| コンササポで何が悪いねん! 2001 さよなら… 「コンササポの人ですよね? どこから来られたんですか?」 「あ、京都です」 「京都ぉ!?」 「あー私、京都人なんで…」 次に飛び出る質問は分かっていた。 「なんで札幌のファンになったんですか?」 一言では説明できないし、面倒くさい。割愛しまくって彼女は答えた。 「んー…。札幌が好きやから?」 「何年くらい前から?」 「2年…半ぐらいですね」 「今日は誰のゴールが観たいですか?」 「今日出れるかどうか分からないんですけど、黄川田選手が…」 「あー黄川田選手来てませんねー」 「まじっすか! やっぱりぃ」 「では、誰のゴールが観たいですか?」 「誰でもいいので観たいです!(笑)」 重そうにカメラを抱える取材班を見送ると、J1に居るってすごいことなんやなぁと改めて実感させられた。 3月10日、2001年Jリーグディビジョン1・ファーストステージ開幕戦、対セレッソ大阪、長居スタジアム。満を持してのJ1復帰戦、スタンドは明らかに、ピンクより赤の分量のほうが勝っていた。こんな数のコンササポ、今まではテレビでしか見たことがない。これがJ1へ上がるということなのか。初めて接するたくさんのサポに、彼女はドギマギして圧倒されるばかりだ。訳も分からないまま声を出し、ゴールが決まると訳も分からず揉みくちゃになった。リアルタイムでみんなと喜ぶのは、やはり楽しい。 絶対的な声量に後押しされて、コンサドーレは勝った。次も勝った。負けも引き分けもそこそこあるが、J1でもまずまずの戦いができることが分かった。コンサドーレ史上、最もノッていた年だといっても過言ではない。 「実は…」と彼女は表情を曇らせて、「この年のこと、あんまり覚えてないんです」 それは彼女が大学受験を控え、生のJの試合やコンサドーレのビデオを観る機会が少なくなったこととは関係ない。観る機会は減ったが、いつも考えていた。ただひとりの選手のことを。 京都の繁華街から北西に離れた場所に、小さくて寂れた神社がある。蹴鞠の神様を祭る日本唯一の神社だと謳っている『白峰神宮』。この神社の存在を知った彼女は、早速、学校帰りに訪れてみた。訪れて、どうしてもお参りしたいことがあった。 ≪賢司さんのゴールお願いして来た。コンサも大事やけど、賢司さんがゴールすればなお嬉しい(日記より)≫ J1でも戦えることが分かると、彼女の心は以前よりも増して、黄川田だけに傾くようになった。試合があった日の日記には、結果や感想云々よりまず先に黄川田のことを書く。 前年、左サイドからFWのポジションに戻って得点を稼いだ彼も、この年に入ると小さな怪我を繰り返し、ほとんど出番がなくなっていた。申し訳程度に途中出場するぐらいだ。いくらコンサドーレが勝っても、いくら生で試合が観られるようになっても、その場に黄川田がいないだけで喜びが半減する。いつの間にか彼は、とてもとても大きな存在になっていた。 「たまに報道で名前を聞いたかと思えば、『練習中にウィル(01・03年)とマジ喧嘩』とか(笑)。シーズン途中でガク(堀井岳也・01〜05年)が加入した時は、もう賢司さんはコンサに必要ないんやと思ってヘコんで。彼にとって穏やかなシーズンではなかったはず」 だから彼女にとっても、「あんまり覚えてない」シーズンになったのだ。 7月21日、ファーストステージ最終節、対横浜F・マリノス戦は、札幌ドームのこけら落としとなった記念すべき試合だ。その日の彼女はというと、久し振りに万博にいた。 ――札幌ドームには大観衆が集まるに違いない。それだけの数の声援を受けながら、負けるはずがない。というか、負けたら絶対許さない。 こんな思いを胸に抱きつつも、彼女自身はちゃっかり、稲本の“日本ラストゲーム”に陶酔していた(この日の試合を最後に渡英)。コンサドーレは、負けこそしないが勝ちもしなかった。結果、ファーストステージは9位という成績に終わる。「思ったよりやれるもんなんやな」、これが彼女の正直な感想だ。 一転して、セカンドステージはうまく勝てない。J1相手でもやれるという欲がついたからか、2連敗しただけで不安に陥る。≪お願いやからJ2落ちはやめて。もうあの時のような思いはしたくないから≫。彼女は、J2に降格することよりも、降格が決まるとき選手の様子を観るのが耐えられないと思った。もう、黄川田には悲しい思いをさせたくない。 「悲しい思いをさせたくないのは、選手がサポーターに対して、ってのが普通やと思うんですけどね」 相変わらず、黄川田はコンスタントに試合出場できない。この年、彼女は3試合も生でコンサドーレを観戦できたにもかかわらず、彼の姿をピッチでもベンチですらも観ることはなかった。試合に出場できないまま降格するなんてたまらないと、彼女は思ったのだ。それほど、彼女の中の彼の占拠率は大きい。 前年は何度か見られた黄川田と播戸の2トップを、彼女は「ヨダレ出るほどカッコイイって意味で(笑)」“ヨダレ2トップ”と呼んでいる。 11月24日、セカンドステージ最終節、対セレッソ大阪、札幌ドーム。そのヨダレ2トップが、久し振りにスタメンで登場した。心配だったJ1残留は3節前に決めていた。試合後には、この年で勇退が決まっている岡田監督のセレモニーがある。彼女は先日、推薦で大学に合格したばかり。みんなのために勝って欲しかった。 が、黄川田はフル出場でノーゴール、試合も負けてしまう。最終節の感動も何もあったもんじゃない。…このとき、彼女の中である覚悟が芽生えた。 シーズンを通して11位。ウィルは得点王になった。山瀬功治(00〜02年)は新人王に輝いた。予想外と言っては失礼だが、十分すぎるほどの成績だ。練習の拠点となる『宮の沢白い恋人サッカー場』もオープンしたし、入場料収入もスポンサー収入も上がった。2001年はHFC、コンサドーレ、コンササポ、コンサドーレに関わる全ての人にとって、幸せな年だったに違いない。 その報せを聞いたとき、思ったほどショックを受けていないことに彼女は気付いた。 「この年を通して観て、最終節で覚悟したから、そんなには。行く末が見付からへんかったら心配しすぎてやってけへんけど、同時にJ2からオファーあるってことも報道されてたし、安心していられました」 毎年11月30日は、切なく、悲しく、悔しい。戦力外通告。黄川田は、この幸せな年を最後に、コンサドーレを出て行く。彼自身は幸せだったろうか。 黄川田のラストゴールはそれから日も浅い12月9日、第81回天皇杯3回戦、対川崎フロンターレ、富山陸上競技場。勝ち越し点となるゴール。決勝点にしたいところだったが、結局は再逆転され、天皇杯は初戦で敗退した。どんな形だったか映像を見ることはなかったが、彼女にとっては一生心に残るゴールになった。――最後に思い出をくれてありがとう。 彼女の“コンサドーレ札幌の黄川田賢司”の思い出は、ここで終わ…れば良かったのだが。 オフに入り、彼女もよく出入りしていた黄川田のホームページで、彼と彼のファンによる食事会が行われたことを知った。札幌を離れる黄川田が、応援してくれたサポーターに感謝の気持ちを込めて作った機会だった。写真からでも伝わる楽しそうな、色めいた雰囲気。 好きな大好きな憧れの人は、確かに札幌にいた。悲しくなった。羨ましかった。ただ札幌に住んでいるというだけで、夢のような時間を過ごせたホームの人が。 「参加したかったとか、私物が欲しかったとかじゃないんです。横断幕にサインを入れてもらうことすらできずに終わってしまったアウェイの自分と、会えるチャンスが与えられるホームの人。…どうしても比べてしまうんです」 パソコンを閉じたら、彼女の線もプツリと切れた。自分がホームでないことが悔しくて、泣いて泣いて泣いた。コンサドーレ関係で、それまでで一番泣いた。 しかし数時間後、関西ローカルの漫才番組を見たら、少し元気が出た。 「羨むぐらいなら、北海道の大学を受験して住んでしまえば良かった。それができない私は、やっぱり関西が、アウェイでいるのが好きみたい」 以降、彼女は、ホームへの嫉妬心を捨てることにした。羨ましいと思うたびに、『じゃあすぐ手の届くサンガのサポになれば?』と、心の中のもうひとりの彼女が呟く。 さよなら、賢司さん。さよなら、ひがんでばかりの弱い自分。 「コンサドーレって誰がいたっけ?」 「…ウィル?」 「ウィルかぁ。ゴールいっぱい決めた人やんな!」 「あとは全然知らんわ〜」 長居スタジアムで行われた天皇杯準々決勝の帰り道、彼女の前を歩く数人の(追っ掛けギャルっぽい)女の子が、コンサドーレを話題にしている。昨年までなら考えられないことだ。これから先、もっと強くなってもっと認知されれば、もう「なんで札幌を応援するの?」なんて聞かれることもなくなるのだろうか。強くなったらメディアだってたくさん取り上げてくれる。そしたら毎日ニヤけてビデオをセットしよう。いつか来るだろう日のことを夢みながら、彼女は電車に乗った。 目次へ |