大阪観光案内 (1)

 

 午後の2時を過ぎていた。秀一は外で遅めの昼食を済ませ自分のビルに戻ると、いつものように階段を上がり始める。3階にさしかかったとき、秀一は足を止めた。3階の『indigo』の店の前に、途方に暮れたように立ちつくす少年がいた。
 「何をしてるんだ?」
 呼びかけた秀一の声に、少年は弾かれたように振り向く。
 身長は秀一とそれほど変わらないだろう。背格好から高校生くらいに見えるが、キリリとした目鼻立ちの顔にはまだ幾分の幼さが残っている。
 「この店って、今日は休みですか?」
 「店が開くのはいつも夕方の6時くらいだな」
 「そうなんだ」
 明らかに落胆した様子の少年に、
 「この店に何か用だったのか?」
 「お父さんがここで働いてるんです」
 「お父さん?」
 この店にはマスターの野田以外に従業員はいない。
 「野田さんに息子さんがいたとは初耳だな」
 独り言のように呟いた秀一の言葉を、少年は聞き逃さなかった。
 「お父さんを知ってるの?」
 「そうだな、お世話になってるよ」
 秀一は思ったよりもまだ子供なのかもしれないと、少年に対する態度を和らげる。
 「野田さんの自宅の場所は知らないのか?」
 「先に行ってみたけど、いなかったから」
 「だからこっちに来たってわけか」
 少年は頷く。
 「携帯とかは?」
 「持ってないから」
 少年の言葉に、そういえば野田に緊急時のためにと携帯番号を聞いたときに、持っていないと答えられたことを秀一は思い出す。
 「店を開ける時間までには来られるだろうが」
 まだ2時を過ぎたばかりで、野田が仮に5時から店を開ける準備を始めるのだとしても、まだ3時間はある。
 「俺のところで待つか? この上なんだ」
 「いいの?」
 「ああ、野田さんの息子さんじゃ、放っておくわけにはいかないな」
 「ありがとう」
 少年は人懐っこそうな笑顔で頭を下げた。
 離婚経験があることは聞いてはいたが、息子がいることまでは知らなかった。おそらく母親に引き取られているのだろう。その母親の躾がいいのか、明るく素直な少年に、秀一は好感を持った。
 秀一は少年を従えて4階の自分の部屋に向かって階段を上がる。
 「ここだ」
 ドアには『神崎調査事務所』と書かれたプレートが貼られている。
 「調査事務所って何を調査するとこ?」
 部屋の中に入ってから、少年が好奇心いっぱいの顔で尋ねる。
 「いろいろだな」
 秀一は少年にソファーに座るよう手で示しながら答えた。
 「人捜しもすれば、浮気調査に身元調査、依頼があれば何でもするさ」
 とは答えたものの、秀一のところに来る依頼の大半は人捜しだった。少年は分かったのか分かっていないのか、神妙な顔で頷いている。
 「今度はこっちが聞く番だな。君の名前は?」
 「久本大介です」
 やはり姓が野田とは異なっている。秀一はあえてそれには触れず、
 「大介くんか。俺は神崎秀一だ」
 「秀一さん、お世話になります」
 改めて頭を下げる大介に、秀一は口元を緩める。
 「たいしたお世話はできないが、何か飲み物くらい出そう」
 秀一がそう言って冷蔵庫に向かったときだった。
 「秀一さん」
 ノックと同時にカオリがドアを開けて入ってきた。
 「お昼ご飯もう食べた?」
 カオリはソファーに座る大介には気付かず、キッチンの秀一に問いかける。
 「俺は外で済ませてきたばかりだけど、君は?」
 秀一の視線を追って、カオリは初めて大介の存在に気付く。
 「ごめんなさい、お客様やったん?」
 「野田さんの息子さんだよ」
 「あら、こんなカッコイイ息子さんがいてたの。私らの毒牙に掛からんように隠してたんかしら」
 「かもしれないな」
 秀一は笑って、
 「それより、大介くん、昼ご飯はもう済んだのか?」
 「あ、まだ」
 首を振る大介に、
 「それやったら、これ食べて」
 カオリが嬉々として、大介の前のテーブルに紙の手提げ袋を置いた。
 「たくさん作ったから秀一さんにお裾分けしよ思て持って来たんやけど、もう食べたって言うし」
 紙袋の中から大きなタッパーを取りだして、テーブルの上に広げる。タッパーの中身はいなり寿司だった。
 「俺が食べていいの?」
 大介がカオリを見上げて尋ねる。
 「もちろん。食べてくれたほうが嬉しいわ」
 カオリが割り箸を割って、大介に手渡す。
 「いただきます」
 大介は顔の前で手を合わせて言った。そして、カオリの手作りのいなり寿司を口に運ぶ。口いっぱいに頬張る姿を、秀一は微笑ましく見つめる。
 「ええわねえ、若いって」
 同じように大介を見つめていたカオリが、しみじみと呟く。
 「ね、大介くん、いくつ?」
 「14」
 大介が口の中のものを飲み込んでから答えた。
 「14歳?」
 秀一とカオリは同時に驚いた声を上げた。秀一だけでなくカオリも、大介の体格から若くても高校生だろうと思っていた。
 「14歳ってことは中学2年? 3年?」
 「4月に3年になったばっかり」
 「最近の子は発育よすぎ」
 「同感だな」
 大介の見た目以上に幼い言葉遣いや態度は、中学生だと言われれれば十分に納得できた。
 「まあでも、この食べっぷりを見てたら、こんなに育つのも分からないでもないか」
 カオリが持ってきた、秀一なら一度に食べきれなかっただろう量のいなり寿司を、全くスピードを落とすことなく食べ続けている。
 「ホント。気持ちいい食べっぷり。ずっと見てたいとこやけど、もう店に行かなあかんのよね」
 「今から? 今日はずいぶんと早いんだな」
 「今日は月イチ恒例の模様替え。それを業者に頼まへんトコが、ケチくさいわよね」
 「経費節減は経営者としては大事なことだ」
 「まあね、それでうちらの給料が毎月ちゃんと払ってもらえてるんやもんね」
 「そういうこと」
 「ほな、行ってきます」
 カオリがドアに向かいかけた。
 「あ、カオリさん」
 呼び止めたのは大介だった。
 「ごちそうさまでした。すっごくおいしかった」
 「どういたしまして」
 カオリが上機嫌で部屋を出て行った。カオリが料理上手なのは秀一もよく知っている事実だが、カオリ自身も分かって自覚はしていても人に褒められると嬉しいらしい。
 秀一はそういえば、大介に何か飲み物を出そうとしていた所だったのを思い出した。冷蔵庫に向かい、ペットボトルのウーロン茶を取りだしグラスに注ぐ。そして、大介の元に運んだ。
 「もう食べ終わったのか?」
 テーブルの上には中身のなくなったタッパーがあるだけだった。
 「すごいな」
 秀一は感心して呟く。
 「そうかな。いっつもこれくらい食べるよ?」
 大介に何でもないことのように答えられて、秀一は自分が大介くらいの頃はどうだったろうと思い返す。けれど、これほど食欲があった記憶はなかった。
 「秀一さん」
 出て行ったばかりのカオリが慌てた様子で駆け戻ってきた。
 「野田さん、今日、お店休むって」
 「どういうことだ?」
 「ママの所に電話があったらしいんよ。付き合い長いから、今までも急に休むときはママに言うて臨時休業の札を掛けてもらうようにしてたんやけど」
 カオリは秀一の顔を見て、それから大介に視線を移す。
 「大介くん」
 秀一は大介に近づいていく。
 「このまま待っていても、野田さんは来ないようだ。出直してきたらどうだ?」
 「はい」
 大介は力無く頷く。
 「あ、ねえ」
 カオリが大介に呼びかける。
 「うち、どこ?」
 「石川の七尾です」
 「七尾?」
 首を傾げるカオリに、秀一が代わって答える。
 「金沢のまだ少し奥の方だ」
 「詳しいんやねえ」
 「昔、仕事の関係でちょっとね」
 「でも、それやったら朝早くに出てきたんとちゃうの?」
 「朝一番で」
 秀一はカオリと大介の会話を聞きながら、急に店を休んだ野田のことを考えた。
 「大介くん」
 「はい」
 「もしかしたら、黙って家を出てきたりしなかったか?」
 図星を指された大介が言葉に詰まる。
 「家に電話しなさい。野田さんも君を捜してるんじゃないかな」
 いつだったか、野田の口から仕事しか趣味がないと聞かされたことがあった。子供がいなくなったとなれば、そんな野田に仕事を休ませる理由に十分なるだろう。
 大介は秀一に電話を借りて、七尾の家に電話する。
 電話にでた相手は母親なのか、大介が困ったような声で応答している。
 秀一のシャツの袖をカオリが引っ張る。
 「何?」
 「なんでわかったん?」
 「ただ遊びに来るだけにしては、思い詰めた顔をしてたからな」
 「元刑事の勘?」
 「さあ、どうだろ」
 「助けてあげへんの?」
 「うん?」
 「お母さんの説得に苦労してるみたいやない? 思い詰めた顔でマスターを訪ねて来るくらいなんやから、何かお母さんには言えへん相談事でもあったんとちゃうかしら」
 秀一は女と子供には甘い。カオリは巧みにそこを突いてきた。
 「仕方ないな」
 秀一は大介に近づくと、
 「俺が話そう」
 受話器を大介から半ば奪うようにして手の中に納める。
 「お電話代わりました。野田さんの店のあるビルの管理をしている神崎といいます」
 秀一は如才ない挨拶で、たたみかけるように事情説明をし、大介の母親の説得にあたる。
 「ええ、はい。責任もってお預かりします。野田さんから連絡があったら、神崎の所に電話をもらえるようにお伝えください」
 秀一はあっさりと母親を陥落させ、電話を切った。
 「さすが、秀一さん」
 カオリが茶化すように拍手する。
 「ありがとう」
 大介はうれしそうに頭を下げた。
 「礼を言われるほどのことじゃない。それより野田さんはやはり君の家に向かっているところらしい。1時の特急に乗ると電話があったそうだから、まだ電車の中だろう」
 「じゃ、向こうについてすぐに引き返してきたとしても、夜遅くなるわね」
 3人は同時に壁の時計を見た。まだ3時前だった。
 「さて、それまでどうするか」
 「あ、ほな、秀一さん、一緒に大阪観光してきたら?」
 「大阪観光?」

 



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