No.143
21世紀の聴覚障害者福祉を考える
〜20世紀を振り返って将来の福祉の展望〜
聴覚障害者問題研究会代表                野 澤 克 哉 
■ろう者の組織化
 ろう教育の開始が1875年であり、第1回全国聾唖者会議の開催が1906年であるから、ろう者の組織的な活動は100年以上になるが、ろう者が主体性を持って活動を開始したのは第2次大戦後の1947年の全国聾唖団体代表者会議からと言われている。(財)全日本ろうあ連盟は1998年に『50年の歩み』の本を出している。
 20世紀を振り返ってみると前半の50年は大きく言ってろう教育の開始によりろう者が組織化されてきたと言えるが、富国強兵・殖産興業政策の中では障害者は不具廃失者として人権は認められず、社会の片隅に置かれていた。1945年の日本の敗戦により、1948年にろう学校が段階的義務設置となり、同年5月に京都で全日本聾唖連盟の第1回全国ろうあ者大会が開催され、役員は全員がろうあ者となった。

■ろう運動の変遷
 筆者は1947年以降のろう運動を、それ以前は、
1.「暗黒時代」(あるいは「黎明期」1945年まで)
2.「器質障害(障害そのもの)を認めてもらう時代」(1965年まで)
3.「能力不全克服と社会的障害と闘う時代」(1990年まで)
4.「社会と共に運動していく時代」(2000年まで)
5.「企画に参加し、社会と共に創造していく時代」(2001年より)
のように大きく分けている。
1. について
 ろう協会はあったが、トップは殆どろう学校の校長等の健聴者で、ろう者が主体的に活動できたのはスポーツ面であった。社会的な要求運動は全く出来なかったが、これは普通の団体もほぼ同様であった。
2. について
 ろう者主体のろう運動になったが、権利要求以前に生活面の安定の問題が多く、また、「ろう」はどういう障害なのか認知してもらう必要があった。障害年金、鉄道割引などの陳情が多く、「陳情運動」中心でこれは他の障害者団体も同様であった。
3. について
 ろう運動が他の障害者団体と違う独自性を発揮するようになったのはこの時期からで、大学卒者や政治団体などと結びついた若い聴覚障害者が運動の中心に出てきた。そして、権利要求を強く押し出すようになった。手話通訳者の養成、設置、派遣やろうあ会館の設置などを中央、地方で要求するようになった。最初は行政と敵対したりしたが、運動としては障害者も健聴者と権利は同じだという考えで進めていった。現在のろう者の社会制度や社会資源の多くはこの時期に出来ている。運転免許の取得や民法11条の準禁治産者の規定の改正、手話通訳制度、ろうあ老人ホーム、ろうあ会館、聴力障害者情報提供施設、全国手話通訳者研究会、手話通訳士、日曜教室など各種講座の開催、ろう者相談員、日常生活用具の交付など成果は多い。
4. について
 私はこの時期を1991年からとしたのは、1991年に東京で開催された第11回世界ろう者会議を契機としている。また、1992年の国際障害者年最終年の「網の目キャラバン」も視野に入っている。ろう運動が他の障害者団体だけでなく、全国社会福祉協議会や」リハビリテーション協会などと広く結びついて運営委員に加わって運動を展開できるようになった。この経験が1998年からの差別法撤廃運動に活かされている。特に国際障害者年によって障害者問題は国民の支持を得やすくなり、このことが民法969条の公正証書遺言の規定をたった2年で改正させたり、1年間で約230万人の署名を集め、殆どの欠格条項を改正させる成果となっている。
5. について
 21世紀のろう運動は「企画に参加し、共に作っていく運動」になると思う。そうなるともはや障害者だからという言い訳は通用しなくなる。
 約230万人の署名と1,000を超える地方議会の差別法(欠格条項)改正採決により、2002年までには殆ど欠格条項は改正された。(ただし、絶対的から相対的になるだけのものもあり、運動の継続は必要である)法律的に対等になるということは義務も対等になることである。薬剤師・医師などの専門職を目指す人たちの学ぶ場とその場での情報、コミュニケーションの保障問題とか資格を取得した後の働く場の問題などもあろうが、2006年12月に国連で採決され、日本も批准を決めている障害者権利条約により、今後改善というか前進すると思われる。あわせて専門家との結びつきや私達の専門知識の高まりも求められるだろう。では21世紀のろう運動の中心は何だろうか? それは出てきた問題に対応する運動だけではなく、創作的な運動であることだと思う。
 創作的な運動とは何なのか? 聴覚障害者だけではなく、国民に喜ばれるような制度や社会資源を創作していくような運動であると思う。そのために中央や地方で議員になれるような人材を育成したり、行政の中枢で働けるような若手を育成していくことが課題ではあるまいか。議員になることは二十世紀にも挑戦者はいた。だが、社会的な背景が育っていなかったと思う。二十一世紀は議員まで排出させていくことがろう運動の社会に対する義務ではないか。また、芸術・文化の分野では二十世紀にも多くの聴覚障害者の芸術家がいたが、二十一世紀には演劇、映像面も含めて、ろうの特性を活かして更に多くの聴覚障害者が芸術・文化を社会に創出していくのではあるまいか。

■今は措置から利用者契約の利用者主体の時代と言うが、まやかしである
 2000年4月よりスタートした措置から利用者契約の介護保険制度、2003年4月よりの障害者支援費制度とそれに代わる2006年4月からの障害者自立支援法による応能負担から応益負担制の導入、利用契約制の施行は本当に国民や障害者のためなのか? スエーデン、デンマークには措置制度はあり、運営方法ではないのか? 選択権は利用者にあり主体は利用者と言うが、私はまやかしであると思う。老人も所得格差があり、10%の自己負担に苦しむ人も多い。障害者の場合は施策も不十分な上、所得格差が大きく、措置制度を廃止すると生活を維持できない人が多く、それが2007年に法改正を求める障害者団体の大きな運動となった。措置制度の廃止は明らかに国の財政政策によるものであり、福祉の後退と考える。障害者運動などによって福祉の後退を防ぐと共に専門家と連携してそれに変わる施策を提案していく必要があるだろう。
 障害者自立支援法は現在、悪法である。年金問題もあり、障害者の生活は現在、あまり明るい展望が持てない状況であろう。しかし、国民との連携によって生活に展望の持てる社会創りをしていく必要がある。

■障害者権利条約批准後
 日本政府も2007年7月に障害者権利条約に署名し、批准に向けて国内法の整備に取り組み、障害者基本法の改正、障害者総合支援法の成立など制度改革が行われてきました。2014年1月に、批准書を寄託した。また、同年2月に同条約は我が国について効力を発生しました。
 2013年6月に障害者差別解消法が成立し、2016年から施行されます。
 障害者権利条約では、@手話を言語として定義(第2条)しており、A手話通訳などによる情報へのアクセス(第9条)、B手話通訳の保障(第21条)、ろう教育における手話教育の保障(第24条)を認めており、今後我々の運動にも関係するが、障害者が関わる制度や社会資源などかなり前進するものと期待したい。教育面ではそのトップを行くのが2008年4月に開校した日本手話を主体とした授業を行う東京・品川の私立明晴学園であろう。成功が望まれる。
 更に手話言語条例の殆どの自治体での意見書採択、成立もある。
 障害者問題は今後、「バリアフリー」という狭い意味ではなく、「ユニバーサルデザイン」という社会全体での暮らしやすさの中で対応していく時代になるのではないか。

のざわ かつや(横浜市緑区)   
2016年『みみより』誌 No.598号掲載
 

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