真昼の月・第3話 (7)

 

 平日の昼間のためか、空いていた高速を使って30分と掛からずミナミに着いた。秀一は運転手に指示を出しながら、一度も訪ねたことのない桐山組の組事務所の前にタクシーを停めた。
 「ほら、降りろ」
 秀一は津野の腕を掴んでタクシーから引きずり下ろす。
 「ここどこや?」
 「真面目に暮らしてたら、一生来ることのない場所だな」
 秀一は皮肉たっぷりに答えて、津野の背中を押した。そして横目で後を尾けていた黒のBMWが数十メートル離れた交差点に止まるのを確認する。
 ビルの2階にある組事務所、もっとも看板には「ナンバ商会」といかにも胡散臭げな名前が掲げられているが、に秀一は津野の腕を掴んだまま階段を上がって行った。
 「お待ちしてました」
 平が頭を下げて秀一を出迎える。事務所の中にいた他の組員もみな同じように席を立ち秀一に頭を下げる。秀一はその対応に眉を顰めながらも、
 「その先の交差点の黒のBMWだ」
 「承知しました」
 平が携帯を手に窓に近づいていく。既に外に待機させていたのだろう、平は窓の外の景色を見ながら指示を出した。
 「すぐに分かると思いますが、お待ちになりますか?」
 「そうだな。待たせてもらおう」
 平は秀一に連れがいることに気づいていながら、一言も津野に触れることはない。秀一から言い出さない限り、もしくは辰巳の指示がない限り、平は自分の領分を超えることはなかった。
 「それではこちらへどうぞ」
 平は『応接室』と書かれた別の部屋に秀一達を案内した。
 「今日は辰巳の馬鹿はいないのか?」
 秀一はソファーに座ってから平に尋ねる。事務所に入ってからまだ一度も辰巳の顔を見ていない。
 「もうすぐこちらに来ることになってますが」
 「なんだ、やっぱり来るのか」
 「申し訳ありません。秀一さんが来られることを報告致しましたので」
 「謝ることはない。それがお前の仕事だろう」
 秀一は平の生真面目な対応に笑みを漏らす。
 「今、何か冷たいものでもお持ちしますので」
 「勝手に来たんだ。気を遣わないでくれ」
 秀一の言葉に平は小さく頷いて部屋を出て行った。平のことだ、おそらくすぐに何か飲み物を持って来るだろう。
 「ヤクザやったんか」
 事務所に入って初めて津野が口を開いた。
 「そんな馬鹿なものになった覚えはない。ちょっとした知り合いがいるだけだ」
 「ちょっとした知り合いでヤクザを顎で使えるわけないやろ。そんくらいわかるっちゅうねん」
 「開き直ったか、おかしくなったか。せっかくヤクザから逃げられたと思ったのにな」
 津野はそれには答えず、膝に肘をついてその間に顔を埋めた。秀一がさらに言葉を続けようとしたとき、胸ポケットに入れていた携帯が鳴り出した。
 「秀一さん、あたし」
 電話の向こうからカオリの切羽詰まった声が聞こえてきた。
 「どうかしたのか?」
 「遅かったわ。美貴がいてへんの。ヤクザに連れて行かれたって」
 カオリの言葉に秀一は唇を噛む。
 「行く前に安全な所にいるようにって電話しといたんやけど、お店、めちゃめちゃにされてんのよ」
 秀一の判断ミスだった。議員を相手に恐喝を考えるような輩が、はっきりとした証拠を残すような行動に出るとは思えなかった。
 秀一は電話をそのままに、津野を横目で見ながら応接室のドアを開けた。
 「秀一さん、何か?」
 平がすぐに気づいて近づいてくる。
 「悪い。誰かこいつを見ていてくれ」
 秀一は部屋の中の津野を顎で示す。
 「おい」
 平が部屋の隅にいた若い組員をすぐに津野の元に向かわせる。秀一はそれを確認してからドアを閉めた。津野には電話の内容を聞かせたくなかった。
 「カオリさんは大丈夫?」
 一人で危険な場所に行かせたことに、秀一は今更ながら後悔して尋ねた。
 「あたしは平気。来たときにはもうヤクザは残ってなかったから」
 「それはよかった。それでカオリさんは今はまだ店に?」
 「そうやけど?」
 「もう大丈夫だとは思うが、念のために迎えに」
 秀一がそこまで言ったとき、秀一の肩を控えめに平が叩いた。
 「代わります」
 平が秀一の携帯に手を伸ばす。秀一は大人しく携帯を平に渡した。
 「お電話かわりました。平です。今からうちの若いのを迎えにやりますので」
 平の行動には無駄がない。秀一がカオリの迎えに行ける状況にないことを悟り、何も言わずにその代わりを勤めてくれる。
 秀一は沈みそうになる気持ちを奮い立たせて、津野を待たせていた応接室のドアを開けた。部屋の中では強面の組員に睨み付けられ、津野が小さくなっている。
 「もういいぞ」
 秀一はドアの前にいる組員の肩を叩いて、部屋の外に出した。二人っきりになってから、
 「お前とあのヤクザ達との関係を教えてもらおうか」
 「関係なんて別に」
 「残念だったな。今は気長にお前に付き合ってやれる心境じゃない」
 秀一は津野に近づき、胸ぐらを締め上げた。ソファーに座っていた津野の腰が浮き上がる。
 「顔が変わるまで殴ってほしいか?」
 「言う。言うから」
 秀一の言葉と声に、津野は秀一が本気だと悟った。
 「借金してたんや」
 「あいつらにか?」
 「ヤクザがやってるなんて知ってたら借りてなかった」
 津野の言葉に嘘はないだろう。秀一は津野を締め上げていた手を離した。津野の体が再びソファーに沈み込む。
 「それで? 借金をチャラにしてやる代わりに何をしろと言われたんだ?」
 「男をたらしこめて」
 秀一は深い溜め息をついた。やはり美貴との出会いは計画的に仕組まれたものだった。
 「お前はもともとそっちの気もあったのか?」
 津野は無言で頷いた。
 「秀一さん」
 ドアの外から平の声がした。
 秀一はドアまで近づき中からドアを開ける。
 「どうした?」
 「車の持ち主がわかりました」
 秀一はまたさっきの組員に津野の見張りを頼んで、その組員がドアを閉めるのを確認してから、
 「どこの組だ?」
 「三頭会の川西組です」
 「関西の派閥図が今ひとつよく分かってないんだが、それはお前の組とは」
 「仲は最悪やな」
 平の代わりに辰巳が答えた。
 「もう来たのか」
 「そら、お前がピンチのときにはワシの出番やろ」
 辰巳が冗談めかして言った『ピンチ』という言葉に、秀一は唇を噛んだ。
 「平、奥に行く。お前も来い」
 辰巳は秀一の腕を取り、平を従えて事務所の奥にある社長室のドアを開けた。
 「やっぱりお前とワシは相性がええぞ」
 「どういう意味だ?」
 「前にワシが仕事の話を持って行ったことがあったやろ」
 「ああ」
 カオリの依頼を引き受けた直後のことで、秀一はどんな仕事なのかも聞いてはいなかった。もっとも、辰巳の仕事を引き受ける気など秀一にはなかったが。
 「あれも川西組絡みの話やった」
 「今回のことと関係があるのか?」
 「あるとは思てなかったけどな。平、説明してやれ」
 「はい」
 平が秀一に顔を向ける。
 「若頭と懇意にしている建設会社の社長から、最近、自分の領域を侵されそうだと話を持ち込まれました」
 「建設会社?」
 秀一の目が光る。国会議員に建設会社、これだけでも話が作れそうだった。
 「秀一さんが今想像されたように、裏取引です。その社長は議員ではなく、役所の方と組んでいたわけなんですが」
 「そこに国会議員の横やりが入ったってわけか」
 「いえ、市会議員です」
 「市会議員だって?」
 「微妙やろ?」
 辰巳が薄笑いを浮かべて話に割って入る。
 「確かに微妙だな」
 「市会議員クラスやったら押さえるのも難しない」
 平も秀一の言葉に頷いて、
 「役所の方もそれで揺れていました」
 「どっちに付くかでか?」
 「そうです」
 「市会議員の力がもっと強かったら、田之倉の息子の出番はなかった。アレは保険や」
 「保険のために随分と手間を掛けたもんだな」
 「保険が必要になることは分かってたんやろう」
 「それにしては手間を掛けすぎてないか?」
 「最近は取り締まりが厳しいからな。明らかに違法と取れることには簡単には手を出さへん。恐喝やのうて、かわいい息子のお願いやったら違法とちゃうやろ?」
 「つまりはそこまで骨抜きにしろってことだったわけか、あの男の役目は」
 「そうなるな。それに、そういうことを息子に頼ませる相手は、当然、息子がニューハーフだってことを知っとる。それが無言の脅迫にもなるやろ」
 秀一の頭に、恋人の行方を捜して欲しいと、本気で心配していた美貴の顔が思い浮かんだ。
 「くそったれ」
 秀一は拳で壁を殴りつけた。
 「落ち着けや」
 「わかってる。冷静になるためにやったんだ」
 秀一は赤くなった右手見ながら、
 「こうして腫れた拳を見るとな、馬鹿なことをしたって冷静になれる」
 「変わった奴やで」
 「うるさい。それで、急に川西組が動き出した理由は?」
 秀一は平に尋ねた。
 「昨日、その市会議員が入院しました。かなり危険な状態です」
 だから、川西組は保険だったはずの美貴を使わざるをえなくなった。
 「お前はどうするつもりや?」
 「美貴さんを助けに行く」
 「どこにいるのかも知らへんやろうが」
 辰巳は平に向かって顎でドアを指し示した。平が頷いて部屋を出て行く。
 「今、平に調べさせる。ちょっと待っとけ」
 「ああ、すまん」
 秀一の素直な態度に、辰巳が笑う。
 「それで一人で行くつもりか?」
 「お前の手は借りるわけにはいかない」
 「手を借りるんとちゃう。ワシを利用するんや」
 どういう意味だと、秀一は視線だけで問い返す。
 「ちょうどここにお前にベタ惚れの男がおる。お前のためやったら何でもしてやる言うてな。お前はその男に一言『頼む』、そう言うたらええだけの話や」
 「お前はそれでいいのか?」
 「お前の性格を考えたらな」
 「性格?」
 「お前は人に何かしてもらったら黙ってはおられへん性格や。ワシに借りが出来た思たら、何が何でもそれを返そうとする。つまり、その間はワシの側を離れられへんいうわけや」
 秀一は辰巳の本気を探ろうと、辰巳の顔をじっと見つめた。どこにも嘘や冗談の欠片も見つけられない。
 「俺がただお前を利用しているだけでも、それでもいいのか?」
 「それでええ。今はな」
 「今は?」
 「初めて会うたときから比べたら格段の進歩やろ。最初はヤクザのワシの顔を見るのも嫌やったはずが、利用でも何でもワシが側におるのが当たり前のように思い始めてる。身も心も完全にワシのもんになるのも、そう遠い先の話やないな」
 自信たっぷりの辰巳の態度に、秀一は一瞬状況を忘れて笑ってしまう。
 「時折、お前の性格が羨ましくなるよ」
 秀一はまっすぐに辰巳を見つめる。
 「辰巳、頼む」
 「ええやろ。頼まれた」
 辰巳が満足げに頷いた。

 



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