残り香
飲みかけの紅茶がチェストに一つ。
魔王部屋は主が居なくなると同時に手が入り、
ランニングや執務を終えて帰ってくれば、
なにもかもが美しく整えられているというのに。
どうしてだか片付けられていないそれに小さな違和感を覚えながら近づくと、
そこからはほのかに嗅ぎ覚えのある香りがした。
「これ、ヴォルフの好きなやつだ。」
茶器もそう。
シンプルで柔らかな曲線のティーカップは、
ささやかだが確かに高品質な柄と、ふちを彩る金の色が美しい見慣れたカップだ。
「もう・・・ずいぶん冷めてるな。」
思わず指を伸ばして触れたカップは、思いのほか熱を失っていた。
「・・・あいつ、起き出してどこに行ったんだろ?」
この部屋はいつだってきれいに片付けられてしまって、
一緒に暮らしてるヴォルフの残り香さえもぬぐっていってしまうけど。
そのことを別段寂しいと感じないのは、感じる間さえないほどにヴォルフが近くにいるからで。
「いつもはおれが起こすまで起きてこないくせに、めったにしないようなことをするから
きっと違和感を覚えるんだな。うん、そうだ。そうに違いない!」
口ではそんなことを言いながら、それでも掌からは冷たいカップが離れない。
親指はカップのふちをなぞる。
「まったく・・・いったいどこにいったんだ?」
その滑らかな指ざわりに、ふと、誘惑に駆られて。
そっと口をつけて、一口だけ。
「あ・・・」
『・・・ヴォルフとキスしたときと、同じ香りがする。』
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