+ 罪と贖罪 +

 

カツカツと、小気味良い音を響かせてヴォルフラムは血盟城の廊下を歩いていた。

ユーリが地球に帰ってしまっても、国は動いている。

絶え間なく国内外で情勢は変わるし、日々問題は山積みだ。

兄ほど国政に強いわけではないが、それでも国の主であり、婚約者でもあるユーリがいない以上、

微力でも自分も出来ることをしなければと毎日ヴォルフラムは奔走していた。

・・・もっとも、彼は自分の力を『微力』だと思ったことはないけれど。

自分の足音に重なるように小さな足音がやってくるのを感じてヴォルフラムが振り向くと、

くるくるとウエーブを描く茶色の髪を揺らしながら、グレタが駆けてくるのが見えた。

にこにこととても嬉しそうな顔だ。

どうやらヴォルフに気付いて何処からか駆けて来たのだろう。

「ヴォルフ〜、お仕事??」

思わず持っていた書類を取り落としそうになる程のパワーで飛びついてくる、

可愛らしい愛娘に思わずヴォルフラムの頬も自然に緩んだ。

「あぁ。グレタはどうかしたか?」

「アニシナ、実験で忙しいんだって。」

淋しげに俯くグレタにヴォルフの気持ちが揺れる。

「ねぇ、ヴォルフ!お仕事終わったらね、一緒にお絵かきしようよ!!」

(ユーリが地球に帰ってから雑務に追われて、あまりグレタに構ってなかったな)

それでもどんなに忙しくても食事とお茶の時間は必ず一緒に過ごすようにしていたし、

グレタが寝付くまでの一時は必ず側にいたのではあるが、

きちんと時間を取って構ってやれなかったことを気にしていたヴォルフラムは、

愛娘の申し出を受け入れることにした。

「よし!それでは今日はどこか景色にいい場所で、写生でもするか。」

「やったぁ!!行こう行こう!お弁当持ってね、ヴォルフのお馬に乗って!!」

「あぁ、グレタの行きたいところへな。」

とても嬉し気に、料理長にお弁当を頼みに行く!と叫びながら飛び出していく

愛娘の後姿を見ながら、ヴォルフラムは思った。

『まずは書類をグウェンダル兄上に渡してから、グレタと過ごす為の暇の許しを貰おう。

それから二人で、出かける準備をすることにしよう』

考えたらまずは実行だなと歩き出したヴォルフラムに、さりげなく声を掛けた者があった。

確か、どこかの氏族で高官であったが生憎と名前は思い出せない。

ただ、顔には見覚えがあった。

なぜなら少し前までは、それなりに親しくしていたからだ。

理由は簡単。

彼は純血魔族で、人間を毛嫌いしていたから。

ユーリがこの世界にやってきて、その彼に魅せられるまでは、

ヴォルフラム自身と考えを近くしていたのだから当たり前と言えば当たり前だった。

人間は、魔族の、眞魔国の敵。

薄汚く、汚らわしい、種族。

でも今は、一概にはそう言えない事を知った。

そのことに気付かせてくれたのはもちろん、ユーリ。

「閣下、閣下にお話があります。」

酷く暗い表情でねめつける彼に、一瞬戸惑う。

「なんだ、言ってみろ。」

「閣下はあの娘をどう思っていらっしゃるのですか?」

「あの娘・・・?グレタの事か?」

相手は憎憎しげな顔で頭を縦に振るだけで、返事はしない。

グレタの名を口にすることすら、嫌悪の対象なんだろう。

彼女は生粋の人間だから。

「閣下は、汚らわしい人間の末裔が、我が眞魔国の王族に名を連ねることを

 恥とは感じないのですか?!」

「我らの新しい王の決められたことだ。」

「その王は半分は人間です!人間の肩を持ち、わが国を転覆させる狙いやもしれませんっ!!」

「王は眞王陛下が決める。眞王の定められた王の意思はひいては眞魔国の意思だ。」

「眞王の血を濃く受け継ぐ貴方が、それをおっしゃいますか!」

冷静なヴォルフに業を煮やしたのか、相手の語調はだんだんときつくなる。

そんな高官の姿をエメラルドグリーンの瞳に映しながら、

『まるで、昔のぼくを見ているようだ。』と、ヴォルフラムは思う。

小さな枠の中で物事を見て、感じて、考えて、答えを出して。

それこそが真実と、胸を張っていた自分。

空が果てしない様に、それに続く世界も広いのだということを、

しっかり失念していることにも気付かなかった自分。

ユーリの側にいて、この瞳で見て、この肌で感じて、ようやく知った。

あの時、憤怒と嫌悪で躊躇うことなく剣を向けたぼくの行為が、

どんなに浅はかで、恥ずかしい行為だったのかということを。

そして彼を好ましく思えば思うほど、彼を守りたいと思えば思うほど、

消えない過去のぼくの影が、目の前をちらついて離れない。

でもそれは、『後悔』という『過去の姿』にならなければ、気付かれることは無いのだろうか?

だとすれば、目の前に居る彼もいつか・・・。

「ぼくは、ユーリの婚約者だ。誰が否定しようともぼくはユーリを支える。」

「一度はその者に剣を向け、存在を否定した貴方がその言葉を?」

にたりと笑う、その双眸を見つめて、気持ちだけはしっかりとぶつけた。

「いつか、お前にも分かる。その時にその言葉が、お前の罪の証になる。」

 

人は誰しも、自らの生きてきた中で体験してきたことを基盤にして、

物事を理解し、判断を下すもの。

それは、変わらない。

だとしたら、人間でも魔族でも、同じように色々なものを他者から感じて生き抜く人生を、

広く深く、物事に接してみようとする彼に、

『井の中の蛙』のようなぼくらがかなうはずが無いのだ。

 

 

でも、気づいた時にはもう遅い。

 

罪は確定している。

 

・・・そう、今のぼくがそうであるように。

 

 

『ユーリならなんと言うと思う?』

その言葉は、今でもユーリの命を狙った罪に苛まれるグレタに向かって掛ける言葉。

贖罪の為に、その身を尽くして尽くそうとする愛娘に、

ユーリが彼女に注ぐ愛に、一点の恨みも迷いもないことを伝える為の言葉。

だけど最近良く分かったことがある。

 

ぼくはこの言葉をグレタにだけ向けているのではないということを。

 

グレタに投げかけながらも、これは自分自身に向かって掛ける言葉でもあるということを。

犯した罪から逃れることなど出来ない。

けれど、彼を信じ、着いて行くと決めた日から、全てが償いの日々だ。

何も知ろうとせず、何も見ようとせず、己の私怨のみに駆られて起こした罪の。

「ぼくも一度は王に剣を向けた者だから。」

信じられぬと切り捨てられても、彼の側を離れることは考えられない。

たとえ愛をうけられなくても、この気持ちを、命を、何処までも捧げる。

 

それが、ぼくの償いであり、愛の証だから。

 

 

「ヴォルフ。」

いつのまに戻ったのか、両の手でしっかりとバスケットを抱えたグレタが足元から見上げていた。

「ん?どうした、グレタ?」

「どうして悲しそうな顔するの?」

眉根を寄せて、悲しそうな表情で聞いてくる。

その優しさに、ここのところ彼がいない淋しさを、どれだけ救ってもらっていることか。

彼女には本当の気持ちを隠すことはせずに、素直に言葉にした。

「・・・ユーリがここにいないから、かな。」

「グレタはここにいるよ!グレタはヴォルフのこと大好きだよ!」

「分かっている。有難う。僕もグレタが大好きだ。」

また腕の中に温もりが灯る。

この温もりすら、ユーリが残してくれていったもの。

同じ思いを抱えた、大切な存在。

 

ユーリはとっくに許している。

でも。

それでも。

彼女とぼくは、同じ罪に苛まれる、同胞だ。

 

『ここにユーリがいたらなんていうと思う?』

それは、とても優しい、慰め。

そして、決してたがえることの無い、戒め。  

 

 

 2004/12/6

ユーリのいない日のヴォルフとグレタです。

この二人については色々と思うところがあるので、色んなヴァージョンで書いていきたいなと思ってます。

まずはヴォルフがよくグレタを慰める時に言ってると言う「ユーリなら・・」にスポットを当ててみました。

親子と言うより同胞、な二人です。