安曇潤平
アンケートモニター登録


Amazon 楽天市場

安曇潤平
?
安曇潤平
実話ホラー 死霊を連れた旅人 安曇潤平 だいわ文庫
「乱暴な山の神」
Tさんが南アルプスのK岳を登ったときの話である。
K岳唯一の難所を越え、急勾配の登山道を登っていたとき、前を歩いていた初老の男性が
突然立ち止まると振り返って、Tさんに向かって笑顔で話しかけてきたそうである。
近づいて挨拶をし、その声に応えようとした瞬間、初老の男性の顔つきが突然変わり
拳を握った右手でTさんの左頬を殴った。
頭にきたTさんが反撃に転じようとして男性の顔を見ると、般若のような顔に豹変していたので
恐くなって、そのまま山を下りたそうだ。
下山すると、山麓に多くの人が集まって騒いでいる。
その中のひとりに話を聞くと、Tさんが男に殴られたその先で、つい今しがた尾根道が崩落
いたのだという。
あのまま登山を続けていたら、崩落に巻き込まれていたかもしれない。
もしかしたら、Tさんを殴った初老の男性は山の神で、Tさんを救ってくれたのかもしれない。
『それにしても殴ることはないのに』 

安曇潤平

安曇潤平
山の霊異記 幻惑の尾根 安曇潤平 角川文庫
「呼ぶ声」
『おぉぉい』 また下の方から父親の声が聞こえてきた。ずいぶんせっかちな父親である。
『ここに綺麗な水が流れているよ。顔を洗うと気持ちいいよ』
今後は湧き水らしい。
『今日のお父さんはずいぶん急いでいるわね』 母親さしき女性が言う。
『もしかして雨でも降るんじゃないの?』 小学校低学年くらいの女の子が返す。
『ここに綺麗な水が流れているよ。顔を洗うと気持ちいいよ』
また、父親の声が聞こえてきた。僕は、タバコの火を点けながら、思わず吹き出しそうになるのを
こらえていると、母親と目が合った。
優しい顔で軽く会釈をした母親につられて、僕は少しバツの悪い顔になって会釈を返した。
そのまま素知らぬ顔もできなくて、僕はそのまま言葉を繋げた。
『いつもご家族、こんな感じで山を歩くんですか?』
『はい、夏が終わり、紅葉がはじまるこの時期、一年に一回こうやって栂池から白馬大池を往復するんです』
『いえいえ、旦那さんですよ。いつも先を歩くんですか?』
母親が怪訝そうな顔をして僕を見た。
『いえ、私たちは、いつもふたりですが・・・・』
今後は僕が怪訝な顔になった。
『もしかして・・・・あなたは主人の声が聞こえるのですか?』
『聞こえるも何もさっきから、大きな声でおふたりを呼んでいるじゃないですか』
母親と女の子がびっくりしたように、顔を合わせた。
『おじさん、お父さんの声が聞こえるの?』
女の子が僕の顔を見上げて話しかけてきた。
ふたりが何を言っているのか、僕にはしばらく理解できなかった。
『主人は三年前の冬、この山で亡くなりました』
『え?』
『亡骸はまだ見つかっていません。その翌年から私と娘は山が静かになるのを待って、いつもこの山を
訪れているんです。
『ねえ、おじさん。お父さんの声が聞こえるの?』
『聞こえるよ。下の方に綺麗な水が流れているんだよね』
『わあ、聞こえるんだ』
『私たち以外に主人の声が聞こえる方に出会ったのは初めてです。主人とご縁があったのでしょうか?』
そう言われても、僕には思い当たる節がなかった。なにより僕は、自分に霊感があると思ったこともないのだ。
その時、下の方から、またあの声が聞こえてきた。
『おぉぉい、ここに綺麗な水が流れているよ。顔を洗うと気持ちいいよ』
『ほら、お父さんが呼んでいるよ。急いで行かなきゃ』
そう言って、僕は女の子の頭を撫でた。
『ありがとうございます。あなたに出会えただけで今年の山は、とても思い出に残るものになりました』
『おじちゃん、ばいばい』
振り向いた女の子が満面の笑顔で手を振った。

安曇潤平

安曇潤平
山の霊異記 霧中の幻影 安曇潤平 角川文庫
「命の影」
登山の最中、行きちがう登山者に挨拶をすれども、相手は怪訝な表情をするだけで、挨拶が返って来ない。
その後、三人の登山者に行きちがったが、誰からも挨拶を返されることはなかった。
休憩所に着くと、ベンチに座った中年の男性に声を掛けてみた。
『こんにちは。今日一日は天気が持ちそうですね』
しかし、相手の顔は怪訝を通り越して、気味の悪いものを見るような表情だった。
居たたまれずベンチから歩き出すと、離れたところにあった岩の上に腰を下ろした。
その時、初夏であるこの季節にまったく不釣り合いな冬山のジャケットを着込み、ザックにピッケルを吊るした
いかにも山男という男が横に座った。
『君は自分の声が、周りに聞こえていないと思っているようだが、それは違うよ』
『なんでわかるんですか? 確かに途中から周りの様子が変だと思っていたんですけど・・・』
『声は聞こえている。正確には、微かに聞こえている。だけど、この山を登るうちに、君の存在が消え始めて
いるんだよ。周りからは君の姿が見えないんだよ』
『姿が・・・・』
『俺には君が見える。君にも俺が見える。でもな、周りの登山者たちには俺たちの姿が見えていないんだよ』
寒気がした。だとするとこの男は何者なのか。
『このまま登りつづければ、君はこの山で命を落とすことになる。とにかく周りの人間に声が聞こえているうちに
君はこの山を下りるんだ。声さえ聞こえなくなった時、君はアウトだよ』
『あなたはいったい・・・・・』
『異変に気付かず、呑気に山を登りつづけた成れの果てだよ』
『じゃあ・・・・あなたは・・・・この世の・・・・』
『ほらほら、ますます声が小さくなってきた。早く下りないと俺みたいになっちまうぜ』
猛烈な悪寒を感じながら、来た道を蹴るようにして駆け降りた。
やがて、あと少しで登山口の温泉宿にたどり着くというところで、若い女性登山者が下から登ってきた。
血相を変えて山を駆け下りてくる姿を見て、怪訝そうな顔をしている。
『こんにちは。大丈夫ですか?』
走りながら、思わず言葉を返す。
『こんにちは! 大丈夫です。あなたも気をつけて!』
この時ほど、山で挨拶されることに喜びを感じたことはなかった。

安曇潤平

安曇潤平
山の霊異記赤いヤッケの男 安曇潤平 メディア・ファクトリー
「急行アルプス」

急行アルプスは、登山とスキーシーズンに特急あずさを補完する列車として運行された夜行列車。
その急行アルプスを新宿駅から乗り込み、甲府駅を列車が出るとひとりの男性が乗り込んで来た。
車内はガラガラ、座席は多数空いているにもかかわらず、私の占領するボックスシートに来て
『ここ、いいですか?』 と聞いてきたことで話をすることになった。
その青年はY岳のクロユリを勧め、取りだした地図を指差して、こと細かにその地点の特徴を説明して
くれた。そして、いつの間にか私は寝てしまった。
目覚めた時は松本駅に到着したところで、塩尻に住んでいると言った青年は居なくなっていた。
私は予定通りK岳を登り、山荘へ一泊した後にY岳を目指して歩き出した。
やがて青年が説明してくれたクロユリの群生する場所に着くと、その美しさに心を奪われていた。
そして、何気なく足に触れた物を見て、それが白骨化した人間の手であることに気付いた。
私は急ぎ山を下り、昨夜泊まった山荘に戻りました。
すぐに山荘から警察に連絡が行き、Y岳の斜面で見つかった遭難者は、塩尻在住の大学生M君だと
判明しました。
その後、警察でM君のご家族の住所を教わり、線香を上げに伺いました。
仏壇の中で明るく笑う青年は、まさしく私が急行アルプスで楽しく話をしたM君でした。
私は、M君ご両親に急行アルプスでの出来事を話しました。
ご両親はボロボロと涙を流し、何度もうなずきながら私の手をきつく握りました。

安曇潤平

安曇潤平
山の霊異記黒い遭難碑 安曇潤平 メディア・ファクトリー
「滑落」

足場の悪い痩せ尾根を歩いていた佐々木が、俺の目の前で北側の谷に滑落した。
谷を覗き込むと五十メートルほど下のテラスで倒れていた。
必死で声を掛けるが返事がない。
俺はザックからザイルを取りだすと、佐々木が倒れているテラスまで懸垂下降した。
それまでピクリとの動かなかった佐々木が、まるでバネ人形のように立ちあがって
俺の方を向いた。
佐々木の身体には首から上がなく、しかもその頭は、佐々木自身の右手で小脇に
抱えられていた。
その小脇に抱えられた佐々木の顔が、妙に明るい声でこう言った。
『まったく失敗したぜ。でも困ったな。首から下が見つからないんだ』
そう言い終えた途端、佐々木は仰向けに倒れ、もう二度と動かなかった。


戻る