「ふふふっ・・・ははっ、あははははっ・・・・・・っ!!」
心底可笑しそうに笑う、ヴォルフラム。
けれどその瞳は笑っていない。
大好きだったエメラルドの瞳は、刺すように冷たい冬の湖のような、
澄んだ蒼色に変わり、冷徹におれを見下ろしている。
____その手に握られた、見慣れた鈍色の剣を、おれに突きつけながら。
「ようやく、手に入れた。この器を。」
「な、に、言ってんだ?ヴォルフ・・?」
意味がわからなかった。
おれたちは見つけ出した四つの箱を巡る戦いに巻き込まれ、今まさに放たれた創主を倒したのだ。
箱は消失し、戦いは、全て終わった、はずなのに。
なのに、なんで?
「フォンビーレフェルト卿?・・まさか・・!?」
「ふふっ、さすがは大賢者。私の事が、わかるか。」
「一体・・・なにいって・・?ヴォルフ?村田?」
「渋谷、よく聞いて。これは、フォンビーレフェルト卿じゃない。・・・眞王だ。」
意味がわからず、呆然と立ち尽くすおれにヴォルフラムは、
いや、村田言うところの眞王が口の端に笑みさえ浮かべながら語りだす。
はるか昔、眞王と大賢者が創主と戦った時。
創主のあまりの力の大きさに討ち逃し、結果封じるに至った事。
しかも悪い事に大部分は封じたとはいえ、創主の欠片が飛散してしまったこと。
この世界の為、そして創主とその欠片を正しく闇に葬る為、眞王は眞王廟に魂を残し、
そして大賢者は輪廻を繰り返し、時が満ちるのを待っていたと言う事。
そして__________その探していた欠片がおれの中の「魔王」だという事。
「お前がただの魂ならば、輪廻を途中で止めることも容易かったが、些か事情が渾然としていたものでな。
だがお前を討つ日の為に用意したわが器もようやく使えるほどに成長し、此度この日がやってきたと言うわけだ。」
「本当なのか・・?村田。」
おれの問いかけに村田は俯いて応える。
「大部分はそう、彼の言うとおりだ。破片の所在が君の魂であった事も、間違っていない。だけど・・・」
村田は眞王を睨みつけて、こう言った。
「僕はいままで渋谷と行動して、知っている。彼はこの世界を変える新しい魔王に相応しい存在。
そして彼の中に住まう創主の欠片はもう危険ではないと。魔力をコントロールできるようになった渋谷なら、
創主を暴走させる事なく生きていけるだろうってね。」
「ほう、私に刃向かうか?大賢者。ならば、お前も欠片とも息の根を止めてやろう。」
剣の腹を小さくぺろりと舐めて、眞王が鼻で笑う。
目の前で繰り広げられる情景に、回転数の些か遅い頭で考える。
疑問に思うところが多すぎて、どこをどう対処していいものかわからないが、
一つだけどうしても、引っかかっている言葉があった。
『器』
なにが?
誰の?
どうして?
誰が決めたんだ?そんなこと。
「ちょっと待てよ・・。」
「渋谷?」
「じゃぁ、なにか?おれはここに王様になるために呼ばれて、んでもって、
魂に紛れ込んだ創主を倒す為に殺されるってこと?
おれは王様にしてくれって言った覚えもなければ、殺されるような悪い事してるわけでもないのにか!?
しかも、『器』ってなに?さっきから物扱うような口ぶりだけどさ、
ヴォルフが・・いや、今目の前に居るあんたがさ、眞王だって言うんなら、器ってヴォルフラムの事か?」
「今までの話をようやく理解したか・・・まったく、理解の遅い男だな。」
おれの怒りなど全く意に介そうともしない眞王の姿に、おれの怒りは頂点へと達する。
「なんだよ、それ!ヴォルフはヴォルフだ!あんたの器なんかじゃないっ!!
見て聞いて喋って思って・・ちゃんと生きてるんだよっ!大体、なんだよっ!?好き勝手振り回して・・・っ!!
前世がなんだろうと魂がどうだろうと知ったこっちゃねーよっ!おれたちはおれたちだ!!それに・・」
目の前の視界が狭い。
閃光が走るようなちらつきと、頭痛を感じながらも、言葉だけは休むことなく飛び出してゆく。
「ヴォルフはおれの婚約者だ!絶対に側を離れないって言ってくれた、おれの大事な人だ!!
返せよっ!ヴォルフラムを返せっ!!」
「はっ!笑わせてくれる。」
渾身の気力で睨み上げたおれに、眞王の言葉は短く冷たかった。
「おまえにとってこれが、大事な思い人だと?これは私の欠片だぞ。
そのような一時凌ぎの戯言を本気にするとでも思ったか?」
冷たい蒼の瞳に、目を見開くおれの顔が映る。
「お前がこれにたった一度でも愛の言葉を囁いたことがあるか?私は知っている。
これが、お前に否定され続けた日々を。どんなに深い思いを届けても、受け取る事も、
だからといって付き返す事もしないお前を見守り続けた日々を。」
おれの脳裏には眞魔国での生活が、ちらついていた。
『ユーリ、早くぼくと決着を付けろ!!』
婚姻届を片手に詰め寄る彼に「おれたち男同士だろ?」の言葉をぶつけ続けた日々。
「自尊心の高いこれが、影で受ける心無い言葉達に傷つき泣いた夜を。それでも自分の価値を知り、
お前の側に立ち続け、いつかはお前に届くと注ぎ続けた思いを。」
否定の言葉を投げかけながら、でも側でヴォルフがくれる暖かさや愛を、常に求めていたおれ。
「どんなに思っても叶わぬ恋だ。それに・・なにもこれだけが消えてゆくのではないぞ?」
実りの無い恋。
そう呼ばれても仕方のないような状況で、それでもそんな我儘なおれの思いに、応え続けた彼。
「これの思い続けたおまえも、お前の中に居わす『創主の欠片』と共に、私が消してやるのだから・・。」
「ヴォルフ・・」
偽りの言葉と眞王が一蹴したことに、おれは何一つ否定が出来なかった。
彼を失いたくない気持ちは紛れも無い真実なのに、否を唱える事が出来なかった。
失う恐怖で引き裂かれそうなくらい辛い気持ちは、本物なのに。
「さぁ、時は満ちた!これが本当の最後の戦いだ!」
蒼い瞳に写る、呆けた表情のおれ。
「渋谷!剣を取れっ!!今の魔王は君だ!眞王じゃないっ!」
村田の声に弾かれたように、側に転がるモルギフの柄を取った。
本能的にヴォルフの・・いや、眞王の剣を弾く。
「ほぅ・・、抵抗するか。」
「渋谷怯むな!眞王を止めろ!!」
「止める・・?」
「そうだ!眞王自体は輪廻を介さずに存在しているんだ!つまり身体を失えば、眞王の野望も食い止められる!」
けれど。
眞王を止めることは、ヴォルフラムという存在もこの世から消してしまうという事。
「出来ない!出来るわけがないっ!だってっ・・だって、これはヴォルフだぞ?!」
「やるんだ、やらなきゃ君が殺されるっ!世界を守るんだって、君が守ると決めたんだろう?!」
村田の声が、耳の中に酷くむなしく響いた。
「世界・・?おれが?ヴォルフ一人、救えない、のに?」
弾き返し、間合いを取る事しかしない剣の勝負。
実力の差を考える間もなく、すぐに終わりが訪れる。
「さぁ、終わりだ。」
剣を構え対峙するおれに、ゆっくりと剣を差し向け、
不敵に笑いながらヴォルフがおれに向かって走ってくる。
狙いは、おれの左の胸の命の証を止める事。
歓喜の叫びにも似た、ヴォルフの声があたりに響いた。
『おれに、ヴォルフを殺せるわけ、ない・・・』
確かに今まで、君の想いに甘えて、何一つ返してやる事をしなかったかもしれない。
確かに何一つ、君を幸せにしてやれなかったかもしれないけれど。
「でも・・・本当に好きなんだ、ヴォルフ。」
「渋谷っっ・・・・・!!!」
モルギフを投げ捨て、飛び込んでくるヴォルフに両腕を広げる。
なぁ、村田。倒れる時に好きな人を抱きしめてって、結構悪くないよな?
ヴォルフが両腕の中に飛び込む衝撃。
そしてその瞬間ドスッと鈍く、重い音。
それは、鋼の塊が、肉に深く、突き刺さった音。
「ぐっ・・ふっ、ぅう・・・」
「え・・」
ずるりと、大地に吸い寄せられるように傾いだ身体。
跪いた格好で、ようやく止まる。
でも、それは、おれじゃない。
「ヴォル、フラム・・?」
確かに彼はおれを狙っていたはずなのに。
おれに向けられた鈍色の剣は、いまや眞王の操るヴォルフの腹部に深々と、
いや、その痩躯を食い破って、鮮血に濡れた剣先を覗かせていた。
「馬鹿な・・ここにきて、これ、が、・・逆らうとは・・」
忌々しげな表情で眞王が、カタカタと奇妙に震える自分の右手を見ている。
「まさか・・フォンビーレフェルト卿が?」
村田の声にようやく、我に帰る。
ヴォルフが、眞王に封じられたヴォルフが、おれを助ける為に、逆らった。
神と崇めた者に逆らい、そしてその器になるべくして生まれた運命さえも覆して。
「ぐっっ・・か、はっ・・っ!」
「ヴォルフ!!」
湧き上がる鮮血を吐き出すヴォルフを、咄嗟に抱きとめる。
「口惜しいな・・そこに、敵が在るというのに・・・」
抱きとめられた腕の中で眞王は、その瞳にありありと殺意の火を洩らし、左手でおれの喉元を掴む。
だが同時に震える右手が、おれの喉を締め上げる左手を覆い、その手にきつく爪を立てる。
「ヴォ、ルフ・・」
「だが・・お前にとどめを刺すには確かにこの器は、使い物には、ならん、な。」
咳き込む俺と自らの右手が左手を押さえ込むさまをやれやれという表情で見つめ、
眞王はそう呟くと不敵に笑った。
「・・・いいだろう、今はこれをお前へと返そう。」
そうして身を起こしておれの耳元で小さくこう囁いた。
『ただし、この身が耐え切れればよいがな・・』
抱きとめた体が急に力を失い、おれの両腕に更に重みが増した。
「ヴォルフ!!ヴォルフラムっ!!しっかりしろっ!!」
数度の瞬きのあと、深い翠の色に染まった懐かしい瞳が覗く。
「ゆー、り・・大事は、な、いか?」
「バカっ!大事があるのは、お前のほうだろっ!!」
おれの声に、少し微笑みさえ浮かべてヴォルフラムが呟く。
「お前の身に何かが、ある、方が、ぼくの胸が、痛むんだ・・」
生身に怪我をするより、ずっと・・・と苦しげな吐息に紛れて吐き出される。
白磁の顎と喉を紅く染める、鮮血。
おれを見つめるヴォルフの丸い、優しい瞳。
滲む視界の前ですら、とても綺麗で愛しい。
「待ってろ、今、治してやるからな!!」
村田の手を借りながら、ヴォルフの身体に埋まった剣を引き抜く。
失血で命を縮めるかもしれないが、剣が治療の妨げになる限り、避けては通れぬ道。
「ごめん、ヴォルフ。もう少し、頑張ってくれよ。」
片腕に抱いたヴォルフの体を支えながら、ぐっと深く抱きしめる。
激しい出血に、はっ・・はっ・・と小刻みに震える吐息が、耳に痛い。
無我夢中で、止血と治療に力を注ぐおれ達に、ヴォルフが何かを伝えようと、小さく身じろぎをした。
「そういえば・・前に・・」
苦しい息の下から、ヴォルフが唐突に呟く。
「『口づけ一つ貰えぬ、偽りの婚約者』と、謗られて泣いた、ことがある。」
苦しさの狭間で、微笑む、顔。
おれを見ているようで、みていない、どこか遠い視線をしながら呟く一言は、
きっと彼のおれへの想いの全て・・なのだろう。
『例え謗られて泣いた夜があっても、ぼくはお前の側を離れなかっただろう?』と。
こんな事になっても、こんな風になっても、おれを愛していると、そして一緒にいてくれると、
少し回りくどいくらいの言葉で懸命に伝えてくれる、ヴォルフラム。
こんな状況下でまた彼の、変わらぬ情の深さを思い知らされた。
対するおれは、たった一言、『ありがとう』を呟くことすら出来ないのに、へなちょこなのに。
「もし、今度そいつにあったらさ、そいつの言葉が間違いだって証明してやるよ。だから・・絶対・・」
静かに瞼を落としたヴォルフの唇に、そっとひとつ、口づけを。
これが別れの口づけにならぬよう、祈りと精一杯の魔力を込めて。
__________初めての口づけは、甘い血潮の香りがした。
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