大阪観光案内 (2)

 

 唐突なカオリの言葉に、秀一はまじまじとカオリを見つめ返した。
 「そんなに驚くこととちゃうでしょ。秀一さん、こっちに来てから結構たつけど、大阪名物いうようなトコ行ってへんのとちゃう?」
 「確かに、そんな暇はなかったな」
 「ちょうどええ機会やん。大介くんもここでじっと待ってるよりどっか行きたいわよねえ?」
 カオリに尋ねられて、大介は答えに困ったように秀一の顔を見た。大介なりに、これ以上迷惑を掛けてはいけないと思っているのだろう。そんな大介の心の内が、秀一には手に取るように分かった。
 秀一は大介に微笑みかける。
 「大介くんが疲れてないなら、俺と一緒に観光に行くか?」
 秀一の言葉に、大介の顔が一瞬で笑顔に変わる。
 「行きたい」
 「よし、じゃあ、行こう」
 秀一は改めてカオリに向き直ると、
 「それで、大阪で観光するとしたらどこがいいんだろう?」
 「今やったらやっぱりユニバーサルスタジオでしょ」
 即答したカオリに、秀一は苦笑する。
 「あ、今、嫌そうな顔した」
 「人が多いんだろうなと思っただけだよ」
 「秀一さんが好きそうなトコやないのは確かやわね。それ以外やと、大阪を走ってる観光バスのコースに入ってんのは通天閣に大阪城」
 「その二つなら俺でも場所がわかるけど」
 「子供が喜ぶ場所とちゃうわね。後は、そうねえ、海遊館とか」
 「海遊館?」
 「大きい水族館。すっごくおっきいジンベエザメとかいんのよ」
 「へえ」
 「何、秀一さん、興味あるの?」
 「水族館なんて、小さい頃に行ったきりだ。今の水族館はずいぶん変わってるんだろうな」
 「秀一さん」
 大介が秀一の腕に軽く触れる。
 「俺、そこに行きたい」
 人懐っこい笑顔で、大介が言った。
 「そういうの好きなん?」
 大介は笑顔のまま頷く。
 「うちに熱帯魚いるよ」
 大介の言う『うち』は七尾の家のことなのだろう。けれど、秀一の頭には違う景色が浮かんだ。
 「そういえば」
 「何?」
 「野田さんの店にも熱帯魚がいたな」
 「ホントに?」
 大介が驚いた顔で秀一を見つめる。
 「ああ。種類まではわからないけど、青い魚がいたのを覚えてる」
 「そうなんだ」
 「店に入ったことはないのか?」
 「うん。ここに来たのも今日が初めて」
 「環境の問題かしら」
 カオリがそう言うのも無理はない。飲屋街のど真ん中にあるようなビルに、まだ中学生の息子を連れてこようとは、世間一般の親なら思わないだろう。
 「野田さんの考えは間違ってない。特に最近はろくでもない奴が出入りしてるからな」
 「誰のこと? とか聞くと怒られそうね」
 名前は出さなくても秀一の眉間の皺で、カオリには秀一が誰のことを言っているのかすぐに分かった。カオリは笑いながら、
 「そのろくでもない奴が来ないうちに、出掛けた方がいいんとちゃう?」
 「確かにそうだ」
 辰巳の来訪は、いつも突然だった。朝から顔を出すときもあれば、真夜中に押しかけてくることもあった。もちろん前もって連絡などするはずもない。
 「さあ、急いで出掛けよう」
 秀一は大介の腕を取って立ち上がった。
 
 
 1時間後、2人はカオリに教えられた海遊館の中にいた。
 「すっごーい」
 大介が水槽のガラスに貼りついて、感嘆の声を漏らす。秀一も言葉には出さないものの、大介と同じような表情で水槽の中を見つめた。
 巨大な水槽の中で泳ぐ大小様々な魚の姿を見ていると、昨日までの殺伐とした日常が嘘のように思えてくる。
 秀一は時間を忘れ、泳ぐ魚を見つめていた。
 秀一に時間を思い出させたのは、ジーンズの後ろポケットに入れていた携帯がバイブで着信を知らせたときだった。
 秀一は周りを見回し、順路の奥にあった休憩所まで移動して電話を取る。
 「野田ですが」
 電話の向こうから聞こえてきたのは、申し訳なさそうな野田の声だった。
 「大介がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 「ご迷惑なんてことはないですよ。素直ないいお子さんですね」
 「まだまだ子供でお恥ずかしいです」
 「野田さんは今、金沢ですか?」
 「ええ、金沢の駅について連絡を入れたら、そちらにお邪魔してると聞いたもんですから」
 「じゃ、こっちに戻ってくるのは」
 秀一は腕時計を見ながら尋ねる。いつの間にか、もう5時を過ぎていた。
 「そうですね、今からすぐに引き返しても、9時近くになりますね」
 「わかりました。それまで大介くんをお預かりしますので、戻られたら事務所の方に顔を出してください」
 秀一の申し出に、野田は何度も謝罪の言葉を口にして電話を切った。
 秀一は電話をポケットにしまってから、大介を振り返った。大介は今もまだ水槽の中に釘付けになっている。
 迷惑でないと言ったのは社交辞令でも何でもなかった。
 刑事を辞めて大阪に来たのに、結局は刑事のときと同じように緊張して神経を張りつめた生活を送っている。それが嫌なわけではない。そんなふうにしか生きられないだけだった。けれど、どこかで息を抜かなければ張りつめた糸は切れてしまう。分かっていても秀一は息の抜き方を知らなかった。大介はそんな秀一の緊張を子供の純粋さで解きほぐしてくれる。
 大介がふいに振り返った。
 「秀一さん」
 笑顔で秀一に近づいてくる。
 「疲れた?」
 秀一の立っているのが休憩所だと気付いた大介がそう尋ねた。
 「いや、野田さんから電話があったんだ」
 「お父さんから?」
 「今、金沢に着いてこれからすぐに引き返してくるそうだ」
 「お父さんに悪いことしちゃった」
 「今度からは前もって連絡してから来るんだな」
 「そうする」
 大介が神妙な顔で頷いて、休憩所の長椅子に座った。
 「どうした? 疲れたか?」
 大介は首を横に振る。
 「そうじゃなくて、お父さんに何て言おうかなって」
 「お父さんに話す前に少し整理しておくか?」
 秀一は大介の隣に腰を下ろす。
 「誰かに話すことで気持ちを整理できたりする。俺でよければ話を聞くよ?」
 「うん。ありがとう」
 大介は自分の中でも整理するようにゆっくりと話し始めた。大介が所属しているサッカーチームがこの冬、全国大会に出場した。チームとしては初戦で敗退したものの、小さい頃からサッカーを続けていた大介は、J1チームのスカウトの目にとまった。まだ中学生ということもあり、付属のユースに入らないかと誘われたと言う。そのJ1チームは大阪をホームとするチームだった。
 「ユースには入りたいんだ。でも、それだと大阪に出てこなきゃいけないし」
 「お母さんの意見は?」
 「反対してる」
 「だろうな」
 「お父さんの所に置いてもらえればお母さんもいいって言ってくれるかなって思って」
 野田の離婚の理由がなんだったのか、秀一もそこまでは聞かされていない。ただ大介が頻繁に野田に会っているらしいことから、憎み合って別れたのではないようだ。
 「だから、先にお父さんに聞いてみようと思ったんだ。俺が来てもいいかどうか」
 そう言った大介の顔が曇る。
 「どうした?」
 「お父さん、迷惑かもしれないよね? でも、俺がそんなこと言えば迷惑だなんて言えないよね?」
 「野田さんが迷惑に思うかどうか、それは俺にはわからない。だが、子供の夢に協力したくない親はいないんじゃないかな。少なくともいなくなった君を心配して、電車に飛び乗るような人ならそうだと思う」
 「ありがとう。ちゃんと話してみる」
 「ああ、頑張れ」
 「うん」
 にっこり笑って頷いた大介の顔には、もう迷いはなかった。
 
 
 外で夕食を済ませ、部屋に戻ってきたときにはもう8時近くなっていた。
 「野田さんが来るまで後1時間くらいだな。それまでここでテレビでも見て待つといい」
 秀一は大介をソファーに座らせ、テレビのリモコンを渡すと、キッチンのカウンターに向かい、届いていた郵便物のチェックを始める。仕事関係のものは大介には見せられない。とりあえず、急ぐものはなかった。ダイレクトメールの類をゴミ箱に捨ててから、大介に目を遣った。
 秀一の口元に笑みが浮かぶ。大介がソファーの上で膝を抱えて眠っていた。
 秀一が大介を起こさないように、静かにテレビのスイッチを切ったとき、その秀一の努力を無駄にするように勢いよくドアが開いた。
 「静かにしろ」
 秀一は相手が誰かも確認せずに低い声で言った。
 「えらい挨拶やな」
 辰巳だった。秀一の部屋のドアをいきなりノックもせずに開けることができるのは、辰巳以外にいない。
 「今日は帰れ。客がいるんだ」
 「そやから来たんやないか」
 辰巳は秀一の言葉に構わず、部屋の中を大股で歩いていく。
 「どういう意味だ?」
 辰巳の後を追って、辰巳が座ったカウンターのスツールの隣に座る。
 「ワシの携帯が鳴りっぱなしでな」
 「真面目に答えろ」
 「そやから真面目な話、お前が若い男と浮気してる言うてな、そこら中からたれ込みの電話や」
 「俺が浮気? 大介くんのことを言ってるのか?」
 「大介いうんか、このガキは」
 「まだ中学生だぞ、浮気も何も」
 「中学やったら一番興味のあるときや。それにこんだけ外側が成長しとんねん。ええもん持っとるかもしれへんやろ」
 「馬鹿か、お前は」
 秀一は呆れかえってそれ以上言葉が出ない。
 「それにな、お前はガキに弱い。なんだかんだ言うても賢治は二十歳越えとる。賢治の前では警戒しても、こいつの前では無防備や。違うか?」
 秀一はわざとおおげさに溜息をついた。
 「なんや、図星指されて言葉も出えへんか」
 「呆れてるだけだ」
 肩を竦めた秀一に辰巳が手を伸ばす。
 「やめろ」
 秀一はその手を振り払う。
 「目を覚ましたらどうするんだ」
 「性教育も必要やろ」
 「こんな教育は必要ない」
 立ち上がりかけた秀一は、思い直してもう一度座った。
 「辰巳、お前の親は?」
 「なんや、いきなり」
 「親が知ったら嘆くだろう。男の俺とこんな関係だなんて」
 野田を慕い、野田を気遣う大介を見ていてふと思った。生まれたときから今のままだったように思える辰巳にも親はいる。辰巳からそんな話を聞いたことは一度もない。
 辰巳は驚いた顔をして、それから笑い出した。
 「お前はホンマにおもろいわ」
 「何?」
 「仮にワシの親が知ったとして、その前にヤクザやっとることに十分嘆いとるわな」
 「・・・そうだったな」
 「お前、ワシがヤクザやいうの、忘れてたやろ?」
 「うるさい」
 今度こそ本当に図星を指された秀一は、腰に回された辰巳の手を思い切り引っぱたいた。

 



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