Spring has Come
 (1)

 俺は、古代進、19歳。2ヶ月ほど前、最愛の雪との婚約が整って、後は9月の結婚式を待つばかり…… プロポーズは、し損ねたけど、まあそのうち気の利いた言葉でも探そうと思ってる。
 職業は宇宙戦士。地球防衛軍所属、輸送船団の護衛艦の艦長だ。今は、宇宙の真っ只中。平和になった地球の輸送船の護衛の仕事ははっきり言って暇だ。だから、同僚の相原ともすぐに雑談が始まる。

 「古代さん、明日ですねぇ。地球帰還はぁ…… なんだか、顔がにやけてますよぉ!」

 相原がからかうように俺に話しかける。雪との婚約が決まってからは、相原はお決まりのようにその話をしてくる。そりゃあ、雪に会えるのはうれしいけど、いちいちチェックするなよな!

 「うるさいなあ。人のこと言ってないで、自分の彼女でもみつけろよ!」

 「はいはい…… もう照れちゃってかわいいんだからぁ」

 ほっとけっ! カッと顔が熱くなるのが自分でもわかった。相原の奴はニヤけてるし…… いつかお前に彼女ができたら……覚えてろよ。

 「帰ったらもう春まっさかりですねぇ。暖かくなってるでしょうね、地球は……」

 「そうだな。こんなジャケット羽織ってたら汗だくになるかもな」

 地球の様子を思い浮かべながら、俺は春の陽気を想像していた。その春の陽気がどんな風に俺に影響するかなんて、そのときの俺には全く予想だにできなかった。

 (2)

 コスモエアポートに着いて、到着の手続きと業務報告を終えて出てきた俺を、雪が迎えに来てくれていた。雪は佐渡先生の所で働いている。よっぽど忙しくない限り、先生は俺が帰ってくる日は雪に休みをくれる。今日も無事休めたようだ。

 「古代君! お帰りなさい」

 そう言って迎えてくれる雪の笑顔がまぶしい。いやそれよりも…… 雪のブラウス…… 半そでの白いブラウスは春らしい薄い素材で、透けて……見…… ああ、いやいや、いきなり俺は何を考えてるんだ! 俺はいきなり地球の春の陽気に誘われてしまったような気分だった。

 「どうしたの? 古代君? びっくりしたような顔をして見つめて? 何かついてる?」

 雪が下を向いて自分の体を見まわした。

 「ん?いや…… ただいま、雪。みんな、元気かい?」

 思わず視線を雪の胸元にやってしまったなんて言えるわけがない。俺は話と視線をそらせた。そうしないと、俺の方も変な気持ちになってしまいそうだった。

 「ええ、元気よ。暖かくなってきたし、地球の方はどんどん復興してるし……」

 「そうか、よかった。」

 何がよかったんだか…… でもまぁ、話はそれた。

 「ね、それより古代君、今回の休暇は?」

 「んっと、3日……」

 「え? またたった3日なの?」

 「うん…… ごめんよ。物資の輸送がひっきりなしなんだ。それにあわせて護衛艦もでなくちゃならないからね?」

 「そうね、仕方ないわね。とりあえず明日あさって、私もお休みもらったのよ。古代君は何か予定ある?」

 「いや、付き合うよ、どこへでも」

 「よかった! あさってはねぇ、結婚式場に行って決めないといけないことがあるのよ。だから…………」

 雪は、歩きながら結婚式の準備の話を延々と始めた。それに俺は相槌をうちながら聞いていたが、正直言ってほとんど右の耳から入って左の耳に出ていったって感じだ。雪が好きなように決めてくれていいんだけど、そんなこと言ったら大変な事になるんだろうなあ。
 女の子ってのは、結婚式って楽しみなんだなってつくづく感心してしまう。俺なんか、見世物みたいで恥ずかしくて、早く過ぎて欲しいいくらいだけどな。でも……雪のウエディング姿は……楽しみだ。

 「でねっ! ちょっと! 古代君!! 聞いてるの?」

 「あ、う、うん。聞いてるよ」

 おっとあぶない…… また、雪に叱られるところだった。

 「じゃあ、いいわね? それがあさって…… で、明日なんだけど」

 あさっての打ち合わせの話は終わったみたいだな、ま、黙ってついていけば問題ないだろう。あとは、「うん、うん」って頷き攻撃だ。あはは……

 (3)

 「明日、プールに行かない?」

 「プール??? いくら暖かくなったって言ってもまだ5月だぞ。ちょっと早くないか?」

 「ん! もう、話を最後まで聞いてよ。もちろん、室内の温水プールよ。この前、郊外に新しいプレイゾーンができたのよ。まわりはなーんにもないところだけど、遊べるプールや、ちょっとした乗り物なんかも楽しめるミニ遊園地とか。ね、行きましょう! 私ね、その話聞いて、新しい水着も買ったのよ!」

 水着? 水着か…… 雪の水着姿かぁ…… それはいいなぁ。俺の頭の中には雪の水着姿がどーんと浮かんできて、顔が思わずにやけてしまった。

 「わかった。いいよ、行こう」

 そのにやけ顔を雪に悟られないように、普通の笑顔を作って俺は即OKした。

 「やったっ! よかった!!」

 雪は俺の怪しい夢想には気付かなかったようで、無邪気に喜んでいた。その日は、俺の水着を買ってから(当然持ってなかった)二人で夕食を一緒にとって別れた。

 その夜、俺は夢の中にも雪の水着姿が出てきてしまった。そう言えば、水着ってワンピースなんだろうか? それとも……ビ・キ・ニ!? だったらどうしよう……!

 そんなことを考え出すと眠れなくなった俺は、寝不足のまま翌朝を迎えた。

 (4)

 朝、外を見たらいい天気。デート日和だ。俺は、さっそく支度して雪の家に迎えに行った。お母さんが家に上がっていってと言ってくれたけど、雪は急ぐからって慌てて二人で外に出た。

 「雪、いいのかい? せっかくお母さんがお茶でもって言ってくれたのに……」

 「いいのよ。あのまま上がって御覧なさい。お茶の後は、お昼食べて行きなさい、が始まって、その後結婚式はどうだこうだとか、新居の家具はどうだこうだって始まるわよ。そしたら、あっという間に夕方よ!」

 「あっははは…… 確かにそれは言えるな」

 雪のお母さん…… いい人なんだけど、付き合うのは結構大変なんだ。

 「さ、行きましょう」

 雪はご機嫌な顔で俺をひっぱっていった。今日の雪のファッションは、Tシャツにミニスカート。綺麗な素足が見えている。朝の日差しが雪を一層輝かせてみせているような…… そして俺の視線はどうしても足のほうに向いてしまう。

 エアカーに乗って、郊外への道路を走った。道路脇には、様々な建物が増えている。1ヶ月地球にいないと景色が変わってしまうんだ。いつ見てもすごいと思う、地球人類のエネルギー。
 だけど…… 少し心配にもなる。これでいいんだろうか……と。

 「ね、ねぇ、古代君! あのかわいい建物なんだろう?」

 「え? あ、ごめん見てなかった……ごめん」

 考え事してたから、周囲の風景は目に止まらなかったんだ。かわいい建物って、公園でもあったのかな?

 「ううん、いいの、別に…… 帰りにまた通るから」

 雪は笑顔を俺に向けてくれた。今日もまぶしいなぁ、雪の笑顔。視線をそこから下に向けてドキッとした。胸の膨らみと行儀よく揃えたすらりと伸びた脚。
 どうも、俺は昨日から変なところを見てしまう。春の陽気のせいかなぁ? 慌てて正面を見なおして、運転に集中した。

 (5)

 プールに着いた。平日なのに結構にぎわっている。娯楽施設もこのところ増えてきているようだが、新しい場所ができると、若者達はどうも行きたがるらしい。あ、俺達もそうか……ははは。

 「じゃあ、古代君、着替えたらプールの入り口で待っててね」

 雪は手を降って女性用の更衣室に入って行った。男の着替えはあっという間だ。というより、家で着てきたから服を脱ぐだけってことだけど。もちろん、帰りの下着とタオルはかばんに入っている。

 プールの入り口に来てあたりを見まわしてみた。普通の大きなプールの他にも、人工の波を起こすプールに、川のように流れるプール、子供用の浅めのプール。ウォータスライダーも何種類かあり、結構広いようだ。入場口の混雑の割に中の人がまばらなのも広さのせいだろう。

 そのとき、後ろから肩を叩かれた。

 「古代くん! お待たせっ!」

 振り向いて俺は思わず「あっ」と声をあげてしまった。雪の水着は……ビキニだった。
 肩からタオル地のパーカーを羽織ってはいるが、エメラルドグリーンの光沢のある素材の小さな布が、雪の胸とあと……その……被っているだけだ。

 俺の時間が一瞬止まった。視線は雪に釘付けになり、体は固まる。特に胸の谷間の方に目が……

 「こ・だ・い・くん!! 古代くんってば!」

 雪が大きな声で二回俺の名を呼んで、俺はやっと我に帰った。

 「あ、ああ……」

 「もう、なぁに、いやぁねぇ、そんなにびっくりした顔で見つめないで。恥ずかしいじゃないのぉ!」

 雪がちょっと頬を染めて抗議する。そう言われても、こんな姿を見て驚かない方が不思議だろう?

 「あ、ごめん…… さ、泳ぎに行こうか」

 これ以上、雪を見ていると俺の理性が吹っ飛びそうだ。水で頭を冷やした方がいいな。しかし……想像以上に雪の水着姿が刺激的で、俺は今日1日持つんだろうか? ううむ……

 (6)

 雪と並んで歩いていると、なぜか異様に視線を感じた。なんだ? と思って周りを見まわすと、野郎どもの視線だ。

 『ちょっと待て! 雪は俺の婚約者だ! お前ら見るんじゃない!!』

 って、周りに向かって怒鳴りたくなった。けど、冷静に考えれば確かにそうだよな。いつも見てる俺だって、雪のこの姿には一瞬我を失ったんだから。だがしかし! やっぱり、見せたくないもんは、見せたくない!

 「雪、早く泳ごう……」

 俺は、雪の肩をぐっと自分に引き寄せると足早に歩き始めた。プールサイドのテーブルを物色して、空きを見つけるとそこに向かって歩みを速めた。
 雪のほうといえば、俺に抱き寄せられてご機嫌なのか、視線を浴びているのを楽しんでいるのか、鼻歌でも歌い出しそうなほどのいい顔をしている。
 そんな雪を見た俺を笑顔で見つめ返してきた。俺は仕方なく笑い返したけど、笑い顔が引きつってなかっただろうか?

 テーブルにタオルなどの荷物を置いて、ちょっと軽く準備体操。そして、レンタルの大きめの浮き輪を一つ借りた。それを持って流れるプールに入る。
 雪は、その浮き輪の中に入ってぷかぷか浮いている。俺は流れに任せながら雪を押しながら軽く泳いだ。雪が意地悪して、水をかけてくる。

 「ぷはーっ! こらっ!」

 俺も、仕返しに水を浴びせ返す。雪は面白そうに声を出して笑ってまた水をかけ返す。

 泳ぐのは、本当に久しぶりだ。幼い頃は、夏になると三浦の海で毎日のように泳いだもんだ。真っ黒になって…… 兄さんに泳ぎを教えてもらったっけなぁ。懐かしい思い出だ。今年の夏は、海で泳げるのだろうか。

 雪と流れるプールを何周かしながら戯れて遊んだ。やっぱり水は楽しい!

 (7)

 「ねえ、今度は波のプールに行ってみましょうよ」

 雪の提案で、波がたつプールへ移る。最初は割合小さな波で、なんだこんなものかと思った。子供の遊び程度だな。雪も浮き輪に捕まって波に揺られてうれしそうだ。

 しばらくして放送が入った。波を少し大きくするので、小学生以下の子供は必ず保護者がつくようにと言っている。
 おおっ! 確かに今度の波は結構大きいようだ。そう思っていたら、一気に大波になった。

 「きゃっ!」

 油断していた雪が波にあおられてざっぷりと波をかぶってしまった。

 「雪っ!」

 俺は慌てて雪の手を捕まえて抱き寄せ、大波が届かないところまで雪を連れていった。

 「ふうっ、大丈夫か? 雪?」

 「ええ…… びっくりしたぁ〜 古代君、ありがとう」

 水を飲んだりはしてないようで、雪は笑顔を見せた。ふと気がつくと、雪は俺に抱きついていた。

 「お、おいっ」

 雪の重みでバランスを崩して、俺は片手に浮き輪を持ったままプールに座り込んでしまった。雪は平気な顔で俺にぎゅっと抱きついたまま乗っかるように一緒に倒れ込んだ。笑っている。

 「うふふふ」

 抱きついた……まま…… 雪の体が……密着してる。素肌……水の中でもその素肌の感覚がわかる…… 俺は反応した……

 やばい…… このまま雪に触れつづけていたら…… もっとまずいことになりそうだ。

 「ゆ、雪! 何でもないんなら、もう一回、波、行くぞ!」

 俺は、抱きついた雪の両手を振りほどくと、波の荒い方に歩き出した。

 「あーん! 古代君!! 待って。私ちょっと疲れたから、休みたいわ!」


(by めいしゃんさん)

 雪が甘えたように叫ぶ。が、俺は雪に浮き輪を放り投げると言った。

 「先に休んでろ。俺はもう少し泳いでくるから!!」

 「んっ! もうっ!!」

 雪は仕方ないといった感じで振り返ってプールを上がって行った。ごめん、雪。俺このままじゃプールから出られないんだよ。少し鎮めないと、とても外を歩けないんだ。
 君のせいなんだからな!って言っても仕方ないけど……
 俺は、しばらく冷たく激しい波しぶきを体に当て、体と心の冷静さを取り戻した。
  
 (8)

 やっと落ちついて、雪の座っているテーブルに向かうと、座っている雪に男が二人話しかけていた。俺は、ムッとして大きな声で雪を呼んだ。

 「雪!! どうした?」

 「あ、古代君!!」

 雪がそう答えて俺に手を振ると、男達はチラッとこっちを見ると逃げるように去っていった。なんだ、あいつら!

 「なんだよ、あの男たち……」

 「ん? お一人ですか、ですって。ふふ、さっきからもう3組目よ。困っちゃう。よっぽど古代君を呼びにいこうかと思ってたところだったの」

 「ふーん……」

 雪を一人にしておいた俺も悪いけど、油断も隙もないぜ。だいたい、雪がそんな色っぽい格好して来るから悪いんだ。俺でさえ目のやり場がないっていうのに……

 「やだ、古代君ったらヤキモチ妬いてるの?」

 「馬鹿言うな!」

 雪が笑う。ちぇっ! でも、そうやって笑っている顔を見ると、怒りたい気持ちがあっという間に萎えてしまう。雪の笑顔はそれほどまでに魅力的なんだ。

 「はい、古代君、半分あげる」

 飲みかけのジュースのコップを俺に差し出して、雪はまたニッコリ微笑んだ。俺はそれをつかむとストローで冷たいジュースを喉に通した。ひんやりとした液体が喉から胃へと流れていくのがわかる。それと同時に俺の気持ちも平静を取り戻し、雪に笑顔を返すことができた。

 それから、またプールに戻った。ウォータースライダーを滑ったり、また一緒に泳いだりした。
 泳ぎながら、雪が顔を寄せてきた。唇に軽くキスをしたら、彼女は嬉しそうに頬を染めた。
 そして水の中で何度か雪を抱きしめた。最初の時ほど動揺はしなかったけど、それでも1日中ドキドキさせられて……1日中楽しかった。

 (9)

 帰りの車の中、雪は泳ぎ疲れたのか眠そうにしている。

 「雪、眠かったら寝てもいいぞ」

 「ううん、古代君が運転してるのに私だけ寝るのは悪いわ」

 やさしいなぁ、雪は…… 俺はそんな雪が大好きだ。

 しばらく走っていると、雪が行きにも見つけたかわいい建物とかいうのに気付いた。

 「ねえ、古代君! あれ、あのお城みたいなの…… なんだと思う? かわいいでしょう? 何かのお店かしら?」

 次のインターチェンジの近くに立つ白亜の建物。あれって、もしかして……俺の心臓が高鳴った。雪はマジで知らないんだろうか……?

 航海中に相原が言っていた。
 『ね、ね、古代さん、知ってますぅ? 最近、郊外に続くハイウエイにできたホテル……』

 『ホテル? それがどうした?』

 『どんなホテルか知ってます? 雪さんと言ってみたらどうですかぁ? けっこうかわいい部屋とかあるんらしいっすよ。外見ちょっと見ただけだとお城みたいで、一見メルヘンショップみたいに見えるらしいから、女の子にも人気あるんだって言ってましたよ』

 『ば、ばかっ! 雪がそんなところ行きたがるわけないだろ!!』

 『あれっ? 古代さん達ってまだ……なんですか?』

 『うるさいっ!!』
 相原って、彼女もいないくせにそういう情報は早いんだから。まあ、アイツの情報収集能力は、いつも感心させられるけど。
 あのホテルってのが、もしかして今見えてるあれなんじゃないだろうか……

 俺は、チラリと雪のほうを見た。雪は無邪気な顔で風景を見ている。ごくりとつばを飲みこんだ。次のインターで降りて行ってみようか…… 雪はなんて言うだろう?

 「あ、あのさ、雪…… あそこへ……行ってみる?」

 「えっ? いいの? 古代君っ! 何のお店かしら、行ってみたいわ、ぜひ!」

 雪は全くわかってないようだ。騙すみたいだけど、本人が行きたいっていうんだから、いいんだよなぁ。行ってしまえば、そのまま最後まで…… 俺の妄想はどんどん広がっていった。

 「じゃあ、行ってみるか……」

 俺は、こわばりそうな顔になんとか笑顔を作った。ハンドルを握る手に力が入る。震えてきそうで肩にも緊張が走る。

 (10)

 降り口の案内が出てきた。ウインカーをあげて左による。手のひらにじんわりと汗がにじんでくるのがわかった。

 「古代君……? どうかしたの? なんか急に顔色が悪くなったような気がするわ。気分でも悪いんじゃないの?」

 雪が俺の変化に気付いたみたいだ。さりげなく装うとしてるんだけど、看護婦の雪には俺の緊張がわかるみたいだ。どうしよう……

 「え? そ……そんなことないよ。あ、今、あそこ降りたら車から降りれるし……」

 「ええ、そうね。少し休んだほうがいいのかもね。疲れたのかしら?」

 俺は、ふうっと大きく息をついた。冷や汗がでそうだ。インターから降りる。もう戻れない。い、行くぞっ!

 目の前に白亜の建物が、見えてきた。あと数分も走れば着けるはずだ。俺は思わず雪に尋ねてしまった。

 「雪…… ほんとにいいのか? 行っても……」

 「えっ?」

 俺の質問の意味を測りかねて雪はこっちを向いた。俺は、雪の顔が見れなくてまっすぐ前を見たまま運転に集中した。雪はそれ以上何も言わない。沈黙が続く。

 近づいてくる建物の全容が見えてくる。雪は俺の顔から目を離して前方を見た。もうきっとお店ではないことはわかったはずだ…… けど何も言わない。

 さらに沈黙が続いた…… 車は、ゆっくりとその建物に近づいていった。

 (11)

 例の建物が眼前に大きく現れた。その時、雪が口を開いた。

 「いや……」

 「!!」

 俺は、びくっとして雪の顔を見た。雪はちょっとうつむき加減で今にも泣き出しそうな顔をしていた。そして、小さな声でもう一度繰り返した。

 「いや……行きたくない……」

 キーっと音が鳴って車が左の路肩に寄って止まった。当然、俺が止めたんだが。

 「ごめんなさい……私……」

 雪の目が潤んでいるように見えた。俺は慌てて言った。

 「ゆ、雪! ごめん!! 俺のほうこそ! ごめん!!」

 俺は、必死に謝った。雪に了解も受けずに行こうとしたことを。今朝から、いや昨日から春の陽気で俺の気持ちが舞い上がっていたんだ。雪の姿がまぶしくて、それで……

 「帰ろう、雪…… ごめん!」

 俺は、急いで車をUターンさせると、ハイウエイの入り口を見つけ、さっきの道をメガロポリスめざして走りだした。

 車はフルスピードで走り続けた。見なれた風景が見えてくるまで、俺も雪も無言のまま、ただ車のエンジン音だけが静かに聞こえていた。

 (12)

 いつもの街に帰ってきた。雪はまだ何も言わない。

 「雪? ゆき…… 腹減ってないかい? 夕飯どっかで食べて行く?」

 雪は、声は発しなかったけど、ゆっくりと頷いた。その頷きに俺はほっとした。まだ、今日俺に付きあってくれる気はあるんだ。そう思ったから。

 俺達は、何度か行ったことのある落ちついた海辺のレストランに入った。静かな雰囲気でゆっくり話をするのには向いている。隣のテーブルとの距離も十分で、話の内容も他の人には聞こえないのだ。テーブルにつくと、俺は正面から雪の顔を見た。雪もやっと顔をあげた。

 「何を食べてもいーい?」

 雪が笑顔でそう行った。雪が笑った! よかった!! 俺は心底うれしくなって、万歳三唱したい気分だった。よかった、本当に……

 「ああ、なんでもいいよ。好きな物たくさん食べろよ」

 俺もやっと自然な笑顔が出た。二人は、いつもの雰囲気に戻ってメニューを物色してアラカルトで料理を注文した。

 (13)

 ボーイが注文を聞いて去って行くと、雪がちょっと真顔に戻って俺の顔をみつめた。俺はまた緊張して雪の顔を見返した。

 「古代君…… ごめんなさい。私が行きたいっていいだしたのに…… そんなところだって、最初わからなかったものだから……」

 「いや、いいんだよ。俺が勝手に早とちりしただけなんだ」

 早とちりじゃない、俺は雪が知らないのを承知で行こうとしたんだ。

 「私…… あそこがどんな所かわかってからも、どうしようか迷ったの…… 私、古代君ならいいって思ってたわ…… だって、私、もうすぐ古代君のお嫁さんになるんだもの。だから……」

 「雪……」

 「でも、でも……」

 「いいんだって、俺が悪かったんだ」

 「……古代君は悪くない…… でも、もしよかったら、私……が古代君のお嫁さんになるまで……待っていてくれる?」

 雪が頬を染めて俺をみつめた。その瞳はなんとも言えずに美しくて、真剣だった。

 「わかったよ、雪。約束する。君が僕のお嫁さんになるまで待つって」

 俺ははっきりと確約した。あと数ヶ月で雪と俺は結婚するんだ。それまで待てなくてどうする! 俺は真剣に、真面目に、絶対約束を守ると心の中で誓った。

  雪の真剣な瞳と『お嫁さんになるまで待って……』の言葉。俺の心にずしんと響いて、決して忘れられないものになった。

 「ありがとう……古代君」

 雪はほっとしたような笑みを浮かべた。それから、俺達はいつもの二人に戻って、楽しい夕食を楽しんだ。幸せなひとときだった。

 そして……俺はその約束を大切に大切に守った。結婚が延期になっても、俺の脳裏にはその言葉が焼き付いていたし、なんと言っても延期したのは俺の勝手だったから。
 雪への熱い想いも欲求も、いつも心の奥底に押し殺して…… 一番大切にしたい人だから。

 (14)

 それから二度目の春。俺達はまだ結婚はしてなかったけど、一緒に暮らしはじめた。そして今、雪は俺の隣にいる。俺は、あの時の気持ちを今はじめて雪に話した。

 「あの時は、本当に悪いことしたと思ったんだぞ」

 俺の告白を聞いた雪は、あろうことかコロコロと笑い出した。

 「おいおい! なんでそんなに笑うんだよ!」

 「だって…… 古代君ってずっと無理してたんだって思ったらぁ、 うふふ……」

 「そりゃあそうだろう! あんな風に言われたら……」

 「あらぁ、そんなこと言って、結局待てなかったくせに!」

 うっ! それを言われると辛いが、俺だって男だからな。我慢にも限界が…… それにだいたい、去年の誕生日に最初に迫ってきたのは雪じゃないか!? 俺のムッとした顔を更に楽しんでいるかのように、雪はこう言った。

 「でも…… あの時、古代君がもっと強引にしてたら、私きっと断わりきれなかった気がするわ。それに、あの後は、いつ古代君がまた言い出すのかしらって思ってた。ちょっぴりの不安と期待で…… うふっ、待ってたのに、私……」

 「えーーっ! そんな……」

 ちょ、ちょっと待てよ! 待ってただなんてー!! 俺は、あれからあの雪の言葉が脳裏に焼き付いて離れなくて、どんなに伸ばしたいと思った手を、何度必死に抑えたと思っているんだよぉ!

 「だってぇ…… 女の子が、求められてすぐウンなんて頷くのは、ちょっと恥ずかしいじゃない。それでも、どうしてもって言われたら…… その時はって感じじゃないと」

 「そんなぁ、雪! 俺が雪とデートした後にどうしようもない気持ちを抑えるのに、何度真夜中のジョギングをしたと思ってるんだよぉ! 俺は……」

 俺の情けない声に雪はさらに笑い声を高くした。はぁーっ、なんてことだ。こんなことなら、もっと早く手を出せばよかった…… ゆきぃー!

 「わかったわよ、古代君っ! こめんなさいねっ。でももういいじゃないの、今はこうして二人でいるんだから…… お詫びに、今日は古代君の好きにしてイ・イ・カ・ラッ!」

 雪は、顔をポーっと赤くすると甘えるようにそう言った。

 好きにして……いい? ということは、何しても……いいんだなっ!? 雪!! 雪は恥ずかしそうに笑って俺を見つめている。

 その夜、俺は燃えた……

−お し ま い−

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