真昼の月・第3話 (2)

 

 まだ太陽が真上にも昇っていない時間に、辰巳が顔を出すことはカオリ以上に珍しい。
 「お前までこんな時間にどうしたんだ?」
 秀一は我が物顔でソファーに座った辰巳に問いかける。
 「まで? あのガキのことか?」
 「いや、カオリさんがさっき来てたんだ」
 「あいつが昼前に起きてるなんて珍しいやないか」
 「俺に仕事を持って来てくれたんだよ」
 「ほう」
 辰巳が愉快そうに口元を緩める。
 「これでまたええ暇つぶしができたわけや」
 「暇つぶしじゃない。仕事だ」
 秀一は憮然とした表情で、
 「それで、お前はこんな時間から何の用だ」
 「カオリに先越された」
 「なんだって?」
 「お前に仕事を持って来たんやけどな」
 辰巳の言葉に秀一は眉を顰める。
 「言ったはずだ。ヤクザの下請けなんかするかってな」
 「暇を持て余すよりはマシやろ」
 「暇の方がマシだ」
 本気で嫌がる秀一に、辰巳は声を上げて笑う。
 「まあええ。暇になったらいつでも言えや。仕事はいくらでもある」
 辰巳はそう言って立ち上がった。
 「残念やけどな、今日はこれで帰るわ。ワシもこれでいろいろ忙しい身でな」
 「ヤクザが商売繁盛か。嫌な世の中だな」
 「今はどこもかしこも不景気で辛気くそうてしゃあない。そやし、ワシらぐらいは景気ようやらんとあかんやろ」
 「どんな理屈だ」
 秀一は呆れて笑う。
 辰巳がドアに向かって歩きだし、
 「そや、言い忘れとった」
 ドアの前で立ち止まり振り返った。
 「あのガキにあんまり気を許さん方がええぞ」
 「何を言ってるんだ?」
 「お前に近づいてくる奴は、男も女も、大抵が下心付きっちゅうことや」
 「馬鹿馬鹿しい。それに、賢治はお前のことを知ってるんだぞ?」
 初めて賢治がこの部屋を訪ねてきたとき、賢治は平と出会っている。そして、平に唆されるままに秀一の後を追い、秀一と黒田組とのやりとりをホテルの外で聞くはめになった。そのやりとりで秀一と辰巳の関係は賢治にも十分にわかるはずだった。
 「それがなんや。近頃の素人は本職を舐めくさっとるからな。一回、本職の怖さいうんを教えてやらんとあかん」
 「おい、辰巳」
 秀一は辰巳に詰め寄る。
 「素人に手を出すつもりか?」
 「お前、最近、弱みを作りすぎてへんか?」
 「弱み?」
 「あっちもこっちも守ってやろうなんて考えとったら、お前自身が身動き取れへんようになるぞ」
 「そんなつもりはない」
 「どうだかな」
 「それより、賢治には手を出すな」
 「ま、あのガキにお前にどうこうできる度胸があるとはワシも思てへん。ワシを怒らすようなことさえせえへんかったら、見逃してやってもええ」
 辰巳の目の中に好色な色が宿る。
 「何だ、その顔は」
 「お前は今、ワシに頼み事してるわな。人に物を頼むときはどうすんのやった?」
 秀一はすぐに辰巳の言葉の意味することがわかった。
 「全く、おとなしく帰るのかと思ったら」
 辰巳の首に手を回して、
 「時間がなかったんじゃなかったのか?」
 「他の時間を削ったらええだけの話や」
 にやけた笑みを浮かべた辰巳の唇に、秀一は自ら唇を重ねた。


 
 
 辰巳が帰ってすぐ、秀一は動き出した。美貴から預かった名刺を元に、美貴の恋人、名刺には津野勇作とある、が働いていたと騙った会社に電話をする。
 「はい、サンコー商会でございます」
 オペレーターらしき女性の声が聞こえた。
 「販売促進課の責任者の方をお願いします」
 名刺にはサンコー商会、販売促進課と書かれてあった。秀一はそんな課が存在するのかどうかから確認した。
 「責任者ですと、課長の江村になりますが」
 「その方をお願いします」
 「かしこまりました。少々お待ちください」
 保留音が耳に響く。けれどそれはすぐに途切れた。
 「お待たせしました。江村ですが」
 落ち着いた男の声が聞こえた。
 「お忙しいところ申し訳ありません。私、調査事務所をしております神崎と言いますが」
 そう名乗ってから、秀一は用件を切り出した。もちろん、事実に多少の脚色は加えることも忘れない。サンコー商会の社員を騙って、結婚詐欺を働いた男がいる。名刺が非常によくできているので、もしかしたら、その男を知っている社員がいるのではないか。できればこれから伺って確認してもらいたい。そう事情を説明した。
 「そういうご事情でしたら、是非とも協力させて頂きます。当社の信用にも関わりますし」
 「ありがとうございます」
 「いつごろこちらに来られますか? 課の人間が全員揃っているときとなると、5時半までに来て頂かないといけませんが」
 「大丈夫です。すぐに伺います」
 秀一はもう一度礼を言ってから電話を切った。
 住所はあらかじめ確認してあった。サンコー商会は神戸の三ノ宮にある。秀一のビルからなら1時間半ぐらいで行けるだろう。
 秀一はすぐに出かける支度をし、部屋を後にした。地下鉄で梅田まで出ると、そこから阪急電車で三ノ宮を目指す。
 平日の昼間、空いた電車の中で、秀一は車窓から流れる景色を眺めた。大阪に移り住んでから、大阪を出るときはいつも誰かを捜している。東京を離れるときには、まさかこんな生活を送ることになるとは、夢にも思っていなかった。
 秀一は周りの乗客に気づかれないように、口元だけで小さく笑った。


 
 
 三ノ宮に着くと、秀一はまっすぐサンコー商会に向かう。駅から歩いて10分ほどの場所だった。
 江村のいる販売促進課はサンコー商会の自社ビルの3階にあった。電話で江村に言われていたとおり、受付を通さず、直接、3階に向かう。
 「すいません」
 秀一はドアに一番近いデスクにいた女子社員に声を掛けた。
 「はい?」
 顔を上げた女子社員は、秀一の顔に見とれ凝視する。秀一はそれに気づきながらも、気づかないふりで笑顔を作る。
 「江村課長にお会いしたいのですが。お約束していた神崎といいます」
 「あ、はい。江村ですね。こちらでお待ちください」
 女子社員に案内されて、部屋の隅にパーティションで仕切られた応接スペースに通される。秀一がソファーに座って待っていると、すぐに江村が現れた。
 「どうもはじめまして、江村です」
 「神崎調査事務所の神崎です」
 秀一と江村は互いに名刺を交換し合う。江村から渡された名刺は、美貴から預かった物とそっくりだった。
 「先程のお電話では、うちの社員だと名乗って詐欺を働いた人がいるとか」
 「ええ、そうです。まずはこの名刺を見て頂けますか」
 秀一は美貴から預かった名刺を課長に差し出した。
 「拝見します」
 江村は手の中の名刺をじっと見つめる。
 「これは確かにうちの名刺のデザインと同じですね」
 名刺には社名のロゴまで正確に印刷されていた。
 「最近は個人でもパソコンに取り込んで簡単に作ることができますから。ですが、紙の質は微妙に違うようですね」
 秀一は江村にもらった名刺の手触りでその違いを感じていた。
 「言われてみればそうですね」
 江村も自分の名刺を取り出し、その手触りを比べて言った。
 「偽造だというのは明らかですが、偽造するにも元がないとできません」
 「おっしゃることはよく分かります。販売促進課とここに記されているからには、うちの課の人間が、この男に名刺を渡した可能性があるわけですね?」
 秀一は頷く。
 「この津野勇作という男の写真か何かをお持ちですか?」
 「写真はないんですが、似顔絵なら」
 秀一は鞄から賢治の描いた似顔絵を取り出した。
 「見覚えはありませんか?」
 江村がじっと似顔絵を見つめる。
 「いや、記憶にないですね」
 「お仕事中で申し訳ないんですが、他の社員の方にも聞いていただけますか」
 「承知しました。神崎さんもこちらへ」
 江村に促されて、秀一も江村の後についていく。
 「ちょっとみんな集まってくれ」
 江村が部屋中に響く声で、社員を呼び集める。
 「この似顔絵に見覚えがないか見てくれるか」
 秀一が渡した似顔絵が社員の手の中を順番に移動していく。4人目の社員の手に渡ったとき、
 「あれ、この男」
 声を上げたのは、二十歳そこそこにしか見えない若い男性社員だった。
 「なんや、渡辺、知ってるのか?」
 江村が渡辺に問いかける。
 「たぶん、そうやと思うんですけど」
 「わかった。ありがとう、他のものは仕事に戻ってくれていい。渡辺はこっちへ」
 江村がさっきまでいた応接スペースに渡辺を連れて行く。秀一は黙ってその後に続いた。それぞれがソファーに座ってから、秀一が口を開く。
 「江村さん、私から直接お伺いしてよろしいですか?」
 「ええ、どうぞ。私は席を外したほうが?」
 「いえ、そのままで構いません。ご心配でしょうから」
 秀一の言葉に、江村が微笑を浮かべる。
 「すいません、お気遣い頂いて」
 江村が心配するのはもっともだった。社員が犯罪の一部にでも関わっているかもしれないとなれば、課長として黙ってはいられないだろう。
 「早速ですが、この男とはどこでお知り合いに?」
 「知り合うっていうか、3ヶ月前に、俺、事故を起こして」
 「事故?」
 「渋滞んときに、ノロノロ走っとって、うっかり前の車に当ててしもたんですよ。スピードも全然出てへんかったし、バンパー同士が当たっただけなんで、傷もなかったんですけど」
 「もしかして、その事故の相手が?」
 「そうです。この似顔絵そっくりの男でした」
 「そのときに名刺を渡しませんでしたか?」
 「渡しました。当てたのは俺やし、後で傷でも見つかったときのためにって」
 「相手の連絡先は?」
 「俺も名刺もらいましたよ」
 「今、お持ちですか?」
 「ちょっと待ってください」
 渡辺はスーツの胸ポケットから名刺入れを取り出した。
 「入れっぱなしにしてるんで、入ってるはずなんですけど」
 「少しは整理しろよ」
 それまで黙って秀一と渡辺のやりとりを見ていた江村が、呆れたように言った。渡辺の名刺入れはその限界まで広げられ、それでも名刺があふれ出そうとしていた。
 「あ、これです」
 渡辺が机の上に広げた名刺の中から1枚を見つけ出し、秀一に渡す。
 名刺には会社名の横に、津野勇作と書かれていた。名前は本物だったらしい。
 「その事故以来、向こうから連絡がありましたか?」
 「何もないです」
 「この名刺をお借りしたいんですが」
 「どうぞ、持っていってください。もう電話も掛かってこないだろうし」
 「ありがとうございます」
 秀一は渡辺に頭を下げ、それから江村にも、
 「本当に助かりました」
 「お役に立ててよかったです。一日も早くその男を見つけてください」
 「努力します」
 秀一はもう一度頭を下げて、サンコー商会を後にした。


 
 
 三ノ宮から戻ると、秀一は開店前のカオリの店に顔を出した。
 「カオリさん、ちょっといいかな」
 店の奥にいたカオリを呼び出す。
 「ちょっとでええの?」
 「今日のところは」
 秀一は笑いながら答える。そして、店の外、非常階段にカオリを連れ出した。
 「男の手がかりが掴めた」
 「うっそ、もう?」
 「ああ。それで聞きたいんだけど、店に来る客で偽の名刺を出す客ってのはいる?」
 「いちいち確かめるわけちゃうから知らへんけど、いてるかもね」
 カオリは寂しそうに笑う。
 「こういう店やから、女のお客さんはええけど、男のお客さんの中には来てることを知られたくないいう人もいてんのよ」
 「好きで来てるんだろ?」
 「秀一さんには分からへんやろけど、大抵の人は世間の目を気にするもんなんよ」
 「世間の目か、そう言えば、最近、気にすることを忘れてたな」
 「それって、剛史の悪影響?」
 「冗談はやめてほしいな。悪影響でも、あいつに影響されたなんて思いたくない」
 秀一は不愉快さを表情で表した。


 

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