Relax Time3〜やっぱり……幸せ〜
「古代く〜ん、お茶が入ったわよ」
彼女の華やかな声が聞こえてきた。
「ああ、今行くよ!」
僕は書斎で読んでいた書類を置いて、リビングへ向かった。
春……日曜の昼下がり。ぽかぽかと暖かい日差しが窓のレースのカーテンを通して入ってくる。
ここは閑静な住宅街の中にある小さな一戸建て。この間、ここに住んでいる僕の先輩から留守を頼まれて、半年だけ住むことになった仮住まいだ。
リビングのテーブルの真ん中には、マーガレットの花がガラスコップに無造作に生けられていた。あれは昨日、彼女が買ってきたものだ。
僕は形式ばった花の飾り方は好きじゃない。だから彼女は買ってきた束のまま、無造作にぽんとコップに入れた。
そう、それでいい。それが一番。好き勝手な方向を向いて丸く広がっているマーガレットが自然でかわいらしい。野原に咲いたままならもっといいけれど。
そして、僕の鼻をくすぐるように、ふんわりと紅茶のいい香りが漂ってきた。
テーブルには、もちろん彼女の言葉どおり紅茶が置かれていた。グラス――耐熱グラスなんだが――に入っているので、中の紅茶がティーバッグごと透けて見えている。日差しに映えて、やや赤みがかった紅茶が色鮮やかだ。
これも昨日、彼女が買ってきたものだ。なにやら新しい種類のお茶が発売されていたんだとか……
僕が自分で買う時は缶入りの茶葉を買うんだけど、彼女が買ってくる紅茶はいつもティーバッグタイプだ。僕としてはティーバッグなんて邪道だ!と言いたいところだが……
『古代君は上手に入れるからいいけど、私はこれでなくちゃうまくいれられないんだもん!』
とは彼女の弁。ティーバッグなら失敗がないらしい。確かに彼女の入れるティーバッグ紅茶は、可もなく不可もなくってところだ。それなりに楽しめる。
それに、彼女にいれてもらうという行為が嬉しくて、僕は特別に彼女のティーバッグ使用を容認している。
僕がそんなことを考えながらテーブルの上のものを見つめていると、彼女が小皿にクッキーを乗せてリビングに入ってきた。
「さ、お茶にしましょ。座って……」
クッキーの皿を置きながら、彼女は笑顔で僕を促した。僕は「ああ」と頷いて、グラスの前の椅子に腰掛けた。
「なあ雪、さっき、俺のこと『古代君』って呼ばなかったか?」
「え? あらっ? そうだったかしら……」
彼女が僕の前に立ったまま、とぼけた顔で微笑んだ。
お〜い、こらっ、ごまかすなって! 二人きりの時は名前で読んでくれるはずじゃなかったっけ?
「あ〜あ、もう、いつまで経ってもこれだもんな〜 俺たちもう結婚したんだぜ」
あきれた顔で、立っている彼女を見上げると、彼女は痛いところを突かれたと思ったのか、一瞬つまらなそうな顔をした。がすぐにそれをごまかそうというつもりか、今度は甘えた声で言い訳をした。
「わかってるんだけどぉ、なんとなく無意識にそう呼んじゃうのよ」
そりゃあまあ、彼女の言うこともわからなくもない。付き合う前からずっと僕のことをそう呼んでいたんだから……
なんて思っていると、彼女はさらに、こんなことを言い足した。
「だって、長かったんだもん! そう呼んでた時間が……」
彼女のその言い方に少し含むものを感じる。
雪、つまり……結婚するまでにたっぷり時間があったって言いたいんだろ?
「それってさぁ、もしかして……嫌味か?」
僕がおどけた様子でそう返すと、彼女はくすくすと笑い出した。
「うふふ…… かもねっ!」
ったく、言ってくれるよなぁ、雪の奴。けど、僕だってそれなりにその分のフォローはしてるし、いまさら責められることないと思うぞ!
僕はそれを実力行使で伝えるために、彼女の腕をぐいっと力任せに引き寄せた。
「あ〜 言ったなぁ〜〜!」
「きゃっ!」
小さな悲鳴とともに、彼女はストンと僕の膝の上に座らされる羽目になる。そして僕はその華奢な体を力いっぱい抱きしめた。
「結婚式もぜ〜んぶ君の仰せの通りに執り行ったし、ハネムーンも君の望みの場所でたっぷり甘やかせてやっただろ? その上、新婚生活をこんないい新居で過ごせてるっていうのに、まだ文句あるのか?」
そう言いながら、僕は後ろから彼女の首筋に唇を這わせた。彼女はくすぐったそうに体をくねらせている。
「うふっ、くすぐったいわ…… 離して……」
「だめだ」
僕は彼女のうなじをぺろりと舐めた。
「あんっ、もうっ! 文句なんかありませんてばぁ〜 やっ、くふふ……」
それでもまだ離したくなくて、抱きしめていた手を彼女の胸元に手を伸ばした。と、彼女が小さな声でこういった。
「おいたしてると、お茶が冷めちゃうわよ」
「おっと、それは困るな」
そうだった。テーブルにはいれたての紅茶があったんだ。冷めたお茶は味が落ちる。せっかく彼女が入れてくれた紅茶だから、おいしくいただきたい。
それを思い出した僕は、あっさりと彼女を抱きしめた腕を離した。
すると、彼女は、「もうっ!」と、ちょっぴり悪態をつきながら僕の膝から降りて立ち上がった。そしてくるりと振り返った彼女の表情はと言うと……なぜか不満げな表情。
それは、僕に拘束されてしまったことを怒っているのか…… それとも逆に、僕がいともあっさりと離してしまったことに怒っているのだろか……
もちろん、僕としては当然後者であると信じている。だが、とりあえずお茶を飲んでからだな。
僕は何事もなかったかのように、お茶をすすり始めた。
「お茶いただきま〜す!」
結局、彼女もすぐに笑顔に戻って、僕の向かいに座ると、同じようにお茶を一口、口に含んだ。実は彼女、結構僕の笑顔に弱いんだよ。
それから2人してとりとめもないことを話した。と言っても、8対2の割合で彼女の方がしゃべっている。本当に彼女は話題が豊富だと、いつも感心させられてしまう。
もちろん、僕にとっちゃどうでもいいことも多いんだけど、長官秘書の彼女だからこそ把握しえる、仲間達の近況なんかを事細かに知らせてくれるのはとてもありがたかった。
しばらく雑談をして、お茶とお菓子がなくなった頃、彼女はうっとりとした顔で目を閉じた。
「はぁ〜、なんだか、とっても幸せだわ〜〜」
「ああ、そうだな」
僕らのRelax Time…… こんなのんびりとしたひと時を過ごすということが、日頃厳しい任務に明け暮れている僕らにとっては、とても大切なことだと、つくづく思う。彼女もきっと同じ気持ちなんだろう……
僕は、彼女と結婚して本当によかったと心の底から思った。
そんな気持ちを込めて、僕も目を細めて彼女を見つめた。すると、彼女が再び僕をじっと見つめてから、口を開いた。
「ねぇ、こ……あ、進さん……」
彼女が慌てて言い換えた。
「ん?」
僕は笑いを必死に堪えた。でもって「また古代君って言いそうになったろ?」と突っ込みたいのを我慢して、彼女の言葉の続きを待った。
「来年の今頃も2人でこうしていたいわね」
「ああ、そうだな」
2人してにっこりと微笑みあった。そうだな、僕も心からそう思うよ、雪。来年も再来年も……ずっとずっとこんな時を過ごしたいよな。
「でも……」
「でも?」
ここに「でも」が存在するとは思っていなかった僕がその続きを促した。が、彼女はなぜか、少しはにかみ気味に微笑んだ。頬がほんのり赤い……? それから小さい声でこう言ったんだ。
「もしかしたら、3人になってたりして……」
「え……?」
一瞬その言葉の意味が分からなくて僕は目をぱちくりさせていると、彼女は今度は意味深に――少々妖艶でもあった――微笑んだ。
「うふふ……」
そこで僕もはたと気付いた。ああ、そういうことか…… あの人が望んでいた僕らの愛の結晶……
「そうだな、それもいいな〜」
僕も彼女に微笑み返した。今はこうして彼女がいてくれるだけで十分に幸せだけど、彼女と僕の子供……その子にいつか会えることが出来たら、どんなに素晴らしいだろうか。
「今のところ、予定は未定ですけど……」
彼女が軽く肩をすくめた。
今はまだ妊娠はしていないと言いたいのだろう。結婚してからはいつ出来てもいいつもりにしていると、彼女は言っていたけれど、いろいろとタイミングってものがあるらしい。
僕と彼女の仕事の関係で、そのタイミングってのが、結婚後まだ一度も合ったことがないとか……
「俺としては、最大限努力してるつもりなんですがねぇ〜〜」
と今度は、僕の方が意味深に微笑んで見せた。この件に関しては、僕の努力は相当優等生だと思うんだが。
「うふふ…… それは認めるわ、十分に……」
と、彼女も認めてくれた。がしかし、それでも努力は怠ってはいけない。
「いや、まだ足りないのかもしれないな」
僕はまたニヤリ。
「えっ?」
弾かれたように彼女が僕の顔を見て、それからポッと赤くなった。
「早く欲しいんだろう?」
「そう言うわけでもないけど……」
なんとなく僕の心中を察したのか、彼女がもじもじし始めた。もちろんこのチャンスを逃す手はない。
「仕方がない、協力するとしようか!」
僕はおもむろに立ち上がると、彼女の前までつかつかと歩いていった。すると、彼女も慌てて立ち上がって、1、2歩後ずさりした。
「えっ、ええっ!? あはっ……あの、今はお昼間で……」
僕の意図をはっきりと察知した彼女は、頬をほんのり染めながら両手を前に軽く突き出した。その差し出された手首を僕はぎゅっと握り締め、力を込めて引き寄せた。当然彼女との距離は一気に縮まって……
「あれ? いまさらそんなこと気にするかなぁ?」
ぐいぐいと顔を近づけた僕の顔と彼女の顔の距離はもう数センチもない。
「でも、だって…… ああ、今日は……あの……努力しても実にならないって言うか、ほら……タイミングが……あわないわ」
彼女は顔を逸らせてまだ抵抗を試みようとしている。バカだなぁ。その気になった僕を止められるはずがないのは、彼女が一番よく分かっているくせに……
「じゃあ、本番前の予行演習ってことで」
僕は彼女の返事なんかまったく頓着なしで、彼女をひょいと抱き上げた。それから、派手にチュッと音をたてて彼女の唇にキスをした。
「もうっ……ば……か……」
頬を染めたまま、彼女は僕の首をぎゅっと抱きしめた。それが彼女のOKのサインだった。
それからの僕達がどうしたかって? あはは……そんなこと、聞くだけ野暮ってもんだろ? だって僕らはまだまだ新婚ほやほやなんだから。
え?いつまでほやほやでいるつもりかって? それはまあ……適当にね!
そして来年か再来年の今頃には、僕らは3人でこの穏やかな春を楽しんでいるかもしれない。もちろん、僕の不断の努力のたまものとして…… なっ、雪。
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