Day by day
2200年を十数年過ぎたとある年のとある日のことだった。
「ねぇ、子供達のお迎えがてら散歩しない?」
「ああ、そうだな。今日は一日のんびりしてしまったしな。少しは動かないと体がなまるよなぁ」
並んで座っている妻の言葉に、夫は二つ返事で立ち上がった。
「うふふ、ええ、そうね。そう言えば今朝は子供達のことでバタバタしてて、あなたランニングもしてなかったわね?」
妻の言葉に、夫はへへへと頭をかいた。
今日は夫婦2人一緒の休日。ところが3人の子供達は、とあるサークル主催の子供だけの日帰りバスツアーに出かけることになっていた。
その朝のこと、3人が三様にあーだこーだと準備に支度に大騒ぎ。それに巻き込まれてなんとか3人の支度を整えて送り出すのに、朝早くから夫婦して大童だったのだ。
何とか送り出した後は、朝の慌しさを取り戻すかのように、2人は日がな一日のんびりと過ごしたのだった。
その2人とは…… もちろん知れたこと、古代進とその妻の雪である。3人の子供達にも恵まれ結婚十ン年の幸せカップルだ。
ついでに付け加えると、同じ敷地内の別宅には、妻の雪の両親も暮らしているのだが、先日からお友達との夫婦旅行に出かけていて不在だった。
ところで、さっき雪が言及していた早朝のランニングだが……
中年の域に到達しようとしている進とはいえ、宇宙戦士としては今も第一線で活躍する超一流戦士。その彼の日々欠かせないトレーニングの一つである。
地球にいる時も、宇宙を旅している時も、ほとんど欠かすことがない。そのことは、妻もよく知っているが……
「まあな。けどその代わりに、ちょっとした運動はしただろ?」
夫の視線が冗談めかしに、だが何やら艶(なまめ)かしく輝くと、妻はぽっと頬を染め、夫の背中を突っついた。
「もう、やあねっ……」
とか何とか言いながらも、妻のその頬も弛んでいる。
「明るい時間になんて、久しぶりだったよなぁ」
「だから、もう、言わないでってば!」
子供達がいないことをいいことに、昼間っから何やらやらかしたようだ。全くもって、いつまでもお熱い2人である。
さらに赤く染まった妻の顔が、年の割りに初々しく見えて、もっとからかいたくなったのだが、子供達の迎えの時間が迫っている。仕方なく、進はこの続きを諦めることにした。
「はいはいっ! よしっ、もう帰ってくる時間だ。さあ、行くぞ」
壁にかけてあった上着を羽織ると、進は先に歩き出した。
「ええ……」
雪も慌てて後を追う。
家を出る前に時計を確認した。子供達の乗ったバスが帰ってくるのは、歩いて10分ほどのバスセンターだ。そしてバスの到着予定時間までは、あと15分ほど。
今からのんびり歩けばちょうどいい時間に着きそうだ。
雪が玄関の鍵をかけて振り返ると、夫は既に少し前を歩いていた。
「あら、進さんったら、もうあんなとこまで歩いてるわ」
雪は小走りで夫の後を追った。が、何を思ったのか、数歩手前で歩調を緩めると、夫の後姿を見つめながら、同じ歩調でゆっくりと歩きはじめた。
のんびりした歩みを続ける夫を2、3歩後ろを歩きながら、じっと見つめる。
プライベートの時の進の歩き方は、決して忙しくもなく、けれど遅すぎもせず、そしてしっかりとした歩みだ。
(あなたの歩みを見ていると、毎日毎日の、私たちの人生を思い出しちゃったわ。ゆっくりと、でもしっかりと……私たち一緒に歩いてきたのよね……)
そんなことを思っていると、急に雪の脳裏に、結婚してから……というより出会ってからの一日一日のことが、様々に思い出されてきた。
(いろいろなことがあったわね。でも今は、子供達にも恵まれて、平和にも恵まれて……)
まがいなりにも、平和で幸せな家庭を築くことができたのだと思うと、雪は胸がじわりとあったかくなってきた。
と、その時、前を歩く夫がふと足を止めて振り返った。
「どうした?」
「え?」
突然振り返られて、一人感慨にふけっていた雪は我に返った。
「すぐ後ろにいる気配なのに、なかなか追いついてこないからさ」
不思議そうな顔で見つめる夫を見返しながら、雪は笑顔になった。
「ああ……うふふ、ちょっとあなたの背中を見ていたの」
「背中?」
「ええ……」
「なんか付いてたか?」
進が体をねじって背中を見るそぶりをすると、雪は笑顔のまま、かぶりを大きく振った。
「いいえ、なんにも!」
「ふうん? なんだか気持ち悪いな」
「あら、別にいたずらしようって思ってたわけじゃないわよ」
「ならいいけど」
進は訳がわからず、まだ怪訝そうな顔をしている。そこで雪は素直に心の種明かしをした。
「あなたの背中見ていたら、急に今までのいろんなことを思い出しちゃって……」
妻が遠い目をすると、進も同じように感慨深げな顔をした。
「ふうん……」
「そう、いろんな一日一日のことをね。初めて出会って、それから……そう、もう10年以上こうして一緒に暮らしているんだわって……」
「感慨に浸ってたってわけか?」
「ええ、まあね」
「ふうん。そうだな、まあ、それなりにいろいろあったが、結婚してからは総じて平和で平凡な日々だったよな」
妻の言葉に、夫も深く頷いた。彼の脳裏にも、過去の様々な出来事が甦ってきたのだろう。
しんみりとしたところで、雪はちょっと意地悪なことを言ってみせた。
「そうね、それなりにい・ろ・い・ろあったけど……」
すると進は、少々困ったような顔で雪を睨んだ。
「へんに『いろいろ』ってとこを強調するなよ」
「うふふ、あなた、なんだか後ろめたいことでもあったのかしらぁ?」
「ば、ばか言え!」
微妙に引っかかることでもあるのだろうか。進は苦虫をつぶしたような顔で、妻から視線を逸らした。
確かに、結婚する前もしてからも、妻を困らせたこと、心配させたことにかけては、数え切れないほどある彼であった。
だが……
「ふふふ…… でも、今の幸せからすれば、それも全部、ある意味いい思い出なのかもしれないわね?」
「ああ、そうだな。本当に……そうだ」
平和になって初めて感じる遠い日々の辛い追憶へのノスタルジーだ。
「今日まであなたと一緒に生きてこられて……本当によかった」
妻の心からの言葉に、夫はちょっと照れたように、だが優しい眼差しで、手を差し伸べた。
「なら、後ろから歩いてないで、俺の横を歩けよ」
「あら?後ろ歩いちゃダメなの?」
妻のその返事は、少しばかりいたずらっぽい響きがあった。
「ダメって訳じゃないけど……」
返事に困る進の表情は、なぜかいくつになっても、少年のようなかわいらしさがある。それが見たくて、雪はさらにこんな言葉を付け加えた。
「だって大昔の日本じゃ、妻は夫から三歩下がって歩くものだって言ったそうじゃなぁい?」
すると進は、「はぁ〜?」とびっくりしたような顔をしてから、「あははは……」と声に出して笑った。
「俺はそんな亭主関白じゃないよ。それに……」
と今度は、進の瞳が、いたずらっぽく光った。
「それに?」
「下手したら、君のほうが前を歩いていきそうな気さえするのにさっ!」
つまりは、かかあ天下ってことですな〜
「ん、まあっ! 失礼ね」
ギロッと睨む妻の顔付きは、これまた夫にすると、何気に魅力的だったりする。
「あははは…… とにかく、俺は三歩下がって後ろを付いてきて欲しいなんて、これっぽちも思ってやしないよ」
進は再び大笑いすると、再び手を出し、雪の手を引いて、自分の横まで引き寄せた。
「一緒に歩いていくのがいいの?」
そう尋ねながら、雪は胸の中がジ〜ンと熱くなっていくのがわかった。
「ん…… そうだな。引っ張ってくのも、引っ張られるのもなぁ〜 やっぱり俺としては、横に並んで一緒に歩く方がいいな」
そんな夫の言葉が、スマートな愛を告白するセリフよりも嬉しいと思えてくるのだから、夫婦とは不思議なものだ。
「ありがとう……」
雪は、握った手を見つめながら思わずそう答えていた。すると逆に進は、その手を雪の掌の中から慌てて引き抜いた。
「ベ、別に礼を言われるほどでも……」
礼を言われ、少々キザなことを言ってしまったかと、かえって焦ってしまうのが、これまた、この夫のいいところでもあり、悪い?ところでもあり……
そんな彼の性格は、妻たるもの先刻承知である。
「でも、なんとなく嬉しいの」
くすくすと笑う妻の顔を見ることもできずに、進は空を見上げた。
「……ほら、歩かないと、あいつらが帰ってくる時間に遅れるぞ」
「ええ……」
そして2人は、再び黙ったまま歩き始めた。
程なくバスセンターの建物が見えてきた。
到着時間も近いが、バスはまだ着いていないようだ。バス停には、他にも迎えに来たらしい人だかりができている。
歩みを進めながら、雪が夫に小さな声で囁いた。
「これからも……」
「ん……?」
「ずっと隣を歩いていけるかしら?」
見上げた雪を、進が優しい笑顔で見返した。
「そりゃあ、いけるさ」
「でも、もし私の歩みが遅くなったら?」
本気とも冗談ともつかない問いに、進は軽く肩をすくめ、前を向いたまま答えた。
「そうだな、その時は待ってるよ。それから俺も同じくらいゆっくり歩けばいいだろ?」
なんと嬉しい言葉だろうか。さらに進の言葉が続いた。
「その代わり、俺が少々曲がって歩いたり寄り道したりしても、一緒に歩けよ」
「うふふ……ええ、わかったわ!」
雪は、隣の夫の腕をぎゅっと抱きしめた……と、進はぎょっとして、その手を振り払おうと焦り始めた。
「お、おいっ、こらっ、こんなところでくっつくな。ほらっ、あっちから見えるだろ!」
「あら、一緒に歩こうって言ったのはあなたじゃないの!」
「腕組んで、とは言ってないぞ! 誰か見てたら恥ずかしいだろ、いい年して」
「別に〜 仲がいいわね、って言われるだけよ」
「あっ、ほら、バスが来たぞ!! 急ぐぞっ!!」
「あんっ、もうっ! すぐ照れて逃げちゃうんだからぁ〜 今、一緒に並んで歩こうって言ったばかりじゃないのぉ〜!」
結局、最後は自分ひとりだけ先に行ってしまった夫の背中を、雪は愛しげに見つめながら、一人笑顔がこぼれてくるのだった。
それからしばらくして、進と雪は、バスから降りてきた子供達と一緒に、さっき歩いていた道を、再び家路へ向って歩き始めた。
一日遊んでもなお元気良く、先にたって歩く3人の我が子たち。そんな愛し子たちを見つめながら、仲良く並んで歩く父と母。
その影が、沈みゆく太陽の反対側に、一つに重なって長く伸びていた。
いままでも、これからも、一日一日を大切に。
そして二人仲良く、並んで歩いていこう……
いつまでも…… いつまでも……
一日早いのですが、当サイトの二人の結婚記念日を祝して……
タイトルは、沢田知可子さんの歌『Day by day』から。歌詞のイメージから少しアレンジしてお話を書いてみました。
夫婦としての共の歩み、ちょっぴりくっついてみたり離れたりもしながら、でもいつまでも並んで歩いていけるといいですね。
あい(2007.1.14)
(背景:Canary)