ある朝起きると、僕は女性の部屋にいた。 目の前には見慣れた女の子、幼馴染の山瀬智子の顔があった。 本棚には彼女の愛読書、鈴木光司の小説が並んでいる。 CDラックには宇多田ヒカルやケミストリーなどの流行の曲が並んでいる。 机の上には大分古ぼけたテディベアのぬいぐるみがある。 夢にしてはリアルだ、僕はそう思い自分のほっぺたをつねろうとした。 しかしあるはずの手がうごかない。いや、体全体が動かないのだ。 まるで金縛りにかかったかのように。

「智子〜。早くしないと学校遅れるわよ〜!」階下から聞きなれた、彼女の母親の声がする。
「待ってよー、まだ寝癖直ってないよ〜」彼女は母親にそう言って、僕を覗き込んだ。 鼻歌を歌いながらヘアスプレーを2,3回髪の毛に吹き付け、ブラシで整えている。 そして平安貴族の何とか麻呂のようにきれいさっぱりそり落とした眉のところに、 ペンシルを使って弓形の眉毛を書き足している。やがて下の方から、再び彼女の母親の声が聞こえてきた。
「ちょっとあんた、いつまで鏡を覗き込んでいるのよ!!そんなことしてたって美人にはならないわよ!!」


どうやら、僕は鏡になってしまったようだ。


何で鏡になったかなんて分からない。カフカの「変身」では、主人公は虫になってしまったのだが、 僕は生き物ですらない。毒虫になるのと無生物になるのではどっちが得か、とか、 小学校2年のとき神社のお賽銭箱に爆竹を仕掛けた罰が今あたったのか、 何ていろいろ考えてみたけれど結局のところこんがらがるばっかりだ。 本棚の横に飾ってある滝沢秀明のポスターが、馬鹿にしたような笑顔で僕に向かって微笑んでいた。

彼女が目を真っ赤にして帰ってきたのは午後5時くらいであった。 母親が理由を尋ねると、彼女は言葉を詰まらせながら、僕が行方不明になったことを告げた。 そりゃそうだ、僕はここにいる。もしかしたら自分の意識の一部だけこっちに飛んで来て 本体の方はピンピンしてるんじゃないのか、とか期待していたがどうやら違うみたいだ。 なんか申し訳ない気分になりながらもちょっとこの先の展開が気になって、 僕は動かない体を極力台所方面へ近づけて(ほんの数ミリ近づいた気がしたが実際は全く動いていないんだろう)、 全神経を聴覚に集中させてみた。

夕食の話題は僕のことで持ちきりだった。彼女はうなだれながら魂を抜かれたような返事を繰り返していた。 彼女の両親はありきたりな言葉で彼女を励ましていたが、どうやら上の空のようだ。 夕食が終わると、彼女は自分の部屋に転がり込みベッドの上でひとしきり泣いた。 次の日も、彼女は元気のない姿でうなだれながら学校へと向かった。 しかし、時とともに彼女の顔に笑顔が戻ってきて、そして夕食時に僕のことが話題になることも少なくなった。 そして僕も、腹は減らないし勉強もしなくていいし、何より彼女が毎朝僕を見つめてくれるので、 鏡の生活も悪くないなぁ、何て考えたりするようになった。

事件が起こったのはそれから1ヵ月後の真夜中だった。 煙の臭いを感じ、ふと窓の外を眺めてみると、外の世界は真っ赤に染まっていた。 テレビでやっていた連続放火魔のニュースを思い出し、僕は顔から(ないけど)血の気が引くのを感じた。 あわてて大声をあげようとしたけど、鏡だから口なんかない。 彼女に目下の危機を伝える手段がないのだ。ましてや自ら動いて119番なんて芸当も出来ない。 この時ばかりは鏡である己自身を呪ったりした。

「神様仏様キリスト様、もしいるんだったら彼女を助けてください。」
僕は空に向かって必死になって祈った。初詣でも修学旅行の神社仏閣参りでもこんなに必死に祈ったことはない。 しかし当たり前のように返事はなかった。もうやけくそである。
「俺なんかどうなってもいいので、彼女を、山瀬智子を助けてくださいっ!!」
僕は心の中で一心不乱になって祈った。すると、僕を壁につるしていた紐が切れ、 次の瞬間、僕は床に叩きつけられた。

ガシャーン!!と、自分の大きさから考えても不自然なくらい大きな音を立てて、僕は粉々に砕け散った。 痛みとかはなかったけど、僕は自分の意識がだんだんこの場から遠ざかっていくのを感じた。 いわゆる、天に召されている状態なんだろう。なんて考えたりもした。 僕の足元で、大きな音に驚いた彼女が目を覚まし、次の瞬間窓の外を見て叫び声をあげる。 そこから先は、僕が屋根を突き抜けて外に出てしまったので見えなかった。

ジオラマくらいの大きさの街を、消防車の赤色灯がせわしなく動く、 どうやらぼや騒ぎくらいですんだみたいだ。 よかった・・・。と僕は胸をなでおろし、そして彼女との奇妙な共同生活に終止符が打たれたことを思い出し、 急に寂しくなってきた。 結局のところ、何で僕が彼女の部屋の鏡なんかになったのかは分からなかったけど、 まあこうして彼女を助けることが出来たからいいや、なんてあきらめに近い考えを思い浮かべながら、 僕は彼女にお別れの言葉を言った。「さようなら、智子・・・・。」

「松村君・・・・?」彼女は空を見上げて、僕の名前を呼ぶ。

どうやら、最後のつぶやきは彼女に届いたようだ。

あなたが誰で何の為に生きているか   その謎が早く解けるように
鏡となり   そばに立ち   あなたを映しつづけよう
そう願う今日この頃です

−Mr.Children「Mirror」−






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