眠れる森 〜目覚めて。どうぞ、愛しい人よ〜

 

「おれは、眠ったままでも良い。ヴォルフを失いたくないから。」

「陛下・・・。」

「ヴォルフが眠っている間に、少しでも良いから足掻いて、呪いを解く手段を探したい。

そして方法が見つかったら、ヴォルフを起こせば・・」

「それが出来たら、何の問題も無いんだけどね?」

「村田!?」

「ココは地球じゃないんだよ、渋谷。」

「どういう意味、だよ。」

「このまま眠らせていても、彼の体を何処まで維持できるのか分からない。」

「でもっ!でも目覚めたらっ!!目覚めてしまったら・・・ヴォルフは・・」

「それを決めるのは君だよ、渋谷。」

「どちらかしか、ないのか?」

「いや、道は一つしか、残されてないんだ。ぼくらに選べるのは・・・ただそこに行くまでの過程だけさ。」

 

このまま体の限界までまって、何一つ話も出来ずに眠ったまま別れるのか?

それとも僅かな時間を共に過ごして、そして別れるのか?

おれは考える。

どちらがより、2人にとって幸せなのかを。

「ヴォルフを・・・・・起こすよ。せめて最後の一瞬まで、輝くように生きてほしいから。」

 

 

目覚めたヴォルフラムはその瞬間から確実に死へと向かう。

それを理解して口づけをするなんて酷く恐ろしくて、震えながら唇を押し当てた。

ゆっくり、ゆっくり、唇を離し、ヴォルフの顔を覗き込む。

震える瞼の下からは、おれの大好きなエメラルドの瞳が現れる。

あぁ・・・ずっと会いたかった瞳だ・・・。

「ユーリ・・・いつ、こちらに?」

「随分前に、だよ。目覚める方法が見つからなくてお前を起こすの遅くなっちゃったんだ。」

おれの言葉に合点がいったとばかりに頷いて、それから翠の瞳を向けてヴォルフラムはこういった。

「僕が目覚めたということは、原因が分かったということか?村はどうなった?民達は?」

「皆目覚めたよ。方法も簡単だった。もっとも典型的は解術方法だったからね。」

心配そうなヴォルフラムに語りかけたのはコンラッド。

「典型的な方法?」

「これだよ、ほら・・・」

小首を傾げるヴォルフに、おれは人目もはばからずに口づけて笑う。

「そうか、だからユーリが・・・。では、ぼくは物語の眠れる姫君のように、愛しい人に起こされたのか。」

嬉しそうに微笑んで、おれに腕を延ばすヴォルフラムを抱きとるとおれはその腕にぎゅっと力を込めた。

離したくない。

こんなに、こんなに愛しているのに。

鼻先をくすぐる金糸に顔を埋めて、決して洩らしてはならない涙と嗚咽を、大きな溜息に変えて吐き出した。

 

目覚めたヴォルフラムに最初にきいたのは、どうして水を飲んじゃったの?ということ。

するとヴォルフは困ったように笑いながらこういった。

「子供が、水を運んでくれたんだ。」

「え?」

「年の離れた姉が病に掛かったらしく、一刻も早く助けて欲しいと捜査に携わっているもの達の

手伝いをしていたらしい。それで・・・ぼくにも水をくれたんだ。」

ユーリならぼくと同じようにしたろう?ほんの少し照れながら笑うヴォルフに一瞬凍った。

本当ならコレは喜ぶべき変化だろう。

出会ったころは誰も寄せ付けず、気位の高い猫のようだった彼が、下々の者の心の機微に優しく対応する姿。

だけれど・・・それが無ければヴォルフはこんな風にならなくて済んだ?

頭を過ぎったその思いに我ながら驚き、そして嫌悪した。

だけれど思いが止められない。

自分でもよくわからなかった。

だけど・・・。

ヴォルフの優しさが、子供の行動が、悲しくて仕方がないんだ。

 

ヴォルフがいつまた眠りにつくか、その事でおれの頭は一杯だ。

一分でも一秒でも、一緒に居たくて。

「ヴォルフ、歩ける?」

「あぁ・・。だが随分長い事眠っていたんだな、多少足が萎えている。」

「ムリするなよ?ほら。」

ヴォルフの手をとって、ベットから立たせる。

本当ならゆっくり休ませてやるべきなのかもしれないが、ベットは眠りを連想するからどうしても嫌で。

おれはヴォルフを外へ連れ出した。

ヴォルフと思い出を一杯作りたい。

ヴォルフが一番やりたいことを余すことなくやり遂げたい。

けれどヴォルフが疲れてしまうようなことは駄目だ。

眠りを誘うようなことも、彼の死期を早めてしまう。

おれは恐怖を振り払うように彼の手を強く握り、進める足を速めた。

「ヴォルフ、どこにいきたい?」

「どこって・・・別段、行きたい場所など無いが。」

「じゃぁ・・さ、ちょっと気分なおしに庭園にでも出てお茶でも飲まないか?」

ヴォルフはその申し出に素直に頷いた。

庭園の中でもヴォルフが一番気に入っている花壇の前にテーブルを出して、お茶にする。

お茶も茶器もお茶菓子も、ぜ〜んぶヴォルフが一番好きなものを・・・そう頼もうと思ったら、

メイドたちが『このお茶はツェリさまとグレタさまから。』『この茶器はコンラートさまから。』

『お茶菓子はグウェンダルさまとギュンターさまから。』と、次々に運んできてくれた。

皆がこの場に現れないのはおれに気を使っての事だろう。

だけれど皆ヴォルフに精一杯の思いを込めてこれらのものを贈ってくれたのだろうと言う事はすぐに分かったから、

こうやっておれ一人でヴォルフを独り占めしていることも少し申し訳なく思った。

だけど一時でも離れているのが怖くて、おれはヴォルフの真横に椅子を置き、ぴったりと体をよせる。

「・・・ユーリ。」

「なんだよ、ヴォルフ。」

「・・・なぜ、そんなにくっつく必要がある?」

「くっついていたいから。じゃぁ、聞くけど離れる必要ってある?」

その言葉にヴォルフはほんの少し間を空けて、ポツリと呟く。

「こんなに接近していると顔が見えない。それに・・」

「それに?」

「・・・・なんだか、いつもと違う。こんなの、いままで、なかったじゃないか・・」

ほんの少し顔を赤らめて俯くヴォルフ。

でもその吐き出された言葉におれの心臓が一瞬で跳ね上がる。

絶対にばれてはいけないのに、そう思って咄嗟に隠そうと言葉を繋いだ。

「そ、んな、っだって、淋しかったんだよ!」

「淋しかった?」

小首を傾げて呟くヴォルフにおれは思わず席を立って叫んだ。

「そうだよ!おまえ、おれが帰って来たら、寝ててさ!全然起きないって皆心配しててさ!

必死になって起きる方法探して!やっと・・・おまっ、・・っおまえがっ、起きてっ、きてっ!!」

だけど叫んでいるうちにおれは涙が止まらなくなった。

平静を装わなきゃいけない、いつもと変わらないようにしなければいけない、

そう思えば思うほど本当の気持ちが溢れそうで、たまらなくなった。

いきなり叫びだしたおれに驚いて見上げる瞳は別れたあの日とまるで変わらないのに、

なのにおれたちの関係は、大きく変わってしまったんだ。

お前に隠し事する日がくるなんて、正直思ってもみなかったよ。

しかも、なぁ。

言える訳無いんだ、だって、だって。

おれが目覚めさせたそのせいで、お前は死んじゃうんだ、なんて。

先を叫ぶ事が出来ず、ただ嗚咽を上げるおれの頭にふと温かい腕が回させた。

細くて、でも力強いそれはおれの背中を上下して、優しい波紋を落としていく。

これはきっと癒しの術だ。

おれの嗚咽を治めるためにヴォルフがそっとかけてくれたのだろう。

「ヴォルフ、ごめ・・」

「ユーリ、ぼくは・・・うれしい。」

「嬉しい?」

「ぼくが眠りについて、きっと皆が心配してくれたのだろう。その事も嬉しい。

でも、お前が・・・ユーリが、その、泣いてくれたことが、凄く嬉しいんだ。」

ヴォルフの腕から顔を上げるとヴォルフがゆっくりと、でもちょっぴり意地悪そうに笑った。

「ユーリにとってぼくが、涙を流す価値がある存在だったんだって、知ったから。」

それはあまり笑えるジョークではなかった。

でもヴォルフは何も知らない。

だから、言える冗談なんだ。

「悪かったよ、今までが、あんまり大事にしなくてさ・・・」

「そうだぞ!まぁこの一件でお前にとってぼくの存在がどんなに大切なものだったのか、よ〜くわかったろう!」

えへんとそれは嬉しそうに胸を張るヴォルフに、俺は苦笑いしか返せない。

だけどヴォルフがいつものごとくへなちょこを織り交ぜながらおれを罵るのを、

おれは嬉しく、でも淋しく感じていた。

 

結局おれはそれ以上ヴォルフと一緒にいる事が出来なかった。

ヴォルフと一緒に過ごしたいのはおれだけでは無いと分かったからだけではない、

ヴォルフと過ごす時間、それは愛しく手放しがたいものだけれど、

またいつ思いが溢れてきておれの持つ「真実」をヴォルフに開け渡してしまうか不安でならなかったからだ。

だからお茶を飲んだあとはおれは執務室に篭り、それとはなしにヴォルフは皆野素へ出向かせた。

そして、おれ達がまた二人きりになったのはその夜のこと。

 

その夜は、満月で。

とても優しい光の、美しい月夜だった。

馴染みの夜着で二人、魔王ベットに並んで腰をおろす。

しばらくは今日あった他愛の無い話をし合っていたが、おれはふいに怖くなって声をかける。

「ヴォルフ、今日は眠たくならないの?」

「そうだな、あまりにも長く寝ていたせいかな?ほら。」

そういってヴォルフがおれの手に触れた。

眠る前には必ず火を燈したように温かくなるヴォルフの手が、まだ冷たい。

言葉どおりまだ眠気がきていない証拠だろう。

おれはその冷たさに安堵した。

二人手を繋いだまま、肩を寄せ合って、ただ黙って月を見てた。

どの位そのままでいただろう?

「なぁ・・ユーリ。」

「なに?」

「昼間の話の続きだが。」

「え?」

静寂を破ったのはヴォルフ。

そしてその言葉は思いもよらないものだった。

「昼間の話?」

「あぁ、お前が泣くのが嬉しいと、そういったろう?」

「あぁ・・うん。」

ヴォルフは月を見上げたまま、話し出す。

「あの時は言わなかったけれど、ぼくはお前に言っておくべき事がある。」

「なにを?」

覗き込もうとしたおれの顔を見るなとばかりにまた月に向けて、

ヴォルフはおれの肩に自分の頭をことんと預けた。

「いつか、ぼくらも別れる日がくるだろう。その時には、少しでも良い。ぼくはおまえより先に逝きたい。」

「なっ・・っ!?」

立ち上がりかけたおれに苦笑しながら、まぁ聞けとばかりに同じ体制に引き戻された。

「お前は怒るかもしれないが、ぼくはお前の臣下として、そしてお前を愛するものとして、お前を守って死にたいんだ。

そう・・・もしもそれを許されるのなら、だが。」

ヴォルフの笑う気配がした。

でもおれは笑えない。

笑えるわけがない。

ヴォルフは、なぜ今それをいうのだろう?

答える言葉を持たないおれの鼓動が早く激しく胸を打つ。

「だが、ひとつ願いがある。」

「な、んの?」

ようやく搾り出した言葉は喉がひりついてそれ以上は出なかった。

「ぼくとお前が別れる日。その時には、今日みたいに、泣いて欲しい。」

「ヴォルフ。」

「そうしてぼくはそれを、ぼくが幸せに生きた証を持って・・・笑って、逝きたいんだ。」

でもこれは我儘な願いだな、ごく小さい声で呟いたヴォルフが額をこすりつけるようにして、

さらに寄せてきた体を空いた手でそっと抱き寄せる。

「でもそのかわり、ユーリも・・・一頻り泣いたら、今度はきっと笑って・・・幸せに・・」

隣で空気がふわっと動いた。

欠伸?

そう思っておれはゆっくりと肩に乗せられたヴォルフの顔を覗き込む。

「ヴォルフ?」

ヴォルフは幸せそうに、笑っていた。

そしておれはその時になって繋いだ手がいつの間にかとても暖かくなっているのに気付く。

「ヴォルフッ・・っ!なんだよっ!全部喋り終える間くらいっ、ちゃんと、おきてろよっっ・・っ!」

耳元に聞こえる安らかで規則的な吐息。

そして、その寝息と繋いだ温もりがゆっくりと緩んで消えてゆくまで、

おれは止まる事を忘れた涙すらそのままにずっと月を見てた。

 

 

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2005/1/16

こちらは、すぐに目覚める事を選ばれたヴォルフ。

彼の命は呪いのままに失われてしまいました。

それはとても悲しい事。でも、彼は精一杯の思い出を持って逝く事が出来たともいえます。

何を持って幸せな終わりとするのか・・・・。

読み手のあなたはどう感じられたのでしょう・・・。


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