コンラートがチキュウから戻ってきた。花々を携える手は頑なで、触れると冷たかった。
死んだ魚の目は遠くを見つめたまま、また、いずこかへ去って行った。
グウェンダルが引き継いだ。世話をし、こまめに気にかける様は献身的というよりも……。
淡々と変わらないように見えて、眉間の皺が消えている。一見ひどく穏やかだった。
そしてぼくは。
立ち尽くしていた。あのときも今も、おそらくこれからも。
足元で、赤く広がっている。この時期にすらりと茎を伸ばし鮮やかな色の花で魅せた。
放射状に開く花びらはまるで……と、強くかぶりを振った。払った記憶はまだ再生できない。
彼岸花という名だと、言っていた。
後ろに気配を感じた。癒しの手の一族特有の、独特な空気の流れも判る。
「閣下」
「ギーゼラ、ぼくは、お前から見てぼくはどう見える」
振り返らずに問うた。ぼくの目は濁っていないだろうか。
できれば、強いと、好きだと言ってくれた光をなくしたくない。まっすぐに前を見続ける。たとえその先に、もうお前がいなくても。
「大丈夫ですよ、ヴォルフラム閣下。あのときは……正直大変でしたけど」
控えめに笑う、息の漏れる音が聞こえた。ぼくも少し笑んだ。
「そうだな、世話をかけた」
「いえ、皆が大変でしたから。それに養父は、ちょっと違う方向で壊れちゃいましたし」
「……そうだったな」
いくつかの報告と併せ「グウェンダル閣下がお呼びです」と残し踵を返すギーゼラを、ぼくはやはり振り返らない。
「ありがとう、ギーゼラ」
せめて言葉に代えた。またもや笑う気配。コンラートに似てるなと、ぼんやり思った。
赤く広がる彼岸花の中に一人佇み、青く抜ける空を見据えた。むしろ睨みつけた。
ギュンターも、兄上たちも、ぼくらのグレタも、何より眞魔国全体が混乱した。
まったく、最初から最後まで。
(この、へなちょこ!)
ぼくの悪態は、澄んだ彼方に吸いこまれた。
ふわり。
薫る風が柔らかく頬をなでた。
その、花の香りと、不思議にも湿ったような重みを含む匂いに、ぼくは優しさを思い出す。何度でも。
一面に広がる血を見て、その赤々とした色に、思わず剣を抜きそうになった。後ろの者の制止がなければ、花々の首を切り落としていた。コンラートが持ち帰り、グウェンダルが手にかけたものだと理解していても、衝動は凄まじかった。
一人にしろと叫ぶぼくは、本当に独り、取り残された。
立ち尽くし、眼下に咲き乱れる花々に、視界が真っ赤に染まった。腕で茎をなぎ払い、花弁を散らし、ただひたすら名前を呼び続けた。返事などない、応えなどない。
気づいたときには、赤の中に橙が混じっていた。燃えていた。
『ユーリ……!ユーリっ……!!』
喉が焼けても構わない。返事も応えもないなら、ぼくが引き出してやる。
火の手が周囲を振るい、ぼくの意思を尊重した者たちが駆け戻ってくる。呼ぶ声も聞こえる。近づけないのだろう、炎越しの、どの顔も悲痛だった。熱気と、弾け舞う火の粉と。
むせるほど鉄臭くて鼻の奥が痛い。真紅の絨毯は記憶を刺激する。
五感を理解し、やめろと全身で否定しながら。
心は、はるか遠くを想っていた。果てしなく遠い空をもっと感じたいと思ったとたん、脚の力が抜けた。腰を下ろすだけでは足りずに横たわったら、なぜか、とても安堵した。
いよいよ火が迫り、身体が熱い痛いと訴えた。本能の危機感も高まっていた。しかし動く気はなかった。目を閉じれば、すぐそばにいる錯覚すら覚えた。
ぼくは引かない。結局いつも、お前が折れるんだ。ユーリ。
ふいに水滴が落ちた。
額に、閉じた瞼に、鼻頭に、頬に。そして唇が潤った。瞬く間に曇った空から、次々に水滴が落ち、すでにどしゃ降りだった。ぼくは微笑んだ。炎を鎮め、身体をしとどに濡らしていく雨を甘受した。
『ヴォルフ』
たしかに感じた声は、『……馬鹿だな』と囁いたかもしれない。それも聞き入れておく。馬鹿だなその通り、それで結構、何とでも言え。
素直にならないぼくを、雨は何度も何度も触れた。いつのまにか溢れていた涙も、一緒に流した。滲む視界の中、空に向かって伸びる赤い彼岸花を名残の炎が舐めていた。こういう形でしか混じれないんだなという痛みも、やがて、そっとほぐされていった。
雨が降る。ぼくの心を映して、水の魂を示して、雨は降り続けた。
その優しさを、ぼくは忘れない。
end.
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