ユヴォ版オペラ座の怪人 〜眞王廟の怪人 ALL I ASK OF YOU〜
コンラート、グウェンダルと箱の鍵の持ち主が明かされていく中、
ヴォルフラムは自らのあるべき立場を考え続けていた。
「今までとは違うのだ・・・。」
ヴォルフラムはそう思う。
ユーリのために、そして眞魔国のために、自分に一体何が出来るのか。
考えれば考えるだけ、迷宮に迷い込むような気がして、ふと頭に浮かんだ人に語りかける。
「眞王陛下!我が愛しい国をお守りくださる眞王陛下よ!」
手を述べて、何か一つ、この迷いを断ち切れるものを授けてはくれないかと、神と崇める人の名を呼ぶ。
「私にできることはなんなのでしょうか?どうかこの国の為に、ユーリのために私のこの身にもなにかできることを!」
『お前の願いを聞き届け、お前の迷いを拭い去ろう・・・』
「え?!」
突然降って沸いた声に思わずあたりを見回す。
すると背後に金の髪に深いアイスブルーの瞳の、
幼い頃より何度も見てきたあの肖像画の眞王が薄笑みを浮かべて立っていた。
「し、眞王陛下!?」
『ヴォルフラムよ、恐れるな。』
ヴォルフラムは幼い頃より自分とよく似た容貌といい続けられた眞王を目の前に固まってしまっている。
『お前の望みを聞き届けよう。そしてお前にだけ出来る、使命を与えよう。』
「ぼくだけの、使命?」
差し出される眞王の白い指先が、ヴォルフラムの顎に止まる。
すい、と顎をとられ、アイスブルーの瞳に驚く自分の顔が映った。
『ようやくこの時がきた。お前のその声を、私は待ち望んでいた。我が音楽の天使よ。』
細められた眞王の瞳に、ヴォルフの身が震えた。
「わ、私に、使命をお与えくださるのですか?」
『そうだ、ヴォルフラム。これはお前にしか出来ぬ事。
さぁ、歌え!我が天使よ!おまえのその声は世界を変え、新しい風をこの地に吹き込む。』
眞王は滑る様にその身をヴォルフの背後に回し、ヴォルフの両腕を取ると、
ヴォルフラムはまるで磔に掛かった異国の神のようにも見えた。
眞王の長く美しい白磁の指が緩やかにヴォルフラムの頬を撫でる。
その指先から伝わる温かさにヴォルフラムの意識は、霧が掛かったように曖昧になる。
脳内に言葉を浮かべる前に、唇が自在に言葉を紡ぐのを止められない。
「ぼくはあなたのかぶる仮面。あなたの望みを叶える鍵。」
『私はお前の姿を借りよう。人々が聞くのは私の歌だ。』
「ぼくの魂は深くあなたと繋がっている。ぼくの声もあなたと一つに結ばれている。」
眞王の肩に重たく淀んだ頭を預け、そう呟いたヴォルフラムは視界の端に、
薄い眞王の唇の端がゆっくりと引き上げられるのを見た。
『さぁ、歌え!ヴォルフラムよ!私のために!!』
眞王の奏でるメロディーはヴォルフラムの脳裏で激しく鳴り響く。
瞳を閉じると、意識が、体が、導かれるままに喉を震わせ音を溢れさせる。
それは今までに感じたことの無い、激しい恍惚を伴って・・・。
「〜〜〜〜っっ・・・・・っ!」
「ヴォルフ!ヴォルフラムッ!!!」
息の続く限り喉を突く旋律を押し出し、目の前の閃光と恍惚に身を委ねていたヴォルフを引き戻したのは
肩を掴んで揺さぶるユーリだった。
「ユー・・リ・・?」
「ヴォルフ!大丈夫か?!」
「ぼく、は・・一体・・・」
あたりを振り向けばそこは消炎漂う大地。
なぎ払われた木々と、焦げ付く大地の匂いが鼻を衝く。
そして、自分の目の前には何故か禁忌の箱が、重い存在感でそこに鎮座していた。
その光景に、ヴォルフの背中に嫌な汗が伝う。
「まさ、か・・・これは・・・ぼくが?」
ユーリの漆黒の瞳が翳り、視線はそらされた。
「答えろユーリ!!これはぼくか?ぼくが箱を開けたのか?!」
ユーリは何も答えなかった。
けれどふいに外した視線とそれが何よりの肯定の証だった。
****************
城には何とか連れかえったが、事実を知ってヴォルフラムの元気は失われたままだ。
食事も席にはついても喉を通る事は無く、ぼんやりと背もたれに体を預けたまま。
青白い顔でふらふらと歩き回る様は、さながら幽鬼のようだった。
そしてその日も、そうだった。
「すまない・・先に部屋に戻らせてもらう・・・。」
「ヴォルフ、お前また殆ど食べてないじゃないか!このままじゃ本当に体を壊・・・」
「いまは少し、休みたいんだ。あとで必ず食事は摂る。」
苦しげに笑って立ち上がったヴォルフをユーリは止める事が出来なかった。
ドアが閉まるまでヴォルフを見送っていたが、小さく丸められた背中が悲しくて、
一時は黙って食事を口に運んだものの、気になって気になって、
結局ユーリも食事を止めて部屋を飛び出した。
背中からは気のいい名付け親の『後で2人分の夜食をお持ちしますね。』という、
過保護で、でも温かな言葉が投げかけられる。
その言葉に応えを返すこともせず、ヴォルフの行き先であろう魔王の自室の扉を開けたユーリが見た光景は、
どこかで予測の範囲であったが、決して許せる光景ではなかった。
それは虚ろな瞳で短剣を握り締め、今にも自分の喉につきたてようとするヴォルフの姿。
「ヴォルフっっ!!おまえっ・・・っっ!!!」
ヴォルフラムが自身の喉に突き立てようとしていた短剣を叩き落し、ユーリは血走った目でヴォルフを睨んだ。
「お前が死んだらあの場所が元に戻るのか!?違うだろっ?そんなことしてもなんにもならな・・・っ?!」
「わか・・てるっ!でも・・・それでも・・・っっ!!」
ヴォルフラムの瞳から大粒の涙が溢れ出す。
それはユーリが初めて見たヴォルフの涙だった。
「こわ・・いんだっ!また・・っ、知らずに歌いだしてしまうんじゃないかって!
そうしてまた、箱を開けてしまうんじゃないかって・・!」
「ヴォルフ・・・」
唇を噛み締めて、嗚咽を押さえようとするヴォルフの手をとる。
「この話はもう止めよう。眞王はこの国では神にも等しい存在なんだ。抗えるやつなんて、そういないよ。」
「だけど・・!それでは、いけ、な・・っいんだ!!ぼくの声が、歌が、民を国を傷つけるなんて!!」
眞王に操られ、愛するこの地を傷付けてしまった事は、ヴォルフの心にもまた大きな傷を作っていた。
「せめて・・この刃で、ぼくの声だけでも殺せたら・・・」
叩き落され床に転がる刃に、重なったユーリの手を振り切るようにして手を伸ばすヴォルフの体を
必死に止めながらユーリが叫ぶ。
「やめろっ!あんな悪夢は忘れるんだ!!今度は絶対おれがおまえを守る!絶対に傍を離れないから!」
ユーリの言葉にまたヴォルフの頬を大粒の涙が伝い落ちる。
零れ落ちるヴォルフの涙を指でなぞるように拭いながら、ユーリは搾り出すように思いを言葉にする。
「おれ、好き・・だよ、ヴォルフの事が。失いかけて初めて分かった。どんなに大切な存在なのかってことが。」
ユーリの言葉にヴォルフの瞳が一際大きく開かれた。
けれどそれは一瞬で次の瞬間にはヴォルフが歪んだ笑顔で笑う。
「ユーリ・・・。ありがとう。」
「ヴォルフ。」
ユーリは知っていた。
ヴォルフがそんな顔で笑う時、いつだって彼の心は閉ざされているということを。
今のヴォルフは、罪の意識で押しつぶされそうなのだろう。
そうしてそんな自分は愛される価値など持ち合わせてはいないなんて、そう思っているのかもしれない。
「もう一度、聞かせて欲しい。愛の言葉を。そうしてその言葉で慰めて欲しい。」
ユーリの推測を決定付けるように、力の無いかすれた声でヴォルフがそう呟いた。
慰められた、嬉しかったとばかりに嘯くヴォルフを見ているのが悲しい。
今までユーリが伝える事が出来なかった思いは、今のヴォルフに何の力も与えない事が、
今までヴォルフの気持ちを蔑ろにしてきてしまったユーリの罪のように思えて、
ユーリは激しく自己嫌悪に陥りそうになる。
先ほどの自分の言葉はヴォルフの心には届いていない。
こんな顔をさせたくないのに・・・。
そんな思いがユーリの気持ちを激しく動かした。
「そんなの・・・うそだ。」
「ユーリ?」
「どんな時でもおれの傍にいて、悲しみも喜びもともに歩んできたお前だからそんな嘘すぐに分かるよ。」
ユーリはごくりと唾を飲んで、続ける。
伝わって欲しい。
本当にヴォルフを愛しく大切に思っているのだということを。
「お前が欲しいのは、今更のような愛の言葉じゃないんだろう?もっとずっと欲しいものがあるはずだ。」
「そんなこと・・・」
「あるだろ?言ってくれよ。少しでも早くお前の涙が乾くように、おれに出来る事を教えてくれよ。」
ヴォルフを正面から抱き込むようにして抱きしめると、ちょうどユーリはヴォルフの肩に、
そしてヴォルフはユーリの肩に顎を乗せる格好になる。
お互いの耳元に当るのは、温かな吐息。
ユーリはヴォルフの言葉を急がせようとはしない。
ただヴォルフの震える背中をゆるりと撫でるだけ。
けれどその優しいリズムは自然とヴォルフの口から言葉を溢れさせた。
「瞳を閉じるとあの、ぼくが傷つけた大地が脳裏に浮かぶんだ。だから・・・今のぼくに愛の言葉なんて要らない。
でも、出来るならば今はお前の生国の話を。誰もが命を脅かされる事の無い世界の話を。
そうしてそんな幸せがこの国にも訪れるのだと、お前がそれを連れてくるのだと言って、慰めて欲しい。」
「お前が望むなら、何度夜が来ても朝が来ても、いつまでだって話して聞かせるよ。だけど・・・」
耳元でささやかに呟かれたヴォルフの望みにそう答えながらユーリはほんの少し苦笑して続けた。
「おれがお前にあげられるものは幸せな国じゃないよ。
だってそれはおれとお前と、そしてみんなと作っていくものだから。」
不規則に嗚咽で引きつり続けるヴォルフの背中に降りてくる、ユーリに優しい掌と言葉に、
ヴォルフは身を預けながら声にもならず泣き続ける。
「ぼくが欲しいのは・・・いつだって真実だけだ!慰めも同情も何も要らない!」
「うん、わかってる。でもおれは真実しか話してないつもりだよ。」
「ぼくにこの地を幸せに出来るなんて思えない!お前の横に立って支えていくなんて、おこがましくて・・・」
常のヴォルフを感じさせないほどの弱気な発言に、彼がどれだけこの地を愛し、
そして今度の事でどれだけ傷ついたのかよくわかった。
「これはおれの真実の思いだよ。ヴォルフと一緒になら幸せな世界を作っていけるって思ってるし、
お前のことを大切でとても愛しく思ってる。」
「ぼくにそんな価値は無い!ぼくには・・・そんな価値は・・・」
「お前は分かって無いんだよ。おれにとってヴォルフがどんなに心の支えになっているのか。」
背中を撫で擦っていたユーリの手がヴォルフの後頭部を捉え、ほんの少し強く抱きしめられる。
「ずっと傍にいて欲しいんだ。地球の婚姻の誓いのように、死が二人を別つまでずっとずっと一緒にいて。
楽しい夏の思い出を一緒に語り合うんだ。広い魔王ベットに寝転がりながら。」
ユーリの言葉にヴォルフラムが小さく息を詰める。
「ヴォルフだけに誓いをあげる。お前がおれの傍にいて、離れずに、笑って、叱って、泣いてくれたように、
おれもおまえから離れずに、笑って、叱って、泣いていくから。恐怖に震えるそんな瞳を見ていたくない。
だから・・・」
身を離すと、ヴォルフのエメラルドの瞳を、ユーリの漆黒の瞳が捉えた。
「これだけは覚えておいて。ヴォルフはおれの大切な人。一日一日夜も朝も、共に迎えよう。」
「もう一つわがままを言ってもいいか?」
「あぁ。」
「ぼくがぼくでいられる限り、ユーリの傍らにいてもいいのだと、ぼくにそう許しをくれないか?」
_________一つの愛、一つの人生を共に分ち合うと誓って欲しい。
そうすればどこに行こうとぼくはお前にきっとついていこう。
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