もうすぐ、梅小路へ。
〜現役最後の日々〜
1972年は高校1年から2年、前年に手に入れた一眼レフにも慣れ、春休みに北海道、夏休みに九州と、今思えば、現役蒸機撮影の最も充実した年となりました。行く先々で、梅小路入りを控えたカマは、ファンの人気を集めながら、現役最後の活躍を見せていました。あれからずっと火の入っているカマがあれば、依然として火の入ることのないカマ、さらにはつい先日、再び火の入ったカマ・・・。1972年、北と南で出会った、5輌の記録です。
すでに重連運用なく、単機牽引で山線を行くC622。故障などでD51に差し替えられることも多く、走行を記録できたのはこのときだけだ。
72.4.3 小沢−倶知安
↑このアングルが撮りたかった(笑)たしか、鉄道ジャーナル別冊は「栄光の機関車C62」というタイトルだったか・・・。小樽築港でこの憧れのカマが見えたとき、重連に間に合わなかった悔しさは、すぐに吹き飛んだ。
72.4.2 小樽築港機関区
撮影中に、小雪がちらついてきた。出区時間が迫る。仕業を終えたD51の機関士が声をかけてくれ、記念写真を撮ってもらったのを思い出した。
72.4.2 小樽築港機関区
小樽駅で発車を待つ132レ。同じネガには室蘭本線のC57が写ってるから、この夜は当時得意の"夜行途中折り返し泊”だったようだ。
72.4.2 小樽
京都から「白鳥」と青函連絡船を乗り継いで函館へ。初日にD52468に遭遇したときの嬉しかったこと!梅小路入り当初は、「そのうち城東貨物線で・・・」などとファンの夢がよく語られたものだが・・・。
72.3.28 石倉
待避するD52468の横を通過するD51941牽引のコンテナ貨物。
72.3,28 石倉
有名な「大雪くずれ」、石北本線の1527レ。前夜のユースホステルでの噂から、もしや、と思っていたが、やはり! 煙で客車が隠れたのは惜しいが、いまとなっては些細に思える。
72.3.30 呼人−網走
網走からの運用には、残念ながらDE10の前機が付いていた。それでも、逆光に光るトップナンバープレートと白煙が美しかったのが記憶に残る。
72.3.30 網走
直方区のD60の不足により、梅小路入りを控えたD50140が出場し、走り始めたと聞いたのは、たしか九州に入ってからだった。筑豊界隈のあちこちを歩いた夏の日暮れ近く、やっとD50がやってきた。
72.8,22 筑前垣生
勇躍、次の列車で直方へ。入区したD50140に対面できた。このカマも、梅小路入り後、火が消えて久しい。
72.8.22 直方機関区
写真のキャプションには必ずといっていいほど「機関区のペット」とあったが、行ってみるとなるほど!やっぱり、このペンキ書きナンバーが「らしい」雰囲気だ。
72.8.20 鹿児島機関区
8月もお盆になってから、アルバイトを終えてからの九州行き。鹿児島での記念行事もイベント列車も終わっていた。鹿児島本線のC60、C61はすでになく、宮崎や吉松のC57が出入りする傍ら、C50やC57が入換に励んでいた。
72.8.20 鹿児島機関区
大きな大きな扇形庫と、小さな小さなB20。30年を経て、つい先日、動態復元工事が行われた。場所は変われど、「機関区のペット」の再現となったのは、ほほえましい限り。
72.8.20 鹿児島機関区
当時は、4輌の静態指定機以外は、未来永劫に煙を上げるのだと信じて疑わなかったし、意義も有難さも実感せずに、カマたちの厚化粧に悪態をついたものだ。ま、子供だから仕方ないが(笑)。開館まで1週間、C622も回着し、C56160が到着したカマの入換に励む。
72.10.3 梅小路機関区
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C62 2[築]
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D52 468[五] |
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C58 1[北] |
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D50 140[直] |
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B20 10[鹿] |
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そして、10月。梅小路。 |
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当時の筑豊本線には、すでにC55の姿はなく、D60も廃車が続き、若松区で前年お別れ運転を終えたD50140が小倉工場入場後、その不足を一時的に補うという奇妙な措置だった。 72.8.22
直方機関区
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