眠れる森
「一体・・・何がおきたんだ?」
久しぶりに飛ばされた眞魔国では、静かでとても深刻な問題が起きていた。
魔王ベットに寝かされたヴォルフラム。
それはいつもと変わらない光景だ。
だけれど今の彼は、揺すっても怒鳴っても、目覚める気配は無い。
「なぁ、一体どうしてこんな事に?」
振り返ったおれの視線の先には、困惑の表情のコンラート、
グウェンダル、ギュンター、そしてアニシナがいて、事の顛末を話してくれた。
話は数週間前に遡る。
ビーレフェルト管轄の村で、奇妙な病が発生していると報告を受け、
村の状況を調べる為と奇病の原因を突き止めるため、ヴォルフラムが現地に向かったらしい。
しかし奇病の原因がわからないとのことで急遽アニシナが現地に呼ばれたそうだ。
すぐに合流したかったのだが日に日に増える患者の為に、数日二人は別働隊として、
合流するまでの期間、それぞれの調査を行う事になったらしい。
「ヴォルフラムの集めた情報で、現地の様子はわかっているつもりでしたが、
わたくしが行ってみると、病に掛かった者がただ滾々と眠り続けているという有様で。
しかし調べていくうちにその者たちが、ある特定の井戸の水を使ったものであるという事が分かりました。
ですが・・・事例には極端なムラがあったのです!」
アニシナさんは酷く悔しそうな表情をしていた。
「ムラ?どんな?」
「水自体に何らかの細菌や毒、もしくは呪いが仕込まれている可能性は分かったのですが、
症状の出る者と出ないものの共通点が分からず、対処をしかねたのです。
それでも、ある者は眠り続け、ある者は日常を変わらず過ごす。」
「・・・それで?」
「私の調査も暗礁に乗り始めた時、病に掛かり眠り続けていた一人の少女が目覚めたと言う連絡が入りました。」
それは回復の兆しかと思い、ヴォルフラムに連絡を送り、共に現地に向かおうとした時。
一人の伝令がアニシナの宿に飛び込んできたという。
「その伝令が伝えたのは、ヴォルフラムもこの病に倒れ、昨日より目覚めないということでした。」
いつも不遜で自信満々のアニシナさんが、おれからふいに目を逸らした。
それはおれの背中に、嫌な汗を浮かばせた。
「そ、それで、ヴォルフは今こうして眠ってるのか?」
おれのその言葉にグウェンダルが頷く。
「原因は?分かったのか?」
「犯人は倒れる直前にヴォルフラムが発見し、事情も大方聞き取っていたからな。」
原因はやはり水だった。
そしてこの病はある男が骨董屋から買い取った、「眠れる森」といういわくの水を井戸に混ぜた事から始まった。
男には好きな女がいたが、分不相応と言う事で引き離されていて、男が離れ離れの現状を嘆き、
腹いせ紛れに古来伝承で伝わっていた「眠れる森」という名の水を使ったのだと言う。
ただし効能も分からぬままで。
「そんな!効能がわからないって・・・。」
思わず声を荒げたおれにグウェンダルが静かに話し出す。
「「眠れる森」の水の伝説は、引き離された二人と同じように愛し合う二人の男女の物語だ。
身分の高い家柄の女は政略結婚の為に男と引き離されてしまう。
逃げる事の叶わぬ政略結婚へのせめてもの抵抗と毒を呷って倒れた彼女は、
家のものに見つかり死の一歩手前で引きとめられるも、滾々と眠り続ける体になってしまう。
それを知った男が、自らの弱さの為に彼女を失ってしまったと激しく後悔し、
彼女を連れ去り、二人は深い森の湖に身を投げて自害したと言う、戯曲のような伝説だ。」
その言葉を引き取って今度はコンラートがおれに言った。
「そして『眠れる森』の水は伝説と共に彼らの思いが詰まった呪われた水となり、
密かに呪術用の水として流通されていたようです。ただし、今回の件でも分かるように、
結果に大きなムラがあるので、効能までは伝承されなかったものとおもいます・・・。」
「そんな水が・・でもどうしてヴォルフがその水を飲んだんだろう?」
「水が原因である事は早くに分かっていたので、極力飲み水には気をつけていたと思うのですが・・。
犯人が水を撒いた井戸と同じ水脈をたどるものまで呪いが移っていたのか、
それとも原因究明のために試しに飲んでみたのかも・・・いずれにしろ、
それはヴォルフラム本人にしかわからないのです。」
原因も呪いの正体も分かったわけだが、眠った人が目覚めなければ意味が無い・・・、
そう言おうとしてそこでふと、先ほどまでの話を思い出す。
「そういえばヴォルフラムが倒れたっていう伝令を受けた時、一人の少女が目覚めたって言ってなかったっけ?
ということは、こうやって眠ってしまっているヴォルフを目覚めさせる方法があるってことだよな?」
「えぇ。呪いの正体も分かりましたし、目覚めの方法も、調査の上、確認しています。」
コンラートが難しい顔で、そういった。
原因も治す方法もわかったのに、なぜそんなに重苦しい雰囲気なのか分からずに問い返す。
「な、なに?なにか、問題でもあるの?」
「それは・・・」
「なんだよ、言ってくれよ!それはおれに出来る事?それともなにか他の・・・」
「・・・ヴォルフラムを目覚めさせる事が出来るのは、陛下だけです。」
「え?」
「病に掛かる者とそうではない者とがいることはお話しましたよね?病に掛かるものの共通点は、
その者の心に『唯一の者』がいるかどうかだったのです。」
「『唯一の者』?」
「そうです。他の誰も変わりになれない、その者が誰よりも愛している者です。
そしてその『唯一の者』だけが、眠れる患者を呼び起こす事が出来る・・・。」
言われている事が分かった途端、全身の血液が沸騰して頬へと上がってきたような気がした。
ヴォルフラムとおれとの関係を知っている皆だから恥ずかしがる事は無いのかもしれないが、
他人からココまできっぱりと「ヴォルフラムが好きなのはあなたです」と断言されてしまうと、
『知ってる』と開き直る事のも、『そんなまさか!』ととぼける事のも、
なんだかおかしい気がするし、なにより気恥ずかしくて堪らない。
「な、なに?じゃぁ、おれが何かすればヴォルフは目覚めるの?
まぁ、こういう場合、大概のお話では『王子様のキス』でお姫様が目覚める事になるんだろうけどっ!」
照れ隠しでそんな事を言ってみたのだが、ギュンターがうっとりとした調子で、呟いた。
「さすがは陛下!!ご聡明でいらっしゃる!えぇ、この水もご多分に漏れず、呪いを解く鍵は確かに口づけです!」
「えぇぇぇっっ!?じょ、冗談のつもりだったのに!!」
え?じゃぁ、なに?ヴォルフを起こす為にはおれは皆様の前でキスシーンやらかさなきゃなんないの??
っていうか「皆様」の内訳のうち三分の一が兄弟じゃんか!?
慌てふためくおれを宥めるようにコンラートがおれの肩に触れる。
「落ち着いて、ユーリ。話にはまだ続きがあります。」
「へ?続き?!一体何の!?」
よもやキスも軽いものじゃ駄目とか、そんなんじゃないだろうな!?
そんな不埒なところまで思いをめぐらすおれとは対照的にグウェンダルが静かに話す。
「確かに眠った者を起こすのは、その者が最も愛する人によっての口づけのみだ。しかし・・・」
途端にグウェンダルの眉間の皺が更に深くなる。
彼にしては珍しくしばらく言いよどむような様子を見せたが、
小さな溜息を後押しにして、おれの目を見てこう言った。
「口づけによって一度目覚めた者は、次の眠りが、永遠の眠りになる。」
「は?それってどういう・・?」
その言葉の意味が、理解できなかったおれは、肩に触れていたコンラートを振り返り、聞き返した。
「つまり一度この水の呪いにかかった者は、愛するものの口づけにより一度は目覚める事が出来るのですが、
目覚めた後もう一度眠りに落ちた時は、永遠の眠りに・・・つまりそれは、その者の死を意味します。」
呪いの水の「眠り」からヴォルフを、救えるのはおれの口づけだけ。
だけどそれでもし、ヴォルフが目覚めてしまったら?
一日なり二日なり、いや数刻なりを、共に過ごして。
ヴォルフが眠たくなったと、瞼を閉じてしまったときが、永遠の別れということ?
その言葉の意味を、理解した時。
もう、おれには言葉は無くて。
おれの足は、魔王ベットで静かに眠る婚約者の元に向いていた。
キラキラ光る金糸の髪と、白磁の頬と、薄桃の唇と、甘い寝息。
どれも見知ったヴォルフの姿なのに。
どれもおれの宝物なのに。
それが今。
前触れも無く、俺の掌からすり抜けて行こうとしていた。
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