Rose Dream〜バラ色の夢をあなたに〜
それはあるひとつの小さなビンから始まった。
その日の夕方、雪は所用で久々に連邦中央病院に立ち寄った。その用事を終え、以前の勤務部署に立ち寄ったところ、ちょうど旧友の絵梨が夜勤で出勤してきたところだった。
少し時間があるからと絵梨に誘われ、雪は看護婦の控え室に入った。
久々の再会に、休憩用のソファーに座った二人の間で、とりとめもない会話が続く。自分達や友人達の消息を話したり、女性らしくファッションやおしゃれグッズなどにも話が及んだ。
最近の流行りについての話になった時だった。絵梨が「あ、そうだわっ!」と両手をぽんとついて立ち上がると、自分のロッカーの扉から何か取り出して戻ってきた。
「ねえ、雪。これなんだかわかるぅ?」
振り返った絵梨が、ロッカーから出してきた物は、小さなかわいらしい小ビンだった。中には、鮮やかなピンク色の液体が入っていた。ビンについているラベルにも妖艶なほどに真っ赤なバラの模様がついている。
「なぁに、これ? 香水?」
ラベルに何か書いてあるようだが、雪の側からはよく見えなかった。不思議そうに尋ねると、
「ううん、違うのよ…… 実はね、うふふ……」
絵梨は意味深に笑った。雪は首を傾げてそのビンを見つめるばかりだ。中身が何かなんてことは全く想像がつかない。
「やぁね、絵梨ったらもったい付けちゃって。なによ、それ?」
雪がじれったくなって、絵梨をせかすと、彼女はにんまりと笑ってから、その小ビンを雪の目の前に突き出した。
「今これ、街で話題なのよ。雪、知らなぁい?」
「うんっ! だからなんなのっ!」
「うっふっふ…… これは、愛のび・や・くっ♪」
絵梨は肩をすくめながら色っぽく流し目を送ると、くすりと笑った。
「え?愛の……びやく……!? えっ、ええっ!」
思わず声が上ずってしまう雪は、それでも大きな瞳を最大限に開いてその小ビンをまじまじと見つめた。
「うふっ、これをほんのちょっぴり飲むだけで、二人はめくるめく世界にいざなわれるのでございま〜〜〜っす!」
絵梨がウインクをひとつ雪に送る。と同時に、雪の顔がポッと赤くなった。
「……!?」
「やぁね雪ったらぁ。何を今更赤くなってるんよ! 雪んとこは、こんなのいらないくらいラブラブらしいけど。
でも、たまにはこういうので雰囲気変えてみるのもいいかも! 古代さん、も〜っと燃えちゃうかもよぉ〜〜〜」
そう言って、雪が仰け反るほどに、前にその小ビンを突き出した。
「や、やだわっ、絵梨ったらぁ、もうっ……」
それでも絵梨はひるまない。まるでその商品のセールスレディのようにしゃべり出した。
「いいじゃないの! 今ね、これ、すごく流行ってるのよ。なかなか手に入らないんだから!! たまたま、私もらったんだけど、彼今ヨーロッパに長期出張中で当分会えないし、当分使う機会がないのよねぇ…… だからっ! これ、雪にあげるわっ!」
「えっ! い、いいわよ…… 私は別に……」
両手を振って遠慮する雪。でも……絶対に欲しくない!と突っぱねないところを見ると、ちょっと気になっているのも事実。その証拠に、目は興味ありげに密かに輝いている。
絵梨はそう言うところにはとても目ざとい。雪の手を取って、勝手にその手のひらにビンをぽんと置いた。
「遠慮しなくていいって、ほらっ! でもって、雪んところで使ってよかったかどうか感想聞かせてよねっ!」
「で、でもぉ〜 変な物入ってるんじゃないの?」
などとまだ及び腰の雪ちゃんではあったが、ん?あれ? しっかりそのビン手に握ってたりする!?
「大丈夫だって! みんな使っててなんともないんだから! とにかく持っていきなさいってば。もし雪が使いたくなかったら捨ててもいいんだから」
とここまで押されたら、一応受け取らないと友達甲斐がないわよね、という建前のような理由で、雪はしぶしぶ?その小ビンを受け取った。
「ん……うん、でも、きっと使わないわよ」
と一応釘をさしながら、雪はそれをスカートのポケットに無造作に入れた。欲しくて貰ったんじゃないけど、仕方ないから預かっておくわ!と言いたげなパフォーマンスだ。
そのあたりお見通しの絵梨は、おかしそうに笑いながら、よっこいしょと立ち上がった。
「はいはい。さぁて、そろそろ仕事行かなくちゃ。雪、じゃあまたね! あ、古代さんにもよろしくっ! それから、そのうち二人の愛の巣に遊びに行かせもらいからっ!」
「うふふ、わかったわ。いつでも遊びにきて! ただし、古代君はめったにいないわよ!」
「了解!!」
絵梨が出ていってしまうと、雪はその小さなビンをじっと見つめた。
(どうしよう、これ…… こんなの…… でも…… 本当に効くのかしら? 効いたらどうなっちゃうのかしら???)
その後病院から直帰の許可を貰った雪は、早めに帰宅して、夕食の仕度を始めていた。
一緒に暮らす進も、ここ数日は地上勤務中。メインが時間の決まった会議なので、それほど遅くなく帰ってくるはずだ。
雪は機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、料理をしている。おままごとのような同棲生活もそろそろ板に付いてきたようだ。
今日のメニューは、ビーフシチューと海草サラダ。コンロにかかっているシチューのよい香りが、部屋中に広がっていた。
時計を見ると、6時を過ぎたところ。昨日進は7時に帰ってきた。
(今日も7時くらいかしら? じゃあ、もう少し時間があるわね)
雪は、ぐつぐつ煮えるシチューを見ながら、台所の椅子に座って一息ついた。なにげなくポケットに手をやると、手に触れるものがあった。さっき絵梨に無理やり渡された(と雪は思うことにしていた)例の小ビンだ。
(あ、そういえばポケットに入れたままにしてたんだわ……)
雪は、ポケットから小ビンを取り出した。そして小ビンに張られている真っ赤なバラの花で飾られたラベルを見た。そこには、絵梨が言った通りの魅惑的な文章が綴られていた。
『愛の媚薬〜RoseDream〜バラ色の夢をあなたに……
二人をめくるめく愛の世界に導きます。あなたも愛する人と素敵な愛の夢の世界を体験してください』
その下に小さい字で使用法が載っている。甘い味がするので、そのまま飲んでもいいし、また料理や菓子に混ぜてもいいと書いてある。数滴で効果があると書いてある。
(めくるめく愛の世界……って、どんなものなのかしら?)
雪にとって愛し合う行為と言うのは、まだまだ開発途上、未知の世界である。
(こんなのただのまやかしよね〜)
と思いつつも、
(これを飲んだら、もっと大胆になっちゃうのかしら? きゃっ、やだわ、雪ったら……)
自分で自分に突っ込んでみたりして……
貰った時は、いらないいらない、と言ってみたものの、実はこの効能?とやらが気になって仕方がないのだ。
進と一緒に暮らし始めて数ヶ月。地球にいる時の二人の関係は、とても良好だし、ベッドライフも充実している……と雪は思う。
ベッドの中の進は、いつも優しくて男らしくて、雪はいつも幸せな気分になる。本当に愛されていると思う。
ただ、雪としては、まだまだ恥ずかしいことも多くて、自分の全てをさらけ出すことはまだできない。
それに進も雪もこの件に関しては、初心者だった。二人して手探りの部分もたくさんあった。
例えば、進の手が自分の体に触れる。どこに触れられてもとても心地いい。だけどその快感を言葉で伝えるのは恥ずかしくて、小さな喘ぎ声をあげるのがやっとだ。
感じるところも気持ちいいことも、全部素直に彼に言えたらどんなに気持ちがいいだろう…… 雪はそう思った。
(でも…… そんなこと言ったらものすごくえっちな娘(こ)だって思われちゃいそうだし…… これを使えば、私ももう少し大胆になれる……かな?)
ドキドキ……ドキドキ…… 雪の心臓が、大きな鼓動を響かせる。試してみたい気もする……
ドキドキ……ドキドキ……
(ちょっと真似事してみようかな? うふふ……冗談だからね、雪。ちょっと格好だけ……)
ビンのふたを取ってシチューの上に持っていって、先を傾けてみる。入れるつもりはないけれど、入れてみる格好だけですごくドキドキしてきた。
ドキドキ、ワクワク…… ふふふのふ……
とその時、ドアベルがなった。ピンポ〜ン!
ド、ドキ〜〜ッ!! 雪の心臓が再び大きく波打った。それと一緒に体と手が震え、持っていた小ビンの液が一気にシチューの中へ……!!
(きゃ、あ〜〜〜っ!! ど、どうしよう!! 本当に入っちゃった!それも全部!)
焦っている雪の耳に、ドアが開く音がして、「雪、ただいま!」と言う進の声がした。
(ああ、どうしようっ、古代君ったらどうして今日に限ってこんなに早く帰ってくるのよ! やだっ、どうしよう、どうしようっ……)
焦りまくる雪は、とりあえず手に持っていた小ビンをエプロンのポケットに仕舞い込んでから、シチューをぐるぐるとかき混ぜた。
それから、すーはーと大きく何度か深呼吸してから、「古代君、お帰りなさい」と返事をして、玄関へ駆けていった。
だが……雪の頭の中は真っ白になっていた。
「ただいま、雪! あ〜疲れた!」
雪を見るなり、進は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「お、おかえりなさい、古代君……今日は早かったのね」
「ああ、会議が予定より早く終わったんだ」
「そ、そう……なんだ」
秘密の仕業の現場を見つけられたような気分の雪は、まだ心臓がドキドキしている。言葉ももつれ気味だ。それが顔にも出ていたらしく、進が怪訝な顔をした。
「どうした?雪。なんか顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃないのか?」
進は少し心配そうな顔になって、雪の頭をぐいっと引き寄せて、おでこに自分のおでこをこつんとあてた。
「な、なんでもないわ。大丈夫よ」
焦りながらそう言う雪の目の真前に進の顔がある。心臓の高鳴りはさらに高くなるばかり。
「ん、熱はないみたいだな。よかった」
何も知らない進は、再び笑顔になって、そのまま雪を抱き寄せて唇を奪った。
「んっ……」
進としては、軽く帰宅の挨拶代わりに、ついばむようにチュッとして離すつもりだったのだが、いつものことながら、雪の甘い唇の魅力に負けてしまった。そのままじっくり味わうように、ゆっくりとくちびるを丁寧になぞって、彼女の唇をたっぷりと堪能した。雪も抵抗しない……と言うより、抵抗できなかった。
「ごちそうさまっ!」
体を離すと、そう言ってにんまり笑う進に、雪は困ったように微笑んだ。
「もう、やぁねっ…… 着替えてきて。すぐに食事にしましょう」
帰るなりの彼の熱いキスにうっとりしながら、雪は進を促した。
「ああ、了解! おっ、今日はビーフシチューかい? いい匂いだなぁ」
進は、今日のおかずを物色するように台所を覗き込んで、くんくんと鼻をひくつかせた。
ビーフシチューと言う言葉に雪は再びドキッとした。進のキスで忘れそうになっていた例の媚薬入りシチューのことを思いだしたのだ。
「え、ええ…… すぐ仕度するわね」
そう言ってみたものの、例のシチューをそのまま食べさせるべきかどうか、雪としてはおおいに悩んだ。
(どうしよう、どうしよう…… シチュー飲んでも大丈夫かしら? もしも二人してどうにかなっちゃったらどうしよう…… まさか、そんなことないわよね。毒ってわけじゃないんだし……)
雪が春秋していると、進が部屋着に着替えて戻ってくると、食卓の準備を手伝い始めた。なべの中のシチューを覗いて、「うまそうだな」と嬉しそうに舌なめずりしている。
(もうだめっ、知らないっ!)
雪はもとうとう半分やけっぱちで、作ったシチューを深皿に取り分けた。
テーブルに、二人分のシチュー皿を並べ、サラダも置いた。ご飯もついで、飲み物には赤ワインを1本。シチューにはこれ、と進が買い置きのワインを取り出してきたのだた。
「じゃあ、まずワインで乾杯!」
進は早く帰れたからか、機嫌がいい。ニコニコとしながら注いだワイングラスを持ち上げると、雪も同じようにするようにと促した。
雪がグラスを持ち上げると、カチンと合わせて一口ぐいっと飲んだ。
「さぁて、シチューからいただくとするかな」
何も知らない進はスプーンでシチューをたっぷりすくって口に持っていこうとした。それを見つめる雪の顔は……見事に複雑な顔をしていた。
(ドキドキ……ドキドキ…… どうしよう。本当に食べちゃって大丈夫? 二人して……めくるめく世界にいっちゃうのかしら?
や、やだっ、わたしったら…… どうしよう…… ドキドキ……)
そして……
「や、やっぱりだめっ! 古代君!!」
雪が突然ガタンと立ちあがった。その勢いに、進はびっくりしたように顔を上げた。
「どうしたんだ? 雪?」
「あ、あの……ね。そのシチューなんだけど、ちょっと失敗しちゃったの、だからやっぱり食べるのやめましょう…… あの、すぐに他のもの、何か作るわっ!」
雪が皿を引っ込めようと手を伸ばした。しかし、
「えっ? そうかい? いい匂いしてるけどなぁ。あ、ちょっと待って、味見してみるからさ」
「あぁ〜〜〜、だからだめだってぇ!」
しかし、進は雪の出した手を制止して、もう一方の手でシチューをすくって口に入れた。そして、たっぷり口に放り込んでもぐもぐと食べてから、満足そうに微笑んだ。
「ん、うまいよ、雪。何を失敗したんだかわからないけど、大丈夫だよ。ほら雪も食べろよ」
雪は恐る恐る進の反応具合を探ってみるが、特に変わった様子はない。ほっと一安心する。
「そ、そ〜〜お? 大丈夫……だった?」
「本当だって、心配するな。雪も食べろよ」
「う、うん……」
「ああ、そうしろよ。変なヤツだな」
(古代君、変わらないわよね? 大丈夫みたい…… それに、もし……彼だけ食べてとんでもないことになったら余計に困るし…… もうっ、こうなったらヤケだわ!!どうなっても知〜らないっ!)
首を傾げる進をちらちらと覗き見ながら、とうとう雪もそのシチューを口に入れた。と食べた瞬間、体中がカーッと熱くなったような気がした。
(体が火照る……熱い…… もしかして、これが媚薬の効果? 古代君はなんともないのかしら? ああ、どうしよう…… 食べちゃったわ。どうしよう……)
そんなことを思いながらも、雪はまたシチューを口に入れた。何も知らない進の方は、美味しそうにパクパク食べている。
「うまいじゃないか、雪! いったい何を失敗したって言うんだい?」
と問われても、かくかくしかじかと答えるわけにはいかない。
「あ、ああ…… 間違ったって思ったけど、違ってたみたい、あはっ、よかったわ」
笑ってごまかす雪をなんとなく不審に思いながらも、進は深くは追求しない。
変なところで突っ込んで、雪の機嫌が悪くなると収拾がつかなくなることを、彼はよく知っているのだ。雪と暮らすにあたっての彼なりの処世術であった。
進はせっせと食事を進めた。ワインも飲んで、サラダも食べた。お皿の中のシチューも全部平らげて……
「シチューお代わり!」
「えぇっ!?」
雪が素っ頓狂な声を上げた。ますます頭の中にクエスチョンが浮かぶ進は、不思議そうに尋ねた。
「??? なんでそんなにびっくり仰天するんだよ? お代わりこれが初めてだぞ。俺そんなに食ったか?」
「う、ううん…… あはっ、そうよね、ちょっと待っててね……」
雪は冷や汗が出そうになるのをなんとか笑いでごまかすと、慌てて立ちあがった。そして進から皿を受け取って、なべに残っているシチューを皿に入れた。
これでなべの中はもうからっぽだ。ということは、これで例の媚薬は全部、二人のお腹の中に入ってしまうことになるのだ。
こうして、二人のドキドキ(といっても雪だけなのだが)の食事は終わった。
「ご馳走様!」
進は満足そうにお腹を抑えると、雪の片付けを手伝い始めた。
雪はそっと進の様子を探ってみる。が、特に変わった様子はない。自分の方は、例の媚薬のことを意識してしまうからか、動悸が止まらないし、体の火照りも収まらない。
(やっぱり、効いてきてるのかしら? どうしよう、私だけ乱れちゃったら、ああ、どうしよう……)
進の方は、今日の雪の態度がどうしても解せない。なぜかそわそわふわふわ、その上顔も紅潮気味だ。
(ワインはほんの一口飲んだだけなのに、一体どうしたんだろう?雪は……?)
洗い物をすませると、隣の雪をまじまじと見つめた。
「な、なぁに? 何見てるの古代君……」
雪は恥ずかしそうに彼の視線を避けながら、かけていたエプロンを取ろうとした。その時、エプロンのポケットからコロンと何かが落ちて、コロコロと進の足元に転がった。
「あっ!」
雪が小さく叫んだ。それは例の媚薬の入っていた小ビンだ。進が帰ってきた時に、焦ってエプロンのポケットに入れたまま忘れていたのだ。
慌ててそれを拾おうとする雪よりも早く、進がひょいとそれを拾い上げた。
「なんだこれ? ん?…… あいのびやく、ろーずどりーむ?」
「やっ、古代君、だめっ!」
雪がすばやく進の手からそれを取り上げて、再びポケットにしまい込んだ。進は一瞬さっきのがなんだったか理解できず、不思議そうな顔で目をぱちくりさせている。もう一度雪の顔を見なおすと、顔が真っ赤だ。
(えっ? 確か……あのビンに書いてあったのは……)
進は、さっき目にした文字を思い出していた。
「あい……の……びやく……? びやく!?って、え〜〜〜〜っ!! ちょ、ちょっともう一度見せろよ、雪!」
「やんっ、だめっ!!」
雪は進を振り切って、慌てて逃げ出そうとしたが、進の腕に阻まれた。片手で雪の体を羽交い締めにして、エプロンのポケットを探ると、さっきの小ビンをつかみ出した。
それから、雪を後ろから抱きしめたまま、そのビンの説明書きを目で追った。
「これって……?」
雪の顔を見ようと覗き込むと、雪は真っ赤な顔でうつむいたまま顔を上げようとしない。
(これってどう考えても……媚薬。って、そう書いてるじゃないか! で、雪がこれを買って……使った……? ってことは?)
事情を察した進は、とたんになんとも言えない複雑な表情をした。
「もしかして、シチュー!……に入れた?」
進が雪の耳元で呟いた。だが雪は真っ赤な顔のまま、首を左右に2、3度振った。が、それが嘘なのは明白だった。
「そっか、それでシチュー食べるって言ったら焦ってたんだな。入れちゃってからら後悔したのかい? けどもう、俺も君も食っちまったぞ」
進の唇が雪のうなじを這った。びくん、と雪の体が反応する。しかし声は反対に小さくて震えていた。
「……ごめんなさい、古代君……あっ……」
(古代君に呆れられたわっ! 穴があったら入りたいっ!!)
雪は恥ずかしくてたまらない。けれど火照った体は、進の愛撫に敏感に反応してしまう。自分の体が自分のものでないような感じがする。
「別に謝らなくてもいいけど……雪、君は俺とのことで何か不満があるのか?」
雪とのベッドの睦み事は、進にとって至福の時だ。雪もそうだと信じている、というか信じていたい。
ベッドでは、いつも恥じらいを忘れない雪がかわいくて大好きだ。けれど、たまに我を忘れて乱れる彼女を見てみたいと思ったこともある。
今まで、そんな彼女を見れなかったのは、自分の力量不足なんだろうなとは思っていた。
(だから、もっと感じたくてこれを使ったのか?)
進の心に不安が走る。だが、それはすぐに雪に否定された。
「ち、ちがうの……! そんなこと絶対にないわ!」
「じゃあ……?」
「今日病院に行ったら、絵梨が……いらないからって、無理やり押し付けられたの。それで……間違えてシチューに入れちゃって……」
雪が懸命に言い訳をした。彼女の説明によると、雪は本当は使うつもりはなかったらしい。ただちょっとした手違いでシチューに入ってしまったと言うのだ。
それを聞いて、進は安心した。
(俺のことが不満で、これを使おうとしたわけじゃないんだ。よかった…… けど、二人してそれを腹に収めちまったことは事実なんだよな……ってことは!?)
そう考え始めると、今度は進の心が踊リ始めた。媚薬の入ったシチューを二人して食べたと言う事実が、進の心を大きく占拠する。
「そっか、ま、いいじゃないか、そんなこと…… それより、なんとなくこう体が熱くなってきたような気がしてきたよ。なぁ、雪……」
「えっ?」
雪が進を見上げると、進の視線がやけに熱っぽくて絡みついてくるようだ。
彼にも媚薬の効果が現れてきたのかもしれないと思うと、雪の動悸も激しくなってきた。
「雪は……?」
甘い声で雪の耳をくすぐるように進が囁く。
「わたしは…… そんなこと……」
そう答えながら、本当はドキドキの雪である。シチューを食べてしまってから、ずっと心臓の鼓動は激しく脈打っているし、体はひどく火照っている。
進を求める気持ちが、どんどん大きくなっている。
(本当はとっても熱いの……ドキドキするの……古代君!)
雪の心の叫びは、体を密着している進にはよく伝わっていた。
「そんなことないだろう? なんだかドキドキしてこないか? 雪の体なんとなく熱いよ…… 火照ってるんじゃないのかい?」
進の手が、雪のスカートの中にしのび込んだ。
「あっ…… や、だめ……」
口ではまだ抵抗しようとするが、体はもう抵抗する気はないらしい。進の手が、すらりとした太ももをなぞると、雪の体に電流が走った。
「はああっ!……ん……」
感じる!本当に熱い……! 進の触れる手が、いつもよりもずっと熱く感じられ、鋭くささるように体に刺激を与えてくる。
(体が勝手に反応してしまう…… いつもよりずっと敏感いのは、媚薬のせい?)
進は、雪の体を手と唇でくまなくなぞった。進の両手が上から下へと探るように動き回り、唇は雪のうなじから背中に向けてなぞっていった。
「雪…… すごく熱いよ。いい匂いがする……君の体が僕を誘ってる……ああ、雪……」
「あっ、ああ……」
雪は喘ぎ声を出す以外に声が出てこない。体中がいつもより増して敏感になっている。足もがくがくと震えはじめた。
進がそっと囁いた。
「ベッドヘ行こう……」
「ん……」
本当は、まだテーブルの片付けが終わっていない。いつもなら、まだだめよ、と軽くあしらう雪なのだが、今日はまったく進の誘いに抗(あらが)えなかった。
いつになく素直に頷く雪には、媚薬の効果が現われているのだ、と進は思った。
二人は互いへの募る思いを唇に託して、ベッドルームまでの短い距離も口付けを繰り返した。
絡まり合うように体を重ねたままベッドルームに入ると、服を脱ぐのももどかしげにベッドの上に倒れ込んだ。
腕と足を絡ませながら、二人はさらに口付けを繰り返した。濃厚にむさぼるように…… それから互いに相手の身につけているものを剥ぎ取り始めた。
いつもなら、進の成すがままに任せる雪も、今日は積極的に進の衣服を脱がしにかかっている。
(雪がこんなに積極的になってくれるなんて……初めてだ…… ああ、雪!早く君が欲しい)
(体が熱くて、彼が欲しくて…… 私、どうにかなっちゃいそう!もう我慢できない!)
激しい恋情が、進と雪二人の心で渦巻く。
「古代君……古代君…… 私、なんか変な気持ちよ…… どうしたのかしら?」
「どんな気持ち?」
「とっても気持ちいいの…… ああ、わからないけど、もっと強く……抱きしめて欲しいの…… 古代君が……欲しいの!」
「雪!! 僕も君が欲しい。めちゃくちゃに愛したいんだ!」
二人は心と体を激しく絡ませ合いながら、生まれたままの姿になった。
「あっ、ああ……!!!」
雪の声が部屋中に響く。それは、いつもの押し殺し気味の声とは違って、悩ましく声高に響いた。
進の愛撫に、雪は激しく反応していた。
進は雪の肢体のここかしこを丁寧に口と手でなぞっていく。そして特に敏感に反応するところで手を止めると、囁くように尋ねた。
「ここが……いいの?」
「ん……とても……気持ち……いいの、ああっ……そこ……もっと!」
今日の雪はいつもと違う。進は思った。
やけに反応がよくて、いつもなら恥ずかしがって答えないことも、気持ちの赴くままに答えを返してくる。
面白いように反応を示す雪に、進のテンションは上がるばかりだ。抱きしめ愛撫しながら、心のままに手で唇で体全体で、そして言葉で攻めた。
今日の進もいつもと違っている、と雪は思った。
雪を誘導する言葉もいつもよりずっと巧みだ。進自身が、自分でも驚くほど、そそる言葉を雪に投げかけているのだ。
(きっとあの媚薬が効いてるのね……)(あの媚薬が効いているんだな……)
今日の二人はどれだけでも奔放になれるような気がした。
その夜、二人は時の過ぎるのを忘れていつまでもいつまでも愛し合った。
深夜。心も体も満足して、軽い脱力感を抱きながら、二人は素肌をぴたりと寄せ合っていた。
愛する人の胸に擦り寄って、幸せそうに目を閉じる雪に、進が囁いた。
「今日の雪、凄かったな……」
「あ……私…… 恥ずかしいわ」
あの媚薬の効果はもう切れてしまったのか、またいつものちょっぽり恥ずかしがりやの雪に戻っている。
「けど、すごく嬉しかったな」
頬を染める雪に、嬉しそうに進が笑う。
「えっ?」
「いつもはどこかで恥ずかしそうにしてただろ? けど、今日みたいな大胆な雪も、俺はものすごく好きだ」
「そ、そう…… でもきっと……今日は特別なのよ。あれ……飲んだからだわ。だって、古代君だって……」
「あはは、そっか。そうかもな」
「うふふ……」
二人で笑ってぎゅっと抱きしめあった。温かくて気持ちのいい肌の触れ合いが二人を幸福にする。
「なぁ、雪。これからはたまに使ってみよっか? 俺、あんな雪を、また見たいよ……」
そう言うと、進は雪を体から少し引き離してから、彼女の胸に自分の顔をうずめた。くすくすとくすぐったそうに雪が笑った。
「いやよ、恥ずかしいもの…… うふふ……」
そう答えながらも、雪もまんざらでもないようだ。絵梨になんて報告しようかな〜 などと考えている雪は、とても幸せだった。
恋人達の熱い夜は、あのメッセージの通り、バラ色に染められていた。
その翌日のこと、進は仕事が一段落して、司令本部のカフェテリアでお茶を飲んでいた。雪と一緒に過ごせる地上勤務ではあるが、退屈な会議と資料作りは、進の体と精神をひどく疲れさせる。
(ふうっ、疲れたな……)
窓際の席で外を見ながら一口二口お茶を口にしたところで、ふと昨夜のことを思い出した。
(昨日の雪は、すごく乱れて……エロティックで……ああ、たまんねぇなっ! あの媚薬、結構効いたんだなぁ。なんていうんだったっけな? えっと、確かローズドリームだったか? よぉし、今度探して買ってこよう! 今度はどんな反応を示してくれるかなぁ……)
真昼間、それも仕事中に何を考えてるんだ!とお叱りを受けそうだが、退屈で大の苦手な任務中の進のこと。どうか大目に見てやって欲しい。
その時、進の後ろから聞きなれた声が聞こえた。
「よっ、古代! 何一人でニヤニヤしてるんだ?」
進が顔を上げると、そこには真田が立っていた。
「真田さん! 休憩ですか? こんなところで合えるなんて、珍しいな。相変らず忙しいんでしょう?」
真田が進の向かいに座って苦笑した。図星らしい。年中多忙な彼なのだ。
「ま、ぼちぼちやってるよ。今日は、ちょっとここで南部と待ち合わせしててな」
「南部……ですか? あいつも今地球にいたんだっけ?」
「ああ、今日の午前中に帰還してきているはずなんだ」
「で、なにかあったんですか?」
「いや、ははは…… プライベートだよ。南部のヤツは、全く詰まらんことでこの忙しい俺を使いやがる」
そう言いながらも面白そうに真田が笑った。南部が何か真田に依頼したらしい。それも個人的なことで…… 忙しいと言いながらも、そう言う付き合いも決しておろそかにしないのが真田のいいところだ。
それは聞かないわけにはいかないな、と進は興味を示した。
「で、何を頼まれたんですか?」
「うん、それがな……」
真田が説明しようとした時に、南部とそして偶然にも一緒に雪がいた。
「真田さんっ! あれっ? 古代さんもですか?」
南部が久しぶりですね!と言いながら、進に駆け寄った。真田も嬉しそうに手を上げた。
「おっ、南部に雪か! 珍しく揃ったな」
「古代君も……一緒だったの?」
雪が進の顔を見て、はにかみがちに微笑んだ。今朝もそうだったが、進の顔を見るのが少しばかり気恥ずかしい。彼の顔を見ると、昨夜の自分の姿が頭に浮かんできてしまうのだ。
「さっきそこで南部君に出会ったら、真田さんとカフェテリアで待ち合わせしてるから一緒にどうぞっていうから、お言葉に甘えちゃったの……」
「う、うん……」
そう答える進もちょっぴりそわそわしている。今さっきまで雪のあらぬ姿を思い浮かべていた。その本人が目の前に突然現れたわけで、やはり昨夜のこともあり、何か気恥ずかしかった。
「なぁにいまさら、二人して照れてんだよ!」
南部がメガネの奥の瞳をキラリと光らせた。
「ち、ちがうわよっ!」
「で、何用なんだ?南部」
進と雪は同時に照れ隠しに叫んだ。
「ははっ、ちょっとね。で、結果出たんですか?真田さん」
南部はニヤッとしながら、真田に尋ねた。
「ああ、ほらこれが結果だ」
真田が1枚のデータが書かれた用紙を南部の前に差し出すと、それを見た南部はさも残念そうに顔をしかめた。
「ちぇっ、やっぱりそうですか。結構流行ってるからなんか効果あると思ったんだけどなぁ」
「なんの結果なんだよ?」
「まあ、お前らには必要ないもんだな」
真田が笑いを堪えて答えるが、進と雪にはわけがわからない。
クエスチョンマークがたくさん並んでいる二人に向かって、南部が小さな声で囁いた。
「媚薬だよ、び・や・くっ!」
「びっ!?」 「えっ!?」
進と雪が同時に飛びあがった。びっくりしたまま声の出ない二人に、南部が説明を始めた。
「知らないかなぁ。今、巷で流行りの愛の媚薬なんだ。ローズドリームって言うんだけどね。食事に数滴垂らして飲ませると、相手がものすごくその気になってしまうっていうんで、結構話題になってるんだぜ」
進と雪の顔色がさっと変わった。まさか、実は昨夜使いましたとは、口が裂けても言えやしない。雪がさりげない風を装って答えた。
「そ、そうなのぉ〜」
南部は二人の顔色の変化を、さほど気にしないまま話を続けた。どうせ「媚薬」なんて言葉に驚いてんだろうな、程度の感覚なのだ。
「それでね。何かそういう催淫効果のある成分が、本当に含まれてるのかどうかを、真田さんに調べてもらったんだよ。効果があるなら今度使ってみようかなぁ、なんて思ったりしてさぁ〜〜」
ははは、と南部が笑う。それを真田が苦笑気味に受け答えた。
「全くお前ってヤツは……」
「ははは……」
今まで言葉が出なかった進がやっと口を開いた。
「で……どうだったんですか?」
「ああ、調べてみたが、特にそんな効果を示すような成分は入ってなかったな。
香料と甘味料とあとはアルコールに似た成分。ま、飲んだあとすぐポッと体が熱くなることはあるかもしれないが、それも10分もしないうちに覚めるだろうな。全く効果なしって言ってもいいもんだ。
まあ、だいたいこういうものっていうのは、いい加減な物が多いからな。大抵そんなもんだとは思っていたよ」
「あははは…… やっぱりでしたねぇ」
南部もおかしそうに笑う。元々それほど期待していたわけでもなかったらしい。
しかしその時、それまで呆然と聞いていた雪が思わず口走ってしまった……
(だってだって……昨日あんなに熱くなって……ドキドキして……大胆になってしまったのは…… 薬のせいじゃないなんて!?)
「うそっ……」
「えっ!?」 「ゆ、雪っ!」
その言葉に、三人が一斉に雪の顔を見た。南部と真田はびっくりしたような顔で雪を見るし、進は明らかに焦っている。
「あ……」
雪は、自分の失言に気付いて、顔を真っ赤にした。それに呼応するように進の顔色も赤く染まっていく。
その場が一瞬シーンとした。
進と雪は顔を赤らめたまま、言葉が出ない。そして真田と南部は、進たちを最初は不思議そうに、それからしばらくすると、したり顔でまじまじと見つめた。
そして、南部が鬼の首を取ったように、嬉しそうにニヤニヤと笑い出した。
「ははぁ〜〜ん、ねぇ、真田さん、やっぱりその媚薬、効果あるんじゃないですか? 使用者限定ですけど……」
真田もその意味がよくわかったらしく、必死に笑いを堪えているが堪えきれなくてとうとう笑い出してしまった。
「くくくっ、確かにそのようだな。南部、ちょっとそのデータを貸せ。検査結果を書き直しておかないとな」
『……よって、この液体の媚薬効果はまったくなし
…… この液体の薬品としての効果は疑わしい。ただし、熱愛中の恋人同士に限っては、その効果が非常に大であるらしい(実例あり)』
真田は笑い声を含みながら、訂正部分を声に出して読んだ。
そして、茹蛸のように真っ赤になった二人を目の前にして、南部と真田の笑い声が、カフェテリア中に高らかに響き渡っていた。
まあ、ちょっとしたおまけもあったが、それ以後進と雪のナイトライフが一弾と充実していったことは、間違いなかった。
Rose Dream――それは恋人達をバラ色の夢に導く素敵な魔法の薬。幸せな夢をあなたにもどうぞ……
(背景・ライン Heaven's Garden)