Massege

この度は工房HANZOUのホームページにアクセスして頂き、誠にありがとう御座います。

世の中に、おそらくは数億を超えるインターネットコンテンツの中で、
あなたが当ページを御覧いただいているということは、奇跡とも言えることでしょう。

人と人は望む望まないに拘わらず出会いを繰り返してゆきます。

「袖振り合うも多生の縁」の「多生」とは
何度も何度も生まれ変わる、その中での、と言う意味です。
「生まれ変わりを繰り返すその中でできた奇跡に近い縁」と言う意味ですね。


さて、私の作品群は基本的には技術的に拙く、上手な画とは言えません。
「画を描く」出発点は落書きからでした。
今も基本的には変わっておりません。
それは、無目的で「技術を向上させようとか」
「上手な絵を描こう」といった事柄を無視し、
「描きたいものだけを描く」という我儘で自己満足的な衝動により作品を描いていることに依ります。


ただ、「描きたいものだけを描く」にしても、
数を重ねる毎に、歳を重ねる毎に、
「形になって残るからには、良い画を描きたい」などという邪念が湧いてきます。

それでは良い絵とはどんな画でしょう?
上手に描けている絵、構図が優れている絵、美しい絵、心が和む絵・・・・

色々ありますし、好みもあると思います。


私自身は「自分そのものが出ている絵」が良い画と思っています。
「良い」と言うより「好き」ですね。

そのためには、私自身が「良い人」にならなくっては「良い絵」が描けないのでしょうか?
良い人ってどんな人?
私は良い人になりたいのか・・・・・・?



「良い画を描きたい」と言うのは、やはり邪念なのですね。
「良い絵」かどうかを判断するのは他人に任せておきましょう。

「自分の好きな落書き」を他人がどう判断するのか・・・。
いえ、他人の判断などもどうでも良いこと。


好きだから描く。
自分の思いを乗せて思い切り。



                  「清姫」の図


自分の画に乗せた想いがあなたに伝わるかどうか。

「他生の縁」のなかで関わりができたあなたに、
その想いが伝わっているかどうか判りません。


伝わったかどうか、知りたいとも思います。
でも、判らないままでもいい。

そうすれば、いつまでも、命が終わるまで、
片思いのラブレターとして、私は描き続けることができます。


工房HANZOUのホームページは私が生きている限り、
少しづつ、少しづつですが更新してゆく予定です。

ぜひ、また来てください。





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