−過去日記:10月後半−






10月31日:とりあえず


内定でました。会社名は秘密です。スリーサイズも秘密です。

のっけから冷凍光線を発射したところでみなさんおはこんばんちは。 閲覧者の閲覧時間まで気にしていることで評判の、半分が優しさでできている交差点へようこそ。 残りの半分はやらしさです。そこのねーちゃん、ええ乳しとるなぁ。

なんか変なテンションですね、ええ。ネタ切れですから。

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試験の正解は「白紙」だった

ノーベル化学賞の田中さんは学生、社会人とも変人で通してきたことは有名な話だが、 何かと影の薄いノーベル物理学賞の小柴さんもまた変人だった、というエピソード。

もっとも、彼らに限らずエジソンやアインシュタインなどのいわゆる「天才」と呼ばれた方々は、 えてしてこう言う面をもっているものだが。(エジソンは小学生時代、関係ない授業で「空は何で青いのですか?」 などと電波発言をくり返し落伍者の烙印を押された。アインシュタインは自分のパーティーかなんかの 会計を任されたとき、訳分からない高等数学を使った挙句天文学的数値の試算をたたき出した、etc) 逆にいうとその突拍子もない発想から大発見が産まれると言うのか。

しかし、このニュースを見ると、どうしてもとどろけ!一番 を思い出してしまうのだが・・・・・。







10月29日:Memento  Mori


この前の就職試験の帰り道、カツ丼を食って上機嫌の俺の脇をすり抜けるように、 救急車が通り過ぎていった。

最初は、近くで病人でも出たのだろうとあまり気にもとめず、そのまま原付を運転していた。 そうしたら、少し見通しの悪い上り坂の、ちょうど中間あたりであろうか。 その救急車と、一台の車が止まっていた。交通事故である。

その車の運転手であろうか、俺と同い年くらいの男性が、青い顔をして交通誘導をしていた。 おそらく坂を下ってくる自転車かバイクと接触事故をしたのではないか。 あまり深く考えず、俺はその脇をすり抜けて家へと急いだ。

後日、その道を通って学校に向かう時であった。ちょうど事故の遭ったあたりに、 花と、お供え物があった。その時急に、例の男性の青い顔を思い出した。

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大分前の話であるが、俺は「雑文」のコーナーに「Memento  Mori」と言うテキストを アップした。わざと重いテーマをぼかすために小説風の書き方をしたのだけど、 あれで言いたかったこと、それは「Memento  Mori(ラテン語で死を思えと言う意味)」の真意とは、 「死を思う→死にたくないと気付く→だから生きる」ではないだろうか?と言う 自分なりの解釈なのである。

何となく後ろ向きな結論のような気もするが、これは案外真理のような気がする。 どんな人間だろうと、死がすぐ隣りにあると認識した時、「死にたくない」と考えるのではないだろうか? 最近不景気のせいもあって自殺者が増えているらしいが、おそらくそれは、昔と違い 死が身近なものではなくなってきているのも一つの要因ではないだろうか?

医学の発展で早期の癌ならほぼ100%治療でき、 その他数十年前なら不治の病といわれた結核なども特効薬が開発されている。 身近にある「死」と言うものが減ってきている。これ自体は当たり前だが喜ばしいことである。 しかしそのために「死」と言うものがだんだん抽象的になってきている。 ぼやけてきているから死に対する恐怖感が薄くなる。 だからリストラされたり、失恋したり、試験に失敗したり、些細(と言っては失礼かもしれないが) なことで首をつりたくなる。JRに迷惑をかけたくなる。

でも、現実世界はザオリクもアレイズもないのだ。あの世とか来世だってあるかどうか分からない。 つまり、死んでしまったら今まで経験していた「自分」が、どっかにすっ飛んでしまうのだ。 何もかもがなくなってしまうのかもしれないのだ。俺はそれが怖い。何もかもがなくなってしまうのが怖い。 だから死にたくない。だから生きるのだ。

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本日は酩酊度50%(ウイスキーグラス一杯)で書いたテキストなので、 かなり滅茶苦茶な理論展開をしてるかも。もし過去ログに残らなければ、 こっぱずかしくて消したんだな、と生暖かい視線を送りながら笑い飛ばしてください。 (この辺も支離滅裂)







10月25日:記念コイン


よく、なんかの折に発行される記念コイン、あれについて考えてみよう。

例えば10万円コイン、あれで買い物をしたらどうなるんであろうか? ヨドバシカメラにパソコンを買いに行って、「じゃあ10万円硬貨でお願いします。」 と言うのだ。なんかすごいぞ、ワンコインで買えるパソコンだ。

更に子供銀行券にあった1億円札についても考えてみよう。 例えば家を建てるとき、「じゃあ、1億円札からお願いします。」って言って支払うのだ。 お札一枚で買えるマイホーム。なんか夢のようだ。

今ふと思ったのだけど、1億円札でチロルチョコ買ったら嫌がらせだな。 お釣りが9999万9990円。







10月23日:就職活動(後編)


試験会場は習志野の郊外にある工業団地みたいなところの一角にあった。

バスから降り、こぎれいな建物の中に案内されるがままに入っていく。 一通り会社説明が終わった後、休憩時間となった。バスの中からずっとタバコをすってなかった俺は ここぞとばかりに部屋を飛び出して隣りの喫煙室へと向かった。

喫煙室にはもう一人の受験生がいて、既にCABINのマイルドなどを吹かしていた。 俺も近くにあった灰皿を持ってきて、マイルドセブンスーパーライトに火をつける。 すると、彼の方から俺に色々と話し掛けてきた。

何の話をしたのかなんぞメモとってるわけでもないので忘れてしまったが、 確か彼は地元の大学出身で、俺が静岡出身だと話したら、彼の大学にも何人か静岡出身がいた とか、そんな当り障りもないことを話してた様な気がする。 人の話を覚えないのは俺の悪い癖だが、こうやって日記に記してみることにしてみると、 改めて自分の記憶容量の少なさ、無駄遣いさに唖然としてしまう。晩飯の2400円は覚えてるくせに。

およそ5分間の短い休憩時間が終わり、試験会場に戻る。例の地元の彼は俺の斜め後ろの席に座っていた。 そして、気がつかなかったが俺の後ろの席は女性であった。 だからといってロマンスもへったくれもなかったのだが。

簡単なテストをした後、(いわゆるSPI適性検査みたいな奴である。)いよいよ面接ということになった。 俺は隣りに座っていためがねをかけた青年と、もう一人の男と一緒に面接を受ける部屋に案内された。

面接を受ける部屋には、30後半くらいの神経質そうな男と、50代くらいの 頑固一徹親父みたいな男が座っていた。神経質そうな男がペラペラと忙しそうに俺たちの履歴書を眺めながら 質問し、たまに頑固一徹親父が口をはさむ、といったようなスタイルで面接は進められた。 さすがに2回目と言うこともあり緊張はしておらず、何より試験会場で隣りに座っていた めがね青年に質問が集中したため、たいしたボロも出さずに面接は無事終了した。 (ちなみにもう一人の男は、「あんた珍しい苗字だね」くらいしか聞かれなかった)

面接も無事終了し、俺は例のめがね青年と一緒にタクシーで津田沼まで帰ることにした。 駅までおよそ10分間、彼と色々話していたのだが、例によって会話の細部なんぞは覚えていない。 確か面接で、彼はプログラミングがすごいと言う話になってその手の会話をしたり、 今まで受けた会社の話をしたり、そんな感じであった。

駅に着いたあと、二言三言交わしたあと反対方向の電車に乗らなければならない彼と別れた。 最後に俺は「お互いの武運を祈りましょう。」などとおどけていってみたりした。 本当に祈ってるわけでもないし、そもそも武運なんてものあまり信用してはいないが。

そして話は唐突に夜8時の仙台へと場面転換するのである。総武線の中では相変わらずぼけーっとしていただけだし、 新幹線の中ではアサヒスーパードライを飲んでそのまま寝てしまったため、取り立てて書くこともないのだ。 しかし、こうやって書いてみると、面接に行ったのだか酒飲みに行ったのだかよく分からないくらい飲んでるなぁ、 となにげに思ってみたりする。

とりあえず朝飯以外何も食ってなかった俺は腹が減って仕方がなかった。あてもなく駅ビルの中を うろつき、目に入った一軒の蕎麦屋に入る。目的は一つ、そばでもうどんでもなく、カツ丼である。 理由は不明だが、「本日ノ晩飯ハカツ丼ニ決定セリ!!」と強く心に決めていた俺に、 その他の選択肢なんぞは思い浮かばなかったのだ。カツ丼とそばのセットを注文し、 胃袋の中にそれをかき込む。カツと玉子とたれの予定調和のハーモニーがすきっ腹の俺にはたまらない。 ものの5分とたたないうちにカツ丼とそばは目の前から消えてなくなり、俺は蕎麦湯なんぞをすすっているのであった。

かくして、たいした出来事もロマンスもなく、俺の一泊二日の就職活動は終了するのである。 しかし、このまま締めると就職試験に行ったのだかカツ丼食いに行ったのだかよく分からなくなるので、 後日談を追加しておくことにする。

3日後の朝9時、唐突に家の電話が鳴った。こんな時間に来る電話なんぞ間違い電話か 怪しいキャッチセールスのどれかだろう、と思い、俺は電話に出なかった。 数回のコールの後留守番電話に切り替わり、そこから女性の声が流れてくる。 「もしもし、こちら○○社雇用担当の××と申します。本日、△△さまに2次面接のご案内の ほうをさせていただきたくお電話させていただきました・・・・。」

そして来週、また俺は習志野に行くのである。







10月20日:就職活動(中編)


面接は12時45分からと言うこともあり、その日の朝は思いっきり眠っていた。 モーニングコールを8時に頼んでおいたのだが、それすらも無視して 起きたのは9時半、そのままスーツに着替えて外に出てみると、掃除のおばさん達が 俺の部屋の前に待機していた。何か申し訳ない気分になって、すみませんすみませんと頭を下げながら、 俺はJR山手線御徒町駅へと向かうのであった。

JR御徒町駅から山手線に乗って秋葉原へ、秋葉原から総武線に乗り換え錦糸町へ、 さらに錦糸町から総武快速に乗り換え津田沼へ、およそ30分の間に細かく電車を乗り換え、 千葉県習志野市にあると言う会社へと向かう。会社の面接に行くにはもったいないくらいの秋晴れで、 慣れないスーツを着ているせいか汗をダラダラかく。 実際、その日は10月としては珍しい夏日だったらしい。 とりあえず俺は朝飯と涼を求めて近くの喫茶店に入った。

喫茶店でナスのパスタとアイスコーヒーを注文する。ウェイトレスのお姉さんは、 「かしこまりました」と営業スマイルで答え、そそくさと厨房に戻っていく。 パスタにのっている揚げナスが脂っこく、朝から何も食っていない俺の胃袋の中でずどんずどんと 暴れまわっている。口の中の脂っこさをアイスコーヒーでごまかし、念のため口臭防止のガムを買い、 店の外に出る。相変わらずの秋晴れで、道行く人は涼しげな格好をしている。 面接用の黒のスーツではさすがに浮いているなぁと思ったが、 まさかTシャツにハーフパンツで採用試験に行くわけにはいかない。 まあ、仕方ないか、と口の中でつぶやきながら、とりあえずさっさと会場に行きたい俺は、 12時15分に出ると言う送迎用バスの乗り口を聞くために会社に電話をしてみた。

「送迎バスでしたら交番の近くにあるバス停から出ています。なお、面接会場に向かう旨を伝えないと、 別館には向かいませんので気をつけてください。」電話の向こうの女性は事務的にそう答える。 どうやら送迎バスとは、もともと会社勤務用のやつらしい。たかが面接でバスを出すとは ずいぶん気前がいいなぁと思っていたらそう言うことなのか。なんか少しがっかりしてしまったが、 そんなことを気にしている場合ではない。 とりあえず言われたとおりバス停に向かうと、俺と同じ様に暑苦しい格好をした男数人がバス停の前で 落ち着かない様子で立っていた。

俺もその輪の中に加わりバスを待つことにした。しばらくするとパラパラと人が集まりだし、 総勢10人ほどになった。中には女性の姿もある。 前回の2人しかいなかった某金属会社とはえらい違いである。 そしてこの中の何人かは受かり、何人かは落ちるのである。 とりあえず絶対採用の方に入るぞ、と、何となく思って、俺は送迎用マイクロバスに乗り込む。

狭い住宅街の道を抜け、バスは会社へと向かっていく。 会社はどんな場所にあるのか、面接ではどんなこと聞かれるのか、それ以前にこんな時間からはじめて 今日中に仙台に戻れるのか。不安とか好奇心とか色々入り混じった気持ちを落ち着かせるため、 俺はバスの外をぼんやりと眺めるのであった。







10月18日:就職活動(前編)


キィーンと言うきわめて不快な音を立てながら、やまびこ57号は南に向かって走っていく。 俺は車窓に映る景色と、手元にある小説とを交互に眺めながら、一つ、大きくあくびをする。

こう書くと秋のみちのく一人旅、男のロマンと愛を求めて三千里、 というようないかにもロマンチックな出だしなのだが、残念ながら今回は 就職活動のために東京に行くのであり、ロマン、愛、純情、義理人情といった類は全く関係なく、 むしろ駆け引き、ハッタリ、妥協、学歴社会といったあまり心躍らない言葉を連想する旅路である。

上野駅で新幹線を降り、山手線に乗って御徒町まで行く。数年ぶりの東京はやっぱりウルサイ町であり、 車バストラックサラリーマン女子高生外国人といったものをカン袋に詰め込んで ばら撒いたような印象を受けた。

とりあえず人ごみの中をごめんなさいよ、ごめんなさいよとつぶやきながら、俺は上野三丁目辺りを すばやくすり抜けていくのであった。

前日、キセキ的に予約できた上野某ホテルに着く。本日のねぐら、6畳一間の狭い和室に荷物やら着替えやらを放り投げて、 一目散に地下の飲み屋へと行く。と言っても次の日は就職試験なのだからべろんべろんに酔っ払うわけには行かない。 生中と、店員に勧められたカキ雑炊をすすりながら、俺は次の日のことをぼんやりと考えていた。

隣りに座った老夫婦から、「メイフラワー号が云々」と言った会話が聞こえてくる。 近くのサラリーマンの団体からは乾杯の音頭が聞こえてくる。 考えてみると一人で大衆飲み屋にいると言うのはなかなか手持ち無沙汰である。 しょうがないので近くにあった日本酒のメニューをぼんやりと眺めていると、 店員が寄って来て、「何かご注文でしょうか?」とたずねてきた。 「いえ、眺めているだけです。」と俺が素っ気無く答えたら、 あらすみませんとつぶやきながら残念そうに店員は奥の厨房に引っ込んでいくのであった。

その後、焼き鳥などもう数品頼み、お会計2400円なりを支払って部屋に戻った。 面接試験用の参考書をペラペラめくりながらテレビをつけてみると、 サッカー日本代表対ジャマイカ代表戦をやっている。 くしくも1998年フランスW杯と同じ顔合わせだ。俺は参考書を放り投げて、テレビにくぎ付けになった。 TVではアナウンサーが、「中田、小野、中村、稲本の黄金の中盤」と急がしそうにまくし立てていた。

試合の方は前半、小野のゴールで先制したもののその後決定力不足で、後半ジャマイカに追いつかれ結局ドロー。 アナウンサーが興奮気味に「黄金のカルテット」を連呼したくらいしか印象に残らない、退屈な試合であった。 テレビのスイッチを切り、再び参考書を開く。とりあえず自分の特技やら印象やらを適当に紙に書いて 面接の対策とする。こんなもんでいいのかどうかはよく分からないが。

気がついたら時計の針は午前0時を回っていた。再びテレビをつけると、辺見えみりがビデオを持って 10分間の番組を作る、というのをやっていた。とりあえずそれをダラダラとみながら、 用意しておいたビールと柿ピーなどをむさぼり、俺はずるずると眠っていくのであった。






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