+ 水底の懺悔 +

 

『このへなちょこ!尻軽!浮気者!!』

眉根を寄せて、眉間に長男そっくりの皺をくっきりと寄せて。

『ぼくはお前の婚約者なんだぞ!』

少し胸を張った、彼お得意の姿勢で、おれを見下ろすヴォルフラムを。

うるさいなぁ〜なんて思いながら、でもおれは好ましく思っていた。

 

『決着をつける気になったのか?!』

大きな瞳を見開いて、驚く表情も。

『可愛いに決まっているだろう!グレタはぼくらの娘なのだからな!』

愛娘を両腕に抱きしめて、輝く笑顔で頬擦りする姿も。

一瞬、男同士なのを忘れて、どきっとしたり、

そんな自分を奇妙だと思ったりしたことを、おれはどこかで楽しんでいた。

 

『必ず、迎えに行く。』

『一緒に、落ちてやる。』

『ぼくに誓え!ユーリ・・・』

どんなに遠くにいても、どんなに酷い状況でも、

決して諦めずにおれを求め、必ずこの手をとってくれた、ヴォルフラムを。

信じていたし、愛していた。

そしてどこかで、確信していた。

いつでも、どこでも、彼はおれから離れない。

 

 

なのに。

ヴォルフラムは、おれの目の前で消えた。

 

 

夏の眩しい日差しの様な、ハニーブロンドの髪も。

深く澄んだ湖底の様な、エメラルドの瞳も。

冬の空から舞い降りる純白の雪のような、綺麗な肌も。

おれの母国の春の花、櫻の一片のような、薄桃色の爪と唇も。

優しいアルトの声も。

温かな掌も。

おれ達で築いた、思い出も。

すべて_____________業火が包んだ。

おれの、目の前で。

 

誰が放ったものでもなかった。

誰が狙ったものでも。

それは彼自身が決めたこと。

 

『・・・・、ユー・・リ・・』

炎に包まれたヴォルフラムの唇が、動いた。

何を伝えたかったのか、わからなかった。

分かったのは、おれの名前を呼んだことだけ。

そして。

炎に呑まれながら、おれにだけ見せた、切ない表情。

 

それが、おれの覚えている、最期のヴォルフの表情だった。

 

 

「話せる事は、それだけか?」

冷徹で皮肉屋と揶揄される、グウェンダルの表情はいつに無く固い。

アイスブルーの瞳も酷く沈んだ色をしている。

感情を押し殺す以前に、信じられないでいるのかもしれない。

彼が、本当に目に入れても痛くない程慈しんできた末弟が、

この世界から消えてしまったという、事実を。

「今は・・考えたくない・・・」

「何を言う、お前は魔王だろう?」

ヴォルフラムを失ったことで、戦局がまた大きく動く。

いまここで立ち止まっている暇は無かった。

それは分かっていた。

だけど・・・。

「目の前で死んだんだぞ?ヴォルフラムが!!いつでも、いつまでも、

一緒にいられると思っていたヴォルフラムが!!

・・・今だって信じたくない、気持ちなのに。」

「それが・・戦争というものだよ、渋谷。」

横から沸いた声に驚いて振り向くと、そこにはムラケンが立っていた。

「戦いになれば、皆そうして大切な人を失っていく。」

「村田・・」

「国の為に、王の為に、_____愛する人のために。自らの命を投げ出して貫いて、

そうして残ったものは、いつだって悲しみの方が大きい。」

「そんなのわかってるよ!!でも、でもさっ!!!」

「民は、立ち止まることなく、王の盾となり剣となって、その身を捧げているよ。」

「悲しむことすら許されないのかよ!?ヴォルフラムを失って悲しいって

そう思うことすらいけないことなのかよっ!?」

「さあ?ただ僕は、王だけが立ち止まるなんてずるいって、そう思っただけさ。」

ムラケンの瞳は、笑っていなかった。

分かってる。

あの日、ヴォルフを殺したのはおれだ。

ムラケンの忠告も、ヴォルフの願いも無視して、我儘を貫いたおれのせい。

 

 

おれはそれからふさぎ込んで、部屋から一歩も出なくなった。

そんなことをしても何も変わらないのは分かっていたし、

そんな事をしている場合でないことも良く分かってはいた。

頭では。

そう、頭ではきちんと理解していた。

でもそれに、心が追いついていかない。

 

引き篭もってから数日。

 

グウェンダルからは再三儀式の書類が届き、

ギュンターが面会にきては、書類にサインをと急かす。

一度は目を通したが、内容を見て驚愕した。

本当に、皆はこんな事を望んでいるのか?

信じられないと何度も付き返していたが、今日はとうとう、

頼みの綱のコンラッドにまで、「ヴォルフに名誉を」と訴えられた。

名誉?

王を、おれを、最後まで守り通したヴォルフは今ここにいない。

今は、ここにいないだけ、なんだ。

なのに。

豪奢な棺の中に、俺のクローゼットの中にある彼の軍服一式と、

予備に残しておいた剣を一振り、ヴォルフだと言って葬る事が名誉?

彼を、失ったと、公言する事が?

それが、名誉?

皆が望む、そして誰よりヴォルフが望む、名誉?

彼は俺と約束したんだ。

帰ってくるって、這ってでも戻ってきてやるって。

俺の答えを聞くたびに、小さく溜息を残してみんな去ってゆく。

 

回りだけがとめどなく動き続ける。

なのに、その景色の中に、俺とヴォルフはいない。

 

味方は誰もいなかった。

ヴォルフは帰ってくると、共に信じてくれる人は、誰も。

もはや自分の掌に載せたヴォルフが残していった婚姻届だけが俺の支えだった。

「帰ってくるって、約束したよな?必ず、帰ってくるってさ。」

泣いても、呼んでも、彼は戻らない。

一緒に眠っていた魔王専用ベット。

無意識に彼のいたほうを空けて眠っている、おれ。

伸ばされる白い腕も、温かな温もりも、今は無いのに。

朝起きて、クローゼットが開けられれば、おれの真っ黒な学ランの隣に

洗い替えの濃紺の軍服が掛かっている。

この軍服をきちんと着こなして笑っていた彼が、大好きだった。

なのに。

ここには、ヴォルフが居た記憶が一杯なのに、彼だけがいない。

「帰ってきてくれよっ!!約束、を・・・」

 

 

 

 

俺が卑怯にも現実も見ずに逃げている間に、一つの事件が起こった。

「魔王陛下、眞王廟より急な御召しがありました。」

表情固く、コンラッドが伝えにきた。

彼と会うのも久しぶりな気がする。

「・・・悪いけど、代わりに誰か・・」

「言賜巫女よりの直接の書簡によると、陛下ご自身をお呼びするようにと。」

「・・・おれ、気分が悪くてさ。」

「ユーリ。」

突然強い口調で名前を呼ばれ、思わずビクついてしまう。

「な、なんだよ。」

「断りは言賜巫女からの用向きを聞いてからでも遅くないのでは?」

どんな用件であっても、今のおれには意味が無いと思った。

でも、用件を聞かなければコンラッドは解放してくれないだろうことも、

うすうす感じた。

「で?用は?」

「・・・ヴォルフラムが帰還したとのことで陛下に・・」

ヴォルフラム?帰還?その言葉に耳を疑った。

「ヴォルフラム・・・??本当に、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラム?」

「えぇ。」

「うそだ、だって、あの時・・・。いや、でも・・・本当に?」

「えぇ。」

ヴォルフラムが帰還したとなれば嬉しい話のはずなのに、

単調な言葉と表情の固いコンラッドの様子に、おれの不安は高まる。

そうだ、あの状況下で生きていられるはずが無い。

だっておれは見たじゃないか。

生きたまま、おれの名を呼びながら、炎に飲まれた彼の姿を。

生きているんだから葬儀は行わないと日々主張している自分と、

大きく矛盾しているのは分かっていた。

だけど・・だけど。

「そっか。無言の帰還、ってやつを・・・」

「現状から見て、無言、という言葉は似つかわしくないでしょう。ただし・・・」

一瞬言葉を切って、コンラッドが告げる。

「陛下の望む姿では、無いかもしれませんが。」

その言葉に、全面的ではなかったが気持ちは確実に浮上した。

あの状況下では、五体満足での帰還はムリだろう。

でも、どんな姿でも良かった。

生きていてくれるなら。

俺の側に帰ってきてくれるなら。

_______だけど、言葉を濁したコンラッドの、瞳に光は無かった。

 

 

眞王廟に着くと関係者は殆ど揃っていた。

いつまでも逃げていたのはおれだけだったと暗に知らされている気がした。

「ユーリっ!!」

人垣からグレタが飛び出し、おれの元へ駆け寄る。

「グレタ・・」

「遅いよ!遅いよ、ユーリ!!ヴォルフ、ずっと待ってるんだよ?」

「ごめん。」

可愛い愛娘を両手で抱き取りながら、おれはあたりを見回す。

ヴォルフが帰ってきているんだろ?

でも、一体何処に?

見渡しても一番会いたい人の姿だけが見えない。

「グレタ、ヴォルフは?もう、会った??」

おれのその言葉に、グレタの表情は暗くなる。

「ヴォルフは・・ユーリを待ってるよ。」

言葉の意味を図りかねて、グレタに瞳を合わせた。

「なにいってるんだ、グレタ?ヴォルフはグレタにだって会いたいはずだよ。」

「ちがうよ、ヴォルフは、ユーリを、まってるんだよ。」

泣き出しそうな瞳で、聞こえないの?こんなに呼んでるのに?とグレタはそう言った。

 

呼んでる?

グレタにそういわれて、静かに、辺りに耳をすませる。

 

静まり返った眞王廟の中を、微かに響く、声。

『・・・−リ・・・ユ・・・ユー・・・ユーリ・・・』

「ヴォルフ?」

『ユーリ・・ユーリ・・・ユーリ・・・』

「ヴォルフ!ヴォルフだろ!?」

『ユーリ・・ユーリ・・・ユーリ・・・』

繰り返し呼んでいる。おれの名前。

だけれどその声に、力は無く、ただ呟くように繰り返されるのみだった。

「なんだよっ!?何処にいるんだよっ・・!!呼んでるだけじゃわかんねぇ・・っ!」

「ヴォルフラム閣下なら、こちらに。」

声に耳を澄ませてあたりを見渡し、ヴォルフの姿を探すおれに、ウルリーケが声をかけた。

けれどそこに見慣れた姿はなく、ただ彼女の手には、金の光の塊があった。

「ヴォルフ?これが?」

金の光で瞬きを繰り返す塊を翳すウルリーケに問い掛ける。

ウルリーケは小さく頷いて、事の顛末を話してくれた。

俺がヴォルフの死を認めずに、引き篭もってしまった後、

ヴォルフラムの魂のみがこの地に舞い戻ってきた事。

ウルリーケ曰くあまりにも痛みきった様子のその魂を救う為、

そして最終的にはどの魂にも平等に与えられる『輪廻』の輪に戻す為、

ヴォルフの魂は眞王の元へと預けられ、前世の傷を癒そうとしたが、

ヴォルフラムだった時の思いが、心残りが強すぎて、輪廻を拒んでいる事。

「本来ならば傷を癒された魂は美しく青白い色に輝き、

心残りの無いものは完璧な球体をしております。

しかしご覧いただける通り、この魂は金色で、もはや崩れ落ちる寸前の姿。

そこで眞王陛下から魔王陛下へお言葉をお預かりいたしました。」

「え?」

「フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムの魂を、ユーリ陛下に預けます。

輪廻に戻すも、壊れるままに見守るのも陛下の意志に任せる、と。」

「おれに・・?」

手渡される金の色に輝く魂は、小刻みに震えながら、おれの名を吐き出し続けている。

足からふいに、力が抜けた。

戻ってきてくれるならば、五体満足なんて贅沢は言わないと決めていた。

生きていてくれるなら、どんな姿でも構わないと。

なのに、突きつけられたのは、現実。

もう、逃げる事も叶わない、現実だ。

「意識、あるのか?」

「いいえ。この声は魂に刻まれた、ヴォルフラム閣下の想い。

 残留思念、とでも言えばよいのか。」

預けられた魂は、彼の掌に似て、温かい。

掠れながら俺を呼ぶ声は、聞きなれたの寝言のように、ささやかで優しい。

金の髪も、翠の瞳も無いけれど、確かに、ヴォルフラムの面影が、ここにある。

手放したくない。

だけど・・・。

「なぁ、村田。」

「なんだい、渋谷。」

「このまま輪廻に戻らなかったら、ヴォルフラムはどうなるんだ?」

「輪廻に戻らなければ、そこでその魂は『終わり』さ。

フォンビーレフェルト卿だったものは、それ以前の魂の記憶もろとも、この世界から消える。」

「輪廻をする、ってことは?」

「それはもう、フォンビーレフェルト卿ではないけれど、今度は新しい命として、生まれ、笑い、

 怒り、泣いて、そうしてまた生きていく。彼であったという記憶を、魂の奥に刻んで。」

「ヴォルフ・・・」

どちらにしても、もう、ヴォルフはいない。

どんなに呼んでも、泣いても、叫んでも、求めても。

今こうやって俺を呼び続けるこの声すらも、きみの、思い出に過ぎないんだな。

「だったら、おれに出来る事は、ひとつだけだ。」

輪廻を選ぶも、砕けるも、おれの意思一つで決められる事じゃない。

だから、おれに出来る事はたった一つしかない。

おれたちだけの約束が、今、ここで守られた証を。

両腕に君を抱いて、たった一言、君に贈るよ。

「・・・おかえり、ヴォルフラム。」

おれの声に呼応するように、金の魂から眩しい閃光が放たれる。

無意識に閉じかけた瞳の先に、懐かしく、そして愛しい笑顔があった。

ふわりと、優しく包み込まれる感覚の後、耳元に囁かれた言葉。

「ただいま。へなちょこ!」

へなちょこゆーな!とは、言えなかった。

君を失ってからのおれは本当に本当にへなちょこだったから。

 

 

今見たら分かるんだ。

たった一枚、この世に残された君からの愛の証が。

几帳面で綺麗な筆跡を持つ、いつもの君から考えられないほど、それは酷く乱れていて、

あのときに君がどんな気持ちでいたのかをおれに教えてくれる。

どんな気持ちで俺に誓わせたのかを伝えてくれる。

「せめてあの時に、応えて、やればよかったなぁ_____」

せめて、この口で、この声で、君自身に届くように。

だけど、もうそれは叶わない夢だ。

だからせめて、君の署名の横に、地球文字で俺の名前を。

「お前は誓いを守ってくれたもんな。魂になっても、俺のところへ・・」

金の色で瞬きを繰り返し、感情の篭らない声で、おれを呼ぶヴォルフの魂。

絶望の色に染まって、輪廻の輪から零れ落ちそうになっても、

おれの無事を気にしてくれたヴォルフ。

「失いたくなかったよ。お前を。」

それでも__________もう、この手を離さなきゃな。

今はもう青白く完璧な球体をもう一度だけ、胸に抱いて。

輪廻を司る、眞王の御許に送り返す。

「またな、ヴォルフ!!早く、早く、帰って来いよ!!!」

もう優しい応えは返ってこない。

それでも、彼に伝わったと信じよう。

彼の人の魂を抱いた掌を、きつく拳へと握り締めたら、

愛娘の温かな掌がそれを包み込む。

ゆっくりと固まった指を解き、その手を握る。

温かさがじわりとそこから広がり、涙腺が壊れる。

止まることを忘れた涙を流し続けるおれの肩に、

コンラッドがそっと手を乗せた。

「かつて・・・」

おれは青白い美しい魂が、ゆっくりと眞王の居わす滝へと、

ふわふわのぼっていくのを、揺れる視界で見つめたまま。

「愛しいものの魂を抱いて、輪廻の輪を回す為に旅に出た男が居ました。」

「それで?その男はどうなった?」

おれはその男が誰かを知っていたし、その魂がどうなったかも知っていた。

だから答えは聞かずともわかっていた。

けれど聞かずにはいられなかった。

「愛しいものを失って、絶望し、全てを恨み、生きていくことすら嫌だった男ですが、

新しく生を受けたその魂の美しさに、生きる希望を見出しました。そして・・・」

コンラッドの最後の言葉は、吸い込まれていく青白い魂が放つ閃光に飲まれていった。

 

光に包まれて、おれは握り締めた娘の温もりに誓う。

グレタ。

君とあの真新しい魂に誓うよ。

かつてヴォルフラムだった魂が、新しく生まれ、その瞳で見る世界が、

いつでも光の溢れた美しい世界であるように。

君とおれと、そして彼であったものが出会ったときに、

笑顔で居られるような世界を、おれが必ずつくってみせるから。

 

 

 

________愛しているよ、ヴォルフラム。

君がまた生れ落ちた世界が、どうか光溢れる世界であるように。

 

 

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2005/6/23

「続編読みたいです!」というお声を頂いて書き始めたものの、

UPするのに遅くなってしまい、申し訳ありません・・・。

どうでしょう??今回のお話も少しは皆様の琴線に触れたでしょうか??

実はこの話、結構早い段階で出来上がっていたのですが10000HITやブライダル準備といった、

「甘く優しいユヴォ」をUPしてるうちにどんどん時期を逃してしまいました・・・。

で、なんで今?ブライダルの真っ最中なのかというと・・・えっと、ほら梅雨ですし、

そろそろてるてるヴォルフかな〜っていうことは、シリアスかな〜・・・みたいな(苦笑)

えぇ、決して!決して「誰が為に」に行き詰まって更新できるものが無かったからとか、

そんなことではなく〜・・・(ぼそぼそ)

皆様のお気に召したら幸いです☆


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