〜 落   雷〜


(―――俺の中の獣が‥今夜も暴れ出す。
             自分でも信じられない強さの‥凶暴な衝動―――)

 1度その手に触れてしまえば、引き返せない事くらい分かっていた。 
「ハァ‥クッ‥‥」
 だから、俺はこうやって自分を解放してやる。
 頭の中で俺に煽られ犯されてゆくアイツの‥‥時に淫らに濡れる‥たまらなく綺麗な表情かおが、更に獰猛な肉食獣の牙を剥かせる。
「あっ ‥はぁ‥」
 何度も何度も‥ある夜は視姦し続け、ある夜はベルトで自由を奪い‥‥そして‥今夜は―――。

 

「うっ はぁ‥あっ」
 ビクンと均整のとれた褐色の肢体がしなり、ニオイのきつい白濁液が己の右手に吐き出される。
 深夜、寝静まった寮の一角――俺は四方を囲んだ唯一、自身を解放出来る空間の薄い壁に凭れたまま、ズルズルと膝を折った。耳障りな荒い呼吸の中で、疼きの消えない肢体を掻き抱いてやる。

(何で‥だ? いつもならコレで‥‥おさまるモノを‥)
  『何でって‥決まってるでしょう? アンタは俺を犯したいんだ‥‥』
(若島‥津? お前‥‥)
  『いいですよ‥アンタなら――俺が欲しいんでしょう?』
(よせっ お前とはそんな‥‥)
  『俺の中に入りたいんでしょう? ‥‥ほら‥こんなに身体は正直だ』
(くぅ‥‥っ!)
  『‥来て‥‥日向‥さ‥ん』

 舌足らずな誘発に、ズクンと下股が重く突き上がる。
「あぁっ!!」
 娼婦のように誘い込む若島津あいつの眼を脳裏に過ぎらせ‥今夜も俺は二度目の自慰で‥達った―――。

 

 

 

 日向は一番後ろの席で頬杖をつき、数段変わり映えのしないいつもの朝を過ごしていた。
 俄に翳りを帯びた窓の外を眺め、ちぃっと小さく舌打ちする。
 朝のうちは、本格的な夏の訪れを告げるようなカラっと晴れた青空が広がっていて、どんよりと曇りきっていた己の心の内を、多少なりとも明るい気分に引き上げてくれたものだったが、季節変わり目な気まぐれ空模様は、いつの間にか奇妙に群青色を帯びた灰色に濁り、昨晩まで降り続いた大雨の為に、乾ききらなかったグラウンドの砂土が、なおさら濃さを増していた。

「今日のHRは朝礼でもおっしゃってたが……それから最近、風紀の乱れが……」
 担任の声が、今朝も一本調子に聞こえてきて、冨に寝不足な日向は強烈な睡魔に誘われる。ここ数日、毎夜の妄想は益々エスカレートしてゆく一方で、さすがの化け物じみた体力も、限界を迎えているようだ。
「えーと、各自レポートにして……」
 教壇から流れる子守歌が、だんだんと遠のいてゆく。
 とろりとだらしなく下がった瞼を無理にこじ開け、不機嫌そうな空を仰ぎながら、眠気覚ましに思うさまあくびをかましてみた‥丁度その時だ。

「あーあ、また雨かよ」
 どこかでうんざりした声が洩れる。
 同感だと内心で呟きながら、いつもよりも速い雲の流れを覇気のない三白眼が追った。
「今日はデートなのに‥‥うぜぇ‥」
 しょうもない誰かの呟きにつられて、教室内の幾人かが窓から天を見上げた。皆、こうして上手い具合に睡魔と格闘しているのだ。
「俺なんか、宿敵A校との練習試合だぜっ」
 野球部のエースが、ウダウダと管を巻く‥‥が、こんな様子では放課後になっても雲は晴れそうにない。

 校庭の木々が風に煽られて無気味な音を奏でていた。
 その葉の緑までが灰色に沈んで見える。まるで日向の心の内を示すように――。
 空気が幾分湿り気を帯びて重くなり、鼻腔に微かな土の匂いを運んできた。嵐の前触れを、彼のウチに住む獣は、研ぎ澄まされた習性と本能でかぎ取ったらしい。

 見る間に空は、どす黒いシミを広げてゆく。
 ひやりと冷たさを含んだ風に頬を撫であげられた刹那、遠くで低い轟きが聞こえた。

「なんだ?」
 教室の生徒が数人、窓の外へ再び視線を移す。
 耳で聞くというより腹に響くという方がふさわしいその音は、季節の風物らしく、青白い閃光を走らせながら、更に長く獣の咆哮めいた音を響かせた。
「うわ、雷だ……」
 暇人達の群は、妖しく光る今年の初物に釘付けだ。
「日向、稲妻見えた?」
 (めんどくせぇ‥)と内心、毒づきながらも隣席を陣取るクラスメートの囁きに、日向はしぶしぶ応じてやる。
「見えたぜ」
「駅ビルの方、落ちたんかな?」
「さあ? ンなの落ちるったってどうせ避雷針だろ、関係ねぇよ」
 話の途中で生徒達の過半数以上が、窓の外に気を取られてしまい、孤立状態だった担任が何やらゴホゴホとわざとらしい咳払いをしながら、神経質そうに出席簿をなで回していたが、誰も気にする者はいなかった。

 視線を戻すと、ポツリ‥と、1つの雨粒が目の前の窓ガラスを叩く。
「あ、夕立……」
「夕立? いま朝だぜ?」
「じゃあ、朝……」
 (どこぞの馬鹿だ?) かろうじて口には出さぬものの、日向のテンションは益々下がってゆく一方だ。

 続いてポツポツと大きな粒が落ちたかと思うと、いきなり土砂降りの雨になった。
「おい、窓閉めろ」
「暗くてナンも見えないぜ。誰か電気つけろよ」
 霧のように吹き込んでくる雨を締め出し、煙る窓の外を見る。
 青灰色に濁った空から、バケツをひっくり返したような”なぶり雨”が派手に音を立てながら、地上に降り注いだ。
 時折、暗い空を切り裂く稲光が遠くの街を逆光に照らす。
 間髪を置かず、ゴロゴロと雷が鳴った。
「お、近いな」
 立て続けに光が走り、それはさらに大きく轟いている。

 ピカリ‥と青白い稲妻が反射した刹那、日向の耳に馴染みな声が届いた。
「うわーっ 俺、カミナリ嫌いなんですよっ」
 再び狂った唸り声と共に光線を走らせた雷が、一瞬視界を取り戻させる。
 普段から色白と名高い頬をうっすら紅潮させながら、若島津は言った。朱色な筈の口唇が、幾分色素を失って見える。それが昨晩の夢中の彼と重なった日向は、慌てて眼を反らせた。
「ガキだな、お前‥」
「あれ? 日向さん、知りませんでしたっけ?」
 まるで若島津の台詞が合図のように、ざわついた教室に蛍光灯が点けられると、窓の向こうは暗さで見えなくなった。
 サッシに当たる土混じりな雨粒は、ひっきりなしに重力に従い弧を描きながら合流し、また分岐しては先を争いながら地面へと落ちていく。

 

(お前は何も言わないからな‥‥)
 現実の彼は、数多くを語らない。どちらかと言えば‥‥己の殻に閉じこもる性質だ。それだけは薄々気付かされていた日向は、紫色に底光りして見える若島津の黒目がちな瞳を、探るようにじっと見つめた。

「日向さん‥‥?」
 雷が鳴ると、雨が降る前に空気の匂いが変わるのを本能でかぎ分ける獣のように、日向の五感は若島津のみに集中していた。
 空に細い閃光が走ってから数秒置いて、ごろごろと雷が鳴り響く。

「そう言えば、言わなかったかなぁ」
 両肩を竦めながら‥‥やんわりとした若島津の口調の中に、確かに日向は僅かなとまどいをかぎ取っていた。
 彼の苦笑混じりな微笑みの奥に隠された、怯える獲物の気配を―――。

 

(お前の鉄壁の『殻』なんぞ‥俺が咬み砕いてやる‥‥)
 俄に沸き上がる衝動を押さえ込みながら、日向は呟いた。

「俺は、お前の事なら何でも知ってるぜ、若島津」
 ニヤリと‥冷笑を称えた日向の獣じみた横顔が、峠を越した雷の残光に浮かび上がる。 

 何時の間にか雨は小降りになっていた。
 だが、灰色の雲の隙間からは、渦を巻く暗雲がひっそりと顔を出し始めていた――――。

 

 

*** END ***

 

 

例の『副産物』‥‥にゃり〜(>_<) いたらんブツでごめんなさいっ