舞輪曲〜ロンド〜
城下の明かりが美しい。
いつもなら一つ二つとその火を消して、一日の終わりを楽しんだ人たちの、
安らかで穏やかな眠りを告げる時刻になっても、今日はその明かりが消される事は無い。
今日は血盟城で、特別なパーティが行われているからだ。
眞王陛下の気高く自愛に満ちた想いを実現する為、その身を渾身の力を振り絞り、
結果彼の地へ帰還せざるをえなかった魔王陛下と大賢者さまの、
眞魔国への無事の帰還を祝うパーティだからだ。
彼らはこの国を救った。
いや、この世界を救った。
そして、根本からすべてを・・・眞王陛下ですら望んでも手にする事の出来なかった、
真の「平和」の足がかりさえも作ったのだ。
彼らがこの地に戻る事を望まぬものなど、誰もいない。
そんな中永遠に失われたと思っていた彼らが戻ったとあらば、これが祝いの宴に発展しないわけがなく。
「付け焼刃でもいい、民の前で踊るんだ。」
おれの式服をメイドから受け取りながらヴォルフラムはきっぱりとそう言い放った。
「・・・ムリ。絶対ムリ。」
帰って来た早々に大きな宴でのダンスを強要されてさすがにおれはそう即答した。
「無理でもいい、民に見せてやれ、お前の健全な姿を。
お前を失い、皆がどんなに沈んだ想いを抱いたか、
この祝いの席の華やぎ方を見れば、いくら鈍感なお前にだって分かるだろう?」
窓に近づき、城下の様子を示すヴォルフの指先。
その白い指の先に光る城下の明かりの一つ一つが、
おれと村田の帰国を喜んでくれているのだと分かったって、出来る事と出来ない事がある。
「だっておれ、本当に踊れないんだって。コンラッド相手にちょこっと踊った事しかないし。」
「・・・コンラートに手ほどきを受けたのなら、それなりに形にはなっているはずだぞ?
あいつは舞踏大会でも何度も優勝した腕の持ち主だからな!」
「先生が良くても生徒の腕前に限界があるんだって事に気付いてくれよ・・・。」
おれがどんなにぼやいてもヴォルフが引く気は無いらしい。
しばらく考えた素振りを見せてヴォルフらしからぬこんな提案までしてきた。
「では、踊りの相手をコンラートにすれば良い。
そうすればおまえがどんなにへなちょこでも奴がうまく支えてくれるだろう。」
口ではそんな事を言っているが、目が笑っていない。
というか、そんな顔で意に添わぬ提案をしてまでお前はおれを躍らせたいのか?
なんというか元来の気弱な部分のおれが彼の思いに白旗を揚げた。
でも、一つだけ条件をつけて。
「じゃぁ、お前が一緒に踊ってくれよ。」
「ぼくが?おまえと?」
「あぁ。お前が一緒に踊るんだったら踊っても良い。」
おれが選んだ相手はコンラートではなくヴォルフラム。
それは身体的な問題とか、そんなのを含めてのおれの譲歩だったのだけど、
その一言はヴォルフラムの険しい表象を天使の笑顔に戻すには充分の威力だった。
「そ、そ、そ、そうかっ!おまえはやっぱりぼくがいなくてはだめなのだなっ!」
あまりに嬉しそうなその様子に、ツッコむ気力も失せて。
「お前は魔王だからな!お前がリードを取る方がいいだろう。
そうだ!ぼくが女側を踊ろう。そうしようっ!そうと決まればユーリ、一刻も早く着替えろっ!」
そう言って笑うヴォルフの頬は僅かに朱に染まっていて、
抱えた式服をおれに押し付け、着替えを急がせてから、
控えの部屋で二人、ステップだけを繰り返し練習した。
華やかに飾られたパーティ会場。
創主の兵に襲われた国々はその傷を癒す事に心血を注いでいたが、
『創主を倒した魔王』の話が伝説のように流れた今、賓客たちも我先にと詰めかけ、
今まで体験したことのない規模の大舞台が出来上がっていた。
そしてその大きな輪の中に、ヴォルフラムと二人、歩き出す。
歓声と拍手に押し出されて、ゆっくりとヴォルフをエスコートして中央まで進んだ。
おれ達の足が止まるのに合わせて拍手の波がぴたりと静まり、
それを合図にヴォルフはおれの肩に手を置き、自らの腰におれの手を回させる。
待ちかねたように振られる楽隊の白いタクト。
溢れ出す柔らかな音色にあわせておれたちも踊りだす。
1、23、1、23、1、23・・・
心の中でカウントを取り、自分の足元から目が離せないおれ。
気を抜けばヴォルフの足を踏んでしまいかねないから、足元にばかり視線が落ちて、
結果離れてしまう腰を自ら押し付けながら唇だけで『へなちょこ』というヴォルフ。
気持ちは分からないでもないが『へなちょこ言うな!』そう切り返そうとしたとき・・
「やべ・・っ・・」
一度狂ったリズムに乗り切れないおれの足は無残に絡まる。
倒れる・・いや、曲の真っ最中に止まってしまう・・そう思った瞬間だった。
ふいに俺の腰にまわされた温かな掌。
『え?』
おれの手に軽く乗せられていた彼の手が素早く反され、反対におれの手をとると、
ぐいと力強く、けれど滑らかに足を運び、ステップを踏む。
「ヴォルフ」
「へなちょこ。このくらいでリズムを崩すとは。」
自分がリードを取っていた時とは違い、足並みに気をとられなくても自然と体が動く。
まぁ、それはヴォルフがおれをうまくリードしてくれているから、なんだろうけど。
「ごめん。」
咄嗟に謝ったおれをきょとんとした表情でヴォルフが見る。
「・・いや。気にするな。」
流れる曲は止まらないのに、おれたちの会話はふと止まる。
視線を回せば、自分がリードをとっている間は気づかなかった観客の顔まで見える。
笑ってる。
皆、笑ってる。
それは一つの脅威に打ち勝って、安堵に満たされた顔だ。
『よかった・・・』
おれがやったことは間違いでなかったと、その表情の一つ一つが教えてくれる。
そのことにおれがささやかな喜びを感じたとき、耳元にヴォルフが囁いた。
「ぼくはこのためにいるんだから。」
「え?なに?ヴォルフ?」
観客の様子に気を取られ、咄嗟にヴォルフの言葉の意味を飲み込めなかった。
「忘れるなユーリ、ぼくはこのためにいるんだ。
おまえの足並みが乱れた時、お前が道行に惑った時、
一番傍で見守る為に、そして一番傍で守る事が出来るように。
だから・・・」
足は止めずに、ヴォルフはおれをさらに深く抱き寄せ、耳元で囁く。
「どうか、へなちょこでいてくれ。
そうしていつまでも、ぼくにおまえの傍にいる意味をくれないか?」
目の前には、真顔のヴォルフ。
あまり見ないその顔にそしてその言葉に、おれは一瞬呆けるが、
「馬鹿だな、ヴォルフ。魔王がいつまでもへなちょこじゃ困るだろ?」
その言葉に一瞬、きょとんとした幼い表情を曝したヴォルフだったが、
頬を僅かに染めて、ほんの少し口を尖らせて呟いた。
「ふ、ふんっ!すでに十分苦労させられているのだから、いまさらどうということはないだろう!?」
照れ隠しのその一言に、その表情に、おれも自然と笑ってしまう。
1、23、1、23、1、23・・・・
ヴォルフが小さくカウントするのを、耳に心に刻むと、また足並みが揃う。
今のリードは、ヴォルフラム。
でも・・・本当の意味でリードを取らなきゃいけないのは、魔王のおれ。
おれがサインを出さなけりゃ、ゲームは始まらない。
だけど。
チームあってこそのゲームだって事に、改めて気付いた。
揃いだした足並みに、ヴォルフが笑う。
それは挑戦的で、でも優しい瞳だ。
「準備は良いか?へなちょこ。」
「へなちょこいうな!・・・でも、あぁ、大丈夫。」
にこりと笑顔を向ければ、ヴォルフもまた笑う。
1、23、1、23・・・とリズムを刻みながらおれの手はもう一度ヴォルフの腰を抱き、
彼の手はおれの肩に乗せられる。
引き寄せる腰。
滑り出す曲。
ゆるやかに廻る景色と、目の前のヴォルフ。
もう足元ばかりを見て、周りが見えないなんてことはない。
今腕の中にいるヴォルフはおれを信じて体を回す。
足が絡まっても、テンポがずれてもかまうものか。
おれは、おれの思う道を進む。
怖がる必要なんてない。
迷ったら、間違ったら、叱咤し、道行を示してくれる、
大切な仲間がたくさんいるのだから。
おれは進むべき未来を見つめて足を踏み出す。
なぁ、ヴォルフ。
おれたちまた、こうやって毎日を過ごせるんだな。
繋ぎあった手の温もりと鼓動のように刻まれるステップ。
絶え間なく流れる舞踏曲のように。
この曲が流れ続ける限り、この命の続く限り。
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