真昼の月・第3話 (8)

 

 川西組の事務所は、梅田の繁華街から少し離れたところにあった。どうやって調べてきたのか、平の情報では美貴は川西組の組事務所に連れ込まれたとのことだった。平が辰巳に報告するのだから、確証があってのことだろう。
 秀一は事務所の見える場所に、平の運転する車を停めて様子を伺っていた。
 「ほんで、どうするんや?」
 後部座席で秀一の隣に座っていた辰巳が、顔を秀一に向けて尋ねた。
 「とりあえず、また偽刑事にでもなってみるか」
 秀一は胸ポケットに入れたままの手帳を、ジャケットの上から確認する。
 「それやったら平を連れていけ」
 「平を? お前、戦争を起こすつもりなのか?」
 桐山組の組員である平が前面に出れば、組同士の抗争に発展しかねない。
 「ようそんなことが言えるな。事務所の真ん前にやばいモン乗せたタクシーを乗り付けたくせに」
 「あれぐらい、お前なら何とでもとぼけられるだろう」
 「当たり前や」
 自信に満ちあふれた顔で辰巳が笑う。
 「まあ、聞けや。こいつは普段、素の顔は晒してへん。同業者で平のグラサン抜きの顔を見たことのある奴はそうおらんやろ」
 「そうなのか?」
 秀一は運転席の平に向かって問いかける。
 「いざというとき、顔の知られていなくて動ける奴が欲しいということですので」
 こういった用心深さが、辰巳を若くして桐山組のナンバー2にまでのし上がらせたのだろう。派手な行動に惑わされがちだが、辰巳は大胆さと同じくらいの緻密さも持ち合わせていた。
 「わかった。そういうことなら、遠慮なく借りていく」
 一人で乗り込むよりも平と2人で乗り込む方が、美貴を無事で助けだせる確率が高くなる。
 秀一は車のドアを開けて外に出た。すぐに平がその後に続く。
 川西組の事務所のあるビルまで、2人は並んで歩いた。
 「一番大事なことは、美貴さんを無事に助けだすことだ」
 「承知しています」
 「もし、俺に何かあっても美貴さんを連れて逃げろ」
 「申し訳ありませんが、それについては了承しかねます」
 「辰巳の命令か?」
 平が神妙な顔で頷く。
 「ですので、秀一さんが美貴さんを連れて逃げてください」
 「そんなことができるか。由紀子さんに顔向けできなくなる」
 一度だけあったことのある、平の妻、由紀子の顔を秀一は思い出した。二人目の子供を妊娠中の由紀子に余計な気苦労を掛けたくない。
 秀一の言葉に平が優しげな笑みを浮かべる。
 「なんだ、その顔は?」
 見とがめた秀一が平を睨む。
 「いえ、家内のことまで気に掛けていただいてありがとうございます」
 「俺の勝手な事情ににお前を巻き込んでるんだ。当然だろう」
 「好きで巻き込まれてるんです。あまりお気になさらないでください」
 「好きでって、辰巳の命令じゃないのか?」
 「それはそうですが、私も楽しんでいるだろうと若頭に指摘されました」
 「辰巳に?」
 「若頭はああ見えて、非常に周りのことをよく見てらっしゃいます」
 「こんなときに辰巳の売り込みか?」
 「私が売り込むまでもなく、若頭のことは秀一さんの方がご存じでは?」
 茶化しているのではない、真面目な表情で平が問い返す。秀一はそれには答えず、小さく笑う。
 「無駄口はここまでだ」
 事務所の入ったビルの正面まで来た。
 「お前、腕には自信があるんだったな?」
 秀一は事務所のある3階を見上げながら平に尋ねる。
 「それなりには」
 「わかった。向こうがうだうだ言うようだったら、強行突破する。気を抜くなよ」
 「承知しました」
 平は真剣な顔で頷くと、
 「私が先に上がります」
 3階の事務所に続く階段を、平が先に上り始めた。
 事務所のドアの前で、秀一は平に目配せをする。そして、勢いよくドアを開けた。
 「警察だ。拉致監禁の容疑で家宅捜査する」
 手帳を振りかざして言った秀一に、事務所内にいた5人の組員が動きを止めた。秀一は視線だけを動かして部屋の中を見回す。少なくとも秀一の見える範囲に美貴の姿はない。けれど、奥には別の部屋に続くドアがある。
 「何の騒ぎや」
 その奥のドアから40代前半の男が姿を現した。
 「社長」
 近くにいた若い組員がその男に走り寄り、耳打ちしている。暴対法への対策なのか、組長とは呼ばずに社長と呼ばせているのだろう。
 「あれが組長の川西です」
 平が秀一の耳元に口を寄せ、小声で耳打ちする。
 「刑事さんですか。見かけへん顔やけど?」
 「大阪府警全員の顔を覚えているのか? あいにくと俺はマル暴じゃないんでな」
 「拉致監禁の容疑やとか、えらい物騒なこと言うてるそうで、令状を見せてもらいましょか」
 美貴が連れ去られてから、まだ2時間も経っていない。それだけの短時間に逮捕令状が取れないことを、川西は知っているようだった。余裕の態度で秀一に近づいてくる。
 「令状?」
 秀一は鼻で笑う。
 「ヤクザ相手にまともなやり方をするつもりはない。違法捜査だと通報するなら勝手にしろ」
 秀一は川西を押しのけ、奥の部屋に早足で向かった。ドアを遮る若い組員を、視線だけで威圧し、ドアを開けた。
 「美貴さん」
 部屋の中央のソファーに美貴が座っていた。優しい顔立ちに不似合いな紫色の痣が目の回りを飾り、口の端も切れて出血している。
 部屋の中には美貴の他に、組員が一人残っていた。秀一が平に目配せすると、平は小さく頷いてその組員を外に引きずり出した。そして、そのまま外でドアを塞いで誰も入れないようにする。
 「もう大丈夫だから」
 美貴の側にしゃがみ込んで美貴を安心させるように言った秀一の言葉に、美貴は首を横に振った。
 「帰れません」
 震える声で告げる美貴に、秀一は全てを察した。連れ去られてから今までの間に、暴力と脅迫で美貴に自分の意志でここにいるのだと言わせるようにし向けていたのだろう。
 「お父さんのことなら、もう全てご存じだ」
 美貴が驚いた顔で秀一を見つめる。
 「君が無事なら議員を辞めてもいいと仰ってる」
 「そんな」
 「だから、これ以上お父さんに心配を掛けるのは止めよう」
 美貴の目から涙が零れた。
 「帰ろうか」
 秀一の言葉に美貴は黙って頷いた。
 秀一は美貴を促しながら一緒に立ち上がり、ドアに向かう。
 ドアの外からは平に詰め寄る川西の声が漏れ聞こえていた。
 「美貴さん、外に出るまでは俺の背中から離れないように」
 「はい」
 美貴が頷いたのを確認して、秀一は内側からドアを開けた。
 「刑事さん、無茶してもうたら困るな。この子は自分の意志でここに来てんのやから」
 「脅迫で言わせたことだろう。ヤクザの言うことに信憑性があると思うな」
 「さっきからヤクザヤクザて、えらい言われようですけど、ワシらはちゃんとした会社組織でやってますんやで、それは人権侵害っちゅうやつと違いますか」
 川西は薄ら笑いを浮かべて言った。秀一はその川西の襟ぐりを掴み上げ、自分の元に引き寄せて、
 「人権ってのはな、他人の人権を守って初めて主張することができるんだ。覚えとけ」
 秀一は川西を睨み付け、勢いをつけて突き放す。川西の体はバランスを失い、よろけながら後ずさり後ろの壁にぶち当たった。
 「行くぞ」
 秀一は平を促して歩き始めた。組員達が取り囲む中を、秀一の後ろを美貴が、そして美貴を挟むようにして最後を平が列になって歩いていく。
 出口のドアまで後2メートルというところまで来たとき、ドアが開いた。
 「お前」
 入って来た男は秀一の顔を見て驚いた声を上げた。秀一にも見覚えのあるその男は、津野を連れ去ろうとして、秀一にタックルされた男だった。秀一たちは事務所を出るときに裏口を使った。秀一の後を尾けてきた車を巻くためにそうしたのだが、この男は別の車を使ったのだろう。津野のマンションには5人いた。1台の車で来ていたとは秀一も考えてはいなかった。
 「遅かったな。どこで寄り道してたんだ?」
 からかうような口調で言いながら、秀一はさりげなく美貴の体をその男の手が届かないように後ろ手で脇に移動させた。
 「社長、こいつが津野を連れ去った男です」
 「何やと」
 事務所の中の空気が変わった。
 「桐山組の事務所に入って行った言うてなかったか?」
 電話で連絡があったようだ。川西が再度確認するために隣の男に尋ねた。
 「間違いありません。大野たちが今も張り付いてるはずです」
 「お前、刑事やないんか?」
 川西が急に言葉使いを変えた。
 「もっと早くバレるかと思ったがな。組員の教育はちゃんとした方がいいぞ。大事なときに寄り道なんかしないようにな」
 「ふざけてんちゃうぞ」
 秀一の一番近くにいた男が怒声とともに秀一に掴みかかろうとした。
 「無駄だと思うが、やってみるか?」
 冷静な声は、男の腕を掴み上げた平のものだった。平が秀一の前に壁のように立ち塞がる。
 「お前ら、見かけへん顔やけど、ホンマに桐山組のモンか?」
 川西が秀一と平の顔を見ながら問いかける。辰巳の言ったとおり、平の素顔は本当に知られていないらしい。
 「最近、よくその手の質問をされるんだがな」
 平が何か言うより早く、秀一が平の肩を押して前に出ながら言った。
 「俺はヤクザになるほど馬鹿じゃない」
 「ええ度胸やないか。ここがどこか分かってて言うてんのやろな」
 「分かってるに決まってるだろう。それより、無駄話をするなら帰らせてもらうぞ」
 「アホか。黙って帰すわけないやろ」
 川西が顎で秀一を指すと同時に、周りの組員たちが一斉に動き出した。

 



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