ドイツの救急医療 ホームへ 本文へジャンプ

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救急医療の今昔と彼我・・・そして家庭医


市立宇和島病院副院長 南予救命救急センター長 木下研一
南予医学雑誌 第2巻 第1号 2000年3月

Ⅰ はじめに
 医学部を卒業して以来、好むと好まざるにかかわらず常に救急医療に関係してその変化を眺めてきた。その間に日本の救急体制も相当に改善されたが、各国の体制と比較すると未だに未熟な点が多い。救命救急センターの職を辞するにあたって、自己の経験と文献および私信によって今一度救急制度全般について考えてみた。


Ⅱ 救急医療とのかかわり

 卒業して数年もすれば夜間当直のアルバイトを始めることになるが、近辺の数カ所の病院に良く知った外科の仲間達が分散して泊まっていることがあった。この場合、個々の当直医は重症の疾患には殆ど無力であり、何故この数人を集める制度がないのかという疑問を朧気ながら感じていた。

 ところが1971年(昭和46年)にドイツの臨床を経験して、自分が感じていた疑念が晴れた。そこには、出来るだけ医師を分散させず、逆に重症患者の方を集める制度が出来上がっていたのである。多くの医師が存在するところといえば大学であり、ここが救急医療の一つの拠点である。遠方からの搬送はヘリコプターの任務であり、そのヘリコプターも芝生より少し背の高い草が生えた、ちょっとした空き地に勝手に飛来し、またいつの間にか飛んで行ってしまうという感じであった。

 市立宇和島病院に着任した1972年(昭和47)頃は新聞紙上「たらいまわし」という言葉が大流行した時期であり、まともにその洗礼を受けた。実際、この頃は絶対的に不足している医師が各地に分散し、おまけに当直以外には当番を決めるという感覚が欠如していたから、新聞種になりたくなかったら自らが常駐している他はなく、赴任後の数年間は宇和島市からほとんど出ることはなかった。

 その後三次救命救急センターの設置など大きな進歩があって、現在では当地方の救急・時間外医療は日本の平均的な基準からみると、相当に完備したものといえる。その理由は、市民はどんな形にせよ診療時間外にも医療が受けられるからである。しかしシステムとしては不十分であり、改善点も多く残されている。

 救急システムの基本的な改革は全国規模で行われる性質のものであり、一病院、一つの市、あるいは一地域だけの力で実行できるところは限られている。とはいえ、例えばあまり利用されなくなった急患センターについて再考するなどそれなりに改善の余地はある。


Ⅲ モータリゼーションによる事故の多発と救急体制の組織化

 先に述べた如く、欧米日ともに1970年前後には多発する自動車事故に対して対策を講じているが、その際に日米では行政指導型で発足し、ヨーロッパでは民間が自己の意志で創造し、常に改良を重ねている。

 従って前者ではその制度が動きだした年(法の制定日)が明らかであり、日本では1964年(昭和39年)の救急告示制度に始まり、米国では1966に調査報告がなされた後、1973年(昭和48年)の救急医療体制法が出発点になる。後者すなわちヨーロッパでは発足の時期も特定できなければ、現在もなお小さな改良が加えられている。


Ⅳ 救急医療と家庭医(一般医)

 救急医療を論ずる中で唐突に家庭医の話が出てきて恐縮であるが、既にご存知の方には読み飛ばしていただくとして、一応世界の平均的な家庭医を紹介する。 ドイツの家庭医を例にとると、家庭医になるためには少なくとも内科、外科、婦人科または小児科、それに皮膚科を修得して認定試験に合格しなければならない。そのためには3-5年を要し、また家庭医になった後には生涯教育を受けることと救急医療(初期)に参加することが義務づけられている。救急医療に参加するには、自分の開業施設で急患を診察する方法と地域の施設でグループを組んで当番制で行う方法がある。そして家庭医を目指す医師の割合は内科に次いで多いとされている。

 家庭医の像を思い浮かべるために専門医と比較するとよい。専門医になるためには、家庭医と同様に3-5年の歳月を要するが、その間は勿論専門の科だけを専攻する。そしてこれが最も大切なことなのだが、専門医は家庭医ではないのだから家庭医にはなれない。専門医もまた専門医として救急医療に参加する義務がある。

 日本では総合診療科が設置されたところがあるが、家庭医を目的とした養成コースは未だにできていない。従って理屈からいえば日本には家庭医は居らず、専門医が開業して家庭医的な役割を果たしているのだといえる。この数年の間に「かかりつけ医」という言葉が出現したが、世界の家庭医とは異なることを意識したのかもしれない。


Ⅴ 救急医療体制の完成度
 救急医療の完備について定義することは難しいが、誰もが24時間365日を通してその疾患の程度に応じた治療が受けられる体制といえる。そのためには医療情報体制と搬送体制、それに受け入れ体制が整っておらねばならず、またこの三つの体制が有機的に結びついて円滑に機能しなければならない。勿論、これらの条件がそろっても地域によっては医療機関に到達する手段や時間が異なることはやむを得ない。これらの要素を念頭において、以下に述べる各国の体制を比較してほしい。

 
Ⅵ 各国における救急医療体制の特徴

1.アメリカ

 文献と私信による考察である。
 アメリカでは無保険の人が3割はいるといわれ、これに低料金保険の人を加えると可成りの数になる。その人達は病気になっても薬局で薬を買って我慢する。大抵はそれで回復するが、そうでない場合にはいよいよ我慢が出来なくなってから病院に運んでもらうことになる。ERでお染馴染みになった光景は、チャリティ・ホスピタルの救急(部)がモデルだといわれていて、そこには1日に500人とか700人とかの病人が押し掛けて、毎日トリアージが行われているという。従ってここでは初期・二次救急がなく、三次救急だけがある感じである。勿論、軽症の初期救急患者がERを受診してもいい理屈ではあるが、トリアージを行っているから軽症の患者が診察を受けるまでに何時間かかるか見当もつかないだろう。

 保険を持つ人達は、急病の場合にも家庭医や病院を選ぶことができ、疾患に適した医療施設に送られるという。

 搬送手段としては広大な国土の中でおこる救急疾患に対処するために、救急車やヘリコプターのほかに飛行機も活躍しており、搬送中に緊急処置(プレホスピタル・ケア)が行われている。この仕事は主として救急医療技師が担当しており、これが一つの特徴である。

 国民性とそこから発した保険制度が救急医療にも影響しているが、その条件下ではできることはしているという印象である。

2.西ドイツとスイス

 システムの基本的な構造は同じであるのでまとめて記載する。ベルリンの壁の崩壊(1989)後に統一されたドイツにおいて、かっての東ドイツの部分がどのように改善されたかについては情報が集まらなかったので割愛する。

 救急の病人は一般的に家庭医を受診するか、あるいは重症であれば往診を求める。自分の家庭医が不在の場合には、指名されている代理の家庭医を受診するか、または家庭医が交代で診療義務を担当している施設にまわる。初期医療が時間的に空白になることはない。家庭医の段階で十分な医療が出来ない場合には、家庭医自身の責任で専門医または入院が可能な病院に紹介される。患者が初めから専門医を受診することも可能であり、この場合には専門医で医療が終了するか、あるいは専門医の責任でさらに病院に紹介されることになる。初めから病状が重い場合や事故による傷害の場合には緊急(Notfall)として直接病院に運ばれる。

 重症の患者の情報は全て救急情報コントールセンターに集まり、センターの専門官が病状に応じて基地から救急車あるいはヘリコプターを出動させる。基地は基幹病院に所属しているから、必然的に病院から出動し、原則的にその基幹病院に戻ることになる。ヘリコプターの出動回数は1基地あたり年に千回をこえる。1990年当時、旧西ドイツには35の基幹病院とそれに付随した基地があり、これらの基地から飛び立ったヘリコプターは15分以内にほぼ西ドイツ全域をカバーできるといわれていた。

 この2国における患者の流れの特徴は、第一歩として家庭医またはその代理に連絡することであり、しかも必ず連絡ができる様になっている。そこから先は診察をした医師の責任で順に必要なコースをたどるところにある。緊急の場合は先に書いた様に、ヘリコプターまたは重装備の救急車で直接病院に運ばれる。

3.フランス
 全て文献を基にしてまとめた。
 SAMU(救急医療サービス)は、地域主導型で1960年(昭和35年)頃にフランス各地で誕生し、絶え間なく改善を重ね、1986年(昭和61年)に全国統一がなされて現在に至っている。

 SAMUセンターは公立病院に付属しており、フランス全土に約100ヵ所存在する。ここには整備された通信網をもつ電話受診指令センターがあり、司令塔としての役割を果たす。情報は通信網を通じて速やかにかつ正確に伝達され、指令担当医はこれらの情報を基にして最適の医療および搬送手段を指示する。一方、搬送を受け持つ救命救急機動サービスの基地はSAMUセンターまたは一般病院に付属し、その数は全国に350ヶ所程度である。そこには数種類の救急車が配備されているが、ヘリコプターを保有しているのはSAMUセンターの基地に限られるようである。これらの基地に対して一般からの出動要請はできず、SAMUの命令を受けて出動する。搬送チームが基地を発進した後もSAMUはこのチームと連絡をとりながら、病状に応じた医療施設を決定してそこに患者を送り込む。

 このことを少し具体的に説明すると次の様になる。
 救急医療を必要とする市民はSAMUに連絡する。その後は指令担当医が以下の判断と指示を行う他、医療機関の選択も行う。
 ①診察の必要性を認めないと判断した場合
   対処方法を指示して、経過を観察する。
 ②軽症
   医師の診察を必要と認めたら、一般開業医の受診を指示、または往診を依  頼する。
 ③中等症
   検査あるいは入院が必要な症例では、開業医救急支援組織または民間の会  社に連絡して、救急医療部のある医療施設に寝台車仕様の救急車で運ぶ。
 ④重症および最重症
   救急医療専門医(現場担当医)を含む救命救急機動サービスが派遣される。
この場合の救急車は重装備で、医療機器・薬品を常備している。

 病人は一旦SAMUと連絡をとれば、後はすべてSAMUの責任で事が運ばれる仕組みが理解できるだろう。

4.日本

 救命救急センターが150ヵ所近く(1997年137ヵ所)設立された意義は大きい。これにより三次救急患者は大いに恩恵を受けることになったが、救命救急センターに初期・二次の救急患者が殺到して三次救急の機能が麻痺する事態が問題になっている。意地の悪い見方をすれば、三次医療の施設が単独で先行して設立されると初期・二次救急の体制作りが阻害されるのではないかという見方もできる。

 実際、軽症の救急医療体制は不完全であり、休日・夜間診療所の設置などの努力は行われているが、診療時間帯に制限があって時間的な空白を完全に埋めるには至っていない。しかし日本にあっても、札幌市では医師会が中心になって24時間365日の初期救急システムを1984年(昭和59年)に作り上げている。北海道では現在までに9市が終夜の初期救急を実施しており、そのほかに神奈川県と兵庫県の一部でも実施されているようである。今後この方式が増えることが望まれる。
 

Ⅶ 結論

 これまで述べてきたように、日本の救急体制は欧米の体制に比較して遅れている面が多い。それらは次の3点に要約できるが、同時にこれら3点が同一組織の中に組み込まれることが重要である。

1.医療施設

 救命救急センターは全国で150近くが設置されており、欧米に比して遜色のない数である。しかし救命救急センターが独立型で運用されるように指導する意味が理解できない。外来・病室・手術室などが病院と離れて、あるいは隔離されて建設されるのは不自由なだけである。所属する人間も数字上では独立している事になっているが、少数の医師で、従って少数の専門家で多岐にわたる三次医療を遂行することは出来ない。医師については多数の科から、時と場合に応じて救急に参加する以外の形は考えられない。アメリカのERを参考にしたり、あるいは補助金の算出のために採用された方法と考えられるが、今後はヨーロッパ型を研究してそれに変えていく必要があるだろう。

 初期救急医療のシステム作りが一番遅れている。その原因はまず間違いなく、日本における家庭医の不在であろう。日本で初期救急を実行するためには少なくとも内科・小児科・外科の3科の(専門)医師を集めなければならい。ドイツの家庭医はこの3科を一人で受け持つのであるから当番の回数は、日本の制度では単純計算でドイツの3倍になる勘定である。回数が増せば負担が増え、制度化には消極的になる。

 家庭医学あるいはプライマリー・(ヘルス・)ケアは、世界の医療の中でひとり日本だけが取り残された分野である。これを理解して取り入れることは日本の医学・医療およびその教育制度の根幹にかかわる問題であるが、またそうであるからこそ皆で考えなければならない問題である。

2.搬送体制

 重症患者の治療は、1ヵ所に医師を集め、そこに患者を集める体制が効率的である。そのためには機動力が重要であり、ヘリコプターの活用が必須である。ヘリコプターの利用については今その一歩を踏み出したところであるが、1997年(平成9年)に運ばれた病人の数は日本で約500人、ドイツでは約60,000人という実績を示しておきたい。ちなみにヘリコプターの保有台数は両国でほぼ同数、国土の広さもほとんど変わらず、人口は前者が約1億2千万人で後者は約8千万人である。

 搬送に関する参考資料として出動費に触れておく。日本以外では出動費は一般に有料で、救急車は1回5千円、ヘリコプターは1回5万円あたりが世界的な相場である。

3.医療情報センター

 現在でも119番に電話をすれば間違いなく消防局につながり、そしてそこから救急車が動き出し、現場に到着する。しかし病人を救急車に乗せた後に適切な医療機施設を選択してそこに搬入することは難しい。消防署の当直が経験によって施設を選択することもあるだろうし、とにかく受け入れるという施設を捜し出してそこに運び込むこともあるだろう。情報といえる程の情報もなく、医療施設との連絡も極めて不十分なままに毎日をやりくりしているというのが実状であろう。このような連絡システムはまだ情報センターとは呼ばない。

 フランスのSAMUで述べた如く、専門官(この場合は医師)が初期から三次の医療施設の情報を把握し、さらに管制する権限を与えられるのでないと救急制度を有機的に運用することはできない。この条件が満たされて初めて医療情報コントロールセンターの名が与えられる。

 現在わが国でも、国や県の主導でインターネットによる災害・救急の情報を速やかに流す方法が検討されている。しかしこの場合に忘れてはならないのは、情報がセンターのコンピュ-タに溜まるだけでは十分には活用されないということである。これらの情報を市民と共有するためには、市民が情報を取り出せる仕組みを構築し、更に電話などで直接に応対する道も必要である。


Ⅶ おわりに

 日本と世界の救急体制について文献を集めて比較検討した結果、様々な面で日本の救急体制の不備が浮かび上がった。そのな中から2点を強調しておきたい。 

1.ヨーロッパでは病院に情報機関と搬送機関が直属して運営されているのに対し、日本では情報・搬送機関と医療施設が縦割で別々の制度に所属しており、それぞれの間の連携が薄い。

2.ヨーロッパでは家庭医が時間外診療にも重要な役割を果たしているが、日本ではWHOのいう家庭医は存在せず、このことが一般の医療においても救急医療においても欠陥となっていると思われる。

 いづれの点についても、先行したモデルがあるのだからこれを参考にして早急に改革の道に乗り出さなければならない。


【文献】

一般
1)  小濱啓次:わが国の救急体制の最近の変化
    治療学 vol.31 No.8 935-938 1997

アメリカ
2)  河村剛史:アメリカの救急医療システム
    総合臨床 Vol.37 1722-1724 1988
3)  宇都宮啓:アメリカの救急医療システム
    厚生の指標 第41巻 15号 19-26 1994年
4)  苧坂邦彦 高松市 おさか脳神経外科病院 
     (元 シカゴ Cook County Hospital  resident)   私信

ドイツ、スイス
5)  滝口雅博:ヨーロッパの救急医療システム
    総合臨床 Vol.37 1725-1728 1988
6)  三村一夫:米国・西独の救急医療施設および研究所を訪ねて - 第2報
    救急医学 第12卷 第3号 385ー391 1988年
7)  Werner Huegin:スイスにおける救急医療体制(滝口雅博訳)
    救急医学 第14卷 第7号 933ー935 1990年
8)  Ernst Kern    元ヴュルツブルグ大学外科主任教授      私信
9)  Dieter Meinhardt 泌尿器科専門医 (ヴュルツブルグ在住)   私信
10) Reimar Pertsch 地質学者  (南ドイツ在住)      私信
11) 米川泰弘     チューリッヒ大学脳神経外科主任教授   私信
12) Dieter Stoll ジャーナリスト (スイス在住)       私信

フランス
13) Martinez Almoyna:フランスにおけるSAMU (岡田和夫訳)
    麻酔 37卷2号 138ー146 1988年
14) 毛利昭郎:ヨーロッパにおけるプレホスピタルケアの実態;
SAMUを中心に
    救急医学 第21卷 第1号 8ー12 1997年

日本
15) 松浦雄一郎:21世紀に向けた救急医療のあり方の提言
    広島医学 49卷 12号 1549-1554 1996
16) 永井嵩之 他:当院時間外救急患者の現状と分析
    大阪府立病院医学雑誌 19卷 1号 62-66 1996
17) 救急医療体制基本問題検討会:救急医療体制基本問題検討会報告書
    厚生省 1996年 12月


18) 若山昇明:札幌市における救急医療体制の沿革と
     札幌市医師会夜間急病センターの現況
    公衆衛生 Vol.51 No.11 769-774 1987
19) 札幌市医師会ホームページと同医師会との交信
20) 小林久 他:救急医療システムの現況 - 救急情報システムを中心に
    公衆衛生 Vol.51 No.11 757-760 1987
21) 有村宏:ヘリ救急の歩みと展望
    航空情報 No.665 40-47 1999
 
家庭医
22) 日野原重明等編集 プライマリ・ケアの現状と課題
    プライマリ・ケア医学・第二版 1-16 医学書院 1988年
23) 渡辺元雄:医療制度抜本改革のキーワード 「プライマリーケア」
    社会保険旬報 連載 1999年
24) 岡嶋道夫:ドイツの医療を支えるもの - 
       家庭医と専門医のすみ分けと職業裁判所
    日本医事新報 No. 3810 73-75 (平成9年5月3日)
25) 葛西龍樹:家庭医療学
    日本病院会ニュース 連載 1999年

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