山陰本線京都口
京都口といえば、保津峡。現在の嵯峨野観光鉄道が山陰本線で、山間にC57やD51の汽笛がこだましていた。
70.11.22保津峡−馬堀
923レを綾部まで牽引したC57は、938レの敦賀一区C58と重連となり、福知山へ向かう。
69.6.15 綾部
雨の嵯峨野を行く923レ。
69.9.7嵯峨ー保津峡
花園を発車するC57190牽引8834レ.
69.10.5
この時代、「パック」と呼ぶファンはいなかったと思う。。。
69.12.14丹波口−京都
二条駅北方に古い横断橋があり、子供たちの撮影名所だった。
69.12.21二条−花園
D51上り貨物が二条を発車。右に見える駅舎も今は梅小路に。
69.12.21
丹波口を通過するD51254。京都中央卸売市場の側線があった。
70.3.14
梅小路機関区を左に見て、貨物駅へ到着間近のD51727.
70.3.14

夏の築堤を登る1830レ。C5739はのちに鹿児島へ転属する。
70.6丹波口−京都
海水浴臨「はしだてビーチ」に福知山のC57が入ると聞いて出かけた暑い日。たまには乗ってみようと、嵯峨まで1823レに乗車。
70.7 嵯峨、嵯峨−保津峡
亀岡を発車する上り貨物。セミ時雨が記憶に残る。
70.7

C57127も翌年、九州へ転じる。肥薩線での再会も果たした。
70.8.11
梅小路の扇形庫を見下ろしながら、終着京都へラストスパート。
70.11.8丹波口−京都
馬堀駅の保津峡方は、のどかな田園風景が続き、保津峡と好対照で人気のあった撮影地。
70.11.22馬堀−保津峡
正月の注連飾りを付けた後藤デフのD51499。
71.1.9