宮越敏夫の作品暦1、彫刻


     1972年作「暁」H180cm     1973年作「生き抜く」H45cm

これは大学4年の頃に作ったものです。石膏製で、冬、外に出しておいたものですから、雪に潰されて、もうありません。

大学を出てモデルも使えなくなったので、この頃よく牛を作っていました。子供の頃、農家のどの家でも、家の中に牛を飼っていたものです。牛の澄んだ優しい目が忘れられません。高村光太郎は「牛は大地を踏みしめて歩く。」という詩を残しています。



              
1977年作「軌道」H190cm   1978年「風雪」H185cm

 「軌道」は県展で県展賞をもらい、その時審査員だった矢崎虎夫先生にはその後、
師事することになり、彫刻家としての貴重な生き方を教わったように思います。
 「風雪」は冬の日本海の荒々しさを、男の像で表現してみたいと思って何点か作り
ました。



         
1980年作「風雪2」H190cm  1984年作「脱」H190cm

「風雪2」は風雪シリーズの2番目に作ったものです。家の裏の波打ち際へ運んで写真を撮りました。
「脱」は自身の壁から脱して、新たな気持ちで創作に取り組みたいとの思いから、いくつかの連作を
作りました。



         
      1989年作「縄文の女」H190cm  1993年作「森の詩」H140cm

 「縄文の女」は私の生まれた家の近くに斐太古墳があります。
そんなところから縄文時代の壷を頭に載せた女の像を作ってみました。
 「森の詩」は暫くの間飼っていた雉鳩を作ったので、少女の像と組み合
わせてみました。




        
  1995年作「のこりしもの1」H180cm 1997年作「のこりしもの3」H210cm

 「のこりしもの」は40歳頃、腰の手術のため、入院していた3ヶ月の間に考えた、
人が死んだら何が残るか、という課題からイメージしたものです。これもシリーズ
として作り続けています。




                  1994年作「のこりしもの4」H240cm

 この「のこりしもの」はシリーズの一番新しいもので、また一番大きいものです。
この写真は
2001年の新潟市展のポスターとして使われました。


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