「婚約解消! も、それで良いだろ!?」
そう言って、ユーリは部屋を飛び出した。
もはや君なしじゃはじまらない
―相互リンクさま限定フリーお礼小説―
シンと冷える夜は、星と月までが凍ってしまいそうな感じがする。
冷えきって氷になる寸前のそれを卸してシャーベットにしたら、どんな味がするんだろう。
あまいあまい、チョコレートのような?
それとも強すぎる刺激の効いたミントのような?
そっと手を伸ばす。
触れることは出来なくても、掌中にした気にはなるから。
「フォンビーレフェルト卿?」
声がして振り返れば、夜の闇にも負けない漆黒の髪をした、大賢者。
ぼくを長ったらしい姓で呼ぶのは彼しかいない。
「こんな夜更けにどうしたの?」
「おまえこそ、そんな恰好で風邪でも引いたらギュンターが暴れるぞ、」
「あはは、そうだねー。」
と言いながら、結局彼はぼくの隣に腰を落とした。
血盟城の裏庭の、目立たない小さな丘に、決して厚いとは言えない寝間着で、男が二人。
「寒いね。」
はぁ、と大賢者の吐息が、満月の輝く空に消えていく。
さっきのぼくとおなじようにその手を掲げて。
「知ってる? 地平線に見える月は大きく見えるけど、それは視神経の起こす錯覚なんだよ。」
紅く見えるのも、実際は何の変哲もない、ただの月。
そう話す彼の横顔に、思わず見とれる。
けれど認めたくなくて、ぼくはまだ掲げ続ける彼の手の先を視線で追った。
あまりに満月がきれいで、周囲の星が見えなくなっている。
「ね。フォンビーレフェルト卿はどうして渋谷が好きなんだい?」
突然の質問にぼくは目を瞬かせる。
どうして?
そんなの、ぼくが訊きたい。
「解らない。手違いで求婚されたときはこれ以上ないくらい侮辱されたと思ったし。」
新魔王により新政府の基盤を固めるための手駒に、ぼくはちょうど良すぎたから。
「でもあいつはそんなことを全然考えていなかった。
それどころかそのときは魔王になる決意すらなかったんだ。だから、」
だから、支えてあげようと思った。
「形だけの婚約者でも、それが続く限りビーレフェルト、シュピッツヴェーグ、
ヴォルテールにルッテンベルクの力があいつのものになる。それしか出来ないが、
それだけでも与えてやりたかったんだ。」
けれど、どぼくは瞳を伏せる。
知らず膝を抱えて、顔をうずめた。
「それも、さっき水の泡になったけどな。」
大賢者は黙ってぼくの話を聞いてくれた。
寝ていても良い。……いや、良くはないが。
ともあれ、余計な詮索や否定をされないで、ぼくは数時間前に起こったことを話した。
「なぁ、なんでヴォルフっておれの旅にいちいち同行してくるわけ?」
ただっぴろい寝台の上で、ふたりで柔軟体操をしているときだった。
前屈をしているところを後ろから背を押し、一段と柔らかくなったことを感じる。
ぼくも負けていられないな、と思ったときの質問に、ぼくはすぐに答えることが出来なかった。
「なんで、って、」
「アニシナさんに聞いたけど、婚約者だから旅先で見張らなきゃ、っていう習慣、本当はないんだろ?
おまえよっぽどヒマなのかって思っ……ンギャ――!! 痛い痛い、ヴォルフっ、おい! 筋が切れる!!」
ギューっと背中にのしかかって思い切り伸ばしてやる。
すぐにごろんと傾かれて、ふたりで寝台に寝転がった。
「おれはな、もうイヤなんだよ! おまえが婚約者だからって行く先々についてこられるのは!」
「なんだと!? ぼくの愛が解らないのか!」
「あ、あいぃいい? あーもう、そんならもう良いよ!」
すぅ、と息を吸ったユーリは、次の瞬間、みごとにぼくの眠気を吹き飛ばしてくれた。
「婚約解消! も、それで良いだろ!?」
そう叫んだユーリは、勢い良く寝台から降りてそのまま部屋を出て行ってしまった。
ぼくは呆然として、たったいま言われたことを反芻する。
「婚約、解消。」
ぽつりと呟いただけなのに、その意味は重く胸にのしかかってくる。
さっき背中にかけた体重より、もっとずっと、深くて重い重圧。
少しだけ乱れたネグリジェの胸をかき抱いて、ゆっくりと寝台から降りると、
大理石のひやりとした微風がそっと素足を撫でた。
がちゃ、と大きな窓を片方だけ開けて、ぼくはためらいもなくベランダから庭へ飛び降りた。
幸いそう高くないので、わずかな痛みだけで着地する。
草は露の重みで頭を垂らし、柔らかい。
ネグリジェの裾が濡れるのも厭わずに、ぼくは一目散に丘へと向かっていった。
血盟城で暮らしはじめてから、何か嫌なことがあると必ず行く場所。
そうしてぼんやりと星を眺めるうちに大賢者が来て、今にいたる。
「ふうん。そっか、」
「………、」
さわさわと湿気をおびた風が吹く。
一段と木も枝垂れているようだ。
「ね、フォンビーレフェルト卿。君たちはもう潮時じゃないのかな?」
「潮時?」
「うん。どんなにラブラブお熱い新婚さんだって、いつまでも新婚じゃなく、
少しほとぼりが冷めてくるだろう? 君たちも同じで、婚約者としての倦怠期に入ってるんだよ、
きっと。」
「倦怠期……。確か、母上が言っていた。倦怠期になったら恋人はもうお終いよ、って。」
「そうそう。」
じゃぁ、ぼくたちももうお終い?
その考えに至ったとき、不意に背後の草むらが大きなざわめきを立てた。
自然の所為じゃない、故意的な。
「誰だ!」
サっと猊下を背後に、忍ばせていた短剣を構える。
草むらは数度音を立ててから、ザ、と青い服を翻して誰かを吐き出した。
「ッ、ユーリ!?」
慌てて短剣を仕舞うと、「そんなのどこに持ってたんだよ……、」と不機嫌な声。
「ひとりか? 護衛もつけないで何をしているんだ!」
「それはこっちのセリフだこの大莫迦! 部屋に戻ったらいないからすっげー心配したんだぞ!?」
ぎゅっと抱きすくめられて耳元で叫ばれて、正直耳が痛い。
けれどそれ以上に胸が痛くて、ぼくは彼の胸を押し返して距離をとった。
「一家臣にいちいち心配していたら身がもたないぞ、」
「……ヴォルフは家臣なんかじゃないだろ!」
もう一度、強い力で抱きしめられる。
視界の端に写った双黒の猊下が、にっこりと微笑んで唇を動かした。
「じゃあね、渋谷。明日も早いんだからさっさと寝なよ?」
「うるせー! 明日は休み! 命令!」
それに肩を竦めて苦笑すると、彼はそのまま森の中へと消えていった。
残されたのは、ぼくと、ぼくを抱きしめるユーリ。
「………お終いなんて、言うなよ。」
「え、」
「お終いなんて言うな!」
痛いくらい力を込められて、思わず背がしなる。
湿気を帯びたネグリジェが肌に纏わりついて、気持ち悪い。
「ごめん、ヴォルフ。さっきのあれな、全部ウソだ。婚約解消もウソ。
……おまえについてこられてイヤっていうのも、ウソなんだ。」
ただ、と頬にキスをされて。
「船酔いするヴォルフを見るたびにどうしようもないくらい情けなくなるんだ。
ヴォルフが困ってるときに、おれはなにも出来ていないから、」
「……そんなことか。」
確かにぼくは海路に弱いし、その割にはユーリの旅はよく船を使う。
出航した途端に具合が悪くなって気分は最悪になるけれど、それでもおまえを追うのはやめたくないんだ。
「おまえがついてきてくれるのは、おれを心配してるっていうのは解ってるよ。
コンラッドがいてくれても、たくさんの敵には多勢に無勢だろうし、ヴォルフは剣も炎術も使える。
なにもないおれよりは頼りになるってことくらい、」
解っている、けれど。
「おまえを危険にさらすのだけは、絶対絶対、厭なんだ!」
「ユーリ、」
「さっきはホンット無神経でごめん。コンラッドに言われてようやく自分の気持ちにきづ……ほい。
はんへほほほひゅにぇる、」
「フン! これだからおまえはへなちょこだというんだ!」
そう言ってギリギリと頬をひっぱっていた手を離すと、怒るかと思ったのに、苦笑を返された。
「うん。だから、ごめん。なんか引っかきまわしちゃって。」
「本当だ。本気で迷惑がられたかと思ってうじうじしたのが莫迦みたいだ。」
ぽんぽん、とその背を叩いて、照れて紅くなった頬を隠すように、その肩に顔をうずめる。
「でもさぁ、おれ、すごい我侭かもしれない。どんなにヴォルフがへばってても、ついてきてくれて嬉しいんだ。
隣にいてくれてすごく、すんごく嬉しい。」
黙ってその言葉に耳を傾けてると、胸が温かくなって自然と涙が浮かんでくる。
ぼくは多分、いま世界の中で一番の幸せ者だ。
「もうさ、おれ、ヴォルフがいないとダメっぽいや。」
「ぼくもだ、ユーリ。」
そうして少しだけ見つめあい、唇を重ねた向こうでは、月と星が鮮やかにこちらを照らしていた。
終
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愛にするのは下手な方だけど。
村田がただの当て馬に…。
ユーリは部屋を飛び出した後、コンの部屋に行って笑顔でお説教食らっていると良いです。
頭良 森<SHION> 2005*08*某日
― もはや君なしじゃ始まらない T.M.Revolution*vertical
infinity ―
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