真昼の月・第3話 (4)

 

 津野勇作の会社は梅田にあった。駅近くのオフィスビルのワンフロアーを借り切っているのだから、それなりに大きな会社なのだろう。秀一は受付で警察手帳を、表だけだが、示し、応接室で津野の直接の上司を待っていた。出掛ける前にまず偽名で津野の会社に電話をしてみたが、秀一の予想とおり、津野は1ヶ月前に会社を辞めていた。
 「お待たせしました」
 現れたのは秀一とそう年の変わらない、眼鏡を掛けたエリート然とした男だった。秀一は簡潔に、でっちあげた事情を説明した。
 「すると、津野くんはその事件を目撃した可能性があるというわけですか」
 「そうです」
 津野が事故に遭って名刺を渡したという事実に、秀一は大幅に脚色を加えた。その事故現場の近くでひったくり事件があり、目撃者を捜している。時間的に津野がその場にいたらしいので、話を聞きたい。秀一が作り上げたこの話を、目の前の男は疑った様子はなかった。容疑者ではなく善意の目撃者なら、相手の口は軽くなりやすい。
 「事故の相手もこちらの会社の名刺をもらった以外、何も知らないと言うものですから」
 「わざわざ足をお運び頂いたのに、津野は先月やめてしまいまして」
 「先程、受付で伺いました。何か事情が? まさか事故の後遺症ではないですよね?」
 「違います。といっても会社の方でもよくわからないんですよ。電話で一方的に辞めると言われただけで、何を聞いても一身上の都合としか言わないんで、本当に困りました」
 「そうですか」
 津野は美貴の前から姿を消しただけでなく、会社も逃げるように辞めている。美貴と別れたかったからという理由だけではすまなさそうな何かがある。
 秀一は一番の目的である津野の住所を聞いてから、この会社を後にした。約30分ほどしかいなかったが、誰も秀一を偽物の刑事だとは思わなかったようだ。
 会社を出た後、秀一はそのまま梅田の駅に向かい、阪急電車に乗り込んだ。
 津野は美貴と同棲していたときだけ三ノ宮に住んでいて、本当の住所は梅田と三ノ宮の間に位置する西宮市だった。
 10分ほどで電車は西宮に着いた。秀一は住所を頼りに津野のマンションを探す。駅からそれほど遠くないと教えられていた。確かに徒歩で15分と掛からなかった。
 秀一は津野のマンションのエントランスで、まず郵便ポストを確認した。203号室、名前はまだ「津野」になっている。引っ越してはいないらしい。この住所を美貴は知らない。津野は美貴が人を使ってまで行方を捜すとは思ってもいなかったのだろう。
 秀一はここに来る前に駅で買っておいた使い捨てカメラを片手に、マンションの入り口が見え、なおかつ身を隠せる場所を探した。津野が出てくるのを待つつもりだった。おそらく美貴の探しているのは、この津野勇作で間違いないだろう。だが、万が一のことを考え、津野の写真を撮ってカオリに確認してもらうまでは、津野と直接対面することは避けたかった。
 張り込みを始めて2時間が過ぎた。ただ津野が出てくるのを待つだけ、他人にとっては長く感じるだろう2時間も、秀一にとっては慣れたものだった。
 日が傾き始めた。秀一は腕時計に目をやる。夕方の六時を過ぎたところだった。津野が部屋にいるとすれば、食事に出掛ける可能性がある。
 秀一の読みが当たった。10分後、賢治の描いた似顔絵そっくりの男がマンションの入り口を出てくるのが見えた。秀一はカメラを構える。使い捨てでも最近のものは高性能になっている。ズーム機能を使って、出来る限り大きく津野の姿をカメラに納めた。
 
 
 部屋に帰った秀一を迎えたのは、ドアに挟まれたメモだった。
 「向坂さん」
 秀一はそのメモの内容に驚いて、今上って来たばかりの階段を駆け下りた。
 『留守なので、下のバーで待っている。向坂』。メモにはそう書かれていた。秀一の部屋にはヤクザの辰巳や平が出入りしている。だから、今まで一度も警察官である向坂を呼んだことはなかった。
 3階の『indigo』のドアを開けると、カウンターに座っている向坂の背中が見えた。
 「向坂さん」
 秀一は向坂の背中に呼びかけた。
 「おう、帰ったか」
 向坂は水割りのグラスを片手に振り返る。
 「電話を頂けたら、私の方から伺ったのに」
 「お前の住んどるとこもいっぺん見てみたかったしな」
 向坂はそう言って、隣の椅子を秀一に勧める。
 「まあ、座れや」
 「はい」
 言われるまま秀一は腰を下ろす。
 「電話したら、お前はここには呼ばんやろからな。いきなり来るしかないやろ。おかげで、こんな洒落た店も発見できた」
 向坂はカウンターの中のマスターに笑いかけた。
 「ありがとうございます」
 マスターの野田が笑顔で小さく頭を下げた。
 「向坂さん、それで今日は?」
 「ああ、お前に仕事の話を持って来たんや」
 「仕事、ですか?」
 調査事務所を始めたことは、向坂には連絡してあった。
 「あまりおおっぴらにできへん話なんや。お前の部屋に行こか」
 「私の部屋はちょっと」
 「なんや、あいつが来とんのか?」
 口ごもった秀一に、秀一と辰巳の関係を知っている向坂は、名前は出さずに辰巳の存在を示唆する。
 「いえ、今はいませんが」
 「ほな、ええやろ。お前がワシを気遣ってくれとんのは知っとる。そやけど、ワシもええ年や。後2年で定年のこの年になって今さら出世も考えてへん。ワシのことを考えてくれるんやったら、お前がちゃんとした生活をしてるとこを見せてくれ」
 向坂の言葉に嘘はない。秀一はいつまでも向坂に心配を掛け続けていることが心苦しかった。どんなところに住んでいるのか、それを知るだけで向坂の心配が減るのなら、いくらでも見てもらってかまわない。
 「向坂さん」
 秀一は立ち上がった。
 「私の部屋に行きましょう」
 「招待してくれるか」
 「はい」
 秀一は笑顔で頷いた。
 
 
 「ほう、ええトコやないか」
 初めて見る秀一の部屋を向坂は物珍しげに見回す。
 「もともとクラブやったんやろ? こんだけ内装いじったら、相当、金掛かったんとちゃうか?」
 「掛かったでしょうね」
 「でしょうね?」
 「辰巳ですよ、こんなにしたのは」
 「そらまた」
 向坂は驚いた顔で、
 「ホンマに惚れられとんな」
 「この話はやめましょう。座ってください」
 秀一は向坂にソファーを勧め、自分もその向かいに座った。
 「それで、仕事の話というのは?」
 「人捜しや。家出人捜査」
 「当たり前の事を聞きますが、警察に届けは出されてるんですか?」
 「いや、出してへん。正確に言うと、出されへんのや」
 「どういうことです?」
 「家出したのは大阪から出た現職国会議員の息子なんや」
 「それがおおっぴらには出来ない理由ですか」
 「半分はな」
 「半分?」
 「残りの半分はこれや」
 向坂は胸ポケットから1枚の写真を取りだして秀一に渡す。どこかの店の中で撮った写真。秀一はその写真の中に見覚えのある顔を見つけた。けれど、それは態度には出さず、
 「この中にその息子がいるわけですか」
 向坂は頷いた。
 「家出したのは2年前、高校を卒業した年や。そんな子供でもない、本人がしたいことがあって出て行ったんやったら探さんでもええ。最初はそう言うとった。本人の『探さないでくれ』いう書き置きもあったしな」
 「それが2年も経った今になって探そうと思った理由は、この写真ですか?」
 写真の中、秀一が見覚えのあった顔は、美貴だった。美貴の働いている店の中なのか、他のニューハーフ達と一緒に笑っている美貴がいた。秀一はようやく美貴が名乗ることをためらった理由がわかった。大阪に来て日の浅い秀一でも、大阪選出議員の中に田之倉良三という名前があることを知っていた。
 「差出人不明で自宅に送りつけられてきた。今のところ、送り主から連絡はない。そやけど、この写真が何を意図するか、お前やったらわかるやろ?」
 「ええ、おそらく強請でしょうね」
 現職議員の息子がニューハーフ、違法ではなくてもスキャンダルになることは間違いない。
 「その辺の大きい調査事務所に頼むのも、関わる人間が増えればそれだけ外に漏れる可能性も高なる」
 「それで私ですか」
 「お前の腕はワシの保証付きや」
 「でも、どうして向坂さんが?」
 「その議員、ワシの高校の同級生でな。今でもたまに飲みに行っとる」
 「見つけ出したとして、どうなさるおつもりですか?」
 「あいつは議員にしとくのはもったいないくらいの、気のええ奴なんや。息子がそれで幸せなんやったら、好きにさせとく言うとる。ただ、こんな写真を送られて、何かやばいことに巻き込まれてないかを心配しとんのや。息子よりも国が大事、なんてなきれい事の言われへん奴でな、いつでも辞職する覚悟はできてる言うとるわ」
 向坂が今でも交流を持ち続けているのだから、それだけで田之倉良三の人柄はうかがい知れる。そんな人間だからこそ、向坂も助けたいと思っているのだろう。
 「今の国会から、そんな大切な人をなくすわけには行かないですね」
 「引き受けてくれるか?」
 「依頼内容を変えてもよければ」
 「どういうこっちゃ」
 「家出人捜索から、息子さんの安全確保に」
 「そら、そっちのほうがありがたいが、できるか?」
 「やらせてください」
 できる、とは答えられなかった。できるかできないかはやってみないとわからない。けれど、秀一は美貴を助けたかった。美貴は家出をしていても父親を気遣って名前を出すことをためらった。おそらく家出をした理由も、自分の存在が父親にマイナスになると考えてのことだろう。
 「息子の名前は田之倉貴史。これが高校生のときに親しかった友人の連絡先や」
 向坂はまた胸ポケットから、今度はメモを取り出した。
 「彼らは貴史くんの家出のことを知ってるんですか?」
 「知らんやろな。家出当時も探してへんから、彼らに連絡を取ることもなかった。18ぐらいの年やったらお互いの家に電話を掛けることもあらへんしな」
 「私が彼らに連絡を取れば、家出のことは知られてしまいますが」
 「かまへん。田之倉からそう言われてる」
 「わかりました」
 メモを手帳に挟む秀一の姿を、向坂が笑顔で見つめている。
 「安心した」
 「私のことですか?」
 「他に誰がおんねん。何をしていいかわからん言うてたときはどうなるか思たけど、ちゃんと働いてる男の顔になっとるわ」
 「私は誰かを追いかけてるときが一番生きてる気がするんだろうと言われました」
 「なかなかお前のことをようわかっとる奴やな。誰に言われたんや?」
 何気なく尋ねただろう向坂の言葉に、秀一はすぐに返事をすることができなかった。
 「言いづらいということは、辰巳か?」
 「はい」
 「この話はせん方がよかったんやな?」
 「すいません。正直、よくわからないんですよ」
 「辰巳がか?」
 「いえ、自分自身がです。どうして、辰巳との関係を断ち切ろうとしないのか、自分のことなのにその理由がわからないんです」
 最初は取引だった。近田親子の身の安全と引き替えに、秀一は辰巳のものになると約束した。けれど、今となっては辰巳が近田のことを覚えているかさえ、怪しいものだった。もし、秀一がいなくなっても辰巳が近田を捜し出す可能性はゼロに等しいだろう。その労力があれば秀一を捜すに違いない。なのに秀一はこの場を離れることも、辰巳を拒むこともせず、当たり前のように辰巳のいる日常を受け入れている。それが何故なのか、秀一には分からなかった。

 



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