ヤハウィストの神――旧約聖書のはじめの神観

                                     本多峰子

前書き

 旧約聖書について深く考えてみる前には、私は漠然と、この、キリスト教の聖典でもあり、もともとはユダヤ教の聖典でもあった本が、何か起源も分からない太古の昔からあって、それがまるで神に与えられたもののように見えたのだろうと、考えていた。だからこそ、創世記の最初の記述が、文字通りの世界の創造を表したものに違いないという考えが歴史上長い間、圧倒的に強かったし、 (実際、原理主義者の中には、今日でさえまだ創世記の記述が文字通りの真理だと思っている人がいる)、一八五九年にチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を出版した後、あれほどの物議が巻き起こされたのであろうと思われた。(「旧約聖書」という呼称は、キリスト教の「新約」と対照させて、古い契約「旧約」と呼ぶ、キリスト教徒の視点での呼び名である。ユダヤ人は、これを「旧約聖書」とは言わない。これが、彼等にとって唯一の聖書、聖典だからである。)

 ところが、その聖書が、実は原初の昔どころか、旧約聖書のかなり後の方にも登場する実在の人物、ソロモン王のころに書かれたらしいということが分かった。多少基本的なところから説明すれば、現在の旧約聖書を構成する39巻は「モーセ五書」「預言書」「諸書」に分けられ、そのうち、最も重要な核となる部分が「モーセ五書」である。これは「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」からなる。そして、このモーセ五書も、一度に神の啓示のように完成した姿で出現した(あるいは書かれた)のではなく、すくなくとも4つの基本資料からなっていると、旧約聖書学では考えられている。その中で、最も早く書かれたのが、ダビデ・ソロモン王朝の頃に書かれたと考えられる、いわゆるJ資料(ヤハウェ資料)とよばれるもので、「創世記」の大部分と、「出エジプト記」のかなりの部分がこれによっている。J資料と言われる由来は、これが神を「ヤハウェYahweh」(ドイツ語のJahwe)と呼ぶところにある。これは、おそらく、ダビデ王朝に近い者の手によって書かれたと考えられている。その後、E(エローヒム)資料と呼ばれるものが書かれ、これは1世紀ほどたって紀元前8世紀に、イスラエル王国の南北二王朝への分裂(BC922年)後、北王国イスラエルで完成されたと見られる。E資料と呼ばれるのは、この資料では、神が「エローヒム」(Elohim)と呼ばれているからである。その著者を、エローヒストと呼ぶ。最も新しい部分はP資料(祭司資料)と呼ばれ、紀元前4・5世紀バビロン捕囚期(BC597‐537年)から捕囚後に書かれたと考えられている。その時編纂が行われ、ほぼ、現在の旧約聖書の形が出来たのであるが、その間に、いわゆるD資料(申命記資料)が書かれ、それも入れられている。その仮説の成り立ちと論拠については、ここでは詳しく述べないが、これが正しいとすれば、最初に書かれたときには、聖書は、当然ながら、ヤハウィスト(J資料の著者を想定して、こう呼ぶ)の書いた部分だけだったことになる。そこで、本稿では、ヤハウィストが書いた(と想定される)時点の聖書部分に注目して、彼の神概念、人間と神との関係などを考え、彼が自分の信じるヤーウェ神について、何を証言したかったのかを、今の私の段階で、読み取れる限り、考えてみたい。

その際、考慮しなければならないことが、ここでは、大きく二つあろう。ひとつは、彼が書いた時代背景と、そこからの、時代的政治的要請である。聖書は、決して、純粋な信仰の書として書かれたわけではなかった。信仰の書であると同時に、そこにはソロモン王朝の要請があったということが、今、認められているようである。そうした政治的配慮は、宗教的な動機とは別のものであり、テキストの中でことに明らかに分かるときには、信仰上の訴えとは切り離して見なければならないであろう。

第二の点は、ヤハウィストが下敷きとして、口伝、伝承や他民族の神話を用いているということである。これは、ときに、解釈上問題となる部分がどうして入れられたかというような問いに、下敷きとなる神話にもともとあったモチーフであった、というような、明快な答えを与えてくれることがある。さらに、下層をなす元の神話との比較において、ヤハウィストがそれを取り込んだ意図や、態度を考察することによって、彼の訴えたい点が見えてくることもある。そうした、二つの大きな外的影響を踏まえて考察することが、「創世記」におけるヤハウィストの信仰上のメッセージを汲み取る際には必要と思われる。

 

<ヤハウェ資料の時代背景と一般的特色>

ヤハウィストがおそらくダビデ・ソロモン王の時代に創世記を書いたと推定される理由には、さまざまあるが、書かれている内容からの内的証拠によれば、「創世記」(27:39-40)(以降、特記していない場合は、聖書からの引用は「創世記」)にある、エサウ(エドム人の祖)がヤコブ(イスラエルの祖)に仕えるであろう、という予言がまず、著者が「サムエル記下」(8:12-14)に記されているダビデ王によるエドムの征服を知っていたことを示すものと考えられ、そこから、著作年代は少なくとも、ダビデ王の時代以降であると推定される。そして、ソロモン王の死(BC926年)の後の、王国分裂を暗示するような箇所がまったく見られないことから、著作は、この分裂以前であったと考えられる。また、ヤハウィストの書いた部分のおおらかさが、繁栄を謳歌したダビデ王朝の気風と合致するというようなこともある。[1]この時代には、ソロモン王によって神殿が建てられるなど、明るい時代であった。しかしその半面、かならずしもモーセの十戒が守られていたわけではなく、神の怒りを招くような罪も犯されていた。ソロモン王の宮廷では多くの側室が異教の神々を崇拝し、それに対する批判もあった。また、ダビデがエルサレムを首都としたことの妥当性や、ダビデ王位の正当性、ソロモン王の王位継承の正当性などをアピールする必要もあった。イスラエルには、王朝制度の伝統はなく、むしろ危機の時代にのみ神に霊感を受けたカリスマ的指導者が立てられる部族連合制がとられ、ダビデの時代にもその継続を望む声もあった。また、ダビデは、そうしたカリスマ的指導者の一人で最初の王に立てられたサウルから王位を奪う形で王座についたが、サウルの残党もいなかったわけではない。そうしたことから、ダビデ王朝の正当性を主張する必要があったのである。ソロモンについて言えば、彼はダビデの寵愛を受けた側室バテシバの息子であったが、より正当な王位継承権を持つと見られる兄たちを差し置いて王位につき、一部の者の目には、不当な王位強奪者のようにも映ったと思われる。しかも、彼にはダビデが持っていたようなカリスマ的なところはまるでなく、預言者的霊感を受けた指導者を望む伝統にいる者たちに対してその王権を擁護する必要もあったであろう。そして、また宗教的には、ダビデ王が広い範囲にわたって周辺地域の諸部族を征服し、しかも融和政策を取ったために、征服された多数のカナン人がその異教崇拝を保持したままでイスラエルに入ってきていた。そのため、ヤハウェ信仰という、イスラエルのアイデンティティーが崩れてしまいそうに感じる者もいた、と指摘されている。[2]

 そうした時代的要請と結びつけて、ひとつ、指摘されることに、「創世記」に繰りかえし現れる、長子が退けられて、年少の者が立てられるモチーフがある。エリスは、このモチーフが意図的なものであれば、それは、神の選択がまったく自由に行われることを教えるため、ということもあろうが、ソロモンがダビデ王の皇太子アドニアよりもむしろ神に選ばれたものであることを示すための先例をつくる、一種の擁護論が含蓄されているのかもしれないと、考えている。ただし、彼は、「長子ではなく第二子が(たとえば、イシュマエルでなくイサクが、エサウではなくヤコブが、ゼラではなくペレツが、そして、創世記49章ではルベン、シメオン、レビではなくユダが)重要視されるのが、偶然か、意図的にそうされているのかは分からない」[3]とただし書きをつけている。

 ダビデ王位に関して、その正当性を訴えることがヤハウィストの執筆動機の一つであったということは、歴史的に、正しそうに思われる。深津容伸は、その事情を、「ダビデが政治権力を握り、王朝が成立した後、なさねばならなかったことは、イスラエル内に何とか王朝を基礎づけることであったはずである。…彼がまずとった態度は、イスラエルの伝統であるヤハウェ信仰によって王朝を基礎づけることだった。そのために、彼は神の契約の箱をエルサレムに導入し、部族連合の伝統を重んじる姿勢をとった。そしてその一方で、神学的基礎づけを与えようとしたものが創世記だった」[4]ト、説明している。そうであれば、ヤハウィストの書いた部分の大きな一つの特色が、社会・政治的にも理解できる。ヤハウィストの資料には、十戒がない。この重要な律法がないのである。しかし、無条件の選びと祝福という、神とアブラハムの契約を記したのはヤハウィストなのである。深津容伸は、メンデンホールを参照して。

 

アブラハム契約に関しては、アルトによって、ヘブロンのマムレ聖所伝説に由来することが主張されており、ノートもこのアルトの立場に立って、ユダ族の中心聖所としてのヘブロンと関係づけている。ダビデはサムエル記下2:11によれば7年半ヘブロンでユダ族の王位についており、当然アブラハム契約についても熟知していたことが考えられる。創世記15章によれば、アブラハムには後継者の授与、子孫の増化、土地の授与の三つの約束が与えられているが、そこには条件となるものは何もない。同様のことは、サムエル記下7:12‐16、29のダビデ契約についても、言うことが出来るのであって、ダビデの王位は、ダビデの子孫であるというだけで無条件に受け継がれていくのである。以上に対し、モーセの契約とは、十戒に代表される律法を守ることによって契約が保たれるという条件付きの契約であって、ダビデにとって王国経営という観点からすれば、アブラハム契約のほうがよほど有利に映ったに違いない。ダビデはアブラハム契約の方を取り入れ、ダビデ契約はその成就であるとしたのである。[5]

 

 ここで、ヤハウィストの資料と本文中で混ざって編集されているE資料とP資料の特徴を見ておきたい。E資料の特徴は、まず、神への信仰で「義」が強調されことである。アブラハムが神に試されて、神の命じるままに息子イサクを神への犠牲としてささげようとしたその信仰を「義」と認められ、イサクの命も助けられる有名なホレブ山の話などは、E資料である。これはおそらく、E資料の書かれた時代が、国家の霊的退廃の目立った時代であり、それに対するE資料編者の警告であろうとも、見られている。「出エジプト記」(20章)の十戒も、E資料のものである。また、系統だった系図や契約などが目立つのは、P資料である。選民意識が強く現れているのも、この部分と言われる。これはP資料が、イスラエルがバビロン捕囚によって国家を失った危機的状況にある時、あるいはその後に編纂されたことと関係があり、この編者がイスラエルに、国家的アイデンティティを与えるような選民としての年代記を作ることを目的としていた、ということがあると見られる。たとえば、父祖アブラハムが妻サラを葬ったマクペラの畑は彼がヘト人から買い取ったイスラエルの所有の地であることを示すなど、イスラエルに「土地」があることを明示し、バビロン捕囚で土地を失った人々に、シオニズムと希望とアイデンティティを与えているのは、この部分である。系図も、そうしたアイデンティティの保持に欠かせぬ要素であったのであろう。神は、E資料では、J資料よりも権威的で、たとえば、人間に語る時も、「幻の中で」(15:1)、あるいは「天から」(創世記20:3,20:17)、などとあるように、一段上から啓示的に語りかける。人間は神に問うこともあるが(15:8)そこでもやはり、神はJ資料でよりも権威的なのである。そして、P資料になれば、そうした権威的な神の姿は決定的となり、神は人間に語る時も、一方的宣託によって人間に語る(割礼の制定など 17:10‐14)。神は全能であり、無からの創造を行う天地創造の神(創世記1:2‐4)であることが強調される。(ただし、この<無からの創造説>は、アウグスティヌスの『神の国』にもある(     )[6]伝統的に受けいれられてきた正統派の教義ではあるが、創世記の最初の部分が、全くの無からの創造であるのか、それとも、素材があって、そこから創造が行われたように書いてあるのかは、原典ヘブライ語の文法的解釈の仕方でどちらともとれ、論議のなされているところである。)[7]

 

<人間的な神>

実際、ヤハウィストの描く神は、おおらかで、神人同形的とさえ言える。P資料による「創世記」冒頭の天地創造が、もっぱら神の言葉により、全能の神の力を強く印象付けるのに対し、ヤハウィストが描くアダムとエバの創造は、「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。・・・人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた」(2:7-22)というように書かれ、いわば、手作業で、神がアダムを土でこね、形を作り、そして抱き上げて息を吹き込んでいる姿が見えるようである。イブの創造も、そのように、目に見えるように描かれている。アダムとエバが堕罪を犯した時も、神は超越的な位置からそれを察知するというのではなく、園の中を歩いてきて(その、足音も聞こえるのである)アダムと女に「とって食べるなと命じた木から食べたのか」(2:11)と尋ねる。これは、顔と顔を突き合わせての、対話である。神の声だけが聞こえてきたとか、まして、心の中で良心の声がした、というのとはまるで異なる、実際の対話なのである。このように、神が歩いてきて問いかけをする、というような光景は、「創世記」3章の失楽園以降は見られないが(このように、神と人間との距離が開いたことが、失楽園のひとつの結果、あるいは罰なのではないだろうか)、それでも、ヤハウィストの神は、人間に問いかけ、人間と会話を交わし、時には(老いたアブラハムとサラのところに、子供が生まれることを告げに来た3人の人のように(18:2-15))、人間の姿に身をやつして現れる。アブラハムは100歳、サラは90歳で、子供が生まれるという。その知らせを聞いて、「サラはひそかに笑った」。その後の会話は、超越的絶対神と人間の対話というには、あまりにも人間的である。

 

主はアブラハムに言われた。

「なぜサラは笑ったのか。・・・」サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「私は笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」(18:13-15)

 

そして、このような対話を交わした後でも、このように、(いわば主を侮辱するように)笑ったサラを特に罰することもせず、サラは子供を恵まれるのである。(ヤハウェストの描く神は、一度約束したことは、必ず守る。特に、一度与えた祝福は、取り去ることがないといえる。それだから、創世記に出てくる者たちは、神の祝福を得ることに何にも増して大きな意味を見るのである)。罪を犯した人間に対してまず神が行うことは、アダムとエバの場合も、サラの場合も、そして、次に見るカインの場合も、罪を犯したものにまず、問いかけ、告白を求めるのである。まず、人間の側から罪を認めることが、重要な転回点となる。そして、神は、すべてを見通しているにしろ、いないにしろ、いきなり告発はしないのである。これについては「創世記」における罪と恩寵のサイクルを考えるときに、また戻って考えたい。しかしここではその前に、ヤハウィストの異教的側面を見ておくことが妥当に思われる。

ヤハウィストの描く世界は、かなり、異教的な要素がのこっており、それが必ずしも罪とみなされていない。通常、旧約聖書は十戒にある「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない」(「出エジプト記」20:3-4)に厳格に基づいた価値・倫理世界を持つと思われるだろうが、「創世記」では、必ずしもそれが守られておらず、それもおおらかに通っている。たとえば、ヤコブが舅ラバンの家を出て、父イサクのいるカナン地方に向かって逃亡する時、ヤコブの妻ラケルは父ラバンの家の守り神の像を盗んでゆく。これは、家の守り神の像を持つ者が家督を継ぎ、繁栄と力を得ると考えられていたからであり、明らかに、異郷の風習と民間信仰による。しかし、この後これを持っていることで、ラケルに罰が下ったということはないようである。また、なによりも、ヤハウェ自身が異教的な儀式行為を行っていることさえ見られるのである。それは、15章の、アブラハムの召命の箇所である。アブラハムの召命は、ヤハウィストによっても、エローヒストによっても、また、祭司典資料によっても書かれ、三者の特色が良く表れているのであるが、15:1〜6のエローヒストによると思われる部分では、神がじかにアブラハムに語りかけるかわりに、「主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ」「神の言葉があった」とあり、神と人間との間の距離が感じられる。また、「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認めた」と「義」を強調するのもエローヒストの特徴である。17:1〜14は祭司資料であるが、ここではアブラハムの召命が神学的な契約となり、アブラハムとその子孫に契約遵守のしるしとして割礼が義務づけられ、しかも、それは一方的な託宣として与えられる。それに対し、15:7〜21のヤハウィストによると見なされる箇所では、「主は言われた」「アブラハムは尋ねた」とあり、主とアブラハムは、じかに話している。神が「私はあなたにこの土地を与え、それを継がせる」と告げるのに対し、アブラハムは「この土地を私が継ぐことを、何によって知ることができましょうか」、と保証を求めるような応答をする。それに対して神自身が、異教的行為を行うのは、この時である。神は、犠牲の動物を持って来させるが、アブラハムが二つに切り裂き、それを互いに向かい合わせて置くと、煙を吐く炉と燃える松明が動物の間を通り過ぎた。これは、古代の多くの民族にもよく似たしかたで知られていた契約締結の儀式で、裂かれた動物の間を契約当事者が通ることによって、契約を守らなければ自分も身を裂かれてもかまわないという誓いを表すという。この、炉と、燃える松明は神自身であろう。神自身、こうした異邦人の習慣にのっとって、人間のように、誓いの行為を行ったのである。このようなことは、異教崇拝に対し厳しくなるエローヒスト以降にはあり得ないであろう。

石田友雄は、アブラハムがもともと拝していたのが、彼の家の神であったという見方をとっている。

 

聖書資料をよく検討してみると、族長たちが礼拝していた神とモーセに顕現したヤウェが、実際には同一神でなかったことがわかる。なによりも“アブラハムの神” “イッハクの神{ママ原文どうり}”“ヤコブの神” という特有の呼び名が、族長たちの神――より厳密には族長たちの神々――の本質をあらわしている。これらの呼び名のほかに、族長の神は、しばしば “父の神” あるいは “父祖の神”とも呼ばれるが、これらの神名パターンのすべて、あるいはいずれかによって、古代オリエントの諸民族が特定の個人や集団の守護神を呼んだことが分かっている。・・・・・・古代オリエント最古の文化圏を形成したシュメール人がすでにこの種の守護神を持っていた。他の神々すべてを拒否して一身の存在のみを主張する“一神教”に対し、多数の神々の中から一神を選んで礼拝する宗教を“一神礼拝” という。守護神礼拝は、多分に一神礼拝的性格を持っている。族長たちが、モーセ時代以降の激しい異教排撃と無関係なことは、彼らが一神教徒ではなく、一神礼拝者であったことを示していると思われる。[8]

 

これらの神々をヤハウィストが一個の神として同定し、部族連合をまとめるために一神教を打ち立てたと考えてよいのかどうか、現在の筆者の知識では判断できないが、こうした風土が、創世記の多神教的色彩に影響を与えていることは、考えてもよいであろう。

 

<理解を超えた神>

 ヤハウィストの描く神は、時に非合理、あるいは、理不尽な選びや要求をする、理解不可能な神でもある。人間はしばしば、理解できないまま従うことを求められる。アブラハムの召命(12:1)は、「祝福するから、この地を出ろ」、ではなく、行き先さえ告げられず、まず、命令がくる。

 

12:1主はアブラハムに言われた。 

「あなたは生まれ故郷

父の家を離れて

わたしが示す地に行きなさい。

 わたしはあなたを大いなる国民にし

あなたを祝福し、あなたの名を高める

祝福の源となるように。

あなたを祝福する人をわたしは祝福し

あなたを呪うものをわたしは呪う。

地上の氏族はすべて

あなたによって祝福に入る。

アブラハムは、主の言葉に従って旅立った。

 

ここでは、まず、故郷を離れて神の示す地に行く、ということが求められている。そして、ただその言葉に従うことが求められているのだが、この「わたしが示す地」がどこかも、生まれ故郷よりも良い所か悪い所かも、アブラハムは何も知らされていない。そして、その見かえりに約束されるのは、祝福だけである。彼が自分に示された土地を知るのは、カナンの地に着いて、シケムの聖所で、」「あなたの子孫にこの土地を与える」(12:6)という、神の言葉を得た時である。

ノアの箱舟の話も、同様である。聖書を読むと、神が「見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。…見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす」(6:13‐17)と、言う言葉があり、そこでは、ヨブは、洪水の来ることを知らされてから船を造りだすように描かれている。しかし、実はこの部分はヤハウィストの書いた部分ではなくP資料により、ヤハウィストの部分(7:1‐4)だけを読むと、すでに箱舟が出来あがり、「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい」という指示があった後で、ノアは初めて、「わたしは40日40夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした」と、知らされる。先に見たように、P資料(ここでは6章)は後から入れられた部分であり、これが入れられた時の編集作業で、ヤハウィストがそれ以前に書いた部分がいくらか削除されていたとしても、7章部分を読めば、ノアが、洪水のくることを知らされず、陸の真中でいきなり大きな船を造るという不可解な命令を受けて、それに従ったことは明らかである。

 この神は、時に、理不尽さえ思われる形で、人間の理解を超えていることもある。(神が人知を超えている、というのは、それゆえ善い面(人間の目から)だけに限られない。人々は、自分に与えられた(あるいは押し付けられた)運命を、「どうしてそのようなことがありえましょうか」というような、疑いと不安との混ざった気持ちで神に問いながら「お言葉どおり、この身に成りますように」と、受け入れるように求められているのである。人は、「どうしてそのようなことがありえるのか」と問いを発することを非とされない。人間は神の前でしかつめらしいやり方で従順に振舞うのではなく、むしろ自由に口を開き、問いかけをするように見える。時には神に対して怒ることさえある(顧みられなかったカインのように。しかしそれでも、彼等は神を絶対者としてより頼み従おうとするのである。

 ヤハウィストの描く、この神への人間の態度は、後の『ヨブ記』の理解や、さらには現代のホロコーストに直面した際のユダヤ人たちの態度を理解するためにも重要である。なぜなら、エリー・ヴィーぜるらユダヤ人は、ホロコーストに際して、ドイツやヒトラー自身に怒りをぶつけて問いかけるよりも、むしろ神に怒り、なぜ神はこのようなことを許したのか、神に問い、神を裁く[9]ことさえ使用としており、しかも、なお神を愛氏、神を絶対的に信じ、従い続けようとしているからである。その、一見矛盾した態度は、ヤハウィストの神観と信仰態度とひとつなのかもしれない。[10]

 

<祝福を与える神>

 ヤハウィストが与える最も大きな賜物は、祝福である。先ほども述べたように、「義」ということが非常に大きな問題となるのは、エローヒスト以降であり、ヤハウィストで最も問題となるのは、神の前に義とされることではなく、神の祝福を得ることなのである。そして、その祝福は、決して、善人であるからとか、優れているから与えられるものではない。

 ヤハウィストが書いた部分ではないが、申命記に「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛ゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを護られたゆえに、主は…あなたたちを…救い出されたのである」(7:7‐8)とあるように、「創世記」に出てくる父祖たちは、決して、他の人々に比べてとくに高潔な君子だったようには見えない。ヤハウィストは、彼らの人間的な欠点や罪を弁明もすることなく書いている。アブラハムは、エジプトで自分の保身を図るため、サラが自分の妻であることを隠し、妹と言わせる(美しい妻を持った男は命を狙われるかもしれないからである)。そこで、サラはエジプトのファラオの宮廷に召し入れられるのであるが、ヤハウィストは、ここでサラがファラオの床に入れられた可能性も、明らかに示している。(主はファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた)(12:10‐17)。同様のモチーフでエローヒストが書いた部分で、アブラハムとサラがゲラルに滞在していたときの逸話では、アブラハムがまたもサラを「妹」と言ったにもかかわらず、そこの王アビメレクがサラに手をつける前に神が夢の中でアビメレクに現れて、サラがアブラハムの妻であることを告げるのでサラの貞潔が守られることが明示されている。(20:1‐8)それと比較すると、イスラエルの父祖、母祖となる者たちが決して欠点のない神のような英雄ではなかったことを、ヤハウィストがいかに隠すことなく描いているかが分かる。

 アブラハムの次のイサクは、妻と次男ヤコブの策略に簡単にだまされて、ヤコブに祝福を与えてしまう。ヤコブは、兄のエサウの長子の特権を奪い、父の祝福を奪い、また、舅でもある叔父ラバンのところでは、今度もまた策略によって(神の祝福を濫用するかのように)ラバンの家畜を自分のものとなるように増やす。12人の子供たちの中ではまた、レアとラケルというふたりの妻のうち、愛するラケルから産まれた初めての子でもある年寄り子のヨセフをひいきしてかわいがり、子供たちの中に、ヨセフに対する憎悪を生じさせる。

 しかし、それでも、祝福を受けた者たちがひとつ、神を信じて、神の方を見、祝福を願ったということを、神がほぼ一方的な恵みとして、条件なしに、彼らを愛し祝福したということと同時に、ヤハウィストは強調している。特に祝福を願ってやまなかったのは,ヤコブである。彼がラバンの家から逃走しカナン地方に向かう途中のヤボクの渡しで、ある夜何者かが夜明けまで彼と格闘した。ヤコブの腿の関節が外れたが、その者はヤコブに勝てないと見て「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」と言う。しかしヤコブは「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」と言って、ついに、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と戦って勝ったからだ」(32:27-29)という言葉を勝ち取る。そして、欠点に満ちた人間であってもその生涯の重要な点で彼が体験した神との出会いにおいて彼が取った態度の正しさゆえに、彼は、イスラエルの祖となるのである。そして、「どうか、あなたのお名前を教えてください」と尋ねるヤコブに神は、「どうして、私の名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した (32:30) 。ヤコブは、「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、なお生きている」(32-31)と言っており、自分が会ったものが神であることを知っている。だから、この、名前を聞く、という行為は、名前を知ることがすなわち相手に対する影響力を持つことであるという民間信仰に基づいた行為であり、相手が神、あるいは少なくとも神的な力を持ったものであることを察知していた者の行為なのである。これは、非常に大胆に思える。しかし、相手が祝福を与える力を持つ神的な力を持つ者であることを直感的に感じ取り、そう感じたからには絶対に相手から離れず、名前まで尋ねて祝福を勝ち得ようとする態度が、ここで肯定されていることは間違いないであろう。C.Lギブソンは、ヤコブについて、次のように言っている。

 

 生まれたのは、善良なヤコブではなかった。…この、傷を負った経験の後でさえも、われわれが読むヤコブは、必ずしも、われわれが純粋に好きになれる人ではない。ヤコブの物語は、悪い人間が良い人間になる物語ではない。それは全く、そのようなものよりも、もっと深いレベルにあるものである。しかし少なくとも、われわれは、この人が、万策尽きたとき、何を再優先させたか、ということを、今知っている。それは神であり、ヤコブは、神を掴んで、去らせようとしなかった。そこにこそ、彼の性格の卑劣な徳性のすべて、残念なことに、この後多くの年月続くことになる徳性にもかかわらず、彼の偉大さが存在するのである。[11]

 

神をつかんだヤコブが、「偉大」であると言えるかどうかは別として、彼が、本質的に必要なこと、無くてならない唯一のことが何であるかを知っていたことは事実であろう。

 

<罪と恩寵のサイクル>

 実際、ヤーウィストの描く「創世記」は、人間の罪と、それに対する罰と恩寵のサイクルのうちに、徐々に恩寵が増し加わり、イスラエルの民が神に導かれて増えてゆく様子を描く、恩寵の歴史と言える。最初の11章だけでも、アダムとエバの原罪、カインによる最初の殺人、レメクのおごり、ノアの洪水物語、バベルの塔の物語があり、その後19章でも、ソドムとゴモラの腐敗と罰の話がある。神は人間の罪をただ看過することはない。しかし、特徴的なのは、罰と共に必ず、その罰を担いやすいように助けが与えられること、罰と同時に恵みが与えられるということである。アダムとエバはただ楽園を追われたわけではない。「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた」(3:20)。そして、人は、楽園を追われはしたが、子孫を与えられ、増えてゆくのである。人は、楽園を追われた。それは、決して、「死んでしまう」という予告の罰の軽減ではない。並木浩一は、「旧約聖書を通じて指摘できるイスラエル人の死生感の根本的特色は、生の本質が交わりにおいて見られていた点である。反対に死とは、人間から交わりが奪われることを意味していた」[12]と指摘し、

 

 生と死を交わりのあり方で規定する死生観が直接興味深く読み取れるのは、創世記二、三章での人類最初の夫婦アダムとエバの創造と堕罪の物語である。・・・この蛇の言葉は、この夫婦が禁断の木の実を食べてしまったのちにも依然生きていたのであるから、その意味では間違っていなかった。だが、蛇の言葉には歪曲があった。この夫婦が神の戒めを破った結果、彼らは神から身を隠そうとしたのであり、また神との率直な応答関係をみずから放棄したのである。・・・アダムはその行為を神が与えてくれた妻に責任を負わせようとした。エバは蛇の誘惑のせいにして、間接的に蛇をも造った神に責任を帰した。もはやこの夫婦の間の信頼と生き生きした交わりは消失した。また、それとともに神に対する率直な応答も失われた。人が喜びに満ちた交わりを保つことが真に生きることであるならば、まさに神が警告していた通り、善悪を知るようになった最初の夫婦は生きた交わりを失い、罪の力にとらわれて、精神的な意味では死んだのである。[13]

 

と書いている。キリスト教護教家、作家のC・S・ルイスは、地獄を天国の「外の暗闇」[14]と表現しているが、神からの疎外状態こそ、永遠の死であるということは、ヤハウィストの神について、実に当てはまることに見える。実際、フォン・ラートも指摘しているように、[15]アダムとエバが最初は不死であったとは書かれていない。「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(2:17)と、書いてあるだけである。私たちが、日常、「これは毒だから食べては行けない。食べると必ず死んでしまう」と言われても、食べなければ永遠に生きることにならないのと同じに、最初から人間は「土に返るときまで」(2:19)の命を与えられたものとして、創造されたのである。だから、神は「人は我々の一人のように、善悪を知るものとなった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となる恐れがある」(3:22)と言って、人間をエデンの園から追放するのである。エリスは、「創世記」の下敷きとしてギルガメシュ叙事詩を考え、ギルガメシュ叙事詩の場合、人間は最初から死すべきものであったのが、永生を与えてくれる草を手に入れた矢先に、そばを通りかかった蛇にそれを盗まれてしまって、永遠の生を得ることが出来なかったということと比較して、「創世記」では人間の最初の状態は不死だった、と考えている。そこから、ヤハウィストの使信を、悪が克服された時には、その、悪によってもたらされた死の入る前の状態、つまり、永生の状態を人間が得ることが出来るという希望を伝えるものであったと、解釈している。[16]エデンの園の人間が最初不死であったという見方は、アウグスティヌスが明記しており、[17]一般に、そうした見方が広まっているのは、祖の影響がいかに強かったかと言うことを物語るように思われる。(ちなみに、多少横道ではあるが、「創世記」の下敷きになった話で人間の永生を阻むものが蛇であるとすれば、ヤハウィストが、なぜ蛇を用いたかも、特に独自の象徴的な意味で考えなくても良いのかもしれない。)しかし、やはり、人間は、最初から限られた命を与えられていたと考え、ヤハウィストにとっての恐るべき死とは、神からの疎外であったと考えるのが正しいと思われる。そうした死が、原罪に対する神の罰であり、自分から好んで選び取った結果でもあった。

 ただ、恐ろしいのは、この原罪も、もともとはそれほどの意図でなされたとは思えないことである。堕罪は、人間が神のようになりたいと思った傲慢の罪、というように解釈されることもあるが、エバが「園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」と言った言葉をうけた蛇の誘惑、「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ」、を聞いてエバが木を見たときの第一の印象は「その木はいかにもおいしそうで、目をひきつけ」、であり、その次に「賢くなるようにそそのかしていた」、なのである。神のようになりたいという願いに駆り立てられた傲慢の罪を犯そうとしているにしては、「いかにもおいしそう」という動機は、あまりにも不調和である。むしろ、エバは、死なないのであれば、賢くなるに越したことはない程度の気持ちで木の実に手を伸ばしたように感じられる。英国のジョン・ミルトンは、この堕罪を扱った『失楽園』(Paradise Lost)で、次のように描いている。

 

彼女は果実を見つめた。見るだに食欲をそそり

彼女の耳には、蛇の説得力のある言葉がまだ響き

理にかなって、まことしやかに、彼女には思われた。

おりから昼時でもあり、その果実の甘いにおいに誘われて

食べたくてたまらなくなり…  (第九巻, 735-740行)[18]

 

ミルトンは、失楽園を詩で描き、それは文学作品として、彼の失楽園であることは間違いないのだが、実際、エバにとって、最も強い誘惑は、この果実が「いかにもおいしそう」だったことだったのかもしれない。ほんの小さな思慮のない行為が、大きな結果につながることも、ヤハウィストは見逃していないのである。けれども、その重大な結果と、それに伴う大きな罰も、決して終わりではなく、そこから新たな生き方を、人間は与えられるのである。

 カインも、弟を殺すという大罪を犯した。彼は、自分の献げものが神に顧みられず、弟アベルの献げもののみが顧みられたのを見て、怒って顔を伏せた。そして、神に警告され、「どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」と言われたにもかかわらず、アベルを襲って殺してしまう。しかも、神に「お前の弟アベルは、どこにいるのか」と問われて「知りません。わたしは弟の番人でしょうか」と、言い返す(4:6-9)。正気の人間であれば、神が知らないはずがないと思うであろうから、この時、彼はかなり判断力も正気も失っているのである。実際、彼がわれを忘れて肉親を殺してしまうほど、彼にとっては、神に顧みられること、神に自分の献げものを受け入れてもらうことが、何にも増して重要なことだったように見える。彼が神に受け入れられなかったと思ったとき、顔を伏せた行為は、いままで神の方を向いていた彼が、もはや神を見なくなったことであり、彼の絶望を表す。その絶望の思いが、おそらく弟殺しに走らせたのだ。それゆえ、「何ということをしたのか。・・・今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口をあけて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を生み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる」と言われて彼はわれに返り、自分が何をしてしまったかに初めて気付き、後悔する。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが見顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう」と、彼は言う。しかし、彼が罪を認め、悔やんだこと、自分の正当な罰の大きさを真に悟ったことが、神の恵み、哀れみを受ける必要十分条件であった。その時、神は聖書の中でも最も逆説的な祝福のひとつとも言えるであろう護りの印をカインにつけるのである。(4:10‐15)フォン・ラートの示唆によると、このしるしは、旧約聖書でたびたび言及されているカイン人が自分たちの部族への帰属を示すために入れていた入れ墨と関係があると思われる。[19]しかし、ヤハウィストは、そのしるしを、ヤハウェが自分の唯一の守り手であることを知っている者は、たとえヤハウェから離れてさまよう運命にあっても決して、ヤハウェから完全に切り離され見捨てられはしないということを示す、普遍的なものに拡張しているのである。カインは主の「見顔から隠される」ことを、恐れた。このとき、彼はもはや、顔を伏せてはいない。罪を認めたとき、彼は再び神の方を向き、それに答えて、神は彼の罰を軽減する――絶え間ない死の恐怖を取り去ることによって。

 並木浩一は、「神はカインが復讐されないように保護した。このことは神の制裁が下されなかった、もしくは解除されたことを意味しない。神は制裁をカインに下して追放した。しかし制裁によってカインの生を否定することを神は欲せず、むしろカインが生きることを欲した。神の意図をこのように把握したところにカイン物語の、より正確に言えばヤハウィストの神学的特色がある」[20]と指摘し、「ヤハウィストは所与の物語における<行為−処罰>の論理を崩して、人の行為を超える神の恩恵の論理に組かえたばかりでなく、カインという人物の行為と結果を描く伝統を、彼に応答を求めてやまず、また重荷の軽減を申し出る者の訴えを聞いて保護するという、人間に差し向かう神の対話と行為が際立つ物語にまで見事に変容したのであった」[21]と述べている。これは重要な点であろう。カインは、罪の前にも増して、大きな護りと恩寵を得て旅立つのである。しかし、神が罰を与えることを差し控えたとか、罪を看過したということはない。あくまでも、カインは「主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に」(4:16)住まなければならなかった。主のみ前から離れなければならなかった。これは、旧約の世界の人間にとって、「死」に等しいことであったろう。そうした罰を背負って、しかも、神の護りを与えられて、彼は生きなければならなかったのである。これもまた、ひとつのやり直しである。

 ヤーウェが与える究極の罰は、死罪ではなく、最終的に見捨てること、放棄することであるように見える。神に「その人を知らない」(新約、「マタイによる福音書」10:33)と言われることが、極刑なのである。カインの子孫で、6代目のレメクは、カインが受けた護りを誇り、「わたしは傷の報いに男を殺しうち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍ならレメクのためには七十七倍」(23:24)と言う。これは、とんでもないおごりである。このせりふで、聖書は唐突にレメクの話をやめ、「再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた」(23:25)と続いている。ヤハウィスト自身がこのようにレメクの話を打ち切ってアダムに戻ったのか、それが後の編集の結果であるのかは分からないが、レメクのおごりに、神はこの系図をうち捨て、アダムからもう一度やり直したようである。ここでも、レメクの受けた罰は肉体的な意味の死刑ではない。ただ、神との交わりからの永遠の追放――実はこれが真の死である――なのであろう。

 そして、神にとってのやり直しとして新しく始められたアダムの子孫は、ノアに至る。ノアの時代、人が地上に増え始めた頃、地上には悪が増した。神はそれを見て「心を傷め」、「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。・・・わたしはこれらを作ったことを後悔する」(6:7)と言う。ちなみに、このように、心を傷めたり、後悔したりするのは、ヤハウィストの描く神だけの特色だが、この、人間的な神は、ノアに希望を見出す。ここでも、罰は、人間を完全に滅ぼし去るのではなく、神は、人類の救済史を新たにそこから始められるように、ノアに箱舟を作らせ、ノアの家族と、すべての種類の動物を7つがい、あるいは、1つがいずつ、救うのである。清い動物は7つがい、清くない動物を1つがいである。実際、ここでわれわれは、神が創造されたものには何も、完全に滅び去って良いものなどない、というメッセージを見る。清くない動物も、「全地の面に子孫が生きつづけるように」(7:3)救われるのである。どれほど小さいものも、穢れたと見られるものも、卑しいと見られるものも、神の目には大切なのである。これは、貧しい者、罪人と言われる者に救いをもたらしに来たイエスの新約の福音にも通じるものがあるだろう。しかも、洪水の後にノアの焼き尽くす献げもの香りをかいで神は、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」と、心の中で言う。(ちなみに、このように、心の中で考えるというのは、通常文学的には近代小説の技法であろう。ヤハウィストが紀元前9世紀にこうした技法を用いていることは驚きである)。有名な、「産めよ、増えよ、地に満ちよ。・・・わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない」(9:1‐11)と神が、虹によって人間と契約を結ぶ個所は、ヤハウィストの書いた個所ではなく、祭司資料に帰せられる部分であるが、生き物が地に満ち、豊かな世界を作ってゆくことは、ヤハウィストの神の終始一貫した望みであり、その方向に、神は歴史を導いていくように見える。人間が大きな罪を犯し、それに対して罰を与えられるたびに、人間はあるいは追放により、あるいは祝福により、地に広がり、イスラエルの民も大きくなって行く。それが、多民族の存在の原因譚性格を持つものとしても、その原因譚を祝福の物語に結びつけた所に、ヤハウィストの主張があろう。

このノアの洪水物語は、ギルガメシュ叙事詩を底本としている。ギルガメシュ叙事詩は、カナンの人々などに、よく知られていたものであり、それらの人々に印象付け、宣教するためにこの叙事詩を利用したとも考えられる。話の大筋は同じでも、ギルガメシュ叙事詩は多神教であるが、聖書は唯一神、超越神のヤーウェ信仰であり、ヤハウェがすべての筋書きを書き、大きな業を行う。そしてノアの洪水物語では、救われた人(ノア)は再創造後の人類の祖となる。ヤハウィストは、こうして、洪水物語を、彼の描く罪と恩寵の歴史に組み込んでいるのである。

この、恩寵の歴史では、ソドムとゴモラの町に下される仮借ない罰においてさえ、すべての人々が滅ぼされるわけではない。救われた正しい人が、他民族(モアブ人、アンモン人)の祖となり、広がってゆくのである。ここで、もうひとつ気付かれるのは、ヤハウィストの神が、とりなしによって、罰を軽減することもある神だという事である。そしてまた、イスラエルの祖となったアブラハムが、腐敗したソドムとゴモラの町を滅ぼそうとする神に、10人の正しい者がいれば、その10人のために滅ぼさない、とまで言わせる、初めてのとりなし手ともなることである。その10人がいなかったために、町は滅ぼされるが、主のみ使いをソドムの男色の餌食から守ったロトを、「主は憐れんで」(19:16)救うのである。後の祭司資料は、「神はアブラハムを心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された」(10:29)と書き入れ、アブラハムのとりなしの業をはっきりとしめしている。アブラハムは、たしかに、はじめての祭司とも言えよう。

 もうひとつ、大きな罪と罰の話は、バベルの塔の逸話である。これにも下敷きとなる「素材」があると、長谷川三千子は指摘している。[22]紀元前10世紀頃バビロンに実在したと思われる、「エ・テメン・アン・キ」と名づけられた「ジグラド(シュメール語で「小尖塔」を意味する〉」がそれであろうと、彼女は言う。メソポタミア平原には各地に「ジグラト」と呼ばれる遺跡があり、聖書にも、バベルの塔の所在地が「シンアル」の「バベル」であったと明記されていることから、それらの塔の一つが「バベルの塔」に違いないと思われる。しかも、1899年から1917年まで行われたバビロンの発掘調査によって、1908年、バビロンの南側の低地エス・サクンに発見された巨大な正方形の遺構が、煉瓦の刻銘などから、「バブ・イリ(バベル)」の都の「エ・テメン・アン・キ」と名づけられた、高さ90メートルにも達するジグラトのあとであることが確かめられた[23]。さらに、長谷川は、この、バベルの塔の物語自体の下敷きとして、メソポタミアの創世神話『エヌマ・エリシュ』を考え、そこで、すべてのがマルドゥク神への感謝のしるしとして建てた<〈これこそ〉われわれの夜の休息の間>と呼ばれる聖所の建物が、バベルの塔のモデルになったのであろうと言う。「この塔は、およそ、「人間の高慢・不遜のしるし」とは程遠いものであった」[24]。ギブソンは、ヤハウィストがこの神話を人間の「もう一度やりすぎて、その結果もう一度災いを引き起こした人間の高慢の物語」[25]と考えている。また、フォン・ラートはこれを、アダムとエバ、カイン、レメク、洪水を引き起こした天使の結婚、塔の建設からなる、「罪の雪崩のような増大」に特徴づけられる、原初史の最後に位置付け、バベルの塔は、神がわざわざ「下って来られ」て見なければならないほど、神の目から見れば小さなものであった[26]と人間の力の限界を強調しながら、「バベルの塔建設の物語は、人類に対する神の呵責の無い裁きによって終わる。そのため原初史全体は、あたかも耳をつんざくような不協和音で突然打ち切られたかのように思われる」[27]と述べている。実際、一見してこの話は、洪水の後と異なり、それに続く赦しも祝福もないように見える。人間が「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と、塔を建て始めた時、神は「降って来て」、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。…直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(11:5‐7)と、人間の言葉を混乱させ、彼らを全地に散らしてしまう。この話は、一般に、神に挑戦するような高い塔を建てようとした傲慢に、神の罰が下った話のように思われているようであるが、それも一面正しいのかもしれない。ただし、これに、救いがないという見方はどうであろうか。むしろ、言葉を混乱させ、人間を全地に散らしたことによって、真に、多国民が地に満ちるようになったのであって、これこそ、神が創世の初めから、そして、洪水の後でも、決して捨てないで続けてきた恵みの歴史の線に沿った大きな前進であったと、私には思われる。

もうひとつの解釈として、この話は、キリスト教徒の立場から、後のキリスト教のペンテコステでの、使途たちが異言を語るように精霊が下る経験で贖われ、そこで、この罰に対する救いが成就するようにも読める。バベルで、互いに意思の疎通が出来なくなった国民が、精霊の威厳によってキリスト教のメッセージを通し、ひとつにまとまると見るのである。しかし、これはヤハウィスト自身の意図であるはずがなく、この解釈は、本論の限りでは除外せざるを得ないであろう。

 

<結論、およびに日本に於けるヤーウィスト的神の受容についての一考察>

 

「もしあなたが、あなたの神、主を忘れて他の神々に従い、それに仕えて、ひれ伏すようなことがあれば、わたしは、今日、あなたたちに証言する。あなたたちは必ず滅びる」(「申命記」(8:19)

 

 このように命じる厳格な神が、旧約の神であるように、われわれは思いがちである。そして、それも正しいのかもしれない。しかし、本論で見てきたように、ヤハウィストの神は、非常に人間的で、地上で人間とじかに話し、時には人間のために心を痛め、後悔し、人間を愛してやまない神である。そして、アブラハムに一度与えた祝福をあくまでも保持し、人間がいかに罪を犯しても、彼の子孫を「大いなる国民にし」彼によって「地上の氏族はすべて…祝福に入る」(12:2‐3)という、約束を守り通す神である。

 このようなヤハウィストの神は、ユダヤ教で言えば、いわば揺籃期の神である。それから一世紀経って、エローヒストによって、イスラエルの民は、神の前で「義」であることの重要さを教えられた。そして、さらに、祭司資料によって、契約の概念を新たにされたのである。けれども、ヤハウィストのころに、彼等は、すでに、神への信仰の、本質的な部分、最も重要な部分をすでに啓示されていた。そして、それを受け入れたのである。そうした過程を考えれば、今の日本でも、ヤハウィストの描いた人間的な神、時に異教的な部分の残る神を受け入れられれば、義なる神、裁きの神、を実感として受け入れられなくても、けっして、神の本質を逃しているとは言えないのではないだろうか。日本人は、罪の意識、義なる神や捌きの神の概念がないから、真のキリスト教が理解できないともわれる。日本は、近代にキリスト教の宣教が再開されてまだ何世紀もたっておらず、今日の教会で、100年以上の歴史を持つものは、ごく僅かであろう。日本のキリスト教は、まだ、揺籃期なのである。義の神の概念や、契約の神の概念が、日本の信者に根付くのは、まだ、厳しくはあるが愛と祝福の、ヤハウィストの神が実感されてからで良いのではないだろうか。しかも、先に見たように、アブラハムの頃の宗教的土壌は、多神教的色彩が強かった。これは、無神論と漠然とした自然崇拝が家の守り神的(仏壇だけある無神論の家)神仏崇拝と結びついたような日本の一般的な家と、どこか通じるところがないだろうか。意外に、日本の素朴な神の概念と、ヤハウィストの神の概念とは、一般に思われているよりは、かけ離れてはいないのかもしれない。八百万の神に手を合わせ、昇る太陽に思わず手を合わせる日本人が、天照大神を(あるいは神のようなイメージを漠然と)考えたとしても、その、太陽に宿る神聖なものの背後に、その神聖なものを作ったさらに大きな神‐‐創造主‐‐を見ることは、可能であり、世界の美しさに、自然と賛美の念が起こってくるという人間の基本的な宗教感情は、真の神への信仰につながる、大切なものだと思われる。

 ヤハウィストの描く神は、厳しく、しかも慈愛に満ちた神に思われる。そして、何よりも、イエスが信じた旧約聖書の神の、もとの姿が、この神なのだということを、私たちは忘れてはならないであろう。

 

補遺

 

ヤハウィストの姿勢を明らかにする一助として、コーランの平行記事を参照したい。

1         アブラハムの召命は、コーランでは無条件で神の召しに答える「召命」ではなく、以下のように、アブラハムの側からの契約の申し出のようになっている。

 

イブラーヒーム〈アブラハム〉はこう言った。「主よ、なにとぞこの国を安泰になし給え。またどうか私も息子たちも偶像に使えるようなことがありませぬよう守り給え。なにとぞ、十分な実りをもって彼ら[息子たち]を養い給え。そうすればきっと彼らも感謝の心を抱くように(立派な信仰をもつように)なりましょう。」[28]

 

アブラハムの信仰は、コーランでは、正義の神への強い信仰であるかもしれないが、ヤハウィストの考えるような、理屈を超えて開かれた心で信じて神の召しに答える信仰ではない。

 

2 アベルとカインの話はことに興味深い。

二人が神に供物を捧げた時のこと、一人(弟のアベル)の供物だけ受納されて、もう一人(カイン)の方は受納していただけなかった。そこで「よし、貴様を殺してやる」と言う。「神様はただ本当に敬虔な者からだけご受納なさるのです」と相手は答えた。「たとい貴様が私を殺そうとして手を伸ばしても、私の方では貴様を殺すために手を伸ばしはしますまい。私は万有の神アッラーが恐ろしい。いや、貴様が私の罪を自分の罪と一緒に背負いこんで劫火の住人におなりなさるというなら、かえってこちらの望むところです。それこそ悪人には当然の酬いでしょう」と。

 これを聞いて思わず心がかっとなった彼(カイン)は、それに煽られて殺意を起し、ついに弟を殺してしまった。こうして彼はもはや救われぬ人間の一人となりおおせた。[29]

 

 



[1] Peter F. Ellis, C. SS. R. The Yahwist, The Bible’s First Theologian (Geoffrey Chapman, 1968), 41-42.

[2] Ellis, 53-56.

[3] Ellis, 134.

[4] 深津容伸「ヤハウィストの編集」『キリスト教論集』30号〈青山学院基督教学会,1987年3月1日)23-35. 引用は 26.

[5] 深津容伸「ヤハウィストの編集」, 26. ここには注にG.E. Mendenhall, Law and Covenant in Israel and the Ancient Near East, Pittsburgh, 1955.が参照資料として記されている。

[6]

[7] David Ray Griffin, “Creation out of Nothing, Creation out of Chaos, and the Problem of Evil, in Stephen T. Davis, ed. Encountering Evil, 2nd edition (Westminster John Knox Press, 2001), 108-109.

[8]石田友雄『ユダヤ教史』世界宗教史叢書4 (山川出版社、1980), 23-24.

[9] Elie Wiesel, Trial of God, tr. Marion Wiesel (1979, Shocken Books 1986).

[10] この、一見理解を超えた神については、イスラム教との比較が興味深い。本論末の補遺参照。

[11] C.Lギブソン『創世記』〈デイリー・スタディー・バイブル)II 加藤明子訳〈新教出版社, 1995), 338.

[12]並木浩一「ヘブライズムの人間感覚」〈新教出版社,1997, 103.

[13]並木浩一「ヘブライズムの人間感覚」, 104.

[14] C.S. Lewis, The Problem of Pain (1940, Collins Fontana paperbacks, 1977), 113&s115.

[15] ゲルハルト・フォン・ラート『創世記:私訳と注解I』山我哲雄訳(ATD旧約聖書注解1)(ATDNTD聖書注解刊行会, 1993,

[16] Ellis, 174-177.

[17] St.  Autustine, City of God, tr. Henry Bettenson (1972; Penguin, 1972; reprinted, 1987), 510.

[18] John Milton, Paradise Lost, ed., by Scott Elledge (Norton, 1975), 201.

[19] フォン・ラート『創世記:私訳と注解I,170-171.

[20] 並木浩一「ヘブライズムの人間感覚」(新教出版社,1997), p.219.

[21] 並木浩一『旧約聖書における社会と人間』(教文館, 1982), pp.55-56.

[22] 長谷川三千子『バベルの謎:ヤハウィストの冒険』(中央公論社, 1996), 319-120; 367.

[23] 長谷川三千子『バベルの謎』, 320-321. 長谷川は、江川波夫『聖書伝説と粘土板文明』〈「沈黙の世界史 I オリエント」(新潮社, 1970), 345-347を参照している。

[24] 長谷川三千子『バベルの謎』, 322-326.

[25] J・C・S・ギブソン, 「創世記」I, (デイリー・スタディー・バイブルI)荒井章三、西垣内寿枝訳〈新教出版社, 1998) p.339.

[26] フォン・ラート『創世記I, 248.

[27] フォン・ラート『創世記I,255-256.

[28] 『コーラン』(中)井筒俊彦訳(岩波文庫, 1958), 62.

[29] 『コーラン』(上)井筒俊彦訳(岩波文庫, 1957), 150-151.