信州の鉄道音景CD つれづれ草page.4
鉄韻居士の  ハチャメチャつれづれ草       page.4
  目次
  ・・・・・・・・・・・・  目  次  ・・・・・・・・・・・・
 【page.1】へ戻る
 【page.2】へ戻る
 【page.3】へ戻る
 【page.4】
  第二十話 鉄・「人間原理」・宇宙


  第二十話 鉄・「人間原理」・宇宙

 鉄道というのは文字通り、鉄の道である。いまさら何をであるが、鉄道発明時には鋳放しの鋳鉄の道であった。現在は鍛造した鋼鉄の道である。いずれの場合も鉄は他の金属より安くて強いからこそレールに使われたし、使われている。

 それにしても鉄というのはまことに地味な金属である。放っておけば錆び、やがて土に還る。しかし、とてつもなく重量感を感じさせる鉄鋼製構造物が油にまみれて鈍く黒光りする様に、筆者は心底しびれるのである。たとえば、鉄道車両の足周りなんかである(油もしたたる いい車両・・・笑い)。勿論、車輪も含む。はたまた、少し錆びた蒸気機関車なども全体いい。いかなる金属製品よりずっと美しいではないか。いや、持ち得れば金製品もいいが。それはともかく、筆者には青銅の仏様より有り難く見えるのである。また、名工の手になる日本刀の美しさ(下の注をご参照)は、金やプラチナやダイヤモンドの輝きに優るとも劣らない。もともと人を切るための道具というのが残念ではあるが。

 この鉄というものは、実にうまい具合の性質をもってこの宇宙に存在し、実に都合のよい量、すなわち適量がこの地球上にある。銅や金銀と違い、あまり、埋蔵量を心配しなくてよい。あればあるほどいいのではあるが、それでは土が鉱(かな)臭く、豊富な動植物が地上に発生できたものか疑わしい。それで都合のよい量、適量と言ったのである。

 さて、うまい具合の性質の方であるが、まず、鉄の酸化物を還元する際、他の金属化合物と比べて経済的な負担が少ない。還元し易い。つまり、廉さの一因でもある。また、還元精練後の状態では適度な展性があるが、炭素などを少し混ぜると、延展成形後に焼き入れし、非常に硬くかつ強靱な性質にできる。長くて丈夫なレールなどを造り易い。また、それ自体に強磁性を有するが、珪素を混ぜたりするとモーターのコアや変圧器に最適な材料となる。どうして、かように人間生活に都合のよい元素がしかも地球に適当量存在するのか。

 そこで思い出されるのが、「人間原理」という宇宙観である。

 この宇宙が、宇宙自身を認識する人間のような知性を持った存在を生ずるのはこの宇宙が最初からそのように出来ていたのだ、というのが大筋である。が、インターネットで調べてみるといくつか流派があるようである。同じ流派についてネット各人の説明もまちまちで、必ずしもすっきりと理解できない。

 人類の一部が宇宙についての知見を増すとともに、それまでの自意識過剰な宗教的人間観が、観測された宇宙の大きさにうちのめされた。そのような時代に若干の反動として「人間原理」が提唱されたのであろう。

 世界観の人間側へのこの揺り戻しは、量子力学的自然観とも無縁ではない。「人間原理」が提唱された頃は量子論成熟後の繚乱期でもあった。量子論多数派によれば、観測対象である物理現象の観測結果に人間が観測しているという事実が影響を及ぼすとされる。

 「人間原理」の言わんとするところのもとは、詮ずるところ、宇宙は広大ではあるけれど、そこに宇宙自身を認識する知性体がいなければ何の意味やある、ということであろう。そして、事実、我々の宇宙がそうあるのは、そのような宇宙だからである。と開き直る。しかし、これは結果論というものである。何の新しい知見ももたらさない。そこで、宇宙の諸パラメータは緒からそのように知性が生じるように決まっている、などととんでもない主張も出てきたらしい(「強い人間原理」)。これは馬鹿らしく無いか。科学的思考とは相容れないのではないか。

 鉄のほうに話をまた戻そう。上の伝でいくと、炭素や水素や窒素を始めとする生命体に必須な元素ばかりか、やがてその生命体が進化して使用する「道具」や「構造物」などに必要となる元素、たとえば鉄までもが出来るべく諸パラメータが決まっていたということになる。しかも、それら諸元素生成の暁には、道具等に適する様々な性質が現出するように都合よく。つまり、生命のあり様ばかりか、それが用いる道具などについてさえということなのである。たとえば、鉄の素晴らしい有用性は、この宇宙の最初からやがて出現する人間の如き知性体のために予め用意されていた。ということになる。

 どうもまことに信じ難いことである。これではまるで、神による創造説と大差ないではないか。いや、神による創造説のほうがよほど説得力があるというものである。

 少しく贔屓目にヘーゲルの世界精神と似たものかと見たてたとしても、開闢から、どうしてそんなうまいことになっているのかという疑問が残る。こりゃヘーゲルの方がまだましだ。が、だいたい、このヘーゲルの自己運動する弁証法的世界精神などというものにしてからが、全くもって奇怪である。造られることなくしてそんなうまいものが自然 (じねん) にあるわけがなかろう。そんなものを大真面目に論じていた西欧世界というものも、実用倫理一点張りで満足していた極東世界と頭脳的に大差無いではないか。

 「人間原理」のもとである「あまりにうまく出来過ぎている世界」という幻想を打ち砕くには、美男・美女の諸氏以外は、自分の顔を鏡に写して眺めることをお奨めする。「世界はあまりにうまく出来ていないではないか」。筆者が常に実感しているからである(笑い)。

 しかし、こういうことなら信じられるかも知れない。宇宙といえるものは我々の宇宙以外にもたくさんある、あるいは、時間的なスパンを隔ててではあろうが、いろいろと出来てしまう。これら諸宇宙間には相互作用があるかないか、それは分からない。がともかく、我々の宇宙は、「実にうまくできている」とされる現在の状況を実現できるような諸パラメータを備え、たまたま出来た。あるいは偶然そう変化して来た。別の宇宙それぞれは、生命も無い全くの暗黒世界、素晴らしい極楽浄土のような世界、あるいは高度な知性体がウヨウヨと存在する世界・・・と、きりがないほどに多様である。こういうことなら幾分は受容可能であろう。どうです。もっとも筆者の唱えた新説ではないのであるが。

 それにしても、この宇宙は、実によく出来た世界である。そう思えること、まことに多々である。やはり、造化の神の存在を信じるしかないのだろうか。いや待てよ、イヤマテ、イヤマテ、もっと素晴らしい世界だっていくらでも考えられるではないか。たまたま出来てしまっただけの宇宙かも知らん。・・・またまた、またも堂々めぐり、イヤマテ線グルグルとなってしまうのであった。

 ・・・なんだ、なんだとー、イヤマテ線グルグルだとー。ここは信州のローカル線系サイトじゃなかったのか〜。

 ス、すいません。

 (注)刀剣鑑賞が趣味の方には、坂城町「鉄の展示館」をお勧め致します。
 現代日本屈指の刀匠・人間国宝、故宮入行平翁とその門下の人々の作品を常設展示。
 しなの鉄道(もと信越本線)「坂城駅」下車徒歩3分。


↑目次に戻る .
←【page.1】へ戻る
←【page.2】へ戻る
←【page.3】へ戻る



↑このページのトップへ戻ります.
←トップページへ戻ります.
飾り罫線
無断転載はご遠慮ください。