すすきの道にて
秋のある日、川辺の小さな堤防の上の散歩道。すすきの向こうで赤い夕日がまぶしいほどに光っている。
その道を、仲良く並んで、ぽつりぽつりと二人が歩く。妻が、隣を歩く夫を眩しそうに見た。
「ねぇ、進さん……」
「ん?」
「もう何年になるんだっけ……」
「なにから?」
「ヤマトが……いってから」
進が立ち止まった。天を仰ぐようにして目を閉じてから、妻を見て答えた。
「ああ……今年で7年だろ?」
そしてまた歩き始めた。雪もそれに続いて歩く。
「ん……そうだったわね。結婚してから、6年過ぎたんだものね。もうすぐね、あの日」
「ああ、またみんなで集まる日だな」
「ええ、去年は、愛が生まれたばかりで行けなかったから楽しみよ」
「そうだな、この日が楽しみになる、っていうのも変な話なんだが……」
夫が寂しげに微笑んだ。雪はばつが悪そうに眉をしかめた。
「あ、ごめんなさい」
「いや、そう言う意味じゃなくて、俺だって楽しみにしてるんだから」
そして二人はもう一度ほんの少し微笑みあった。
「そうね、でも……今年もなんて穏やかなんでしょう……」
「そうだな、なんにもなくて、平和だね」
「ものたりない?」
いたずらっぽく妻が尋ねると、夫は首を振って即座に否定した。
「まさか…… もう二度と……あんな思いはしたくない」
「そうよね。もう……二度と……」
あの激しくも悲しい戦いの日。それを思い出して、遠い目をする。
時は様々なものを変え、復活させたが、あの時失ったものはもう二度と戻ってはこない。
それでも二人には、互いの存在があることが、何ものにも代え難くありがたかった。そして二人には、新しい家族も三人も増えた。
目を川原にやると、川辺りでカップルが一組歩いているのが見えた。その二人の手がそっと繋がった。それを見て、雪もまねをして夫の手を握った。
「うふっ、私達も!」
「お、おいっ!」
慌てて振り払おうとする進を、雪は軽く睨んだ。
「子供達が眠っている隙に、二人で散歩しようって誘ってくれたのはあなたなのよ。少しくらいいいじゃない」
三人の子供達は、パパのお休みで、昼寝もしないで大騒ぎして遊び、夕方近くなってから、揃ってぐっすり眠ってしまった。そこでちょうど来ていた雪の母に留守を頼んで、久々に二人きりで散歩に来たのだ。
「それはそうだけど…… いまさら」
「なにがいまさらよ? あなたったら、未だにベッドじゃ……」
「こ、こらっ! いきなりこんなところで何を言い出すつもりだ」
「うふっ♪ いいじゃないの! 誰も聞いてないわよっ」
「うるさい口だなっ!」
「うふふ、じゃあ、ふさいで……」
雪はしなを作って夫にねだった。
「あのなぁ!」
そんな雪にドギマギしながらも、進は怒った振りをしたが、雪は全く取り合わない。またうふふと笑って、前方の二人の方を見た。
「ほらっ、見て! あの二人……」
進が雪の視線を追うと、カップルは、川の縁で腰を下ろして、ピッタリと寄り添いあっている。そしてまもなく二人の顔が重なりあった。
「ねぇっ、あたしにもして……」
潤んだ瞳で見つめる雪に、進が呆れた顔をした。
「あのな、あっちはきっと、まだできたてホヤホヤの恋人同士なんだぞ。こっちはもう三人の子供持ちの……」
そこまで言った夫の口を、雪の人差し指が押さえる。じっとその顔を見つめるとにこりと笑った。
「でも、いまは……ふ・た・り・き・りっ!」
妻のおねだりには、三児の父もめっぽう弱い。もちろん、それだけの魅力が妻にはたっぷりある。
「しょうがないなぁ」
進はぶっきらぼうにそう呟くと、雪の手を引っ張って、堤防から、芝を張った土手に沿って下り始めた。手を繋いだまま、二人並んで斜面を一気に駆け下り、土手の一番下に来たところで、ずるりと滑るように座り込んだ。
進がキョロキョロとあたりを見まわした。遠くにいるアツアツカップル以外、目に入る人影はない。それを確認してから、おもむろに妻を抱き締めて、熱いキスを一つ。そしてまた一つ。それが何度も何度も…… 二人のキスは永遠に続くように繰り返された。
抱き締める腕に力がこもり、お互いに背中を強くなぞりあう。土手の斜面に持たれかかったまま、二人の抱擁は続いた。
しばらくして、やっと体を起こした進が、少し辛そうに苦笑いした。
「この続きは、今晩ゆっくりと……」
その言葉に、雪も嬉しそうに頬を染めた。その時――
「おとうさぁ〜ん、おかあさぁ〜ん!」
と男の子の大きな声が聞こえて来た。
「あっ、あいつら起きたな」
二人は顔を見合わせてくすりと笑うと、足についた草を払いながら、土手を登り始めた。堤防の上まで来ると、二人の男の子と赤ん坊を抱いた女性が、こちらに向かって歩いてくるのが見える。
「お〜〜い! 守!航!! ここだぞ!!」
進が大きな声で呼んで、手招きした。雪も手を振ると、二人の男の子が勢いよく駆けて来た。そして進の直前に来ると、大ジャンプ! 二人して、大きく手を広げたパパの胸の中にジャストインだ。
「よく寝たか?」
「うん!」
二人とも元気に答える。たっぷりの遅い昼寝を終えて、すっかり元気が復活しているようだ。夕日がまもなく沈もうとしている。
進は二人を道におろすと、片手ずつ、両手で二人の手を繋いだ。
「帰るか……」
「ええ……」
雪は頷くと、ゆっくりと近づいてきた雪の母、美里おばあちゃんから、まだ眠気まなこの小さな娘を受けとって、今度は6人で来た道を戻り始めた。
「ママ、ありがと」
礼を言う雪に優しい微笑を向けて、美里は満足そうに子供達を見まわした。どの子も可愛くて仕方がないという顔をしている。
「いいえ、どういたしまして……」
その時、ふと父の背中に何かついているのを、守が見つけた。
「おとうさん、背中に何かいっぱいついているよ。あれっ!? 草だ!! どっかで転んだの?」
「えっ!?」
すると航も、母の背に同じものを見つける。
「おかあさんもぉ!!」
「あらっ……」
二人はドキリ。だけど赤く染まった顔は、夕日が隠してくれた。もちろん、子供達にはなんのことだかわからない。
「やぁい、やぁい! おとうさんとおかあさんこぉろんだぁ!」
などと囃したてている。ただ……美里おばあちゃんだけは、くすくすと笑っていた。
仲良し家族の帰宅風景。夕日が地平線に半分隠れた。
雪がふと後ろを振り返ると、さっきのカップルも堤防に上がって、進たちの後ろを、こちらに向かって歩いてくるところだった。まだ手を繋いだまま、ピッタリと体を寄せ合っている。
「ふうっ…… やっぱり、もうあんな風なのは過去の夢なのかしらねぇ」
うらやましそうなため息混じりの妻のぼやきを、夫は含み笑いで聞いていた。
後ろの若いカップルは、前を行く家族を見つめて微笑みあった。
「いいわねぇ。可愛い子供たちに囲まれて幸せそうな家族……」
「うん、僕達もいつか……あんな家族になりたいな」
おわり
(背景:トリスの市場)