チークタイムは二人のために  

 

カツカツと踵を鳴らして歩いてゆく。

でも、足を進めるほどに気持ちは変に冷静になっていった。

十貴族や国民の間を縫って、声を掛けに言った時。

そこかしこで、俺がヴォルフをダンスに誘わなかった話で持ちきりだったのだろう。

俺たちを見るなり、ひそひそと言う話し声と刺さるような視線が降り注いでいたことを、

鈍感な俺ですらちゃんと感じていたのだから。

そんな、ある種屈辱的な空間で、あの気位の高い元王子様は表情は固かったが、沈黙していた。

でも、その実どんなに自尊心を傷つけられ、叫びだしたいような気持ちに苛まれていただろうか。

それでも。

何も語らず、顔にも出さず、耐えて見せたのは、間違いなく俺のためだ。

『ユーリはへなちょこだから、こっちの世界の常識は分からないのだ!』とか、

『たった一曲のお披露目ですら、腰を抜かすへなちょこなんだ。』とか言えれば、

せめて少しは気がすんだかも知れない。

だけどそうすることで、今度は俺に降りかかるであろう出来事の全てを、

彼はちゃんと理解していたのだろう。

俺のために、自ら・・・。

 

結局おれたちはさっきまでダンスホールとして使っていた部屋に戻ってきた。

そこにあったのは、さっきまでの華やかな空気は何処に消えて、

温もりがあった分余計に感じる、うすら寒さだけが漂っていた。

見回せば、明日改めて片付けましょう、と隅の方に積まれたテーブルや椅子がゴロゴロ。

食べ物関係は片付けられているが、装飾などの入った袋も転がっている。

それはまるで学園祭の後か、地元の祭りの後のような、雑然とした雰囲気の残るホールに、

俺とヴォルフラムは、ぽつりとたっている。

「ユーリ・・?」

心細そうに名前を呼ぶヴォルフラムに、俺はしっかりと目を合わせた。

『しっかりしろ!男だろっ!!渋谷有利!!!こんなに俺のことを想ってくれているのに、

それを俺も嬉しいと思っているのに、これ以上なさけねぇ言い訳で

気持ち隠してるわけにはいかないだろっ!!』

心の中では必死に自分を奮い立たせていた。

自分とヴォルフラムの間にある関係に『決着』をつけるために。

大きく深呼吸して、ごくり、と唾を飲み込んだ。

「ヴォルフ・・」

「なんだ?」

「俺と、踊ってくれませんか?」

「???なにをいってるんだ?こんな、音楽もないところでか?」

ヴォルフは妙に拍子抜けした顔で、そういった。

その顔にはありありと言葉にはしなかった言葉が浮かんでいる。

ヴォルフは踊りたいわけじゃないんだ。

ただあの時、あの瞬間に、皆の前で婚約者だという『証』を望んでいたんだ。

「分かってる。もう遅いことくらい・・・。俺がヴォルフを誘うのは

あの時あの瞬間じゃなきゃいけなかったってことくらい。」

「ユーリ・・。」

「でもさ、過ぎちゃった事は後悔したって戻んないんだよな。どう頑張ったって、もう戻らない。」

「・・・。」

困惑の表情で俺を見ているヴォルフラムに怯むことなく瞳を合わせる。

「ほんとに、ごめん。謝ることしか出来ないけど。」

ヴォルフは無言だ。何も言わない。

いつもよく変わる表情すらも、静かに動きを止めている。

「でも、でもさ、俺ほんとに・・」

口の中が妙に渇いて、上手く言葉が出てこない。

「知ってたら、おれ間違いなくヴォルフのこと誘ってたよ。

だってヴォルフは俺の婚約者で、俺の大切なパートナーだから。」

本当に本当だからそれだけは信じてほしいと、加えて発言しようとした俺の前で、

ヴォルフラムは、ぽかんと口を開けていた。

その表情は、驚きとも呆れとも取れるような不思議な表情で、

声を掛けると、今度はびくりと身を震わせて、黙って小さくかぶりを振った。

「信じてほしいんだ、これだけは。お前のことを、本当に大事に思ってるから・・」

そう告げた次の瞬間、今度は目の前には信じられない光景が広がっていた。

「っ、うっ・・ューリっ、!!」

「ヴ、ヴォルフ!?」

エメラルドの瞳からはボロボロととめどなく零れ落ちる涙。

形のいい唇は嗚咽を止めようと引き結ばれていたがそれ自体が戦慄く様に震えていた。

あまりのことにヴォルフの肩を掴んで、そっと名前を呼んだ。

「ヴォルフ?」

泣き崩れた顔を覆うように置かれた左手をその美しい顔から離し、

俺の両の手の中に挟み込んだ。そしてもう一度、愛しい人の名前を呼んだ。

「ヴォルフ?」

「て、だっ、・・」

頬を覆う俺の手に同じく掌を寄せて。

ヴォルフラムは嗚咽の隙間から必死に言葉を繋ぐ。

「はじっ、め、てだっ、、、!ユー、リが、ぼくを、婚、約者、と・・!」

その言葉に改めて愕然とする。

あの間違いから始まった婚約劇から一体どのくらいのときが流れただろう。

そしてその中で、初めはただの「文化の違い」から身近になった人と、

本当にお互いの背を預けて戦えるような、そんな関係になったのはいつだったろう。

もう、まともに思い出せないほどずっと遠くになってしまった思い出の中で、

もうすでに俺は自分の気持ちを理解していたはずだったのに。

 

俺はたった一つの言葉でさえ、掛けてやった事がなかったのか。

 

「これは、夢か?ユーリ?」

グシャグシャに泣き崩れた顔で、ヴォルフラムは俺を見ていた。

「教えてくれ、本当にこれは夢じゃないのか?」

「あぁ、夢じゃない。ていうか、こんな大事なこと今まで伝えずにいて、ごめん。」

その言葉にヴォルフラムは涙で濡れた顔を手の甲で男らしく拭いてから、かぶりを振った。

そして赤くなった鼻をくすんと鳴らして、今度は心底嬉しそうに笑って言った。

「許す。なんたってぼくは、今とても幸せなんだから。」

「ヴォルフ!!」

天使の笑顔で微笑む大切な人を両腕で抱きしめたら、

その白い両の腕はゆっくり俺の首にまわされて更にしっかり抱き返された。

その温もりが予想以上に温かくて、愛しくて、堪らなくなる。

「ヴォルフラム・・・」

「なんだ?」

「このまま・・踊ってもらえるかな?」

「もちろん、喜んで。」

曲も無く、観客も無く、華やかな飾りも全く無いホールの真ん中で。

ただ窓から差し込む月の光の下で踊る。

踊るとは言っても、オクラホマミキサーか秩父音頭か、

ただ体を揺らしているだけのなんちゃってチークしかレパートリーの無い俺は、

迷わずチークを選択した。

「チークタイムってさ、ダンスの中でも、二人だけの世界って感じがするもんな。」

「それでは、これは地球式なんだな。」

ゆっくり揺れながら呟く俺にヴォルラムが続ける。

その吐息が耳を掠めて、くすぐったい。

体格差の無い二人だから抱き合えば、お互いの首筋に顔を埋める格好になるから余計にそう思うのかな。

鼻腔には甘く仄かにヴォルフラムの香りを感じていた。

その香りに心地よく酔っているのだろうか?

どの位時が流れたかも見当がつかない。

ヴォルフラムもなかなか泣き止まなかったけれど、何故か俺も泣いていた。

ただ揺れながら二人触れ合っている事が嬉しくて、泣きながら笑い合った。

お互いの涙も乾いて、ようやくもう一度瞳を合わせられる気持ちになった時、

どちらともなしに動きを止めて、見詰め合う。

目の前の宝石のような瞳が、次の言葉を待っていた。

それを感じた俺が彼の腰に回していた手をそっと頬に添え、彼の名前を呼ぶと、

その行動の意味を、ヴォルフラムは素早く理解してくれたようで、

長い睫をゆっくりと下ろし、エメラルドの瞳を閉じた。

初めて触れた、柔らかな感触。

離れるのが惜しいくらいだったが、言葉にしなかった気持ちを伝えたくて、ゆっくり体を離した。

金に縁取られた睫を僅かに震わせて、ヴォルフラムが瞳を開ける。

その目尻が僅かに紅い。

 

「ユーリ・・」

耳元に響く、アルトの声。

「ありがとう・・・ユーリ。」

「こちらこそ。そして、これからもよろしく。」

 

そう、お前さえ許してくれるなら、このまま永遠に。

________輪廻さえも飛び越えて。

「この、へなちょこ・・・。ぼくがその言葉をどれだけ待っていたのか、お前は知らないのか?」

 

 

明日の朝、グレタが起きたら最初に伝えよう。

君にもう一人、『おとうさま』が出来たって事を。

今でもすでにそう呼んでいるけれど、今度こそ正真正銘、完全無欠、

眞魔国の法に則って正式に、君のもう一人の『おとうさま』だよって。

なんならお母様でもいいけどね、なんていったらこの場で叩き切られそうなので止めておいた。

 

 

世界一幸せなこの気分を、少しでも長く感じていたいから。

 

 

 

 

 

2005/6/4


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