「おれは、眠ったままでも良い。ヴォルフを失いたくないから。」
「陛下・・・。」
「ヴォルフが眠っている間に、少しでも良いから足掻いて、呪いを解く手段を探したい。
そして方法が見つかったら、ヴォルフを起こせば・・」
「それが出来たら、何の問題も無いんだけどね?」
「村田!?」
「ココは地球じゃないんだよ、渋谷。」
「どういう意味、だよ。」
「このまま眠らせていても、彼の体を何処まで維持できるのか分からない。」
「でもっ!でも目覚めたらっ!!目覚めてしまったら・・・ヴォルフは・・」
そこまで訴え出て、ふと、村田の言葉が頭を過ぎる。
「村田・・・」
「なんだい、渋谷?」
「地球だよ!地球だ!なぁ、そうだろっ?村田!!!」
村田は眞魔国ではヴォルフの体を維持する事が出来ず、いつかは失うといった。
だったら裏を返せば、地球なら無駄に進んだ延命技術を駆使すれば、ヴォルフの体を失わずに済むということ。
そのことが頭に過ぎった時、おれはただただ無我夢中で、
村田の肩を揺さぶりながら、見えた一縷の望みに縋るように訴える。
「ヴォルフを地球に運ぶんだ!そうしておれがこっちで方法を探せばいいんだよ!」
「正気か?渋谷。」
おれが今提案している事がどんなに無謀で、困難な事か良く分かっていた。
でも、それでもヴォルフを守れるならおれは・・・・どんなことだってする。
「・・・絶対にヴォルフを連れて行く。そして必ず安全に目覚めさせるんだ。」
もはや心を決めた頑固者のおれを止めることなど出来ない。
止める事ができるとしたらそれは甘美なアルトの声で「へなちょこ!」とおれを呼ぶ誰かだけ。
『ヴォルフを助けるにはこの方法しか道は無い。』
村田は眞王を、おれはその場にいた皆を説得し、ヴォルフの地球への移動の準備を早急に進めた。
「村田、どうだった?」
「眞王は協力してくれるって。しかも地球のほうの魔王とも連絡を取って手伝ってくれるみたい。」
我儘で子供っぽい彼がこんなに協力してくれるなんて珍しい、
というか何かたくらんでるんじゃ!?といぶかしむ村田を、苦笑で制する。
眞王に下心があったって構うものか、おれはこの計画が無事に行けばそれでいいのだから。
「あとはヴォルフを眞王廟に連れて行っての総力戦だな。」
「そうだね。でも渋谷・・・これからが本当に大変なんだよ?」
「分かってる。」
地球に運ぶ事がどんなに困難であるかもよくわかっている。
そして運んだ後のほうがずっと大変なのも。
でもそれでも彼を失いたくない。
それだけは決して変わらないんだ。
「みんなを集めて。そして、眞王廟へ。」
コンラッドにグウェンダル、ツェリさまにグレタにギュンター、アニシナ、ギーゼラなどが、
おれたちを見送りにきてくれた。
だけど集まったどの顔も不安の色が濃く、いつもより表情が暗い。
心配は当然だ。
もしこのスタツア計画が失敗すればヴォルフラムと言う愛しい人が永遠に失われる。
けれど今何もしなければ、やはり彼は失われてしまう。
つまり・・・これは後の無い勝負なのだ。
これで不安にならないわけが無い。
みんなに愛されている、ヴォルフラム。
今、その命をおれは一身に任されているんだ。
スタツアの際に離れ離れにならないように、ヴォルフの細い腰にロープを巻き、
俺の腰と繋いで、それからヴォルフを柔らかい布にくるんで抱きかかえた。
布の隙間から僅かに顔を覗かせるヴォルフの頬を、ツェリさまがそっと指先で撫ぜる。
「ツェリさま、おれ絶対無事に連れて行くから。そして必ず元気な姿で連れて帰ってくる。」
「えぇ、もちろん陛下を信頼しておりますわ。」
「ありがとう・・・。」
「さて。じゃぁ行こうか。」
そしてその場にいた者たちの魔力と巫女さんたちも合わせての総力で、
おれたち三人は地球へととばされたのだった。
びしょ濡れのおれたちは、地球に飛ばされた。
眞王の言葉は本物だったらしく、ついた先には地球の魔王であるボブとロドリゲスがいて、
渋谷家に移動した後に、ヴォルフラム共々の今後の事を話し合うことになった。
地球の魔王とびしょ濡れの天使を抱いたおれと村田を前にして、おふくろはきょとんとしてしばらくは言葉も無かった。
「ゆーちゃん、この子は?」
「こいつは、ヴォルフラムといって向こうでのおれの臣下で、親友で、そして・・・大切な人なんだ。」
おれは今まで眞魔国であった出来事を・・・、突然水洗トイレから流されて、魔王になって、
そうして体験してきた蝋色な出来事を包み隠さずに話した。
驚いた事、悔しかった事、怖かった事、苦しかった事。
そして、楽しかったこと、嬉しかった事、幸せだったこと。
まるで夢物語のような世界の話を、そうしてその中で育んできたヴォルフとの関係を。
ヴォルフを愛してる。
それはおれの、偽りのない思い。
そこには羞恥や惑い、それから生国の偏見などは頭には無くて、
ただまっすぐにヴォルフを思う気持ちが母に届けばいいとだけ思った。
「大切な人?」
「うん、そうなんだ。おれの、かけがえのない人、だよ。」
そうしてその命が今失われようとしている事、なんとしてでも救いたい事など必死に母に訴えた。
「ママの自慢の息子、ゆーちゃんが選んだ人だもの。きっとヴォルちゃんってとてもいいこなのね。
ママもはやくお話してみたいわ。」
そういって母が濡れたヴォルフの体を躊躇いなく受け取って、
『ヴォルちゃん、よろしくね!』と抱きしめてくれたとき、
おれの中で張り詰めいていた何かが切れて思わず大声をあげて泣いてしまった。
ボブが資金から何から手配してくれたおかげで、ヴォルフを大きな病院に預ける事が出来た。
生命維持のための装置に括りつけられた、ヴォルフ。
大切な人をこんな目に合わせているのはおれなんだと思うと、早くも心が折れそうになる。
痛々しくて、悲しくて、だけど今はどうする事も出来ない。
投げ出された手を握り、額に掛かる前髪を払う。
「ヴォルフ、一刻も早く目覚められる方法を探すから。そうしたら、帰ろう?おれたちの国へ。」
許された面会時間も1日のうちの僅かだけで、それからはそばにもいてやることもできない。
ヴォルフラムの寝顔を見ながらふと思う。
こうして失いかけた初めて分かったことがある。
おれはヴォルフラムが側に居るという事を、呼吸をすることや生きている限り鼓動が脈打つことと同じくらい、
当たり前で、至極当然の出来事だと思っていたんだと。
おれはそれから眞魔国と地球を行ったり来たりしながら、
ヴォルフの目覚めを安全に行う方法を探し始めた。
もちろんそれは簡単な事ではなかった。
なぜなら眞魔国の、ヴォルフと同じ状況の被験者たちは何の手立てもないままに、
ある者は一度は目覚めて永遠の眠りへとむかい、またある者は眠ったまま体の衰弱に任せるだけ。
それを一刻も早く止めるため、そして同時にヴォルフを救う為、俺たちは死力を尽くした。
そうしている間に、地球では5年が、そして眞魔国50年余りの時が流れた。
地球では5年、眞魔国では50年・・・。
この時差はどうして出来たのか?というと、眞魔国と地球では時間の流れが違うから。
どういう理論か未だに分からないけれど、おれが眞魔国に言っている間、地球の時間は止まっている。
だから眞魔国で何年も研究と執務に没頭しても、地球に帰ってヴォルフに会いに行くと、
はたから見れば1日も欠かさず、面会に行っているように見えるわけだ。
そうやって、おれは村田とともに眞魔国と地球の往復生活を続けた。
日本に残してきたヴォルフに会えるのはおれが一時地球で休息を取るときだけ。
おれからすれば随分と長い間眞魔国に行っていてヴォルフと離れ離れなのだから、
日本にいる時くらいは側に居たいと思っているだけなのだけど、
植物人間状態の天使のような美少年に会いに行くおれは、しばらくすると病院中の注目も的になった。
はじめは興味本位の視線に随分晒されて、それが全く平気だったといえば嘘になる。
けれど5年の月日を数えるうちにそれは薄れ、
いつしか声をかけてくるのはヴォルフの回復を待つ良識ある人々のみになった。
それが_________今日破られる。
「術を解くよ?君も魔力を・・・。」
「あぁ、分かった。」
眞魔国での50年の月日で、おれに自在に魔力を操れるようになった。
魔王としての強大な魔力を地球でも操るのはとても大変な事ではあったのだけど、
もとよりおれは規格外の魔王だし、今は何よりヴォルフを救いたい一身で魔力を振るう。
それが彼への、そして犠牲になった人と解術に間に合い助かった人たちへの餞になる気がしていた。
大賢者としての村田の魔力と、魔王としての俺の魔力を合わせ、ヴォルフの中に流し込む。
魔力の分かるものにだけ見える、金のオーラのようなものがヴォルフを包み込み、
それが金へ銀へ、また金へ・・・と瞬きを繰り返す。
そうやって最後は薄い靄のような色に落ち着くと村田が小さく目配せを送ってきた。
「わかってる、今、起こすよ。」
ヴォルフの口元を覆っていた酸素マスクを外し、彼の頬についたゴムのあとをそっと撫でる。
その跡の深さが、潤いを失ったヴォルフの唇が、長らくの入院生活の過酷さを改めて突きつけてきて胸が痛かった。
でも、もうこんな生活も終わりだ。
これで・・・おれたちはまた・・・。
「起きて、ヴォルフ。寝坊するにも程があるよ。」
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