」
 カオリが早速、賢治を見つけて、露骨に嫌な声を出す。
 「お前に言われる筋合いちゃうわ」
 「だいたい、そこで何やってんのよ。もしかして、秀一さんの朝ごはん?」
 カオリがキッチンにいる賢治に近づいていく。
 日課のようになった口喧嘩が始まった。
 秀一は所在なげに入り口近くに立っている少年に、
 「こっちに来て座ったらどうだ。あれはしばらく終わりそうにないから」
 不安そうな表情の少年を安心させるために、秀一は微笑みかける。
 「すいません」
 少年は頭を下げて、秀一とはテーブルを挟んだ向かい側のソファーに座った。
 「君が依頼人?」
 「はい」
 「詳しい話はカオリさんが落ち着いてからの方がいいかな?」
 「はい」
 見たところ20歳前後、このおとなしい少年がカオリとどういう繋がりがあるのか、秀一には想像もつかなかった。
 「秀一さん、お待たせしました」
 賢治が右手にカップ、左手にトーストの乗った皿を持って近づいてくる。
 「それだけで朝ごはん作ったなんて言わんといてほしいわ」
 賢治の後を追いかけるように、カオリが右手にサラダボウル、左手にスクランブルエッグの乗った皿を持ってくる。
 「今の時間で作ったのか?」
 秀一は驚いてカオリに尋ねる。
 「これくらいやったら、全然時間なんか掛からへんわよ。お湯沸かして、パンをトースターに入れるだけであんな時間掛かる方がおかしいの」
 「お前、喧嘩売ってんのか?」
 「べっつにー」
 カオリがフンと顔を逸らす。
 「仲がいいんだか悪いんだか」
 秀一が呟く。
 「よくないわよ」
 「よくないですよ」
 カオリと賢治が同時に答えた。
 「息もぴったりだしな」
 秀一は吹き出した。
 「それより、冷めへんうちに早く食べて」
 「ああ、ありがとう」
 秀一は紅茶の入ったカップに手を伸ばす。そして、思い出して、
 「賢治」
 「なんすか?」
 「そこに突っ立ってるなら、お客さんにお茶をいれてくれ」
 「お客さんって、こいつですか?」
 賢治が嫌そうな顔でカオリを指さす。
 「この少年にだ。俺にとって最初の依頼人になるかもしれないんだ」
 「あ、はい、今すぐ」
 賢治が慌ててキッチンに戻った。
 「そしたら秀一さん、食べながら聞いてくれる?」
 「食べながらでいいのか?」
 「長くなるから」
 「わかった。じゃ、遠慮なく」
 秀一はまず紅茶で喉を潤してから、湯気を出しているスクランブルエッグを口に運ぶ。
 「この子ね、今、三ノ宮の店に勤めてて、その店に前にうちの店にいた子がいて、それで紹介されたんやけど」
 「カオリさん、ストップ」
 「何?」
 「その店って」
 「ニューハーフのショーパブ」
 「てことは、彼も?」
 秀一は改めて向かいに座る少年を見た。どこにもそれらしさは感じられない。
 「まだ店に入って半年やし、どっこも工事してへんから」
 カオリが少年の代わりに、秀一の視線に答える。
 「工事?」
 「性転換手術をしてないっちゅうこととちゃいますか」
 首を傾げた秀一に、紅茶の入ったカップを持ってきた賢治が答えた。
 「そういうこと。あら、あたしのもあるの?」
 賢治の持っているトレイには、カップが2つ乗っていた。カオリがそれに気づいて尋ねる。
 「ついでや。それに一応、お客を連れてきてくれたわけやし」
 「嫌やわ。自分は秀一さんの身内みたいな顔して」
 カオリがムッとした顔をすると、賢治は得意げに笑う。
 「あんたの相手してる場合とちゃうのよ。それで、秀一さんに頼みたいこというのは、この子の彼氏を捜してほしいの」
 「彼氏?」
 「恋人募集中って意味ちゃうから。彼氏が行方不明になったんよ」
 「行方不明?」
 秀一に尋ねられて、少年は大きく頷いた。
 「3ヶ月前から付き合い始めて、2ヶ月前に同棲始めて、1ヶ月前に姿を消したの」
 答えたのはまたカオリだった。
 「それは突然? 前触れとか気配はなかった?」
 「何も」
 少年は首を横に振った。
 「嫌なことを聞くけど、別れ話が出たことは?」
 「一度もないです」
 「彼が行きそうな場所に心当たりは?」
 「会社の名刺をもらってたから、電話してみたんですけど、そんな人はいませんって」
 「同棲は君の部屋に彼が来た?」
 「そうです」
 「それまでに彼の家に行ったことは?」
 「ありません」
 「彼の友人や知人に会ったことは?」
 少年は泣きそうな顔でまた首を横に振った。
 今の話を聞いて、この少年が騙されているのだと思わない人間がいるとしたら、この少年本人だけだろう。行方不明になった男は、明らかに素性を隠している。それも徹底的に。同性同士で世間体を気にしているのなら、同棲はしないだろう。
 「彼にお金は貸してなかった?」
 「秀一さん」
 少年が答えるより早く、カオリが秀一を遮るように呼びかける。
 「信じられへんかもしれへんけど、突然いなくなったこと以外に、彼にはおかしなところなんて何もなかったんよ。お金をせびられたこともなかったし、家賃かって折半にしてたんやから。男同士やからおかしな目でみられるけど、普通のカップルと全然変わりなかったんよ」
 「カオリさん、男同士って件に関しては、俺も何も言えない立場なんだけどな」
 秀一は苦笑して言った。
 「男同士だからって言ったわけじゃない。男女の恋人同士でも、俺は同じ事を聞いたよ」
 「ごめんなさい」
 秀一を疑ったことを恥じるように、カオリはその大きな体を小さくしてうなだれる。
 「謝るようなことじゃない」
 秀一はカオリを安心させるために笑ってみせると、
 「カオリさんがそこまで言うんなら、彼がいなくなったのには何か事情があるんだろう。これは何がなんでも探し出して、その事情を聞かないとな」
 秀一の言葉に、少年がすがるような目で秀一を見た。
 「探してくれるの?」
 カオリが尋ねる。
 「カオリさんにはいつも世話になってるから、断れないだろう」
 「そやから秀一さん、大好き。ありがとう」
 今にも飛びついてきそうなカオリを制して、
 「彼の写真とかないかな?」
 「一枚も撮ったことないから」
 少年が首を振る。
 「なかなか厄介だな」
 手がかりがほとんどない上に、写真もない。秀一がどこから手をつけようかと考えていると、
 「俺、似顔絵書きましょか?」
 賢治が思いがけない提案をした。
 「お前が?」
 「美容師やってるとき、髪型のデザインとかしょっちゅう書いてて、顔がないとイメージ沸かへんから、客の顔とか有名人の顔をとか真似て書いてたんすよ」
 「やってくれるか?」
 「いいっすよ」
 秀一に頼まれたことが嬉しいのか、満面の笑みで賢治は頷いた。
 「何か書くモンありますか?」
 「ああ、持ってこよう」
 秀一は立ち上がって、部屋の隅のキャビネットの引き出しから紙と鉛筆を取り出す。
 「これでいいか?」
 「十分です」
 賢治は秀一からそれらを受け取って、少年の隣に座る。
 「ほな、輪郭から言うてくれ」
 賢治が少年の言葉を聞きながら、すらすらと鉛筆を走らせる。
 「うまいもんだな」
 「ホンマ、人間、何か特技があるもんやね」
 賢治の背中から覗き込みながら囁きあう、秀一とカオリの会話は、集中している賢治には聞こえていないらしい。
 「出来た」
 10分と経たず、賢治は顔を上げた。
 「似てるわ」
 カオリが感心したように呟く。
 「君もそう思う?」
 秀一が少年に尋ねた。
 「はい、よく似てます」
 「よくやった、賢治。お手柄だ」
 「マジっすか」
 賢治が嬉しそうに笑う。
 「お手柄ついでに、これをコピーしてきてくれ」
 「今すぐですか?」
 「ああ、今すぐだ」
 「わかりました。行ってきます」
 秀一に命令されることに全く疑問を持たず、むしろ嬉しそうに賢治は部屋を飛び出して行った。
 「さてと、じゃ、そろそろ名前を聞かせてもらおうか」
 「あ、それであの子を外に出したん?」
 「最初に名乗らなかったからな。あまり人に知られたくないんだろ?」
 「ホンマに秀一さんて、そういうトコすごい。なんでそんなによくわかるの?」
 「刑事時代の名残かな」
 「そんなもん?」
 「そんなもんだよ。警察ってのは人の嫌なところや隠したいところを調べるのが仕事だったりするからな。だから人が何かを隠しているってのには敏感なのかもしれない」
 「ふうん」
 カオリが秀一の説明に納得したように頷いて、
 「そしたら、ほら、美貴ちゃん」
 少年の肩を叩いて促す。
 「源氏名は美貴です。本名は、田之倉貴史といいます」
 「付き合ってるときはどっちの名前で呼ばれてた?」
 「美貴です。お店で知り合ったから」
 「調べるときには本名は出さない方がいいんだね?」
 「お願いします」
 美貴は静かに頭を下げた。
 行方不明の男だけでなく、この美貴にも何か事情がありそうだった。
 「早速、今日から調査を開始するよ」
 秀一は詳しい事情はあえて聞かずにそう言った。そして、美貴の連絡先を聞いてから、店があるという二人を送り出した。
 賢治が帰って来たのは、それから5分後だった。
 「あれ、もう帰っちゃったんすか?」
 「ああ、とりあえず必要なことは聞いたからな」
 「そしたら、今日から仕事っすか?」
 手伝おうとする気持ちを全面に押し出した賢治に、
 「お前は仕事を探せ」
 「仕事って」
 「美容師の仕事だ」
 「でも、俺は秀一さんの仕事を」
 「頼んでない」
 秀一はきっぱりと言い放つ。
 「俺は、俺のために他人の人生を変えたくない」
 「秀一さん」
 「さっきの似顔絵、あれだけの絵を描けるようになるまでどれだけ練習したんだ? 本気で美容師を目指してたんじゃないのか?」
 「それはそうっすけど」
 「俺を手伝うのは、店が終わってからでも休みの日でもいいから」
 「手伝わせてくれるんですか?」
 「お前が美容師に戻ったらな」
 「わかりました」
 「わかったら今から職探しに行ってこい」
 「はい」
 賢治は入ってきたばかりのドアに向かって歩き出す。
 「賢治」
 秀一に呼び止められて賢治は振り返る。
 「この近くの店を探してこいよ」
 「はい?」
 「美容師の知り合いってのはいると便利だろ?」
 「俺に切らせてくれるんですか?」
 驚きと期待の混じった賢治の質問に、秀一は笑って頷いた。
 「すぐ見つけますから、それまで切らんといてくださいよ」
 「わかったよ」
 賢治が部屋を飛び出して行く。その勢いは、このまま近くの店に飛び込みで職探しをしそうなほどだった。
 「お前、あのガキに何言うたんや」
 完全にしまっていなかったドアから、聞き慣れた声がする。
 「階段を3段飛びで降りてったぞ」
 辰巳が不敵な笑みを浮かべて現れた。

 



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