真昼の月・第3話 (6)

 

 辰巳が帰って1時間が過ぎようとする頃、秀一の部屋のドアがノックされた。まさか賢治のはずはないと思いながら、秀一はドアに向かう。
 「こんばんわ」
 ドアの外にいたのはカオリだった。
 「今、大丈夫?」
 「ああ、俺の方は」
 秀一はカオリを部屋の中に迎え入れて、
 「カオリさんの方こそ、店は大丈夫なのか?」
 「今はちょっと落ち着いたから」
 「ならいいんだが」
 「写真、見せてもらった」
 「賢治が届けたのか?」
 「そう。間違いないわ。あれは勇作くんやわ」
 「やっぱりそうか」
 「彼、何してんの?」
 「会社は辞めてたな。昨日は1日家にいたようだが」
 以前の会社を辞めたのは1ヶ月前になるが、昨日は平日だった。どこかに勤めているなら、一日中、家にいたりはしないだろう。
 「秀一さんはどう思う? 美貴が騙されてんのやと思う?」
 「そう考えた方が自然だな」
 秀一は津野勇作の会社に行き着いた経過を話した。初めから騙すつもりでなければ、偽造した名刺を持ち歩いたりはしないだろう。
 「カオリさん、明日にでも時間を取れないかな」
 「昼間やったらいつでも空いてるけど」
 「津野に会ってもらいたいんだ」
 「美貴やなくてあたしが先に会うの?」
 「カオリさんは美貴さんをよく知ってるだろう? だからカオリさんに判断してもらいたいんだ。津野に会わせてもいいかどうかを」
 美貴にとっては嬉しくない結果が待っていることはほぼ確実だった。それならば、津野を見つけられなかったと報告して、忘れさせたほうがいいのではないか。秀一はそう考えていた。
 「会うわ。先に会うてあたしがホンマのことを聞き出す」
 秀一の気持ちを読みとったカオリがすぐに答えた。
 「ありがとう。助かるよ」
 「やっぱり秀一さんはその辺の探偵とは違うわね」
 「うん?」
 「普通は調べたらその結果を報告して終わりやもん。依頼人がその報告にどう思うかなんて考えたりせえへんでしょ」
 「カオリさんの紹介だからだよ」
 「ううん。たぶん、他の人でも秀一さんは同じようにすると思うわ」
 「カオリさんは俺を買いかぶりすぎてる」
 秀一は苦笑いで答える。
 「ねえ、秀一さん、賢治と何かあったん?」
 「どうして?」
 「いっつも憎まれ口ばっかり叩くあの子が、あたしに写真を押しつけて、時間をおいてから秀一さんのトコに行けって、それだけ言うて逃げるように店を出て行ったんやけど」
 「そうか」
 「賢治のこと怒ったりした?」
 「いや」
 秀一は短く答えてから、
 「賢治はもうここには来ないかもしれない」
 「どういうこと?」
 「俺がたいした男じゃないことに気づいたはずだからな」
 「ホンマに何があったん?」
 賢治よりも秀一を心配した様子でカオリが尋ねる。
 「さっき賢治がここに顔を出したとき、辰巳が来てたんだ」
 「剛史が来てても別に」
 そこまで言ってからカオリはすぐに気づく。
 「もしかして、真っ最中やったとか」
 「まあ、そんなところかな」
 「残念。あたしも見たかったわ」
 「カオリさん」
 「冗談。あんまり冗談でもないんやけど冗談にしとくわ。でも、それでなんで賢治が顔を出さへんようになるのかがわからへんのやけど。秀一さんの顔を見ると思いだすから?」
 「さあ、どうだろうな」
 秀一は本当の理由を曖昧に誤魔化した。
 カオリも賢治と同じように、秀一に好意を寄せてくれている。ただ違うのはカオリは自分の人生を自分の足で立っているということだった。賢治はまだ金銭的にももちろん、精神的にも自立していない。そんな人間の前に立って誤った影響を与えてしまうことを、秀一は望まなかった。


 
 
 翌日、秀一はカオリを連れて、津野勇作のマンションを訪ねた。
 「まずいな」
 秀一はマンションの前で足を止めて呟く。
 「まずいて何が?」
 隣で同じように足を止めたカオリが秀一に尋ねる。
 秀一はそれには答えずカオリの腕を取ってマンションの陰に隠れた。
 「秀一さん?」
 「エントランスに辰巳の同業者がいる」
 「ヤクザが?」
 カオリが首を伸ばして、マンションのエントランスを覗いた。そこには派手なスーツに身を包んだ人相の悪い男達が3人、立っていた。
 「勇作くんに関係してるの?」
 「たぶんな」
 秀一は男達を見ながら、
 「カオリさん、今すぐ美貴さんの所に行ってくれないか」
 「それはええけど」
 「美貴さんの所に行ったら、安全なできるだけ人の多い場所で俺からの連絡を待っていてほしい」
 「そんなに危ないの?」
 「どうやらそうなりそうだ」
 カオリには向坂からも依頼があったことは話していない。不安を煽るようなことはしたくなかった。知らないままで解決できるなら、そうしておきたかった。
 「詳しい事情は後で話す。今は急いで」
 「わかったわ」
 カオリはマンションの前を通らず、別の道から駅に向かって走っていった。
 マンションの玄関を見つめていた秀一の目に、ヤクザに挟まれ両腕を掴まれた津野の姿が映った。
 秀一は辺りを見回す。秀一のすぐ後ろには一車線の道路が走っている。そこにタクシーが通りかかった。秀一は手を上げてそのタクシーを停める。
 「ここで少し待っていてもらえますか」
 開いた後部座席のドアから、秀一は運転手に向かって言った。
 「連れがいるんです」
 「ああ、はいはい。ほな、ここで待ってますわ」
 人の良さそうな運転手の返事を聞いてから、秀一はすぐに津野の元に向かう。マンションの入り口にいたのが3人、津野を部屋から連れ出したのが2人、全部で5人のヤクザを相手に、秀一はどう立ち回るか考えながら走った。
 「ちょっと待ってもらおうか」
 津野を取り囲んで歩く男達の背中に、秀一は呼びかけた。
 「なんや?」
 5人が一斉に振り返り、中でも一際人相の悪い男が答えた。
 「その男には俺も用があるんだ。渡してもらおう」
 「兄ちゃん、あんまり粋がらん方がええぞ。その男前な面、ボロボロにされたないやろ」
 「ボロボロにはされたくないが、こっちにも事情があってな」
 秀一はそう言うなり、津野めがけて走り出す。津野のすぐ前で秀一は体を屈める。そして、右腕はタックルをするように津野の腰に回し、左腕は津野の隣の男の腹に肘で殴りつける。突然のことにすぐに動けないでいるヤクザ達から数メートル離れた場所まで津野の腰を抱えたまま走った。
 「走れ」
 秀一はされるがままになっている津野に向かって叫んだ。津野を抱えたままでは到底逃げ切れない。
 津野は秀一の声にはじかれたように走り出す。ヤクザから逃げたい、それだけなのだろう。
 「こっちだ」
 津野の後を追った秀一が、津野の腕を掴んで曲がり角に引き入れる。この道を抜ければ、タクシーを待たせている通りに出る。
 「待てや、こら」
 ヤクザの声がすぐ後ろで聞こえる。秀一は振り向かずに走り続けた。
 「そのタクシーに飛び乗れ」
 先に津野をタクシーに押し込んで、秀一も続けて乗り込む。
 「出してください。急いで」
 「は、はい」
 秀一の緊迫した声に、運転手が急いでアクセルを踏む。
 間一髪、ヤクザたちの姿はもうすぐそこまで来ていた。
 「とりあえず大阪のミナミまでお願いします。いちばん早く着けるコースで」
 「それはええんですけど、警察に行かんでもよろしいんですか?」
 「大丈夫です。単なる追いかけっこですよ」
 秀一は平然と笑みさえ浮かべて答えた。秀一たちがタクシーを降りた後にでも、警察に通報されては困る。
 「はあ、そうですか」
 秀一のあまりにも堂々とした態度に、運転手もそれ以上、尋ねてはこなかった。
 秀一はバックミラーで後ろの様子を窺う。まだヤクザ達の姿はないが、車を取りに戻っている間にどれだけ逃げられるのか。後をつけられたとしても、車や人通りの多い場所で派手なことはしでかさないだろう。
 「もっと」
 秀一の隣から小さな声が聞こえる。
 「何か言ったか?」
 「あんな派手に出てきたから、もっとかっこようあいつらをぶちのめしてくれるんか思た」
 「どうしてそんな無駄な体力を使わなきゃならないんだ。お前にそこまでしてやる義理はない」
 「あんた、何モン?」
 「お前には、親切に説明してやろうという気が欠片も沸いてこない。無事に大阪に着けたら教えてやろう」
 「俺、あんたに何かした?」
 質問を重ねる津野を、秀一はあっさりと無視して、ジーンズの後ろのポケットから携帯を取りだした。
 「すいません」
 秀一は運転手に声を掛ける。
 「携帯を使ってもいいですか?」
 「どうぞ、使うてください」
 「それじゃ」
 秀一はこの携帯からもっとも掛けることの多い番号を呼び出した。
 「お疲れ様です」
 電話に出た声は、いつもの几帳面さを失わない平の声だった。
 「俺だ。今からそっちに行く」
 「そっちと言いますと、うちの事務所ですか?」
 ヤクザが後を付けてきている状態で、秀一は自分のビルにまっすぐ向かう気などさらさらなかった。ヤクザのことはヤクザに任せるのが一番だとばかりに、勝手に行き先を辰巳の組事務所に決めていた。
 「そうだ。客を連れて行く。西宮あたりをうろついている奴らだ」
 「どこの組のものかお調べすればよろしいんですね」
 感のいい平はすぐに気づいた。
 「ああ。お前の方が詳しいだろう」
 「そうですね。承知しました」
 秀一は用件だけを伝えると電話を切った。


 



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