No.145
思い出すままに・青春とみみより結婚
小 林 俊 一
■思い出すままに
 『みみより』550号、おめでとうございます。
 つい、この間、500号を祝ったばかりの気がします。5年経ちましたか……、光陰矢の如し。理事、編集各位には色々なことがあったことでしょう。ご苦労様です。
 私のみみより会とのかかわりは、かれこれ50年になります。記憶の方はまだら模様ですが、思い出すままに記すことにします。
 今から53年前に住んでいた近所の耳鼻科の女医に水鉄砲様の医療機器で、耳の穴に水を入れられて、水圧で一時聞こえなくなった。最近の耳の治療は、鼻から細い管を入れて、耳の中を映し出して見せてくれて、小型の医療機器に薬液を耳に入れて治療する。痛くも痒くもない、医学は進んでいて、隔世の思いです。
 耳が聞こえなくなったおりに、朝日新聞の記事を読んでみみより会に入会した。当時の会計のオシマこと大森節子さんに親切に応対されたのが今に続いている縁です。
 当時、私は会社で文選の仕事をしていた。『みみより』は謄写版から活版印刷に替わっていて、新大久保の創己堂さんで印刷していた。ちょっとした事件があって、『みみより」の発行が遅れ、急場しのぎに、文京区の阿部さん宅で印刷した。今は亡き団順一宅に編集部を移して、岡本昇蔵元編集長とともに、『みみより』の活版印刷の再発行に努めた。この件に関しては、『みみより』500号近辺の岡本元編集長の記録にくわしい。
 会社の定年後に、『みみより』の編集部で校正を主に10年間を無事に務めました。創己堂さんは活版からパソコンの組版へと替わり、時の流れを感じた。二度の奉仕でしたが、『みみより』500号記念の発行、みみより会の創立五十周年記念に参加し、多くの方と祝えたことが喜びです。
 終わりに、みみより会に入り、高橋広司、矢島幸雄・秀子、山本義治、岡本昇蔵、佐藤和夫、岸野千鶴子の各氏を始め多くの方々に交誼を得たことを誌上を借りて感謝したい。
 みみより会が、これからも一灯の光として輝き続けることを祈っています。
 
2008年『みみより』誌 No.550号掲載


■青春とみみより結婚
 1964年の10月10日に、東京・国立競技場で開かれた東京オリンピックは、競技場の点火とともに、鳩が飛び出し、空を舞っていた。当時は貴重品だった千代田区大手町にあった会社のテレビで見ていた。
 その年の1月20日に、みみより結婚した。みみより会には全国に1千人を超える男女が居たし、毎月の例会には、100人を超える会員が、桜上水にあった私立の日本ろう学校の校舎に集った。
 耳の聞えない男女が集れば、好きになり、恋愛感情も芽生えて、結婚する時期でもあった。当時は早婚であり、適齢期には結婚していた。30歳までには結婚しようという思いをお互いに持っていた。
 当時は、働くのが当り前で、仕事に選り好みしなければ就職できた時代でした。
 結婚した当時は共稼ぎが普通。私は、成長途上にあった経済関係の新聞社に勤められた。下積みから始め、定年まで原稿の入力関連の仕事をやり通した。日曜出勤をし、早番、中番、遅番、泊り、6時からの早朝出勤をした。良い時に勤められて、楽しかったし、恵まれた。
 オリンピックはテレビ観戦が主だった。印象に残っているのは、「東洋の魔女」といわれたバレーボールの優勝。どんなボールでも地上すれすれで拾い、サーブを上げてアタックして、得点を重ねていくのが痛快だった。その他には、裸足のアベベがマラソンで優勝したことが驚きだった。高地を裸足に近いサンダルで走り回っているアフリカ勢はマラソンでは上位を占めている。
 2020年の東京オリンピックは、元気で観て感動を共にしたい。

こばやし としかず(川崎市麻生区)
2013年『みみより』誌 No.588号掲載 

前ページ トップ