No.41
怒りと優しさのために12
ベートーヴェンの耳
丸山一保
 1月27日。日曜日でした。
 テレビの放送欄を見ていましたら、ゴールデンタイムの8時に、日本テレビで、「知ってるつもり?」という番組があって、その日の特集はベートーヴェンです。

● 違う、違う、みなさん
 「世界史上最大の音楽家ベートーヴェン。貧しい宮廷楽士の家に生まれた彼は、聴力を失うという致命的なハンディキャップを背負っていた。しかも、後世に残る名曲の数々はその中で生み出されたものだった。なぜ多くの名曲を創造することができたのか、彼の人生を通して考える」
 そんな刺激的な番組紹介が載っていたものですから、とうとう全部見てしまいました。
 見ている途中で、「違う、違う」と、ぼくの心の中で吠えるような叫びが起こりました。
 「そうではないのですよ、みなさん」
 「知ってるつもり?」という娯楽番組の中でベートーヴェンについて語った人たちは、司会者もゲストも、難聴について基本的な認識違いをしているように思えました。
 聴覚障害というものに関係がなく、身の回りに聴覚障害者がいない人たちにとっては、耳が聞こえないということといえば、それはつまり「音が完全に聞こえない」だと思ってしまうのは、止むを得ないことかもしれませんが、ぼくのような難聴者から見ると、それほど残念なことはないのです。
 たとえば、目の障害の場合も、目が見えない人の状態というのは、目をつぶってしまえば、だれでも、すぐに経験してみることができます。しかし、近視の実情を想像するということは、意外に難しいことなのではないでしょうか。
 それと同じように、難聴というものの多様性と、その実態については、なかなかわかってもらいにくいものがあると思うのです。

● 聞こえなくても作曲できるのか
 司会者は関口宏、ゲストは加山雄三、芳村真理、森口博子その他というようなメンバーで、その番組は構成されていました。
 まず司会者が、ベートーヴェンの一生を解説しました。
 「不思議なことに、ベートーヴェンの作った名曲は、ほとんどが、耳が聞こえなくなった30歳以後に作られています。一体、耳が聞こえなくなったベートーヴェンが、どうやって作曲することができたのでしょう」
 司会者の質問は、そこから始まりました。
 「彼のように子供のころから音楽の訓練を受けてしまうとですね、基礎ができてしまっているから、スコアを見ただけで、どういう音かがわかるのですよ。楽譜を見ると、それだけで演奏を感じることができるのですね」
 と、加山雄三が、ベートーヴェンの天才を強調して意見をいいました。
 自らも作曲する加山雄三の言葉ですから、みんな感心した表情で聴いていました。
 「しかし、彼は、自分の作った音楽を音で確認することはできなかったのね」
 芳村真理が、ベートーヴェンの悔しさを思い遣って深い吐息をつきました。
 後で調べてみると、この番組は、視聴率がビデオリサーチの調べで17.5%もあり、他の番組を圧倒していました。
 自分の作った音楽を確認することができなかったというベートーヴェンの悲劇は、そんなことは実際にはなかったはずなのですが、お茶の間の視聴者に、改めて深い同情を呼んだのに違いありません。

● 静かだから作曲できる
 「耳が聞こえなくなったベートーヴェンは、30歳ごろから、どんどん名曲を作ります。どうして、耳が聞こえなくなってから、かえってそんなふうに、いい作曲ができるようになったのでしょう」
 と、司会者が次の問題を提起しました。
 「耳が聞こえなくなった結果、一切の雑音がなくなり、静かになったベートーヴェンの耳の中に、美しい音楽が、なににも妨げられずに鳴り始めたからです」
 司会者がそういうと、ゲストたちは、ますますベートーヴェンに同情しました。
 ぼくは、思わず苦笑してしまいました。
 ぼくの経験でいえば、ベートーヴェンの耳には、絶えず耳鳴りがあったはずです。これは、耳に障害のある者なら、だれだって、そう思うはずです。ぼくの場合、耳鳴りは、脈拍と連動した鈍いリズムです。
 確かに受験勉強のときには、難聴ならば家族の物音がちっとも苦にならないという利点があります。しかし、ベートーヴェンの耳から一切の雑音がなくなって、静かになったから作曲できたということは、まったくナンセンスなことです。
 30歳をすぎてから、ベートーヴェンが、素晴らしい音楽を次々に作ったのは、難聴の苦しみを越えて音楽の創造に打ち込んだ彼の魂が成熟をもたらしたものであり、そのことは、何よりも彼の耳が聞こえていたからです。
 教会の鐘の音や、小鳥のさえずりが聞こえなかったというベートーヴェンのエピソードは、本当だったと思います。
 しかし、離れたところからの音が聞こえなくとも、彼の耳には、自分で弾くピアノの音は、キチンと聞こえていたのです。

● 楽器の音は聞こえていた
 ぼくの耳は、手術のおかげでかなり聞こえるようになったのですが、いまでも補聴器を外してしまうと、大雨がトタン屋根を叩く音が聞こえません。万雷の響きと表現すべきものであっても、距離が離れていると、それがまったく聞こえないのです。
 しかし、ぼくは自分で弾くピアノの音を間違えることはありませんし、ヴァイオリンの弦が和音で共鳴するのも、ちゃんとわかるのです。耳の障害の中には、そんな性質の難聴が存在するのです。
 みみより会の初期のメンバーの中に、端乃瑤子さんという東京芸術大学のピアノ科の学生がおりました。彼女は、ショパンでも、ドビュッシーでもどんどん演奏してしまうのですが、日常の生活では難聴者でした。
 大学に合格したときの身体検査で、ぼくは医師から軽い言語障害があることを指摘されました。目の前が、真っ暗になるくらいの衝撃でしたが、おそらくベートーヴェンも、妙な発音をしていたのに違いありません。
 それでも、かれの耳には、自分で弾くピアノの音は聞こえたのです。それは、なによりも、ぼく自身が生きた証拠として、そのことを証明できることなのです。

● 感音系と伝音系
 芥川賞作家の五味康裕さんは、難聴で有名でしたが、自宅に防音扉つきの音楽室を作ってクラシック音楽を大きな音で聴いていたそうです。伝音系の難聴者にとっては、音楽は、自分の近くに音があれば、けっして聞こえないものではないのです。
 天才少年演奏家として、デビューしたベートーヴェンが、中耳に病気のある伝音系の難聴者だったということは、同じ病気のために孤独な少年時代を送ったぼくには、だれよりもよくわかるのです。
 このことは、耳が聞こえないということが、「音が完全に聞こえない」ことだと思ってしまう人には、理解できないことだろうと思います。
 耳の障害の中には、大きく別けて2つの障害があります。
1つは、内耳から大脳にかけて音を感知する部分に障害がある場合、これを感音系の聴覚障害といいますが、この障害の場合には音楽を正確に感知するのは、たしかに問題があるかも知れません。
 しかし、内耳に異常がなく、中耳の骨に異常があって、それが原因で難聴になっている伝音系の難聴の人の場合には、音楽は別に問題なく理解できるのです。
 そういう人には、現代では補聴器が大変有効ですから、ベートーヴェンもきっと、今の時代に生まれていたら、補聴器の恩恵を最大限に享受できたのに違いありません。

● なぜ楽聖は独身だったのか
 ベートーヴェンは、生涯にたくさんの恋をしますが、その恋は一つとして成就しませんでした。彼は、生涯独身でした。
 それはなぜなのか。番組は、次第に重要な疑問を提起していきます。
 「ベートーヴェンは口下手だったのではないか」、「音楽一途すぎたのではないか」、あるいは「恋人と身分が違いすぎていたからではないか」と、ゲストたちからいろいろな意見が出ましたが、司会者は、最後に彼が醜男だったことを紹介しました。
 「ベートーヴェンも浮かばれないなあ」
 と、ぼくは、がっかりしてしまいました。
 少年期のベートーヴェンをモデルにして書いたという『ジャン・クリストフ』の作者ロマン・ロランは、名著『ベートーヴェンの生涯』の中で、「ベートーヴェンは、清教徒的な精神の持ち主だった」として、成就しなかったベートーヴェンの恋について説明しておりますが、果たして、そうだったのでしょうか。
 いくら醜男だったからとはいえ、あるいは、清潔な信仰心の持ち主だったからとはいえ、美しい数々の旋律を生み出したベートーヴェンが、若い女性の心を掴むことができなかったというのは、現代の歌手や、演奏者が、若い人の中で時代の寵児となっていく事実を考えると、まことに不思議といわなければなりません。
 しかし、このことは、ぼくにとっては不思議でもなんでもないことでした。
 ベートーヴェンの耳が、実は、少年時代からの難聴だったと考えれば、そこにはまったく謎がないのです。

● 難聴少年の恋
 それは、多くの難聴の青年男女が経験したことでした。難聴であれば、好きな人の前では、手も足も出ないのです。
 難聴者の孤独は、ろうの人たちの苦しさとも違ったた深い悩みがあります。青年期に、ぼくは、人と向き合ってしまう瞬間を恐れながら生きていました。
 これを読んで下さる方たちの中にも、同じような思いをされた方が、大勢おられることでしょう。好きな異性から話しかけられて、答えることができない恥ずかしさを想像するだけで、絶望のために怖いほど寡黙にならざるを得なかった経験。
 たしかに清教徒のようなものでした。自分の耳にかすかな障害があるということを、絶対に気づかれないように隠し続けるというのが難聴少年の宿命だったのです。
 若いころのベートーヴェンが、なかなか難聴について認めなかった気持ちは、ぼくには痛いほどわかります。
 もともと、少年というのは、みんな好奇心に富み、エネルギッシュで明るいものなのです。難聴は、そういう少年たちを寡黙にしてしまいます。それぞれ一人ぼっちで、難聴という障害と戦わなければなりません。学校という試練の場で、それが、ろう学校とか難聴学級ならば話は別ですが、あらゆる辱めにあって心が屈折します。そのことは、大勢の難聴者が経験している道なのです。
 結局、ベートーヴェンが、自分の難聴を親しい人に話すようになったのは、実に30歳に近くなってからのことでした。それまで、彼の心は、難聴との葛藤のために地獄の苦しみを味わったに違いありません。
 「不幸な人たちは、このわたしが悩み、苦しみ、それを乗り越えて生きたことを知って慰められるがいい」
 やがて、運命への怒りを乗り越えたベートーヴェンは、この世の悩める人たちのために、神のような深い愛をもって素晴らしい音楽を築いていくのです。だから、彼の作った音楽は、美しさの中に魂の闘いと、人への愛、生への励ましを感じさせるものばかりです。
 「知っているつもり?」という番組には、残念ながら、ベートーヴェンについて、あまり科学的でないところがありました。
 しかし、たしかに難聴だったからこそ、ベートーヴェンは孤独の中から偉大な音楽を産んだのです。
 視聴率17.5%という事実は、いまなおそんなベートーヴェンの存在を、大勢の人たちが尊敬し、親しみを持っていることの証明でもありました。テレビが、ベートーヴェンの耳に焦点を当てたことを嬉しく思いながら、同時にみみより会の仲間たちのことを考えてしまいました。
 鈴木会長を始め、団さん、高寺さんも、須藤さんも、清水静子さんも、それから現在の理事会のみなさんたちも、みんなベートーヴェンのように、悩み、苦しみ、耳の障害を乗り越え、そして、この会のために努力されたのです。
 すごいなと思いました。
 後に続く人たちにとって、それぞれの存在が大きな励ましになることは、疑いもありません。


                   まるやま かずやす(千葉県習志野市袖ヶ浦)
                     みみより会参与・出版社総務部長(当時)
                       1991年「みみより」誌 No.376掲載

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