遠藤周作試論<母なる神―西洋キリスト教と日本人の宗教観の相克と、その超克>         

                   

本多峰子

 

<序>

遠藤周作は、現代日本のカトリック作家のうち、英米でもっとも広く読まれている小説家の一人である。殊に、彼の神の概念が、正統派カトリック信仰の考える神と異なることが、欧米の神学者の興味を引くようである。じかに彼らと話してみると、たとえば遠藤の『沈黙』には、神が司祭に、「踏絵を踏め」と言うくだりがあるが、いかなる理由があろうともなぜ神は司祭に棄教を促すようなことを言ったのか、彼らは不可解に感じ、興味をもっている。

西洋人にとって、まず神は、父なる神、正義の神、そして、愛の神である。キリスト教では、神は<三位一体>であるというが、それは、父と子と聖霊からなり、第一格の<父>なる神は、旧約聖書の神、すなわちユダヤ教のヤーウェと同一視される。この神は、人間の原罪をただ無償で許すことを正義とせず、その罪を贖うために自分の御子をキリストとしてこの世に遣わし(それは、神自身の第二格でもある)、十字架の血を流したのである。その血によって、人間の原罪が贖われ、今日生きているわれわれの本質的な罪深さも赦されているのだと、キリスト教徒は考えている。しかしその赦しに預かり、救いを得るための第一条件はあくまでもキリスト・イエスを信じることであり、キリストを否むような、たとえば、踏絵を踏むという行為は、決して許されるものではないと、西洋人は通常考える。けれども、遠藤の神は、そのような厳格な正義の神ではなく、ひたすら優しい母なる神である。なぜか。それが、彼ら西洋人の関心を引くようである。遠藤は、決して西洋キリスト教の正統的神の概念を知らなかったわけではない。彼は十一歳の時にカトリックの洗礼を受け、通常の日本人よりははるかによく、深くキリスト教に通じている。後年初めてエルサエムを訪れたときには、「子供のころから聖書を通してほとんど暗記するくらい思いうかべていた都」[1]に立った感動を表している。大学時代の専攻はフランス文学であり、二年半以上に渡ってフランスに留学してフランソワ・モーリャック他のフランス・カトリック作家について熱心に学んでいる。七十歳になり、平成五年には、『キリスト教ハンドブック』(三省堂)を編んでいる。ただ、彼は、知的には父なる神の教義を受け入れたとしても、情緒的、感情的にはどうしても、神を母のイメージで考えることしかできなかったのである。

これは、彼にとっては、精神的な緊張をもたらすジレンマであった。本論ではまず、遠藤の<母なる神>の概念を見たのち、その概念が、日本人の宗教観に根ざし、また日本人の罪意識の欠如の当然の帰結でもあろうということ、そして、最後に、晩年になって遠藤が、母なる神と父なる神の相克を克服する道をジョン・ヒックの宗教多元論に見出し、生涯の精神的な緊張を超克することができたのだろうということを、論じてゆきたい。

 

<母なる神>

『イエスの生涯』の英訳版の序文で、遠藤は、「アメリカの読者のなかには、私の『イエスの生涯』を読んで驚かれる方もおられよう。私の解釈したイエスは、アメリカの人たちが今抱いているイメージと合わないように思われるからだ」[2] と述べている。遠藤のイエス伝としては『イエスの生涯』『四海のほとり』があるのはむろんのことであるが、『キリストの誕生』『聖書のなかの女性たち』など、キリストの周りの人々を描いたものもある。そして、『おバカさん』『悲しみの歌』『わたしが・棄てた・女』などにでてくるガストンやオミツは、遠藤のイエス像を表わすいわゆるChrist figureとも読めるであろう。それら、遠藤のイエス像を体現する登場人物たちを、『イエスの生涯』の英訳者リチャード・シュチャーは、「無垢で傷つきやすく、無力で、自分の愛する人の手で苦しみを受ける人たち。けれども、彼らは結局、神秘的な霊的影響をおよぼすのだ」[3]と、表現している。遠藤の描くイエスは、あくまでも慈愛に満ちた、罪を犯す人の弱さをもすっぽり包み込む母なる神の像である。「人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。自分の悲しみや苦しみを分かち合い、ともに涙を流してくれる母のような同伴者を必要としている」[4]と、遠藤は『イエスの生涯』に書いている。この「永遠の同伴者」こそが、遠藤のイエスを一言で表す言葉であろう。

そのイエスは、何よりも、われわれともに苦しんでくれる共感者イエスである。

 

イエスは群衆の求める奇跡を行えなかった。……そのためにやがて群集は彼を「無力な男」と呼び、湖畔から去ることを要求した。だがイエスがこれら不幸な人々に見つけた最大の不幸は、彼等を愛する者がいないことだった。彼等の不幸の中核には愛してもらえぬ惨めな孤独感と絶望がいつもどす黒く巣くっていた。必要なのは「愛」であって病気を治す「奇跡」ではなかった。[5]

 

後に見るように遠藤は、日本人には、西洋の怒りと正義の神は受け入れ難いと感じていた。そうした自らの心情を映して、彼は、洗礼者ヨハネの集団に属していた頃の若きイエスをこのように表わしている。

 

だがヨハネの抱く神のイメージは父親のイメージである。怒りと裁きと罰のイメージでもある。それは旧約にさまざまな形であらわれる峻厳仮借ない神であり、おのれに従わぬ町を滅ぼし、民の不正に激しく怒り、人間たちの裏切りを容赦なく罰する厳父のような神である。……

 それが本当の神の姿だろうか。洗礼者ヨハネ教団の中でイエスはおそらくこのことをご自分に訊ねられたであろう。……庶民の求める神が、怒り、裁き、罰するものだけではないと彼は予感されていたのである。

 その神の姿はまだ、このころおそらくイエスの心にもはっきりとした映像を結んではいなかったかも知れぬ。だがこのユダの荒野の夜、星々のまたたきを見つめながら彼は自分の胸の底からこみあげてくるものを感じておられたのである。それはヨハネの抱いている神のイメージとは違って・・・・・・やがて神がガリラヤの湖畔の丘で人々に言い聞かせる優しい母のような神の母体となるものでもあった。[6]

 

<『沈黙』>

ここで、代表作『沈黙』をとりあげて、もっとも問題になる場面、つまり、司祭の転びの場面を考えてみたい。周知のように、この小説は、江戸時代の島原で、キリシタン禁制のもとで布教を行うために日本に潜入したイエズス会司祭ロドリゴが、転んだ信徒キチジローの裏切りで幕府に捕らえられ、ついに自らも踏絵を踏むまでに至る、史実に基づいた物語である。ロドリゴは、自らに加えられる拷問には耐え、あくまで踏絵を踏もうとはしない。しかし自分が抵抗しつづける限り、日本人信徒たちがますます残忍な拷問を受け、殺されてゆくと知り、踏絵を踏む決意をする。そして、ロドリゴが踏絵に足をかけようとした時、彼は、踏絵のイエスがこう語る声を聴くのである。

 

「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」。[7]

 

これが、司祭の<聞いた>声であることは、重要である。それによって、彼の聞いたことが、客観的な包括的真理と言うよりも、神に向かう司祭にとっての実存的真理として提示されるからである。それはまた、これが遠藤にとっての実存的真理だということでもある。病や苦難に苦しみ、救いを求める人々の祈りを神が聞くとき、その人々にとって、神は救いの神である。それと同様に、この時司祭にとっては、彼を赦し共に心の痛みを担ってくれる存在が、神であった。

キリシタン迫害においては、多くの殉教者が出たが、この小説において作者遠藤の同情は、殉教した強い人々よりもむしろ、拷問に耐え得なかった弱き人々に向けられている。背教や、踏絵を踏むという瀆神の罪を、決定的に救いを拒否する大罪とみなす正統派の信仰から見れば、遠藤の神は異端にも見えよう。けれども、『沈黙』においては、この瀆神の罪さえ許されている。ロドリゴの師にも当たる元イエズス会士で、ロドリゴが日本に来る前に転んだフェレイラという転び司祭の口を通して、ここではむしろ、踏絵を踏むことが「今まで誰もしなかった最も大きな愛の行為」であるという逆説的示唆があり、背教が積極的に肯定されている。それは、「今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為」でもある。踏絵を踏むことで、教会を裏切ることは、教会から破門され、自分の救いを犠牲にすることであろう。けれどもフェレイラは言う。

 

「司祭は基督にならって生きよと言う。もし基督がここにいられたら……

「たしかに基督は、彼等のために、転んだだろう……基督は、人々のために、たしかに転んだだろう。

「基督は転んだだろう。愛のために。自分のすべてを犠牲にしても」。[8]

 

ここには、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15-13)という、神の愛の奥義が、神の御国における永遠の命を捨てることにまで広げられて、究極の愛として考えられている。

ロドリゴを幕府の役人に売った転び信徒のキチジローは、牢に入れられたロドリゴの所に戻ってきて、告悔の秘跡を求める。

 

「俺にゃ俺の言い分があっと。踏み絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。踏み絵をば俺が喜んで踏んだとでも思っとっか。踏んだこの足は痛か。痛かよお。俺を弱いかもんに生まれさせおきながら、強いか者のまねばせろとデウスさまは仰せ出される。それは無理無法と言うもんじゃい

「パードレ。なあ、俺のような弱虫あ、どげんしたら良いかとでしょうか。金がほしゅうしてあの時、パードレを起訴したじゃあなか。おれあ、ただ役人衆におどかされたけん……」[9]

 

ここでは、明らかに遠藤の同情は、キチジローのような弱者に向けられている。最後にキチジローは、告悔の秘蹟にあずかり、ロドリゴから赦しの祝祷――「安心して行きなさい」[10]――を与えられる。

キチジローの転びで、究極的に責められるのは、迫害に耐えられなかった彼ではなく、迫害に沈黙をまもっていた神であるように思われる。少なくとも、キチジローの意識のなかでは、そうである。

これを、イギリスのカトリック作家、グレアム・グリーン(Graham Greene)の小説『権力と栄光』The Power and the Glory と比較してみると、遠藤の『沈黙』が西洋の神学者たちにとって、特殊な立場をとっていることが明らかになる。グリーンの『権力と栄光』も、キリスト教弾圧時代の転び司祭が主人公となっているが、この司祭は、自分が転んだことを、致命的な瀆神の罪として苦しみつづけ、自分が決して救われることがないと自らを責めつづけている。

 

  彼は、自分を眺め、自分は地獄にさえゆく価値がないのではないかと考えた。自分はたんに男としてさえ使い物にならないデブで、二枚のシーツの間であざけられ、愚弄されている。しかしその一方で、彼は自分には誰も取り上げることができない賜物が授けられていることを思い出した。それこそが、彼を地獄にふさわしいものとするのだ。水を神の血と肉に変える秘跡を行う力は、なくなっていない。彼は、瀆神者なのだ。どこへ行っても、何をしても、彼は、神を汚すのだ。[11]

 

『権力と栄光』では、作者は転び司祭に同情的であるかもしれないが、司祭自身は、どこまでも転びの咎をわが身に感じている。そして、彼が結局救いに与るかどうかは、小説では示唆されていない。しかし、『沈黙』では、背教者自身が、自分たちを背教に追い込んだ神に問いかけ、怒りをぶつけ、イエスの許しの声を聴くことである。そして、さらに特徴的なことは、イエスが背教者の訴えに答えて、彼らをただ赦すだけではなく、弱さゆえに苦しむ彼らと共に苦しむと言っていることである。『沈黙』の神は、人々の罪を贖う神ではなく、人々の痛みを贖う神のようである。人々は、罪において苦しんだという、そのことだけで救われる。

遠藤は、イエスを売って自殺したユダについてさえも、救いを暗示している。正統的なカトリック信仰においては、ユダは、イエスを売っただけではなく、改悛せずに自殺してしまったために、決して救われなかったと言われる。自殺は、決定的に神の恵みを拒否することであり、救いを自ら否定する行為だからである。けれども、ロドリゴは踏絵に足をかけたとき、神の声を聴く。

 

(踏むがいい)と悲しそうな眼差しは私に言った。

(踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかち合う。そのために私はいるのだから)

「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」

「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」

「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」

「私はそう言わなかった。今、おまえに踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」。[12]

 

そうして『権力と栄光』の司祭とは異なり、最後には、ロドリゴは、自分が踏絵を踏んだことさえも神の御心にかなっていたと信じる境地に達し、心の平安を得る。その平安のうちに、彼は、キチジローに告悔の秘蹟を授ける。そしてそのことも、グリーンの転び司祭とは異なり、瀆神の罪とは感じない。

 

自分は不遜にも今、聖職者しか与えることのできぬ秘蹟をあの男に与えた。聖職者たちはこの冒瀆の行為を激しく責めるだろうが、自分は彼等を裏切ってもあの人を決して裏切ってはいない。今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。私はこの国で今でも最後の切支丹司祭なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。[13]

 

グレアム・グリーンの小説については、その『事件の核心』(The Heart of the Matter)について、遠藤が書いたものがあり、興味深い。この小説では、主人公スコウビイが、ひとりの少女のような未亡人への同情から不倫の罪を犯し、その告解をしないままに聖餐の秘蹟を受けるという、二重の罪を犯してしまう。そして、最後には、妻と少女のどちらをも傷つけたくないという思いから、どちらのことも棄てられず、自分の命を絶つことで解決を図ろうと、ついに自殺の大罪を犯すのである遠藤は、次のように言っている。

 

しかし神学者がそうスコウビイを批判しても――作家は――彼がカトリック作家であってもそう割りきることはできません。すでに何度も申しましたように、カトリック作家は人間の過失、そのよろめき、その罪にこそ彼の小説を組み立てるのです。筆を動かしながらグリーンもまた、スコウビイが救われることを願ったでありましょう。……スコウビイは救われるか、否か。それは、もはや、我々の認知しえるものではありません。おそらくカトリック者の中にはスコウビイの救済に暗点をみとめる者も多いでありましょう。しかし、裁くのは神であって、我々ではない。……スコウビイは「憐憫」によって、かえって数々の過ちと罪とに陥りましたが、その一生の内同じ「憐憫」の念が、彼をほとんど聖者の粋に高めた瞬間が一つあるのです。それは彼が難破船から救助された一人の少女の枕頭で、神に祈った時です。……「主よ、彼女に平和をお与え下さい。私の平和を永遠におとりになって、それを彼女にお与えになってください」……

地上から去ったスコウビイの泪にぬれた顔を、神は、拭い給い、その疲れた顔に手を当てたもうと我々は考えて、何故、いけないでしょうか。[14]

 

このように、遠藤は、他人のために自らの魂の平安を犠牲にささげることの尊さを感じた。そして、そのことは、遠藤自身の書いた転びの物語、瀆神に追い込まれた者の物語である『沈黙』に、表れているのである。

 

<日本の神、キリスト教の神>

このように、ほとんど異端とも言えるほどのひたすらやさしい<赦しの神>を遠藤が書けたのは、彼に、自分が神学者ではなく、作家であるという認識があったからである。遠藤の描くイエスは洗礼者ヨハネの宣べた罰する神、怒りの神とは異なる。むしろそれと対照的な赦しの神、罪人のために自ら苦しむアガペーの神だけを、遠藤のイエスは提示する。その、遠藤の姿勢は、彼が『イエスの生涯』に付したあとがきに要約されよう。

 

私は日本人につかめるイエス像を具体的に書くという課題を自分に課した。従ってこの本に描かれたイエスの生涯には……多くの聖職者、神学者の不満は承知しながら……ユダヤの旧約の完成者としてのイエスの姿はない。次にこの本はイエスの生涯を小説家として書いた者であるから聖書におけるその使信についての神学的解釈もない。それらは本書の意図をはみ出たものであり、私の力の及ぶところではないからである。[15]

 

彼は自分のイエスが正統派の視点から見れば、不満なものであることを承知していた。

 

私はこのイエス像がそのすべてに触れたなどと少しも思ってはおらぬ。聖なるものを表記することは小説家には出来ぬ。私はイエスの人間的生涯の表面にふれたにすぎぬ。ただ日本人である私がふれたイエス像がキリスト教に無縁だった読者にも少くとも実感を持って理解していただけるものであったならば、この仕事は無駄ではなかったような気がする。[16]

 

遠藤のイエスが、彼が<日本人である私>としてふれたイエス像であると意識されていることは、重要である。遠藤の母親は熱心なカトリック教徒であった。その望みで、遠藤も少年のころ洗礼を受けたが、キリスト教が何か縁遠い、自分に合わないお仕着せの信仰であるような感じをぬぐい去ることはできなかった。けれどもだからといって、キリスト教を捨てることもできなかったのである。後に彼は次のように書いている。

 

だがその時でさえ、私はその洋服を結局はぬぎ棄てられなかった。私には愛するものが私のためにくれた服を自分に確信と自信がもてる前に脱ぎ捨てることはとても出来なかった。それが少年時代から青年時代にかけて私をともかく支えた一つの柱となった。

 後になって私はもう脱ごうとは思うまいと決心をした。私はこの洋服を自分に合わせる和服にしようと思ったのである。それは人間はたくさんのことで生きることは出来ず、一つのことを生涯、生きるべきだと知ったからである。[17]

 

1996年9月29日の遠藤の訃報に触れ、翌30日の朝刊で朝日新聞は、彼を、「キリスト教精神と日本の精神風土との相克を描いた」作家と評している。遠藤は、自分には合わないキリスト教という異国の服を「自分に合わせる和服にしようと思った」と言うが、そのような仕立てなおしは、日本人がずっと行ってきたことである。遠藤は、そのことを強く意識している。『沈黙』の転び司祭フェレイラは、日本人の神概念が根本的にキリスト教のそれと異なり、日本人にキリスト教の神を布教しても、日本人はそれを土着の神概念に仕立て直してしまうことに気づいた。そして、自分の宣教の失敗の根がそこにあると、痛切に感じている。

 

「聖ザビエル師が教えられたデウスという言葉も日本人たちは勝手に大日と呼ぶ信仰に変えていたのだ。……デウスと大日と混同した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作り上げはじめたのだ。……基督教の神は日本人の心情の中で、いつか神としての実体を失っていった。

「彼らが信じていたのは基督教の神ではない。日本人は今日まで神の概念は持たなかったし、これからももてないだろう。

……日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力を持っていない。日本人は人間を美化したり拡張したものを神と呼ぶ。人間と同じ存在を持つものを神と呼ぶ。だがそれは教会の神ではない」。[18]

 

遠藤の母なる神のイメージが、伝統的な日本の神観によることは明らかである。今世紀、西洋にはフェミニズム神学がおこり、神を「彼」(He)でうける用語法から根本的に見直そうという運動が起こっているが、それとは異なる。フェミニズム運動は「もし神が男性なら、男性が神となる」[19]という、メアリー・デリーの有名な言葉に象徴されるように、社会的性差別に対するフェミニストの運動と結びついている。けれども、遠藤の場合、そのような要素はまったくなく、ただ、神の慈愛に満ちた面を強調し、イエスに見ているのである。また、14世紀に英国ノーウィッチのジュリアナは神秘的啓示を受けて、『神の愛の啓示』(Revelations of Divine Love)を書き、そこではイエスを、三位一体の父なる神とは別の、母なる神として見ている個所があり、「私たちの真の母なるイエス」という言い方もある。それゆえ、イエスに母を見るものは、西洋にも古来いたことは事実である。けれども、ジュリアナは、その「母なるイエス」とひとつの概念をなすものとして、全能の父、善なる聖霊を考えており、[20]母なる面は三位一体の神の一側面であることが意識されている。遠藤の場合は、全能の正義の神の面が見えないことが、その大きな特徴であり、それは、日本の土着の神概念からくると思われるのである。

日本人には、たいてい、はっきりとした神の概念はないであろう。けれども、つらいときに「神も仏もあるものか」と言ったり、願かけに「神様仏様」という言い回しをするところからも、ばくぜんと、神と仏がいっしょになったような存在のイメージがあり、それはやさしい、困ったときに助けてくれるような、いわゆる「神頼み」できるような神のそれである。仏教が入ってきたときにも、日本では菩薩の教えを説く大乗仏教が広く受け入れられ、観音信仰がさかんになったが、もともと、古事記を見ても、天照大神が母性であるように、最高神がやわらかな気性の母であるようなイメージは日本の土着信仰の特長であろう。日本の八百万の神々は自然のあらゆるものに宿るが、自然が穏やかな日本で、やさしい、慈母のような神のイメージが育っていったのも、不思議はない。

また、谷川健一は、本居宣長は「きもの」をカミと言った(「古事記伝」)」[21]ということに注意を促しているが、日本人にとって、神とは霊力を感じさせ、脅威を抱かせるような存在を広くさし、唯一絶対の創造主であるキリスト教の神とは異なるものだった。しかも、先祖が神棚に祀られたり、戦前まで天皇が神と言われたりしていた。「人間は死んだのちカミになるということを、われわれの先祖は古い時代から自然に信じてきた。正確にいえば、死者は祖霊になり、やがて年月をへてカミに祀られるようになった」[22]と山折哲雄は指摘しているが、そうした神観が本質的にキリスト教と相容れないことも、遠藤は意識していたのである。『沈黙』のフェレイラと同様、日本での布教に挫折を味わった『侍』のヴァレンテ神父に、遠藤はこう言わせている。

 

「あの日本人たちは……私の長い滞在生活でわかったことですが……この世界のなかで最もわれわれの信仰に向かぬ者たちだと思うからです」……

「日本人には本質的に、人間を超えた絶対的なもの、自然を超えた存在、我々が超自然と呼んでいるものにたいする感覚がないからです。三十年の布教生活で……私はやっとそれに気づきました。この世のはかなさを彼らに教えることは容易しかった。もともと彼らにはその感覚があったからです。だが、怖しいことに日本人たちはこの世のはかなさを楽しみ享受する能力もあわせ持っているのです。飛躍してさらに絶対的なものを求めようとも思わない。彼らは人間と神とを区分けする明確な境界が嫌いなのです。彼らにとって、もし、人間以上のものがあったとしても、それは人間がいつかはなれるようなものです。たとえば彼らの仏とは人間が迷いを棄てた時になれる存在です。我々にとって人間とはまったく別のあの自然さえも、人間を包みこむ全体なのです。私たちは……彼らのそのような感覚を治すことに失敗したのです」。[23]

 

また、日本の神が、正義と罰の神ではないことも、遠藤のイエスを考える際に重要なことである。キリスト教では、アダムの原罪を贖うために、神が受肉し、十字架にかけられ、人間の代わりに死んだという。そして、その贖い主イエスを信じることが、キリスト教の中心である。しかし、日本では罪や咎を「水に流す」とか、穢れを「みそぎ」するという言い方をすることでも分かるように、全能の神が人間の罪を赦すためにわざわざ十字架で殺されなければならないというようなことは、なかなか理解されないであろう。もし神がいて、それが全能の神ならば、ただ無償で赦すこともできるはずである。そして、それが万物の創造主であるというならば、そうする権利もあるはずであると、考えるのが、普通の日本人ではないだろうか。十字架の血を要求する父なる神は、愛の神というよりもむしろ、残酷な神に見えはしないか。谷川健一が「イザナキ、イザナミによる国生みの神話は、大洪水がひいて、雨上がりの空に虹の橋がかかっている光景を思わせえる時点から始まる」[24]ことを指摘しているように、西洋のノアの箱舟の洪水神話と違って、洪水の原因となった人間の罪や悪しきあり方は、日本の神話にはなく、洪水は人間に対する罰とは考えられていない。原罪神話は日本にはなく、「人間は(自分を含めて)みな、本質的に罪人だ」、と考え、実感している日本人は少ないであろう。 山折哲夫は、そうした日本の風土にキリスト教が受容されてきた過程で生んだ、土着の信仰との微妙な影響関係を観音信仰と地蔵信仰に見て、こう述べている。これは、遠藤の意識していた、キリスト教の変質過程を説明するものであろう。

 

キリストは人類の身替わりになって犠牲になった救い主であるが、犠牲にともなう残酷な肉体嗜虐と血生臭い匂いは、わが国の神道にも仏教にも現れることがなかったのである。

それでは、キリスト教美術の図像に対して、神道美術や仏教美術の図像の側にそれと比較できるような類似の形式がまったくないのかといえば、必ずしもそうではない。その代表的な例が、たとえば観音菩薩像と地蔵菩薩像ではないだろうか。すなわち観音像はキリスト教美術におけるマリア像に類似し、これに対して地蔵像は、幼児イエスの像と比較することができるからである。要するに、観音は女体を理想化したものとされ、地蔵は童児の姿を美しく造型化したものであったからである。[25]

 

要するに観音信仰は、キリスト教におけるマリア信仰がそうであったのと同様に、母と女の統一された女神もしくは仏母に対する信仰として、不動の地位を占めるに至った。性的な愛への渇望と、母体回帰への衝動とを一心に引き受ける母神として、時代を超えた人気を獲得していったのである。……

 これに対して、いわばわが国における幼児イエスとして圧倒的な流行をみせた地蔵菩薩は……修行僧の姿で現れ、迷いの衆生を救うのだという。地蔵はまず、天上<浄土>の弥勒仏と地上の民衆とを媒介する菩薩であったことが、これでわかるであろう。 

 次に、地蔵は阿弥陀信仰と結びついて、とくに地獄の責め苦から亡者を救い出し、阿弥陀仏のいる極楽に送りとどける役割を担うようになった。つまり、地下界(冥界)に苦しむ衆生を西方(浄土)の阿弥陀仏へと媒介し救済する菩薩であった。地蔵はこうして、この世と地獄の境界領域に立って救済活動を行う「大地の神」であったということができる。……

 その地蔵が、とくに中世以降は子供の救済神とみなされるようになった。……赤いよだれ掛けなどをつるす子供の姿へと変貌していった。僧形と童子形を統合した地蔵菩薩の定型ができあがったのである。そして、そのイメージは、無垢の微笑と透明な単純さを映し出す鏡として庶民に愛好されるようになった。[26]

 

観音菩薩と聖母マリアとのイメージの重なりは、隠れキリシタンのいわゆる「マリア観音」などに顕著である。

遠藤は、隠れキリシタンの第一世代が、迫害に耐え切れず背教の罪を犯した人々であるということにわれわれの注意を促し、彼らは自分たちの罪に耐え切れぬ思いに苦しんでいたからこそ、特に、マリアのとりなしの祈りを求め、マリア崇拝、マリア観音崇拝に向かったのであろうと考えている。

 

彼等はここに「母」のイメージを見た。彼等は「父」が怖しかったからである。転び者である彼等には自分たちの暗い過去、を知っているデウスがこわかった。この時、彼等にとってデウスは抽象的な姿ではなく、殉教した西欧の宣教師のイメージとなって感ぜられたにちがいない。……そしてその強い宣教師たちや強い信徒は転び者を怒り責めているように見えたにちがいない。だから彼等はこのきびしい「(デウス)」の代わりに、自分たちをゆるし、その傷を感じてくれる存在を求めたのである。……聖母は転び者たちとその子孫にとって、自分のために祈ってくれる母となったのである。ここにおいてかくれ切支丹のキリスト教は「父」の宗教から「母」の宗教へ少しずつ移りはじめたのだと私は考える。……

 だがそれとともにこの移行は日本人である彼らの感覚にもあっていた。一般に日本庶民の宗教心理には意思的な努力の積み重ねよりは絶対者の慈悲にすがろうとする傾向が強い。……そして自分より大きなものの慈悲にすがろうとするこの心情の原型は明らかに母にたいする子の心理である。[27]

 

 遠藤は、このような読者を念頭において書いていたのである。

 

                         <罪意識の欠如>

遠藤が日本人の魂の根源的問題として、罪の意識の欠如を深刻に受け止めていたことは、『海と毒薬』などに顕著である。先に見たように、絶対神の観念が通常の日本人にかけていることを遠藤は強く意識していたが、神の不在と、日本人に罪の意識が欠けていることとは、密接に結びついていると思われる。なぜならば、罪の意識は、絶対的な正義の神を意識し、その絶対者の前に自らの魂をさらしたときにはじめて実感されるからである。英国のニューマン枢機卿が言ったように、

 

われわれが良心の声に従わないことに恥と恐れを感じるということは、ある<お方>が存在し、その方に対しわれわれは責任があり、その方の前でわれわれは恥じ、その方の求めを恐れるのだということを暗示している。[28]

自らの罪を自分にとって真に恐ろしいもの、自分の救いにかかわるものと感じるのは、絶対者の目を意識したときである。それゆえ逆に、絶対者というものが考えられない世界では、真の恐れというものは成り立たないのである。

『海と毒薬』で、戦時中に行われたアメリカ兵捕虜の生体解剖に立ち会うことになる医学生戸田は、自分が「他人の目や社会の罰だけにしか恐れを感ぜず、それがのぞかれれば恐れも消える自分」[29]を意識し、不気味と感じている。彼は、自分が犯した罪に対して、いつかは報いを受けることになるだろうと感じるが、[30]罪の意識に苦しむと言うことはない。生体解剖が終わった時でさえ、「どや、俺の心はこんなに平気やし、ながい間、求めてきたあの良心の痛みも罪の苛責も一向に起こってこやへん。ひとつの命を奪ったという恐怖さえ感じられん。なぜや。なぜ俺の心はこんなに無感動なんや」[31]と言うのである。笠井秋生は、「「他人の目や社会の罰だけにしか恐れを感ぜず、それがのぞかれれば恐れも消える」のは、<神>が不在であるからだが、それにしても、戸田のような人間は果たして存在しているだろうか。……戸田はなぜ、他人の目や社会の罰にたいする恐怖とは異なる罪の意識を求めずにはいられないのだろうか。日本人であると同時にカトリシャンである作者遠藤周作の信仰上の苦悩が彼に託されているからである」[32]と指摘しているが、それは正しいと思われる。「神というものはあるのかなあ」と、戸田は思うが、同じく手術に立ち会う同僚の勝呂は「さあ、俺にはわからん」と答える。「俺にはもう神があっても、なくてもどうでもいいんや」。[33]この、勝呂の答えのほうが、道徳的な麻痺状態に陥った典型的な日本人の声ととれるであろう。

ただし、後日談ともいえる『悲しみの歌』に描かれた勝呂の後半生を辿ってみれば、遠藤は勝呂にも、けっして、罪の意識なしではいられない、神から離れられない自分を投影しているように見える。勝呂自身、知っていてもいなくても、「神があっても、なくてもどうでもいい」というのは、決して勝呂にとって、真実ではなかった。結局、彼は、ユダのように自ら首を吊るという形で、自分を罰することになる。死に向かうとき、彼は心の中でイエスの声を聞く。その声は、ただひたすら無垢で、愚か者にさえ見える外人――彼の出会ったガストンという男――の声のようにも聞こえる。

 

「死ぬこと駄目。生きてくださーい」……

「あんたがいくらイエスだって、私を救うことはできない。地獄というものがあるならば、私こそ、そこに行く人間だろうね」

「いえ、あなたはそんなところには行かない」

「どうして」

「あなたの苦しみましたこと、わたくーし、よく知てますから。もう、それで充分。だから自分で自分を殺さないでください」

その声はひざまずいて愛を哀願する捨てられた女のように勝呂を必死で説得していた。[34]

 

このような勝呂は、罪の意識の欠如とは程遠く、自分の罪を意識しながら、同時に神を信じて罪を悔いることのできない自分をも感じている絶望を表している。そのような人々をも救おうとするのが、遠藤の神である。そして、勝呂が自分の犯した生体解剖の罪に生涯苦しめられるのは、やはり、遠藤が自分のうちにあるキリスト者としての良心、つまり、神の前での良心を勝呂に投影したからだろう。

しかし、そのやさしさだけでなく、日本人の罪悪感の欠如は、遠藤の神が父なる正義の神になりえないひとつの必然的要因であるように思われる。それは、この勝呂よりはむしろ、『沈黙』のキチジローにあてはまることであるが、自分の原罪や罪を感じないものにとっては、正義の神の罰も、その罰をわれわれの身代わりになって受けたイエスの十字架も、真に訴える意味をもたない。それゆえ、罪の赦しも贖いも求め得ない人々に、十字架が持ちうる意味は、究極的には、イエスがわれわれとともに苦しんでくれたということに尽きることにはならないであろうか。

『沈黙』で、役人におびえて転ぶ信者キチジローは、「なんのため、こげん責め苦ばデウスさまは与えられるとか。パードレ、わしらはなんにも悪いことばしとらんとに」[35]という疑問を、ロドリゴにぶつける。この、「わしらは何も悪いことはしていないのに」という疑問は、自分たちには神の前には罪人であり、神の赦しが必要であるという意識の欠如を表すものであり、おそらく日本人にとってキリスト教を受け入れ難くしている本質的な問題点であろう。現代では、キリスト教圏の西洋社会でも、罪の意識が欠如しているという認識があり、たとえば、C.S.ルイスは『被告席の神』で、キリスト教衰退後の西洋を批評して「昔の人は、罪人が裁判官に向かうように神に(そして、神々に対してさえも)向かった。現代では、役割が逆になっている。今では人間が裁判官になり、神が被告席にいる。裁判官は親切で、神が、戦争や貧困や病の存在を許していることに対して申し開きがあるというのならば、喜んで聞いてやるであろう。しかし、重要なことは、人間が裁判官の席におり、神が被告席に座っているということなのである」[36]と述べているが、遠藤が直面した、裁きの神の概念のない日本の風土は、現代西欧の風土と似ていると言えよう。遠藤は『海と毒薬』で、神の目を感じない日本人の罪悪感が、真に自らの魂の救いにかかわる改悛に至らぬさまを描いたが、そうした赦しを求めぬ人種にとっては、たとえ愛の神であってもそれは正統派の考えるようなキリストではなく、ただ共に苦しむ神以上にはなれないのである。

罪を罰する正義の神の概念が、遠藤の文学にないことは、その当然の帰結と思われる。

興味深いことに、アダムの原罪を信じないユダヤ人の中には(ユダヤ教には原罪の教義はない)、十字架にメシアを見なくても、<われわれの苦しみを分かち合う神>という概念が見られる。エリ・ヴィーゼルは、アウシュヴィッツ生き残り作家として、収容所の体験を記しているが、ある無実の少年が見せしめのために絞首刑になり、囚人たちはみなそれを強制的に見せられたことがある。

 

三十分あまりというもの、彼は私たちの目のもとで臨終の苦しみを続けながら、そのようにして生と死との間で闘っていたのである。そして私たちは、彼をまっこうから見つめねばならなかった。私が彼のまえを通ったとき、彼はまだ生きていた。彼の舌はまだ赤く、彼の目はまだ生気が消えていなかった。

 私のうしろで、さっきと同じ男が尋ねるのが聞こえた。

 「いったい、神はどこにおられるのだ。」

 そして私は、私の心のなかで、ある声がその男にこう答えているのを感じた。

 「どこだって。ここにおられる――ここに、この絞首台に吊されておられる……。」

 その晩、スープは屍体の味がした。[37]

 

また、ここで気づかされるのは、苦しみが極限状態にまで課される状況では、その苦難の意味を問う人々に対し、神の答えは、ともに苦しむということに尽きるのかもしれない、ということである。ヴィーゼル自身は、

 

<神>もまた苦しみ、<彼>はわれわれと共に、したがってわれわれゆえに苦しむ。……いかにも、<神>もまた苦しみを受けておられるからには、われわれには不平をもらす権利はない。しかしながら……<神>の苦しみは、人類の苦しみを除去するわけではなくて、そこに加わるのである。両方が加算されるのであって、差引勘定が行なわれるわけではない。このようにして<神>の苦しみは、われわれにとって慰めではなくて、余分の懲罰となるのではなかろうか。そうならば、われわれは天にこう問いかけてもよいのではなかろうか。「私たちの悲しみだけでもたくさんではありませんか。なぜそのうえに<御身>の悲しみまで加えられるのですか」。[38]

 

と言っている。けれども、神がともに苦しんでくれるということに慰めを見出す立場のものは、遠藤だけではなく、また、ヴィーゼルらユダヤ人にも限らず、実際、西洋のキリスト教界にもいる。それゆえ、神のイメージが母のそれであるという点を除けば、遠藤のイエス像と近い概念は、西洋にも見られるということである。ことに、神の罰、成長の糧、信仰の試練、などでは説明のつかぬアウシュヴィッツの悲劇が起こり、その悲劇を食い止められなかった神の全能が問われた後は、そうであろう。

たとえば、ポール・ティリヒは、すべての人の苦しみの内にキリストを見て、このように語っている。「神は、十字架のキリストに表れたように、子どもの死や、罪人が有罪の判決を受ける時、人が狂気や飢餓に苦しむ時、そして、人間が神ご自身を拒否する時に際してさえもその苦しみをすっかり分かち合ってくださっている」。[39]カール・バルトもまた、イエスが群衆を深く憐れまれたという、マタイ福音書(九・三六)の一節にふれて「新約聖書のギリシア語の表現は、きわめて強い。群衆の苦しみは、彼を悲しませ、彼の心に迫ったというだけでなく、それは彼の心の中に入り、彼ご自身の中に入って、今やまったく彼の苦しみとなった、ということである。さらに、彼の苦しみは、群衆の苦しみ以上のもの、それよりも激しいものになった、ということである。彼はそれを、群衆から取り除き給うた。彼は、それを群衆に変わって受け給うた」[40]と語っている。

殊に遠藤と近く思われるのは、AN.ホワイトヘッドである。ホワイトヘッドは1929年に『過程と実在』で、リアリティーを固定した不変なものとしてではなく、生成してゆくプロセスと見なし、神はプロセスの限界内で説得する力として働き、絶対的な拘束力はないと考えた。ここでは、

 

神の役割は……概念的諧和の圧倒的合理性を忍耐強く働かせることである。神は世界を創造しない。神は世界を救済するのである。あるいは、もっと的確に言えば、神は真、善、美のヴィジョンにより世界を嚮導する優しい忍耐をもった世界の詩人である。[41]

 

キリスト教のガリラヤの起源……が強調するのは、統治するシーザーでも、仮借ない道徳家でも、不動の動者でもない。それは世界のうちで、ゆるやかに、そして静謐のうちに愛によって働く優しい要素に依拠する。……愛は統治せず、不動でもない。また、愛は道徳に関してはいささか忘れっぽい。それは未来を見ない。というのは、それは直接的現在のうちにそれ自身の酬を見出すのだから。[42]

 

神は他に影響を及ぼすと同時に自らも他に影響される、とホワイトヘッドは考える。神は説得はするが、支配はしない。彼の有名な言葉を用いれば、神は私たちを理解し、共に苦しんでくれる友、「偉大な仲間――理解ある一蓮托生の受難者」[43]なのである。

そのように人々に語りかけ、救おうとするが究極的には力がないホワイトヘッドの神は、『悲しみの歌』で勝呂の自殺を止めようとした、無力なイエスの声を思いださせる。また、遠藤の言う「永遠の同伴者」そのものでもあるようだ。

しかし、遠藤の中で、キリスト教と日本の思想風土の葛藤があったことは、確かである。それは彼の文学のテーマでありつづけたし、晩年に彼がジョン・ヒックの宗教多元論に出会ったときの衝撃の大きさが、また、そのことを示している。この、宗教多元論は、遠藤に西洋キリスト教と日本の精神風土との相克を克服する道を開くのである。

 

<宗教多元論による父なる神と母なる神との相克の超越>

199195日の日記に遠藤は、偶然に出会ったヒックの『宗教多元主義』(原題Problems of Religious Pluralism)を読んで非常な衝撃を受けたことを記している。[44]

この、『宗教多元主義』は、英国のプロテスタント神学者ジョン・ヒックによって提唱された多元主義的宗教理論である。ヒックは、世界の主な諸宗教は、同じ宗教的リアリティーを異なる文化的背景において、異なる象徴でとらえているものであり、結局はみなひとつの超越的リアリティーに対する人間の正しい応答であり、人間を自己中心からリアリティー中心に変容させてゆく正当な道であると主張する。そして、世界宗教はそれぞれ文化的拘束を受け、それゆえに異なる部分もあるが、どれも救済/解放への正しい道であると説く。その点、宗教多元主義は、キリスト教の包括主義、つまり、他の宗教を信じる人々も、意識せずに、結局はキリスト教の神を信じているのだという、カール・ラナーの「匿名のキリスト教徒」[45]などの考えとは異なり、むしろ一歩進んで、他の宗教をキリスト教と同等の真理への道と認める動きである。遠藤自身が読んだ邦訳から引けば、

 

そうした多元主義は、偉大な世界宗教はどれでも<実在者>なり、<究極者>なりに対するさまざまな覚知と概念、またそれに応じたさまざまな応答の仕方を具体化し、加えてその各々の伝統内において、<自我中心から実在中心への人間存在の変革>が明確に生じつつある――人間の観察の及ぶ限り、ほぼ同程度に生じつつあるものといえる――とみなす見解のことである。したがって、偉大な宗教的伝統はそれぞれ代替的な救いの「場」、あるいは救いの「道」とみなすことができる。そしてこの場なり、道なりに沿って、人は救い・開放・悟り・完成に達することができるのである。[46]

 

最後の小説『深い河』をめぐっての談話で遠藤は、

 

<文化的な伝統とか環境とかの中でわれわれは自分の宗教を選ぶのがふつうだと思うんですよ。インド人がヒンズー教を選んでヨーロッパ人はキリスト教を選ぶというか、そうなってしまう。><他宗教を同じように考えたら、頭から否定することは全くできないし、してはならない。むしろ積極的に彼らの善きもの、善き部分の中に、イエスの、キリスト教の神のもう一つの顔を見つけるべきだと、いつも思っています。>[47]

 

と、語っているが、ここには、ほとんどそのまま、ヒックの言葉を引いてきたような感がある。『宗教多元主義』や同じく遠藤が読んでいた『神は多くの名前を持つ』には、

 

大多数の場合・・・・・・宗教者がそこにおいて実在者との関係を見出すところの伝統は、かなりの程度、その人が生まれた場所や時代に依存する。[48]

 

多くの場合――ほぼ九分九厘まで――人が信じて従う宗教は、その人の出生場所によって定まることは、普通の人々には明らかな事実(かならずしも神学者たちがそう考えるとはかぎらないが)である。つまり、ある人がエジプトかパキスタンに住むイスラム教の両親から生まれるならば、その人はおそらくイスラム教徒になるであろうし、インドに住むヒンドゥ教の両親から生まれるならば、おそらくヒンドゥ教徒になるであろうし、またヨーロッパかアメリカに住むキリスト教の両親から生まれるならば、おそらくキリスト教徒になるであろう、という意味である。[49]

 

『深い河』で神学生大津は、フランスの修道院で修行しながら、自らの内にある日本人の汎神論的感覚が、どうしてもヨーロッパの基督教と相いれないことに苦しみ、インドに渡り、そこで、「結局は[神が]ヨーロッパの基督教だけでなくヒンズー教の中にも、仏教の中にも、生きておられると思う」[50]という境地に達した。その境地に立って大津は、神は「何でも活用するのです」[51]と語るが、その言葉からわれわれが読みとれることは、生涯カトリック教徒であり続けた遠藤が、正統派のキリスト教があくまでも唯一の絶対的宗教なのだという信仰に立ちながら、神が、仏教や日本の汎神論や和製化したキリスト像を通してもまた自らを啓示され、人々を神の信仰に導こうとしているのではないかと考え、訴えるようになったのではないかということである。

『沈黙』では、役人がロドリゴに、「仁慈の道とは畢竟、我を捨てること。我とはな、いたずらに宗派の別にこだわることであろう。人のために尽すには仏の道も切支丹も変りはあるまいて。肝心なことは道を行うか行わぬかだ」[52]と言う。これは、踏絵を踏むことを促す言葉、背教を促す言葉であって、皮肉に用いられている。ここでは、キリスト教と仏教とが同じく真理への道であるとは、ロドリゴにも、作者自身にもとられていないのである。しかし、『深い河』では、真に、キリスト教も、仏教も、西洋の宗教も、東洋のそれも、真正な道と見られている。最後の小説に遠藤が提示した、日本人の汎神論とキリスト教との相克の解決が、正しいものであるかないかは、私の判断をはるかに超えた問題である。しかし、宗教多元的理解が日本の、種々さまざまな宗教の混合した文化思想的風土の中でのキリスト教と和合することは確実であり、多くの人々にとっての救いの道を示すものであることは、間違いないように思われる。

 

 



[1] 遠藤周作 「エルサレム」『聖書の中の女性たち』(講談社, 1972), 114.

[2] 遠藤周作 “The preface”  to the American edition of A Life of Jesus, tr. Richard A. Schuchert (Charles E. Tuttle, 1973), p.1.

[3]  Richard A. Schuchert “Translator’s preface” to the American edition of A Life of Jesus, p.4.

[4] 遠藤周作『イエスの生涯』(新潮社, 1972), p.95.

[5]遠藤『イエスの生涯』, p.95

[6] 遠藤『イエスの生涯』, pp. 26-27.

[7] 遠藤周作『沈黙』新潮社, 1981, p.219.

[8] 遠藤『沈黙』, pp. 216-217.

[9] 遠藤『沈黙』, pp.146-147.

[10] 遠藤『沈黙』, p. 241.

[11] Graham Greene, The Power and the Glory, 1940 Penguin, 1977, p. 29.

[12] 遠藤『沈黙』, p. 240.

[13] 遠藤『沈黙』, p.241.

[14] 遠藤周作「憐憫の罪」『遠藤周作文学全集10――カトリック作家の問題、宗教と文学』(新潮社, 1975, pp. 53-55.

[15] 遠藤周作(昭和48年8月)『イエスの生涯』新潮文庫所収 p. 225.

[16] 遠藤(昭和48年8月)『イエスの生涯』, p. 225.

[17] 遠藤周作『合わない洋服・・何のために小説を書くか』「新潮」昭和42年12月号; 『イエスの生涯』新潮文庫所収, p. 227.

[18] 遠藤『沈黙』, pp. 190-193.

[19] Mary Daly, Beyond God the Father:  Toward a philosophy of women’s liberation (Boston, 1973), p. 19.  Quoted in David F. Ford, ed. The Modern Theologians, second ed. (Blackwell, 1997), p. 393.

[20] Julian of Norwich, Revelations of Divine Love, tr. by Clifton Wolters (Hamondsworth: Penguin, 1958), p.176.

[21]谷川健一『日本の神々』 (岩波新書, 1999, p.2.

[22]山折哲雄『神と仏』(講談社現代新書,1983, p. 186.

[23]遠藤周作『侍』(新潮社,1980; 新潮文庫1986, pp. 246-247.

[24]谷川, p .94.

[25]山折, .p.192.

[26]山折, .p.193-194.

[27] 遠藤周作「父の宗教・母の宗教」『遠藤周作文学全集10――カトリック作家の問題、宗教と文学』, pp. 186-187.

[28] J. H. Newman, An Essay in Aid of A Grammar of Assent, introd.    Etienne Gilson (Image Books, 1955), p. 101.

[29] 遠藤周作『海と毒薬』(新潮文庫, 1960), p. 126.

[30] 遠藤『海と毒薬』, p. 128..

[31] 遠藤『海と毒薬』, p. 156.

[32] 笠井秋生 「『海と毒薬』」『遠藤周作――その文学世界』山形和美編(国研出版, 1997, p. 70.

[33] 遠藤『海と毒薬』, p. 81.

[34] 遠藤周作『悲しみの歌』(1977, 新潮文庫, 1981),  p.354-5.

[35] 遠藤『沈黙』, p. 67.

[36] C.S.Lewis, God in the Dock, Essays on Theology and Ethics, ed. Walter Hooper (Eerdmans, 1970), p. 244.

[37] エリ・ヴィーゼル『夜・夜明け・昼』村上光彦訳(みすず書房,1984, 『夜』, p. 110.

[38] Elie Wiesel, Memoirs: All Rivers Run to the Sea  (Schoken Books, 1995), p.104.;訳はエリ・ヴィーゼル『そしてすべての川は海へ』()村上光彦訳(朝日新聞社, 1995), p.212.

[39] Paul Tillich, The Eternal Now (1956,Charles Scribner's Sons, 1963), p. 46.

[40] カール・バルト 「イエスと群衆」『カールバルト・戦後神学論集』井上良雄編訳 (新教出版1989,

p. 322.

[41] A.N.ホワイトヘッド『過程と実在』山本誠作訳(松籟社, , 1984 , 1985), 下巻(第5部第1章「理念的に対立するもの」),p.617.

[42]ホワイトヘッド,下巻(5部第2章「神と世界」), pp.611

[43] ホワイトヘッド, 下巻同上, p.625.

[44] 「『深い河』創作日記」『三田文学』(1997年夏季号), pp. 12-13.

[45] Karl Rahner, Theological Investigations, vol. 5, tr. by Karl. H. Kruger (Longman & Todd, 1966), p. 131ff.

[46] ジョン・ヒック『宗教多元主義―宗教理解のパラダイム変換』間瀬啓充訳(法藏館,1985, ヒックの宗教多元主義についてはその他、 An Interpretation of Religion (Macmillan, 1989); The Metaphor of God Incarnate SCM, 1993を参考にされたい。

[47] 遠藤周作・加賀乙彦「対談・最新作『深い河』――魂の問題――」(「國文學」平5・9)

[48] ヒック『宗教多元主義』, pp. 131-132.

[49] ヒック『神は多くの名前をもつ』間瀬啓充訳(岩波書店,1986, pp. 93-94.

[50] 遠藤周作『深い河』(講談社, 1996, p.300.

[51]遠藤『深い河』, p. 195.

[52] 遠藤『沈黙』, p. 188.