ネオ・ノベル「門球戦士」


 JR常磐線には三河島という高架線の駅がある。その下には小さな公園があり、隣には整地された15メートル四方のフィールドが広がっており、通称「門球」と呼ばれる競技に使用されていた。
 その日も、朝、不快げな表情を至近距離に見出しているサラリーマンやOLの乗った電車の下で熱いバトルが繰り広げられようとしていた……。

 「門球」とは、そもそも第二次世界大戦当時、フランスを占領したドイツ軍の兵士たちが面白半分に凱旋門の下を鉄球を転がして通過させたことがルーツであり、同盟国であったイタリアや日本に伝わった、とされている。現在では、10人で1チームを組み、フィールド内に5つある小さな門を特殊なスティックでボールを叩き、いかに早く全員が3つの門を通過させた後、フィールド中央のポールに当てるかで勝敗が決まる、スリリングかつダイナミックなスポーツへと発展をとげている。

 すずめがぴちぴち鳴くのどかな天気の下、両軍合わせて20名の門球戦士たちは勝負の舞台へとその威容を見せつけている。試合前だというのに、両軍の間に存在する空気は重苦しい。まるで、これからの熱き戦いを暗示しているようにも感じられる。
 勝利への団結心を高めるため、全員がお揃いの青のジャージを着用しているのは、チーム「日和見」であった。キャプテンは亀岡伍助、80歳。多少腰が曲がってはいるが、元気そうな大声でチームメイトに声を張り上げた。
 「皆さん、『花むら』には勝ちましょう!」
 ワンテンポ遅れて、「オオーッ」という喚声が上がる。
 さて、意気上がる「日和見」チームに対して、「花むら」陣営は余裕しゃくしゃくである。それぞれが思い思いのウェアに身を包み、のんびりと談笑している。彼らに言わせれば、「日和見」など眼中にはないのである、が……。
 「日和見」チームの一員、柿村ツネ(65歳)は的確なチームプレイをこなす名ファイターである。その彼女が「花むら」の方を指さして言った。
 「あら、あの人……」
 「知り合いですか? ツネさん」
 「この間の鬼怒川温泉バスツアーで一緒になった人がいるんですよ」
 チームメイトにそう答えると、彼女は「花むら」の方へと歩いていった。そして、友人川村はる(60歳)に声を掛ける。
 「はるさーん、お元気ですか?」
 「おかげさまで、元気ですよ。ツネさんこそ、リウマチは治りましたか?」

 リウマチ

 それは、戦士たちにとって最も恐ろしい故障である。それがために、優秀なファイターたちが幾人も現役引退を余儀なくされているのである……。柿村ツネも腰をリウマチで痛めてしまい、温泉での療養に出掛けた際に冷え性の悩みを持つ川村はると出会ったのであった。
 「もう、バッチリですよ。今日は正々堂々と戦いましょう!」
 まさかこのような形で再び相見える事になろうとは、運命の残酷さを呪わずにはいられなかったふたりだが、それを表面に出す事はなかった。彼らには「門球戦士」としてのプライドがあるのである。それは「友情」程度のもので崩せる程やわなものではなかった。
 さりげない挨拶に激しい火花がスパークする。総勢20名、その顔は真剣そのものである。亀岡はその激しさに思わず「あちっ!」と叫んだが、それに気付くものは誰ひとりとしていなかった。
 ついに熱きバトルが始まった。結果は、突然のアクシデントでリーダーを失いながらも奮闘した「日和見」チームに軍配が上がった。
 「わしもまだまだじゃのう」
 痛む腰を摩りながら、亀岡伍助は喜びに沸いている仲間たちのもとへとゆっくりと歩み寄っていった。

 戦い終って日は西へ

 夕日が勝者と敗者を等しく包むのが、敗北した「花むら」チームにとってはせめてもの救いであった。



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