白桃と黄桃の物語
これは、眞魔国の森に生まれた二つの桃のお話。
眞魔国の山奥の桃の木に、黄桃がひとつ生っていました。
明るい太陽のような色のこの黄桃の名前はユーリといいました。
「木に生ってるだけってのも疲れるなぁ。よし、おれも随分と熟れてきたし、旅にでも出ようっと♪」
ユーリは元より元気の良い桃だったので、吹いてきた優しい夏の風に合わせてゆっくりその身を揺らし、
長年育んでくれた木に別れを告げて、旅に出ることにしました。
ころころころころ・・・ユーリは山肌を転がります。
「あ、あれ?と、とまらない〜っっ!?」
桃は丸い果物です。
自然の摂理に従えば、坂道に丸いものを置けば自然と加速しながら転がっていくもの・・・。
もちろんユーリもその法則にしたがって段々と加速し、森を流れる川に転がり落ちてしまったのです。
「いきなり前途多難だぞ〜・・大丈夫かなぁ、おれ。」
先行き不安な旅のはじまりでした。
丁度そのころ。
ユーリが流されていた川の中流あたりの川べりにそびえる一本の桃の木から、小さな溜息が聞こえてきました。
「甘い蜜を湛えて待っているのに、ぼくを選んでくれる人はまだ来ないのか・・・。」
それはヴォルフラムという名の白桃の溜息でした。
彼の溜息の理由、それはヴォルフラムは夏の雲のように白く、
その身はよく熟して甘い香りを放っているのに、誰も彼に触れようとしないことでした。
こんなに美味しそうな桃なのになぜ?
彼を一目見れば誰もがそう思うことでしょう。
けれどそれでも彼は誰にも触れられずにそこにありました。
その主な理由は二つ。
親木の佇む場所のせいか、小鳥も人も動物も、あまりやってこない上、
気位の高い彼は相手を選び、気に食わない相手には容赦なくその産毛を立てて攻撃するので、
誰も彼を啄ばむことが出来なかったからなのです。
けれど日に日に熟して馨しくなるその身を持て余して、ヴォルフラムはとうとうこんな事を思いました。
「もはや待つだけ無駄なのか?だったら、次に現れた者に黙って身を委ねる事にしよう。」
それは気位の高い彼には屈辱的なことでしたが、食べられずに崩れ落ちるよりはマシと
ヴォルフラムは自分にそう言い聞かせて、小さな溜息を落としては誰かが現れるのを待っていたのでした。
そしてその時一人の黒髪の少年が現れました。
「いや〜、僕ってアウトドア派じゃないんだけどね。何となく今日は散歩ってことで・・・。」
彼の名前は村田健。
日々の引き篭もり読書生活の息抜きのため、丁度散歩がてら山登りをしていたところでした。
「ふぅ。さすがにちょっと疲れたな〜・・・あれ?あんなところに美味しそうな桃が。」
そうして村田はその時ヴォルフラムを見つけ、彼に手を伸ばしました。
本当ならこの村田という男をしっかり値踏みして身を委ねたいと思っていましたが、
次に出会ったものへ身を委ねると決めたヴォルフラムです。
『こいつか?そうか、これが運命だというのなら仕方が無い。』
だまってその産毛を下げ、村田の手の平に静かにその身を置きました。
村田はゆっくりとヴォルフラムの身を撫でていいます。
「うん、いい香り。しかもよく熟れて食べごろだね。喉も渇いたし、頂こうかな。」
その言葉に思わずヴォルフラムは身を強張らせます。
『なにをしているんだ、ぼくは。次に出会ったものに身を与えると決めたじゃないか!それなのに・・』
村田がヴォルフラムの柔肌に噛み付こうと口を開ける気配を感じ、
ヴォルフラムは何度もそう自分に言い聞かせようとしました。
けれど・・・。
『駄目だっ・・っ!やっぱり、ぼくが待っていたのは、こいつじゃない!!!』
ヴォルフラムが耐え切れず、逃げ出そうとするより一瞬早く村田はヴォルフラムに齧り付きました。
「いたいっ!!」
ヴォルフラムはそう叫ぶと、唯一の武器である産毛を逆立て、村田を攻撃するとその掌の中から逃げ出しました。
そうして慌てて転がりながら、近くの川へと逃げ落ちたのでした。
予期せずして同日、2つの桃は同じ川へと転げ落ち、下流に向かって旅をする事になったのです。
そしてそのころ下流では。
剣の稽古の為、グウェンダルとコンラートが川沿いの道を歩いていました。
少し上まで登っていくとそこには日当たりのよい広場のようなものがあり、
稽古をするには格好のポイントだったからです。
話す話題も無く無言で歩き続ける二人が、何とはなしに川面を見ながら歩いていると
上流から静かに流れてくる桃を見つけました。
それはまだ少し若い黄桃でした。
特に食い意地は張っていませんでしたが、なんだかその桃が気になったコンラートは、
川に近づき、黄桃を川から掬い上げました。
「ふぅ、助かった!おれ、ユーリ。あんたは?」
「俺はコンラート。こっちがグウェンダル。君は川でなにをしていたんだい?」
「おれ?おれはねぇ、旅の第一歩を踏み外しちゃったんだよね〜。」
陽気に『こんなはずじゃなかったんだけど』と話す桃を挟んで、二人と一個は広場を目指して歩いていました。
するとまた川を何かが流れてきます。
それは今度は小さな白桃で、美しい白い身には無残な歯型が一つつけられていました。
「一体どうしたのだ?こんな歯型をつけられて・・・。」
手のふさがっているコンラートではなくグウェンダルが白桃を掬い上げます。
あまりにもその身に不似合いな歯型が不憫で、掬い上げたグウェンダルは白桃に優しく声をかけます。
「可哀相に。こんなに綺麗な肌になんてことを。」
横から見ていたコンラートもそんな事を呟きました。
「ほんとうだ!おまえ、どうしたの?」
コンラートの手の中からユーリも叫びました。
ヴォルフラムは優しい三人の様子に、思わず今までの出来事を残さず話し尽くしました。
その話を聞くと白桃があまりにも不憫に思えて、初めて会った筈なのに、
ヴォルフラムに歯形をつけた村田に激しい殺意を抱いてしまったグウェンダルとコンラートは、
広場の切り株の上にヴォルフラムとユーリを置くと、
「すぐに終わるからね」と不敵に笑いながら森の奥へと登っていきました。
ユーリとヴォルフラムはふたつっきり、切り株の上へ。
だけれど出会ったばかりの二人には会話も無く、しばらくはただ静かに並んでいましたが、
ユーリはヴォルフラムが気になって、横目でちらちら様子をうかがってしまいます。
ヴォルフは本当に真っ白で、甘く瑞々しい香りがしていて、
ユーリにとってそれは生まれて初めて見たそれはそれは美しい桃。
けれどその美しい桃は傷ついた肌を気にしてか小さく縮こまり、そして何かに怯えるように震えているのです。
その姿のなんと扇情的で、庇護欲をかきたてることか。
「きれい・・・」
思わずユーリはそう呟くと、はたと我に帰り、転げ出た自分の発言に驚いてしまいました。
けれど目の前で震えるヴォルフをみていると、守ってやりたいという感情が胸に溢れ、
ヴォルフの震えが止まればいいと、そのままそっとヴォルフの身に自分の身を寄せました。
「・・・いったいなにを?」
戸惑ったのはヴォルフです。
突然まだ若い、けれど形の整った黄桃が身を寄せてきたことに驚き、ユーリを見つめます。
ユーリはそのヴォルフの視線に気付くと、深く静かに呟きます。
「・・・・おれが、一緒にいるから。」
その声音は、ヴォルフに今まで感じた事の無い甘やかな痛みを運んできました。
不思議と胸が温かくなって、その身の隅々にまで脈々とした息吹が渡るようでした。
ヴォルフラム本人は気付いていませんでしたが、それは傍目に見ても産毛がキラキラとキラメキを増したほどです。
「ユーリ、ありがとう・・・」
「どういたしまして。」
そして極自然とお礼の言葉が零れ、ユーリも嬉しそうにまた少し身を傾けてきました。
それはユーリが、そしてヴォルフが初めて感じる安堵の時間でした。
そうしてそのときヴォルフラムは気付きました。
『ぼくが欲しかったのはこんな想いだ。こんな風に穏やかに身を委ねられる相手だったんだ。』
そしてどちらとも無くこの時間を手放したくないと思っていました。
けれどヴォルフラムは寄り添うユーリの身の影に、自分につけられた歯形を改めて見てしまいます。
そう。
桃にとって傷は致命的なもの。
「でもぼくは・・・そう長くは、一緒にいられない。だって、もう・・・」
そうなってしまうと、一人で朽ちていく恐怖から安易に相手を選んでしまったことが、
そしてその証を身に刻まれている事が酷い罪としてヴォルフの心を苛みます。
欲しかったものを、会いたかったものを、今この身に近く感じているのに・・。
悲しみと罪悪感に暮れるヴォルフを見たユーリは、突然切り株から飛び降りました。
「ユ、ユーリっ?!」
飛び降りたユーリはでこぼこした地面の上を狂った様に転がり続け、
ヴォルフの数度の呼びかけののちようやく動きを止めました。
「ヴォルフ・・・」
「ユーリ・・・一体なにを?」
「ヴォルフ、おれをよく見て。」
「え?」
「ヴォルフ、おれの事よくみてよ!ほら!」
ヴォルフはユーリの意図を掴みかねましたが、言われたとおり彼のその身を注意深く観察しました。
先ほどまで、形良く、血色も瑞々しさも申し分の無かったユーリ。
それが今はどうでしょう。
道を転がり続けた為、ところどころに穴が空き、赤黒い打ち痕からは汁がしとどに溢れています。
「ユーリ、なぜ?いったいどうして・・こんな・・・」
「ヴォルフと同じ、だよ。」
「・・・?」
「桃に傷は致命的、だもんな。ヴォルフが怖がるのも無理ないと思う。
でもさ、おれさっき約束したじゃん。お前と一緒にいるってさ。」
ユーリは満身創痍のその姿とは正反対の、酷くすがすがしい気持ちでヴォルフを呼びました。
「大丈夫、怖くない。だっておれたち、二つで一つになるんだからな!!」
ユーリのその言葉に、ヴォルフラムの中の何かが吹っ切れて、
切り株下で待つユーリの元へ、躊躇うことなく飛び出していったのでした。
二人はその身に傷を増やしながら、広場の真ん中の小さな窪みに身を落ち着けました。
そこは日当たりが良く、土も柔らかで、二人の身の丈ほどの雑草すら柔らかな褥のよう。
「ユーリ、どうかお前にぼくの全てを。」
「あぁ。ヴォルフもおれの全てを。」
「・・・分かっている。」
そこで二人は愛しげに柔らかなその身を押し付け合い、ゆっくりと溶け出しました。
二人は混じりあいながら土に還り、そうして残ったのは、二つぶの種。
いつしかその種からは、白桃の桃の木と黄桃の桃の木が育ち、その二本の木はそれが当たり前であるかのように、
寄り添うように交じり合いながら大きく大きく育っていったのでした。
もしも貴方が眞魔国へお寄りの際には、どうぞあの森の奥まで少し足を伸ばしてみてください。
運動不足の体では少々難有りの道ではありますが・・・登った先の広場は格好の休憩場所です。
広場の真ん中で茂る不思議な桃の大木は涼しい木陰と、私の記憶に間違いがなければ、
黄桃の身姿に白桃の果実というとても珍しい『グレタ』という名の桃の実を貴方に分けてくれる事でしょう。
_________そう。
こんな語り手の物語は、いつだって、めでたしめでたしで閉じられていくのが、世の常なのです。
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