疑 惑

進の帰りを待つ雪に、突然の訪問者が、それはなんと進の浮気相手?だった…… 進への疑惑が広がる雪に、進は…… 進は本当に雪を裏切ったのか? 実は……
 (1)

 明日朝早く進が帰ってくる。雪は仕事を定時に終わると早々に家に帰り、明日のために食事の準備や部屋のかたづけをしていた。進にもうすぐ会える。そう思っただけで、雪の顔に自然と笑みがこぼれる。愛する人の帰りを待つ一番楽しいひとときだった。

 『ピンポーン』 玄関のベルが鳴った。

 (誰かしら? 誰も来る予定なんかないのに…… セールスかしらね)

 雪はこんなことを考えながら、ベルに返答した。

 「はい、どなた様ですか?」

 ドアの外に見えるのは、美しい金髪の若い女性だった。

 『あの……ここは古代進……さんの家ですか?』 外の女性が尋ねた。

 「はい、そうですが?(古代君の知り合い? 日本人じゃないみたい…… 若い女性?? どういうことかしら)」

 雪は、疑問と不審が広がったが、女性という事もあるので、話を聞いて見ることにした。ドアを開けてその女性を玄関に招き入れた。

 「何か、古代君にご用ですか?」 雪は、その女性をじっと見つめながら言った。

 (この人、妊娠してる…… たぶん、5,6ヶ月?)

 雪の看護婦としての知識がそれをすぐに発見した。

 「あの…… あなたは? ススムの何なんですか? 一緒に住んでるの?…… 奥さん?」

 いきなり、玄関先で雪に質問する内容とは思えなかったが、不安そうに尋ねる女性の目は真剣だった。

 「どういうことですか? いきなり尋ねてきて、名乗りもしないで!」

 雪は、少しムッとして言い返した。すると、その女性もキッと雪を見返して言った。

 「私、ススムと愛し合ったの! 私のお腹にはススムの子供がいるわ!! ススムに会わせて……」

 「!!!」 雪はあまりにも突然の衝撃的な話に驚いて、言葉を失ってしまった。

 (2)

 「ススムは、いないのですか? 今、地球防衛軍の本部へ行ってきました。ススムの話をしたら、長官の秘書室の方が出てきて、ここを教えてくれました……」

 雪は呆然として、その女性を見つめたままだった。

 (古代君と愛し合った?! 古代君の子供! まさか……)

 その時電話のベルがなった。それは、防衛軍の秘書室でいっしょに働く同僚からだった。

 『雪さん、さっきちょっと変な人が来たのよ。古代さんの事を聞きに…… ちょっと別室で話したら古代さんの子供がって話になって…… こんなところで騒ぎ出したら大変だと思ったから、自宅を教えたのよ。古代さんに限ってねぇ、何かの間違いだと思うけど。』

 「今、来てるわ。その彼女……」

 『そう、やっぱり…… 悪かったかしら? 自宅を教えて。』

 「ううん、いいのよ、その方が。本部で騒がれたら、それこそ古代君もいい迷惑だし。事情を良く聞いてみるわ」

 『雪さんの声が案外冷静なんで安心したわ。じゃあ、お願いしますね。』

 「ええ、ありがとう」

 雪は電話をおくと、玄関に戻ってその女性を家に招き入れた。

 「どうぞ、おあがりください。お話は中でお聞きします」

 (3)

 雪は、その女性をリビングのソファに案内して自分はお茶を入れに台所へ行った。雪は心臓がドキドキと音をたてているのが自分でもわかった。コーヒーを入れる手が、なんとなく震えてくる。進がいないときにこんな話が舞い込むなんて…… 雪は冷静に話が聞けるのかどうか不安だった。

 まだ、進と付き合い出して半年頃に、進と年上の美人女医、間宮希との間を疑って、進と心の行き違いになったことがあった。

 (あの時はまだ、自分の気持ちを制御できなくて、古代君の気持ちもつかみきれなかった…… だから、よけいな心配をして古代君の話も聞けなかった…… でも、今は……)

 『今は、違う』雪はそう思おうとした、が、やはり大きな不安がわいてくる。それに、今回は相手の女性は、はっきりと進との交際を明言し、妊娠までしているという。でも…… 話を聞かなければ、誤解かもしれない。雪の心は千々に乱れた。

 部屋の中に案内した女性は、ソファに座って、うつむいたままだった。リビングには、二人の写真が飾られていたが、雪はそれを見られるのが嫌で、招き入れる前に倒していた。

 「どうぞ」 雪は、コーヒーを出すと、その女性の前に座った。

 「私は、森雪といいます。古代進の……婚約者です。古代君は今、宇宙勤務中で、明日の帰還予定なんです」

 「!」

 女性は、はっとして顔を上げ雪の顔を見た。金髪に青い目をしたその女性は、まるで西洋人形のように愛らしかった。年の頃は雪と変わらないように見えた。

 「そう、ススムのフィアンセ…… もう、一緒に暮らしているのね。だから、ススムは、地球に帰ってから、何も連絡してくれないんですね……」

 「あの…… 失礼ですが、お名前を教えていただけませんか? それから、事情を聞かせてくれませんか?」

 雪はできるだけ冷静を装って、その女性に話しかけた。
 (4)

 涙があふれそうになっているその女性は、一瞬たじろいで、雪を顔をにらんだ。しかし、目の前の女性が進の婚約者だと言い、二人の暮らしがありありとわかるこの家にいると、自分の方が分が悪いと思ったのか、肩を落として話し出した。

 「わたしは、アリス・キャメロンといいます。イギリス出身で、ケンタウルス座α星の第4惑星の居酒屋で働いていました。あそこは辺境の地で、来る人と言えば、防衛軍の方か、資源開発会社の社員くらいで…… でも、来た人は他に娯楽施設もないし、居酒屋は結構はやっていました」

 アリスと名乗った女性は話を続けた。

 「あれは、4ヶ月前でした。ススムが私の店に来たのは……」

 (4ヶ月前…… たしか、古代君、ケンタウルス座α星での辺境警備の会議で、出張したはずだわ)

 進は、暗黒星団帝国との戦いの後、太陽系周辺のパトロールを主目的にしている巡洋艦の艦長に着任していた。その艦長として、辺境警備の会議に出席したのは、確かに4ヶ月前のことだった。あの時は、途中のパトロール活動も入れて、1ヶ月以上地球には帰ってこなかった。共に暮らし始めてまだ間もない頃で、進は帰ってくるなり雪を求め、雪は翻弄された記憶があった。

 (あんなに私を愛してくれた古代君が、あの時に……? それとも、それが後ろめたくて?)

 雪の心には、二つの相反した気持ちが入り乱れていた。アリスの話は続いた。

 「ススムは、店が終わるまで同僚の方何人かと飲んでて、店が終わる頃になると私も暇になってみなさんと会話を楽しんでいたんです。ススムは、やさしく私に話しかけてくれて…… その時はまだ名前も知らなかったんですが…… 次の日もまた来てくれて、私にいろいろな話をしてくれたんです。とてもやさしくって、人柄って言うのか…… 私もすぐに好きになりました。
 名前を聞いて、私、すぐヤマトに乗ってた人だと気がついて、尋ねたら『そうだ』っていいました。ヤマトの話も色々してくれました。ヤマトの事はいくらかは知っていましたが、私、両親を遊星爆弾で亡くしてから、孤児院で暮らしていたものですから、話題になった頃もテレビとかあまり見れなかったので、聞く話、話が面白くて…… 彼は今、巡洋艦の艦長だって言ってました」

 (言ってる事は矛盾しない…… やっぱり本当に古代君なの?!)

 「そして…… 私達、愛し合いました…… 彼が帰る前日の事です。私が望んだんです! 彼が好きでしたし…… 彼は、きっとまた来るって言ってくれました。愛してるって! 彼が帰ってしばらくして、私は妊娠を知りました。どうしようかと悩みましたが、心から愛した人の子供だから、産もうと決心して…… そして、地球に帰ってきたんです。ススムにこの事を告げるために」

 アリスはまた涙ぐんだ。その時の事を思い出しているのか、力が入っていた。雪もその姿にまた大きなショックを受けていた。
 辺境の地で、雪とも遠くに離れ、進はこの女性を本当に愛したのだろうか…… 進を求めたアリスを進は拒む事ができずに受け入れたというのだろうか? でも、また来るって約束するだろうかあの進が…… その後、なんの罪の意識もなく、雪を抱きつづけてきたのだろうか? 雪にはとても理解できなかった。

 「アリスさん…… お話はわかりました。でも、本当に古代君なんですか? あなたの愛した人は……」

 雪は、まだ進を信じたい一心で、アリスに問いただした。

 「お疑いなら、ここに彼からもらった名刺と写真があります!!」

 アリスが差し出したそれは、『太陽系周辺第3警備艦隊旗艦艦長 古代進』の名刺と進が仲間と写っている写真だった。それを見た雪は目の前が真っ暗になったような気がした。とても、それだけの物を見せられて否定する事はできなかった。

 (本当なの? 古代君!!) 

 まだ信じられない気持ちと、裏切られたのかと思うショックとが入り混じり、雪の顔色は真っ青だった。それでも、アリスに取り乱す姿を見せたくないという強い思いから、雪は静かに言った。

 「わかりました…… あなたが嘘をついているとは思えませんし、お腹に子供がいることは間違いないことです…… 古代君は明日の早朝に帰ってきます。彼には逃げ隠れはさせませんから…… 明日、もう一度いらしてもらえませんか?」

 アリスは雪があまりにも冷静に対応するので驚いて雪の顔を見つめていたが、進本人がいないところでやりあっても仕方ないと思ったのか、雪の提案を了承した。

 「明日、午前中にまたお邪魔します……」

 「あの、あなた、泊まる所は? お金はお持ちなんですか?」

 もしかしたら、進を奪った憎い相手かもしれないアリスなのに、妊娠している事を思うと、看護婦としての雪は聞かずにはいられなかった。

 「近くのホテルを取ってます。お金は、居酒屋の仕事は割りに繁盛してるので、いいお給料もらえていましたから……大丈夫です」

 アリスも愛する人の婚約者だという、目の前の女性のことがなぜか憎めなかった。ひどく辛そうにしているのに、アリスの話を取り乱しもせずに聞く気丈な姿は、女性から見ても美しく気高さを感じた。アリスは雪を見て、進が雪を捨ててまで自分のところに来てくれるとは思えなかった。

 (森雪さん…… 彼のフィアンセ…… 初めて会った私でもわかる、この女(ひと)がどれだけ素敵な人だと言う事が。彼がこの人を手放すはずがない。私はどうすればいいの?)

 一人の男性を間にして対峙する二人は、互いに互いの存在を辛いが認めないわけにはいかなかった。

 (5)

 アリスが帰ると、雪は急に体から力が抜けて、リビングのソファにストンと腰を落としたまましばらく動けなかった。進の浮気…… まさかと思っていたその事実。宇宙船乗りは地球にいる時間が短い。行く先々に女性がいるという人の話も聞かなくもなかった。だが、進に限って…… 雪は信じていたし、進もそんなそぶりをみせたこともなかった。

 今まで、ヤマトで共に戦い、また、離れ離れになって戦っていた時も、お互いの存在を信じることで死線を乗り越えてきた二人だった。雪が進以外の男性に心を動かしたといえば、あの上条諒とのことくらいだろうか…… あの時は、進もずいぶん悩んだようだった。だが、雪の心は進から離れることはなかったし、進も雪への気持ちを再認識したはずだった。

 そしてあの後、二人は結ばれた。心も体も一つになって、二人はより深い絆を手にしたと、雪は確信していたのだが……

 (魔が差したっていうことなのかしら? 太陽系の外、ケンタウルス座まで行った事が古代君を開放的にしたのかしら? でも……)

 そして、もしこれが事実だったとしたら、進はどんな対応をするのだろうかと、雪はまた考えていた。

 (古代君の事だもの、もし本当だったら、責任をとるっていうに違いない。責任? 私を置いてあの人と結婚するっていうかしら…… 彼を手放せるの? 雪? それとも、子供を引き取りたいって言うのかしら? もし、私にそう頼んだら…… 私はどうすればいい? 彼の子供なら育てられる? 彼の事を許せる?)

 雪の中の不安と疑惑はいくらでも膨らんでいった。そして、自然と涙がこぼれてきた。悲しくて悲しくて、だが、心のどこかでまだ間違いかもしれないと強く思うところがある。強い絆でつながれた二人だった。進を信じたい気持ちがまだまだ雪の心には残っていた。どんなに、否定しがたい事実があったとしても、進に確認するまでは…… 雪はなんとかそう思う事で、自分を支えていた。

 (6)

 どれくらい雪はそうしていただろう、夜も更けた。雪は自分が夕食も食べずにずっと座っていることに気付いた。だが、当然のことながら、何も食べる気など起こらず、逆に胸がむかむかしてくるくらいだった。その時、玄関のベルがまた鳴った。時計はもう夜の11時近かった。

 (誰? 今ごろ??)

 雪は、慌てて玄関に行って、ベルに返答した。

 「はい……」

 『雪かい? 俺だよ。早く帰れたんだ!』

 「古代君!」

 それは、進だった。翌朝の帰還予定が、早くなって今夜の内に帰ってきたようだった。雪は、急いでドアを開けた。

 「ただいま、雪!」

 進は、入ってくるなり、うれしそうに雪を抱きしめた。雪は進に抱かれるがままになっていたが、自分から抱き返す事はできなかった。

 「……おかえりなさい…… 古代君……」

 雪はうつむいたまま、なんとかそれだけを押し出すように言った。雪の元気のなさに進はけげんな顔をした。いつもなら、進の帰宅を大喜びして、満面の笑みを浮かべて迎えてくれる雪が、うつむいたまま、その顔に笑みすら浮かべていなかった。

 「どうしたんだ? 雪? 変だぞ、具合でも悪いのか?」

 進はそう言いながら、雪の肩を抱いてリビングに入り、座らせ、隣に座った。雪はまだうつむいたまま、暗い顔をしている。台所の方を見ると、何か作りかけのまま、放置されていた。

 「どうしたんだよ、雪!! どこか痛いのか? 晩飯は食べたのかい?」

 雪は黙って首を振る。

 「何も食べてないのか? 熱はなさそうだけど……」

 進は、雪の額に手を置いてそう言った。

 「何も食べたくないのよ…… 胸がむかむかする…… 気分が悪いわ」

 雪は、進を前にしてだんだんと腹が立ってきてそう言い返した。だが、その言葉を進は、まったく違う意味に理解した。

 「えっ? 胸がむかむか? 気分が悪い…… って、もしかしたら、出来たのか? こども……」

 鳩が豆鉄砲をくらったようなそんな顔をして、進は言った。進がとんでもない誤解をしていることに気付いた雪は腹立ちまぎれに答えた。

 「そうよ! 出来たのよ!」

 「そ、そうなんだ…… あははは…… いやぁ、そうか…… ま、よかったじゃないか、順番はちょっと違うけど…… うれしいよ、雪」

 進は、ちょっと困ったようなそれでいてうれしそうななんとも言えない顔をした。結婚はしていないとはいえ、婚約者の間柄である。子供が出来てもそんなにも問題があるわけではない。進は、なんとなく恥ずかしいような気持ちになったが、うれしい気持ちの方が大きくわいてくる自分に気付いた。

 (古代君のばか……)

 とんでもない勘違いをしている進に雪はさらに腹が立ってきた。

 「でも、産むのはわたしじゃないわよ!!」 雪は大きな声ではっきりと言い放った。

 「え?」 進は雪の言った意味がわからなかった。

 「古代君の子供かもしれないけど! 私が産むんじゃないわ!!」

 進は、今浮き上がった気持ちが、雪のその言葉でドスンと下に落ちてきたような気がした。

 「ちょ、ちょっと待てよ! それどういう意味だよ!」

 「あなたの胸に聞いてみればいいじゃないの!」

 「俺の胸にって? 冗談も休み休みに言えよ…… なんの話なんだか、俺にはさっぱり……」

 進は雪が何を言い出したのかとびっくりしていた。

 「ケンタウルス座α星第4惑星…… 4ヶ月前に行ったでしょう?」

 「ああ、それがどうした?」 進にはまださっぱりわからない。

 「そこの居酒屋に金髪のきれいな女の子、いなかった?」

 「居酒屋? 金髪の女の子? ああ、そういえば…… みんなが話題にしてたな、こんなところに似合わない美人がいるって、何度か店には行ったし、会った事があるような…… けど、その子がどうしたっていうんだよ?」

 「まだ、しらばっくれるの?! そのアリスさんって言う人が今日来たのよ。あなたと愛し合ったって…… そして、あなたの子を妊娠したって!!」

 「なんだってぇ?! そんなばかな!俺はそんな覚えは!」

 進は雪があまりにもとっぴな事を言い出したので、驚いて声を高くした。

 「ほんとに覚えないの? 彼女、あなたの名刺と写真も持ってたわよ!」

 「けど、ほんとに覚えなんか!…… ない…… ん? いや、そんなことは…… ない…… と思う……」

 進の語気がなぜかだんだんと頼りなくなっていった。その雰囲気を雪はいち早く察知した。進が否定し切れないことに、雪はカチンときてしまった。

 「もう! 信じられない!!! どういうことなの? ちゃんと話して!」

 「いや、その…… 実は、一日だけ、みんなで飲みに行って飲みすぎたんだか、その後どうしたか覚えてない日があって…… まさかとは思うけど…… 俺は全然覚えもないし、そんなこと記憶なくなるほど飲んでたら、できるとは思えないんだけど……」

 進はしどろもどろになりながら、言い訳をまじえて答えた。

 「いつ?」

 「帰る前の日……」 それを聞いて雪は目の前が真っ暗になった。

 「帰る前の日…… 彼女が言ってたのと同じ。ああ…… じゃあ、やっぱりわからないじゃないの! とにかく、明日、彼女が来るからあなたちゃんと対応してね! 私はもう寝るわ!! 悪いけど、寝室には入ってこないで!」

 「あっ! 雪!」

 進の呼ぶ声も無視して、雪はすっくと立ち上がると、スタスタと寝室に入って、かけ布団1枚だけを進に投げてよこし、また、寝室に入っていってしまった。進は、そのふとんを手にしたまま、ただ呆然と締められた寝室のドアを見つめていた。

 (7)

 雪は、寝室のドアを締めるとそのままドアに持たれかかって立っていたが、だんだんと足に力が入らなくなってその場にすわりこんでしまった。

 (古代君…… やっぱり、本当なの? ほんとにあの人と……)

 一方、ドアの外に残された進は、あの出張の時のことを考えていた。

 (あの娘がここに来た? 俺の子供を妊娠しているって? 俺には何も覚えはない、が…… あの最後の晩のことを覚えていない。たしか、あの日、あの店でみんなと飲んで、その後の記憶が定かではない。起きた時は翌朝、自分の部屋にいた。もしかしたらあの時俺は彼女に何かしたんだろうか? 名刺も写真も渡した記憶はないはずなんだが……)

 進は、記憶のなかったあの晩のことを何度考えても思い出せなかった。翌日出航してから、周りの乗組員が進に『昨日はどうも……』といいながら、ニヤッと笑っていた姿だけが思い出された。その時はたいして気にもならなかったが、もしかすると、乗組員達は自分があの後どういう行動を取ったのかを知っていて、あんな表情を見せたのではないかと、また、不安が募った記憶がないうちにそんなことできるはずはない、と思ってみても、絶対とは言えない進だった。

 (もし、本当だったらどうしたらいいんだろう…… 雪に言い訳が立つわけもないし…… しかし、やっぱりそんなことがあるはずない…… きっと……たぶん……)

 これ以上、考えていても結論が出そうになかった。

 (ええいっ! 明日本人に確認して見るしかないか。俺、とんでもないことしたんじゃないだろうなあ……)

 不安を抑えながら、進はソファに横になると、布団をかぶって寝てしまった。

 雪は、ベッドに入ったものの、寂しさと悲しさで涙が出てきて眠れなかった。ただ、ああ言ったものの進が覚えがないと言ったことだけがかすかな光明だと自分に言い聞かせていた。

 (古代君が帰って来てるのに、その胸の中で眠る事もできないなんて! でも、今はとても古代君の顔を見れない。明日、アリスさんがくれば、わかること…… 雪、あなた、古代君を信じてるの? それとも? でも信じたい! ああ、古代君を!)

 (8)

 翌朝、進が目を覚ますと、雪は既に起きて、台所に立っていた。おそるおそる進は雪のところへ行った。

 「おはよう、雪」

 「…………」

 進が声をかけたが雪は伏目がちで、まったく進の存在を見ていないかのように無視した。

 「ふぅー」

 進は、今は何を言っても無駄なような気がして黙ったまま、自分の朝食になりそうなものをあさった。パンを1枚取り出してトーストに入れ、冷蔵庫を見るとサラダが入っていた。それから、卵とウインナーを取り出し、フライパンをコンロに置くと、目玉焼きとウインナーのソテーを作った。
 用意が出来ると、雪のほうを気にしながら、進は朝食を口に運んだ。なんとなく、気まずい空気が流れていた。

 雪は進のその姿をチラッと見たまま、黙ってコーヒーだけを飲んでいたが、ふと、進の顔を見ると言った。

 「私、今日は遠慮しておきましょうか? 出かけててもいいわよ」

 そう言う雪の言葉はその視線とともに冷やかだった。

 「い、いいよ、いてくれて…… 俺一人じゃとても対応しきれないよ。たぶん、誤解だって…… な!」

 進は懇願するように雪に言った。

 「そう…… ま、いいわ。昨日、私も話を聞いた責任もあるしね。でも、私のこと気にしてくれなくていいから……」

 「だから! 誤解だって……」

 「ほんとにそう言いきれる?」 雪に切り返される。

 「うっ……」 進は痛いところを突かれて言い返せない。

 「ふぅっ」

 今度は、雪がため息をつく番だった。だが雪は困っている進を見ると、なぜか昨日ほど腹が立たなくなっていることに気づいた。進がかわいそうに見えてくるのだった。

 (古代君が困ってると助けてあげたくなる。浮気したかもしれないっていうのに…… なぜ? 惚れた弱みっていうのかしら? 彼の事を信じてるから? 信じてる…… そう、信じつづけていたい、それが私の想い)

 雪はその想いを思わず声に出していた。

 「私、あなたのこと信じてる…… 信じていたい」

 「雪……」 進は雪のその言葉に、食事の手を止めて雪を見た。

 「すまない。ありがとう…… 」

 雪は進のその言葉にフッとかすかな笑みを浮べると、また、表情を固くしてコーヒーをすすった。お互い、今はそれ以上の言葉をだすことができなかった。

 (9)

 朝食の後、雪は何か気を紛らわそうと忙しく動き回っていた。洗濯に掃除、部屋のものを右から左へ移してみたり。アリスがくるまでの間、雪はじっとしていられなかった。その姿を見ながら、進はただじっと座って時の流れるのを待っていた。そして、午前10時少し前にドアのベルが鳴った。

 進はハッとして顔を玄関に向けた。雪はまた、険しい顔に戻って、玄関へ向かった。当然それは、アリスだった。

 「どうぞ……」 そう言う雪の招きでアリスはリビングに入ってきた。

 進は、ソファから立ちあがって、アリスを見た。確かに見覚えはあった。α星の居酒屋にいたあの娘に間違いはなかった。ゆったりした服を着ているせいかもしれないが、腹部は確かに少しふくらみがあるように見える。進の心がずっしりと重くなった。

 アリスは通されたリビングで目の前に一人の男性がいる事に気付いて、頭を下げた。

 「どうぞ、おかけになって……」

 雪の言葉で腰を下ろしたアリスは、向かいに座った雪ともう一人の男性を見た。

 「あの…… ススムは?」 アリスの言葉に進は少し首を傾げたが答えた。

 「アリスさん、僕が古代進です。あの……僕があなたと……?」

 進が自己紹介すると、アリスは驚いたように言った。

 「えっ?! 違う、あなたじゃありません、ススムは!」

 「ええっ!!」 雪と進は声を一緒にして叫び、お互いを見つめた。

 (10)

 「僕が古代進に間違いないです。これが、僕の身分証明書です。ススムって誰のことですか?」

 進は自分の防衛軍の身分証明書を見せて、もう一度聞きなおした。

 「だって、ススムは…… ススムはこの人です」

 アリスは、昨日雪に見せたススムの写っている写真を取り出すと、進の右隣にいるおとなしそうな男性を指差した。

 「えっ? でも、アリスさん、古代君の名刺を持ってましたよね? どういうこと? 古代君?」

 「………… 小谷…… 小谷 晋だ!」

 「えっ? コダニ ススム??」

 雪とアリスが声をそろえて聞き返した。

 「彼の名前だよ。この右隣の…… 彼は、この航海から初めて一緒になったんだが、たしか中途採用の炊事科要員だったな。俺と名前が似てるって話題になって、行きの航海で何度か話をするようになったんだ。その時、彼にせがまれて俺の名刺を一枚やった覚えがある。『コダニススム』と名前を言うと、俺の名前を聞いた事ある奴からよく『コダイ』と聞き間違えられたと笑っていたよ。 けど、なんで俺の名前なんか使って、あなたと……」

 あっけにとられて聞いていたアリスは、やっと我に帰って言った。

 「ススムは、最初自分の事を『コダニススム』といったのかもしれません…… でも、私も古代さんという名前をよく居酒屋に来る防衛軍の人達から聞いていたもので、きっとその古代さんだと思いこんで、ヤマトの事を色々聞いたんです。そしたら、ススムは丁寧に教えてくれて……」

 ススム違いだった…… 進は、自分の疑惑が晴れたことで心の中がすっとする思いだった。雪も同様で、このまま、一人だったら多分泣き出していたかもしれなかった。よかった! 雪は切実にそう思った。

 しかし、ここに、まだ問題が解決していない一人の女性がいることを二人は忘れてはいなかった。

 「とりあえず、小谷に連絡とってみよう。彼も昨日帰って来ているはずだから、パソコンで連絡先を調べよう」

 進は、自分の疑いが晴れて一気に勢いづいて張り切った。雪も安心すると同時に、今度はアリスのことが心配になってきた。
 進は、パソコンで小谷の電話番号を調べるとすぐに電話した。

 「あ、小谷晋さんのお宅ですか? ああ、小谷か? 艦長の古代だが…… あ、在宅してるんだな? 今、急用でそっちへ行く。待っててくれないか? ああ、すぐ行くから、場所の目安は? うん、うん、わかった」

 進は小谷と話を済ませると、すぐに振り帰って、雪とアリスに言った。

 「すぐ行くぞ。仕度して」

 (11)

 車に3人が乗ると、雪が進に尋ねた。

 「ね、古代君、小谷さんって、独身なの?」

 「うん、そのはずだよ。俺と同じか1つ上くらいだと思うけど……」

 「そう……」

 「古代さん、雪さん、ご迷惑をかけてすみません……」

 アリスが後ろ座席で消え入りそうな声で言った。

 「アリスさん…… いいのよ、古代君だって、自分の艦の乗組員の事だもの。責任はあるのよ。ね、古代君」

 「ああ、いやぁ、昨日帰ってくるなりこの話を聞いたときは心臓が止まりそうになったよ。飲みすぎたのか記憶のない夜があったものだから、まさかとは思ったけど、はぁ……」

 「そ、そうだったんですか? ほんとにごめんなさい。ちゃんともっと確認すればよかったんですが…… 私も気が動転してたので」

 アリスが進に謝った。

 「そうだよ、雪だって、写真を見て、どの人か聞かなかったんじゃないか!」

 「だって…… 古代君の名刺と一緒にだされたんだもの…… それに! その、記憶のない晩のことはまだ解決してないんですからねっ!」

 アリスとの事が一段落して、元気を取り戻した雪は、進のまだ不明の一夜の事を思い出すと、進に言い返した。

 「うっ…… だ、大丈夫だよ、たぶん、部屋に帰って寝ただけだから……」

 それを言われると何も言い訳が出来ない進だった。

 「怪しいもんだわ!」

 「ちぇっ、やぶへびだなぁ……」

 二人の会話を後ろで聞いて、アリスが少し笑った。20分ほど走って、車は小谷の家のあるマンションに着いた。

 「俺が先に行って、話をしてくるから、君たちは少し待っていてくれないか?」

 「ええ、わかったわ」

 進は、駐車場に車を止めると、一人で車を降りてあがって行った。

 「雪さん…… もし、ススムにも決まった人がいたらどうしよう…… 昨日、あなたに会って、ススムのことはあきらめてました。だって、あなたのような人がいるのに私なんか…… でも、違う人だった。ススムじゃなかった…… よかったって思ったけど、でもまた、同じように……」

 そういうと、アリスは涙をぽろぽろとこぼした。今まで、ずっと心細かったに違いなかったが、雪の前でそんなそぶりをする事は出来ずに我慢していたのが、今一気に吹き出してきたようだった。

 「泣かないで、アリスさん。きっと、大丈夫よ。きっと……」

 雪は、アリスの肩をだいて励ました。
 (12)

 その時、階上から声がした。進が5階の窓から、顔を出して、ふたりを呼んだ。

 「おおい! 上がっておいで!」

 二人は、すぐに車を降りて、エレベーターで5階へあがった。510号室、それが小谷の部屋だった。ドアを開けると、進がすぐにこちらを向いた。そして、その隣から、小谷飛び出してきた。

 「ススム……」

 「アリス…… ごめんよ。まさか、こんなことになってるなんて、ほんとにもう一度行くつもりだったんだ。そして、本当の事を話すつもりだったんだよ。けど、なかなか、お金もたまらないし、休みもとれなくて…… 連絡しようと思ったんだけど、君の連絡先がわからなかったんだ」

 「ススム……」

 アリスは、小谷の胸に飛び込んだ。小谷もアリスを強く抱き返した。お互いの気持ちは間違いのないようだった。進と雪もホッとして顔を見合わせて微笑んだ。

 そして、小谷はアリスを座らせると、雪に向かって謝った。

 「ほんとうにすみませんでした。僕が古代さんの名前をつかったばかりに、森さんにまでご迷惑をかけてしまって……」

 「もういいのよ。でも、どうしてそんなことに?」

 「僕は、あそこでアリスに一目ぼれして…… やっと声をかけたんですが、アリスに嫌われたくなくて、格好つけたかったんです。アリスが僕の事を古代艦長と間違えたものですから、その方が彼女の気が引けそうな気がして…… で、ヤマトの話や艦長だって話をしたら、アリスがうれしそうにするもので、つい……」

 「私が愛したのは、やさしいススムで、仕事や役職じゃないわ……」

 「ごめん…… アリス…… 本当に一人でつらい思いをさせてごめん。僕が悪かった。君に早く会いに行けばよかった。僕は、一介の調理人だけど、君への気持ちは本当だよ。すぐ結婚しよう!」

 「ススム!!」

 進と雪が目の前にいる事を忘れたように二人はまた強く抱き会い、今にも、キスでもしそうだった。

 「コホン!! ま、そういうことは後でゆっくりしてもらおう。とにかく、その名刺は返してもらうぞ。また、俺の知らないうちに勝手に俺が何かやらかしたら大変だからな」

 進は、そんな二人の間に入って言った。

 「す、すみません! もう、絶対、艦長のお名前は使いません!」

 「ああ、頼むよ。さてと……」

 進が、立ちあがろうとすると、雪があわててそれを制止した。

 「あっ、ちょっと待って、ねぇ、小谷さん、あのα星第4惑星の最後の晩、古代君は何してたの? 飲みすぎて覚えてないっていうんだけど……」

 「え? 最後の晩ですか? 最初は僕も艦長たちと一緒に居酒屋に行ったんですけど、アリスが休んでたんで、僕はすぐ抜け出して、アリスの部屋に行ったもんだから…… あ、それで、こうなっちゃったんですけど……」

 小谷はアリスの腹部を見て照れ笑いをした。

 「じゃあ、知らないのね?」

 「あっ、でも、次の日、出航したら、みんなうわさしてました」

 「えっ?」 進がギョッとした。

 「なんて?」 雪はさらに聞いた。

 「はぁ…… 古代艦長、話してもいいんでしょうか?」

 小谷が進に伺いを立てる。

 「いまさら、黙ってられるわけないだろ。話せ!」

 進は、何を話し出されるかと不安が一杯だったが、ここで雪が黙って帰るはずもないことはわかっていた。

 「あの日は、古代艦長が珍しくよく飲んで、ご機嫌だったんです。翌日に出航したら、あとは地球へまっしぐらでしたからね。飲みながら、今回の出張は長かったから、早く帰りたいってそればっかりで、森さんのことをいろいろ話してたらしいですよ。その内うとうとしだして、寝言で『雪に会いたい!』ってそればっかり言ってたって。しばらく、艦の中で、はやってましたよ。地球に早く帰りたいって言う意味に『雪に会いたい』って使うのが…… さすがに艦長に直接話すバカはいなかったみたいですが」

 小谷が説明するのを、雪は聞きながらおかしくなってきた。が、進の方は、顔を真っ赤にしていた。

 「ば、ばかっ…… そんなに詳しく説明しなくても……」

 進は、小谷の話に焦った。雪とアリスはくすくす笑っている。

 「飲んだ後は、半分眠りながら、他の乗組員達と一緒に帰ったはずですよ。心配で部屋に入るまで見てたって、木原が言ってましたから」

 女性陣はさらに笑い出すし、進の顔は赤いままだった。

 「もういいだろ、雪、帰るぞ。小谷! 今回の事は、内緒にしておいてやるから、ちゃんとアリスさんのこと守るんだぞ!」

 たまらなくなった進は、照れ隠しに怒鳴るような声で小谷にそういうと、進はづかづかとドアに向かって歩き出した。

 「じゃあ、失礼します。お二人ともお幸せにね」

 「ありがとうございました」

 頭を下げる二人に会釈して、雪は、先に行く進を小走りで追いかけていった。

 (13)

 雪が後ろから来るのに待ちもせずに、進は車のところまで歩いて、さっさと乗ってしまった。その後をついて行きながら、雪はうれしいのとおかしいのとで、笑いが止まらないまま、助手席に乗った。

 車に乗ってからも、雪はくすくす笑いつづけていた。進は、バツが悪いのか、黙ったまま、前だけを見て運転していた。

 「小谷のやつ、せっかく彼女を連れて来てやったというのに、なんでもかんでもバラしやがって……」

 「いいじゃないの、古代君。大体、今回の事は、あなたの艦長として監督不行届きもあるんだから。でも、さっきの話、ふふふ…… 私、うれしかったわ」

 雪が、笑うのをやめて、進の方をじっと見つめた。進は、運転しながら、隣から熱い視線を感じてまた、顔を赤くして、ふくれていた。しかし、しばらくすると、その表情が柔らかくなった。

 「……そうだな、酔ってとんでもないことしでかすよりはいいか! 雪」

 「そうよ! うふふ…… でもやっぱり、古代君のこと信じようって思ってて良かった……」

 「ほんとに信じてたのか? 俺だって、自分を信じきれなかったのに」

 「古代君の事に疑惑を感じなかったと言ったら嘘になるけど、でも、信じていたい気持ちがすごくあって……」

 雪がそう言って、もう一度進の方を見つめると、進は、路肩に車を止めた。

 「どうしたの? こだい…… あっ!」

 進は、雪をぎゅっと抱きしめて、その唇にキスをした。それは、ほんの一瞬の事で、進はまたすぐに車を発信させた。

 「古代君……」

 雪は、突然の進の行動にドキドキしていた。今、ふれられた唇にそっと手を持っていってみた。進の唇の感触がまだそこには残っている。雪はひとりでに笑みがこぼれた。

 「俺には雪だけだ…… 今までも、これからも」

 二人の間に柔らかな空気が流れた。

 「雪、お腹すいてないかい?」

 「あはは…… とってもすいてる! だって、昨日の夜から何も食べてないもの……」

 「よし! じゃ、どっかで飯食って、ドライブでもするか!」

 「ええ」

 久しぶりの再会とデートを、二人は夕方まで楽しんだ。

 (14)

 その晩……昨夜のつけを取り戻すかのように愛し合う二人に、言葉はいらなかった。みつめあい触れあって、そして一つになる。二人は二枚貝のそれぞれのように、ぴったりと合うのはお互いのほかにいないと強く思うのだった。
 熱い瞬間(とき)が流れて、二人はやっと満たされていた。

 「今日の雪、いつもと違ったね。反応が……」

 進が雪の髪をなぜながらささやく。

 「古代君も…… いつもより…… 丁寧……」 雪が頬を染める。

 「たまには、こういうことも刺激になるのかな?」

 「いやよ…… こんな刺激なんて、昨日一睡も出来なかったのよ。古代君ったら、ソファーでだってグーグー寝てたじゃない!」

 「疲れてたんだよ。悩まなかったわけじゃない。俺だって不安だったよ。でもやっぱり、男って、こんなことはその気がなかったらできないんだよ。うん!」

 進は、雪を抱きしめながら言った。雪の素肌の温かさが進を刺激する。

 「ほら、雪にならすぐ反応するんだけど……」 進がニッと笑って、さらに雪を強く抱きしめた。

 「もう……」 進の愛を感じて雪はまた体を熱くした。

 「けど、ひとつだけ小谷がうらやましかったことがあるんだ……」

 「えっ? アリスさんが気に入ってたの!」 雪が眉をしかめた。

 「ばか、違うよ。アリスさんが小谷の事、ススム!って呼んでただろ? あれ聞いてたら、自分のことを呼ばれてるみたいで、いいなあ、あれ。雪はいっつも古代君だしなあ……」

 「あん、だって……」 

 雪は恥ずかしそうに頬を染める。心の中では呼んだことはあったが、口に出して言うのは、なんとなく恥ずかしかった。

 「なぁ、雪、二人っきりの時くらいいいだろう?」 進は、雪に促した。

 「……すすむ……さん?」

 「ああ、なんだかドキドキするな、とても」 進がうれしそうに笑う。

 「私もよ、す・す・む・さん…… 愛してる…… 愛してるわ! 私のススム!」

 雪は心の中から、進への愛があふれ出てくるような気がした。

 「雪…… 愛してるよ、君に負けないくらいに!」

 進もそれに答えて、そしてまた雪を強く抱きしめた。それから再び、ふたりにめくるめく幸せの時が過ぎていった。

 思いがけない不運な誤解が二人を一晩だけ離れ離れにしたが、それは、二人がさらに強く結びつくための糧でしかなかった。またひとつ、二人の愛が深まった。

−お わ り−

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