あの時確かに、こちらからは呼んでいなかった。
だから来るはずのない彼が、この世界にやってきたと一報を受けた時、
ヴォルフラムはグウェンダルの執務室にいた。
そして最も早く情報を受けた王佐と次兄が、
愛する愛娘を連れて彼を送り帰しに行ったと聞いたとき、
彼を迎えに行けないことと彼に会えぬままに別れなければならないことに、
仕方ないとは分かっていながらも、やっぱり少し気分を害した。
だが次の知らせが届いた時、思っていたよりも状況はもっと深刻になり、
淋しいのを通り越して、背筋が凍る思いがした。
ユーリ、グレタ、コンラート、ギュンター・・・
自分にとって、なくてはならない人たち。
確かにかけがえのない人たちの生死すらも分からぬ状況。
『うそだ』
嘘に決まっている、そう思いたい。
『思いたいのではなく、本当に皆は無事なんだ。』
自分の中の二つの声に頭は支配されて、体だけが勝手に行動をしている気がする。
震える手で葦毛の背中の手綱を繰った。
ようやく着いた現場にあったのは、紅く燻りながら焼け落ちた建物と、
命の消えた静けさ。
『うそだ・・こんな・・』
絶望的にも思える、光景。
そんな中でふいに、ヴォルフラムを呼ぶ声がした。
「ヴ、ヴォルフ!!!」
「グレタ?グレタッ!!!!!」
飛びついてきた赤茶の髪の少女を抱きとめる。
「ヴォルフ!ユーリがっ・・コンラートがっ!!」
動転しているのだろう、涙と混乱で言葉が上手く回らない様子だ。
無理も無い。
彼女は見てしまったのだろうから。
この場所が、大切な人が、惨劇に巻き込まれる一部始終を。
腕の中で、ほぅっと一つグレタが安堵の溜息を落とした。
抱きしめる腕の中で伝わる温もりに、ぼく自身ほんの少し安堵した。
あぁ・・・グレタ、生きていてくれてよかった。
でも、もし、話せるのなら聞かせて欲しい。
一体この場で何が起きたんだ?
ユーリは?コンラートは?ギュンターは?
けれど、泣き濡れた大きな瞳をみたら何も言えなくなってしまう。
「グレタ、良く顔を見せてくれ。・・・怪我はないか?痛むところは?」
「ないよ、大丈夫。グレタは隠れてたから。・・・でも、ユーリは・・・」
グレタの体が小さく震える。
グレタの細い肩を抱き、『恐れなくていい』と心の中で呟いた。
どんなに怖かっただろう。
どんなに心細かっただろう。
「グレタ、何があったのか聞かせてくれ。」
ふいに横から掛けられた言葉にはっとして見上げるとそこには、
敬愛する兄、グウェンダルの姿があった。
「・・・子供には無理です。」
気丈なこの娘に、もう一度間近で見た惨劇を克明に話せなど、どうしても・・・。
「では、誰に聞けばいいんだ?」
「ですが・・・。」
分かっている。
ユーリのことを、コンラートのことを思うなら、グレタの話を聞くべきだと。
でも、それでも。
「・・・グレタ、話せるよ。」
そして知った、事件の一部始終。
『火を噴く筒?爆発??』
見てもいないのに、目の前に状況が再現されるような気がした。
炎に包まれるユーリとコンラート。
愛娘を机の陰に隠して、二人は敵と対峙する。
炎が、無数の敵が襲ってくる。
コンラートはユーリを守る為に雄雄しく立ち回ったに違いない。
でも、敵の数が多すぎて・・・。
「閣下!フォンクライスト卿が発見されました!!!」
捜索をしていた兵士の声が響く。
ギュンターが仮死状態ではあるが生きていることを知り、
ほんの一時思考が途切れるが、すぐまたグレタの話が頭の中を駆け巡る。
それから、二人はどうなった?
まさかあの灰の山の一握りとなってしまったのか?
爆発で消し飛んでしまったのか?
________それともちゃんとどこかで生きているのだろうか?
グレタには、これ以上の心労は酷だ。
せめて父親であるぼくが支えてやらなくては、と思う。
だけれど、頭の芯が酷く痺れて、上手く思考が回らない。
せめてここから遺体や遺骸、死の証拠を引き上げる様は見せたくない。
近くにいた女性兵にグレタを任せ、グウェンダル兄上の元へと急いだ。
伝令が運んでくる色々な情報を、なんとか耳に入れる。
あたりには燻っている柱や灰が奇妙に、煙を上げていた。
香りも、音も、良く分からない。
五感の全てが、酷く遠くにある気がする。
ちょうど深い海の水の中で響く音のように、奇妙な響きを含んで耳の中で鳴っている。
伝令の声も聞こえているのに、なかなか実感が湧かない。
「・・装飾や背格好から見て、陛下の、ご遺体は無い模様です・・・。」
「それでは、生存の可能性もあるということか?」
ユーリの生存の可能性が高まったと喜ぶべきことだろうが、
何もかもが夢のようで、それ以上の言葉にならない。
目の前に広がるこの現状すら、平和ボケしないための戒めに見せられている夢としか思えない。
その様子に言いよどむ兵士が、何か焦げた棒のようなものを差し出した。
「この装飾に見覚えはありますか?」
「ウェラー卿のものだ。」
焼けた奇妙な棒の様な物を、兄上は手にとって検分してから呟いた。
横からそっと覗き込んで、煤けた貝細工が確かに次兄の袖飾りであったことを
ぼくも思い出した。
「ということは、これはコンラートの腕ですか」
袖飾りがあるということは腕に違いは無いだろうと、思ったままを口にする。
その時酷く視線を感じて振り向けば、奇妙な顔でぼくを見る兄上の視線とぶつかった。
「兄上?」
「私に似るな。」
「なんですか、いきなり。」
・・・意味がわからなかった。
それ以上は何も言わず、兄上は小さく頭を振ってから全兵士に告げた。
「何もかも城へ運べ!一塵たりとも残すな!!」
兄上の言葉の意味を聞こうと口を開きかけた時、
兄上はコンラートの腕から貝細工を毟り取り、黙ってぼくの手の中に落とした。
ぽとん、と。
「それ」が掌に落ちた時。
何かが、ぼくの中で、がらがらと、崩れる、音がした。
「あ・・・あぁ、っぁあ・・・・」
手の中の、貝細工が、ずしりと、重く。
「あっぁあ・・ユー・・・リ・・・」
喉がひりつき、目の奥が、頭が、痛みを訴えて、いる。
「コ、ンラート・・」
目の前の、焼け爛れた教会が_________歪む。
「ぅうぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっーーーーーーっ!!!」
感情が噴出す。
こんなの、信じたくないのに。
「ユーリ!!ユーリっ・・っ!コンラートっ!!!一体、誰が!!どうして!?」
現実を見れば、こんなにも苦しい。
ここに二人がいない。
何処を見渡しても、どんなに叫んでも。
「うぁぁぁぁぁぁぁ・・・っ!!ユーリぃ!!ユーリーーーーーーっ!!」
ぼくの婚約者。
そして、愛する王よ!
どうしてぼくを置いていく?
「コンラート!!どうして?どうして!?」
お前はユーリを守るのではなかったのか?
この国で最も腕の立つ、ぼくの、自慢の、兄。
どうして?
ここには、二人がいないの?
ぼくを
のこして
きえてゆかないで
止まっていた感情が、濁流のように溢れ出すのを、
止めることも出来ずにただ叫び、暴れた。
受け入れることなど出来ない。
今はまだ。
『どうか、無事でいて』
その祈りさえも。
もぅ、夢のようで・・・。
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