真昼の月・第3話 (5)

 

 向坂を見送るためにビルの外に出た秀一は、その姿が街の中に消えるまで見送っていた。
 「あれ、秀一さん」
 聞き慣れた声に振り返ると、賢治が秀一に向かって歩いてきていた。
 「今日は遅いんだな」
 賢治が秀一を訪ねてくるのはほとんどが日中で、今日のように日が完全に落ちてから訪ねてきたのは初めてだった。
 「今日から店に出てたんすよ」
 「そうか、今日からか」
 「さっき終わったんで、何か手伝うことないかなあ思て来たんですけど」
 「初日くらいゆっくり休んだらどうだ」
 「初日いうても、ずっと同じ仕事してたんでどってことないですよ。それよりも、秀一さんの方が一人で大変やったんとちゃうんですか?」
 「大変ってことはないが」
 秀一はそう言ってから、スーツのポケットに入れていたカメラの存在に気づいた。
 「この辺りで現像をしてくれるところはあるか?」
 「ありますよ。急ぎます?」
 「早いに越したことはない」
 「ほな、今から行ってきます。一時間もあったらできますよ」
 賢治が手伝うのが当たり前とばかりに、秀一に向かって手を差し出す。ここで押し問答を繰り返すよりも頼んだ方が早い。秀一はカメラを賢治の手に乗せた。
 「悪いな」
 「遠慮せんと何でも言うてください。で、これ、何の写真っすか?」
 「例の男の写真だ、たぶん。カオリさんに確認してもらおうと思ってな」
 「すっげー。もう見つけたんや」
 賢治の視線が尊敬の眼差しに変わる。秀一はその視線に居心地の悪さを感じ、
 「じゃ、頼んだぞ」
 賢治に背中を向けてビルの中に戻った。
  
 
 秀一が部屋に戻ると、いつの間に入り込んだのか辰巳が秀一を出迎えた。
 「よお、偽刑事」
 辰巳はソファーに座ってにやついた笑みを浮かべている。
 「平に聞いたのか」
 「当然やろ。そのために平をお前に貸しとんのや」
 秀一は辰巳の横を通り過ぎ、スーツの上着を脱いでベッドの上に放り投げた。そして、ネクタイを緩めながらキッチンに向かう。
 「辰巳、お前も何か飲むか?」
 声を掛けた秀一に、
 「珍しいこともあるもんやな」
 辰巳が大げさに驚いたフリをする。
 「飲むのか飲まないのか、どっちだ?」
 「ビールや」
 「飲むんじゃないか」
 秀一は冷蔵庫から缶ビールを2本取り出し、それを片手に持って辰巳のいるソファーに向かう。
 「ほら」
 辰巳に1本を渡して、秀一は向かい側のソファーに座ろうとした。
 「こっちに座れや」
 辰巳の手が秀一の腕を掴んで、強引に隣に座らせる。
 「大の男がくっつきあって座ることもないだろう」
 ぼやきながらも、場所を変えて座り直すのが面倒で、秀一は辰巳の隣で缶のプルトップを開けた。その中身を一気に半分ほど胃の中に流し込む。
 「労働の後のビールはうまいか?」
 「嫌みのつもりか?」
 「今のどの辺りが嫌みになんのかわからんな。機嫌がよさそうやから言うただけのことや」
 「機嫌がいいように見えるのか?」
 「ワシにはな」
 「そうか」
 秀一はフッと口元を緩めた。
 調査は順調に進んでいる。向坂にも少しは安心してもらえた。機嫌がよくなる理由は確かにある。
 「こっちの方がええやろ?」
 辰巳がビールを片手に問いかける。
 「こっち?」
 「警察よりも今の方がお前には向いてんのとちゃうか?」
 「やってることはほとんど一緒だがな」
 「一緒やったらうるさい上司のおらん方がええやろ」
 「うるさい上司をもったこともないくせに、何を言ってるんだ」
 「そういえばそうやったな」
 とぼけて答える辰巳に、秀一は声を上げて笑った。
 「ホンマに上機嫌やな」
 辰巳の左手が秀一の肩に回される。秀一はその手を振り払うことをせずに、残りのビールを飲み干した。
 「飲み終わったか?」
 「ああ。なんだ、それを待ってたのか? 意外に律儀だな」
 「運動の前には水分補給をしとかんとな」
 辰巳は右手だけで器用に秀一のネクタイを外すと、そのままシャツのボタンも一つずつ外していく。
 「いつも思うんだが、本当に手慣れてるな」
 秀一は人ごとのように感想を漏らす。
 「お前も脱がされ慣れてきたぞ」
 辰巳の言葉に秀一は嫌そうに顔を歪めた。
 「そんなものに慣れてたまるか」
 秀一は辰巳の腕を振り払い、立ち上がった。シャツのボタンは既に全て外され、はだけたシャツから秀一の素肌が覗く。
 辰巳の視線を感じながら、秀一は自らベルトを外し、スラックスを床に落とした。
 「ついでにそれも取ってくれ」
 辰巳が指さしたのは、秀一が下肢に唯一身につけていた下着だった。
 「わかってる」
 秀一は下着もその場に脱ぎ捨てた。肩からシャツを羽織っただけの姿で、
 「それで? ここでするのか?」
 「それもええな」
 辰巳は秀一の腰に手を回し抱き寄せる。
 「ワシの上に乗れや」
 「こうか?」
 秀一はソファーに膝を乗せ、辰巳の膝を跨くと、両膝をその脇に着いて辰巳の膝の上に腰を下ろした。いつもは見上げる辰巳の顔が、今は少し見下ろせる。
 「お前を見下ろすってのはいい気分だな」
 「見下ろされるのも、お前やったらええ気分や」
 「相変わらず物好きな奴だ」
 秀一はその物好きな男の首の後ろに手を回し、顔を近づけた。
 数え切れないほど、辰巳とはキスをしている。そのうちの何度かはこんなふうに秀一の方から唇を重ねていた。慣れてきたと言われても仕方ない。
 「お前が積極的なときは、たいてい裏に何かあるんやが」
 唇が離れてから、辰巳が満足げに笑って言った。
 「この誘惑には勝たれへん」
 「誘惑? した覚えはないな」
 「よう言うで」
 辰巳の手が秀一のシャツの中を通り抜け、双丘を撫でる。普段はその形など全く意識しない場所を、このときだけはリアルに肉付きまで思い知らされる。
 「こんな格好で膝の上に乗っといて、ようそないなセリフが吐けるもんや」
 辰巳は首を曲げて、秀一の胸の突起に口づけた。甘く噛まれて息が漏れる。
 秀一の背中の後ろに回された辰巳の両手が、秀一を潤すための準備を始める。
 「いつも・・・持ち歩いてるのか?」
 ボトルのキャップを外す音が聞こえた秀一が、言葉を途切らせながら尋ねた。
 「お前と会うときの必需品や」
 潤滑油をたっぷりと纏わせた辰巳の指が、秀一の中に入ってくる。秀一は息を吐いてその不快感に耐えた。何度体を繋げても、最初のこの感触だけは慣れない。
 「ぅん・・・」
 辰巳に奥を探り当てられて、秀一は体を震わせる。増やされた指も、快感として受け入れる。
 辰巳は秀一の表情を見ながら指を引き抜いた。そして、ファスナーを下ろして既に熱く猛った自身を取りだした。
 「よっと」
 秀一の腰を掴んで秀一の体を浮かせると、辰巳は体の位置をずらして、秀一の奥に自身の先端を押し当てた。
 「自分で入れてみろ」
 辰巳の甘い命令に、秀一はソファーの背もたれに手をついて、ゆっくりと腰を下ろして辰巳を飲み込んでいく。全てを収めてから、秀一は大きく息を吐き出した。
 「相変わらず、お前の中は最高や」
 秀一の胸に掛かる辰巳の息も、秀一と同じように熱かった。
 秀一の腰を掴んで突き上げる辰巳の動きに、秀一の息が荒くなる。
 「秀一さん」
 ドアが開いたのが先か、声の方が先立ったのか、秀一にはどちらでもよかった。ドアに背中を向けていても、賢治には後ろ姿で秀一だと分かるだろう。そして、秀一が何をしているのかも、賢治には分かったはずだ。
 「取り込み中や。出直して来い」
 辰巳は秀一を突き上げながら、硬直している賢治に命じる。弾かれたように賢治がドアを閉めて出て行った。
 「なるほどな」
 辰巳の呟きに秀一は答えない。
 賢治が現像の終わった写真を持って、秀一の部屋を訪れることは分かっていた。1時間ぐらいと言った賢治の言葉を秀一は忘れてはいなかった。
 「まあええ。話は後や」
 辰巳はひときわ大きく突き上げた。
 
 
 「あのガキに見せつけるためやったんやな」
 体はまだ繋がったまま、辰巳の胸に脱力した体を預けている秀一に、辰巳が確信を持って言った。
 「間違った幻想は、早いうちにそれが間違いだと気づいた方がいい」
 秀一に憧れていると言った賢治の思いが、秀一には重荷だった。誰の感情も今は背負いたくない。だから、秀一は半ば自分から誘うように、ドアのすぐ近くのソファーで辰巳と体を繋げた。男に抱かれ喘いでいる姿を見れば、賢治の幻想も砕け散るだろう。
 「ワシはええんか?」
 辰巳がそんな秀一の思いに気づいたかのように尋ねる。
 「お前が今更、俺にどんな幻想を抱くっていうんだ」
 自分で口にした言葉に、秀一は何か引っかかるものを感じた。それが何なのか、このときはまだわからなかった。

 



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