奈良 済美地区社会福祉協議会
第540回

10月せいび歩こう会

秋も酣(たけなわ)、今月は、鞍馬から貴船へ道をお誘い致します。鞍馬は深山として有名であり、牛若丸修行の地、貴船は山紫水明にして聖なる地であります。皆様ご参加下さい。


日 時

10月15日(日) 午前8時 近鉄奈良駅地下東改札口前 集合

コース

近鉄奈良@ 8 : 18 発=(京都行急行)=丹波橋=(京阪)=出町柳=(叡電)=鞍馬…(歩く)…鬼一法眠社… 由岐 神社…源義経の供養塔…ケーブル乗場=(ケーブル)=…多宝塔…弥勒堂…巽弁天社…転法輪堂・洗心亭…本殿金堂・金剛床・閼伽井護法善神社…光明心殿…本坊…霊宝殿(博物館)…牛若丸息つぎ水…義経の背比べ石…(木の根道)…大杉権現社…僧正ヶ谷不動堂…義経堂…(木の根道)…奥の院(魔王殿)…西門…(貴船川に沿って上る)…貴船神社…結社…(京都鴨川の源流である貴船川に沿って下る。)…バス停・貴船=(バス)=貴船口駅=(叡電・鞍馬線)=出町柳駅=(京阪‐丹波橋経由‐近鉄)=近鉄奈良

費 用

経費合計 3,280円

交通費  合計 2,980 円

 奈良〜(近鉄・京阪 890 円)〜出町柳〜(叡電 420 円)〜鞍馬

 ケーブル(上り 200 円)

 貴船〜(バス 160 円)〜貴船口〜(叡電 420 円)〜出町柳〜(京阪・近鉄 890 円)〜奈良

 

鞍馬寺入山料  300 円

 

鞍馬寺

「鞍馬」とは、樹木が茂り、昼でも暗い闇(やみ)間の所という意味で、鞍馬と呼ばれたのでは、という説や、山の形が馬の鞍に似ているから等の説があります。

寺のお話によると、南都の唐招提寺の鑑真和上の高弟・鑑禎(がんてい)が正月四日初寅の夜、山城国の北に霊山があると夢で告げられ、霊山を尋ね歩いたところ、朝日に輝く方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見、そこにたどり着くと、草堂があり、毘沙門天像が祀ってあったので、鑑禎はこれを祀る一寺を建立した、と伝わっています。

平安京運営にあたり、都の北を守る寺院となりました。その後、五度の火災で全焼しましたが、その都度再建され、現在16万坪の境内を誇る京の守りの寺として存在しています。

毘沙門天(福徳の神)は奈良県の信貴山の本尊でもあり、奈良市十輪院町の法徳寺、又河内の下の太子(大聖勝軍寺)の本尊でもあります。

大阪は河内の蘇我稲目(そがのいなめ)と聖徳太子が物部守屋(もののべのもりや)との間で仏教争いが起こり、「蘇我・太子軍」が勝利した際、聖徳太子が大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ)を創建しました。その時の戦に参加した毘沙門天は、この鞍馬の毘沙門天と云われています。

仁王門

両側に立つ仁王尊像は運慶の嫡男、 湛慶(たんけい)作と伝えられる。

鬼一法眠社

義経(牛若丸)に兵法を授けた、鬼一法眼(京は一条通堀川の陰陽師)を祀る。

川上地蔵尊

遮那王 ( しゃなおう ) と称した牛若丸 ( 義経公 ) の守り本尊である地蔵尊が祀られています。

源義経の供養塔

牛若丸が 7 歳から 16 才までの約 10 年間起居した東光坊跡に、昭和 15 年に建てられました。

多宝塔

釈尊(印度の釈迦)を祀っています。

弥勒堂

釈迦入滅後、 56 憶 7 千万年のちにこの世に現れ、説法し人間を救うと云われる弥勒菩薩を祀っています。

巽の弁財天

東南(巽)の方角に祀る弁天さん。

転法輪堂(てんぽうりんどう)

平安時代に、重怡上人(じゅういしょうにん)が13年間も堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱えられ、六万遍の弥陀宝号を書いて法輪に納めたといわれています。その法輪が安置された御堂。

洗心亭(茶店)があり、参拝者のための無料休憩所とギャラリーを併設。

金堂

昭和に再建され、鉄筋コンクリート造り。

堂前に毘沙門天の使いといわれる、阿(あ)・吽(ん)の虎が。(御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されます。毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによります。)

霊宝殿

1階、鞍馬山自然科学博物苑展示室。2階、寺宝展観室と与謝野記念室。3階、仏像奉安室・国宝毘沙門天像安置。

木の根道 此処を過ぎると岩石や木の根の露出した地道となる。この道には、「息つぎ水」(牛若丸が修練のため天狗の住む僧正ヶ谷に通う途中、水を汲んで渇きをいやした場所)や、「義経公背比べ石」(奥州落ちする時名残を惜しんで、この石と背比べをしたと伝承されています)等が点在しています。

不動堂

ここには、伝教大師、最澄がこもり、天台宗立教を祈願したと云われる所です。堂内に安置される不動尊像は自ら彫ったものと伝わっています。

奥の院・魔王殿

憶数千万年前、この辺りは海底から隆起した所と伝わっています。そして、約 650 万年前、地球を救うために金星から魔王が降り立ったという 伝説が残されており、そこに魔王殿が建っています。

貴船神社

貴船神社は「水神」として朝廷から尊崇された神社です・民間信仰では夫婦や男女の関係を司る神。和泉式部が詣で、飛び交うおびただしい蛍をみて歌を献じたところ、神から返歌があり、冷却していた夫(藤原保昌)との仲が復したという。その遺石(蛍石)が川岸にあります。また、宇治の橋姫が嫉妬のあまり参篭し、ついに生身のまま鬼神となり、相手の男女を取り殺した伝承が謡曲「鉄輪(かなわ)」で知られています。

 



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