たまには……
ピンポーンとマンションの一階からの呼び鈴が鳴った。綾乃がドアホンで1階フロアをチェックすると、そこ立っていたのは雪だった。時間は、もう8時近くになる。こんな時間に連絡もなくどうしたのかしら? 綾乃は不思議に思いながらマンションロックを開け、雪を招き入れた。
「こんばんは……」
雪は、特に切羽詰った顔をするでもなく、大きな紙袋を抱いて部屋にやってきた。
「どうしたの? 雪。こんな時間に、珍しいわね」
「べつに…… ただ、ちょっと綾乃と飲みたくなって…… ほら、いっぱいおつまみも買ってきたし、古代君のワインストックから一番美味しそうなのを持ってきちゃったわ」
ニッコリ笑って話す雪は、特に変な部分はなかった……と思ったが、じっと見ると、少しだけ目が赤いような気がする。
もしや……? ちょっと、気になった綾乃はカマをかけた。
「今日、古代さん帰って来てたじゃない? 私会ったわよ。喧嘩でもしたの?」
「えっ?」
ほら、顔色が変わった…… やっぱりねぇ。綾乃は心の中でため息をついた。
「そんな……ことないわ……よ。ね、ねっ!たまには女同士で飲みましょうよ!」
動揺を隠すように雪は笑顔を作る。言いたくないらしい。
「うふふ…… 雪にしては珍しいけど、いいわ。飲みましょう。今日は泊まってく?」
こくんと黙って頷く雪。こりゃあ、そうとう重症の喧嘩かしら?
雪も綾乃もお酒は強い方だ。雪の持ってきたワインをこれは美味しい!と、二人であっという間に空にしてしまう。まだ足りなくて、綾乃の冷蔵庫から、また違うワインを出してきて封を切った。
「ね、雪…… そろそろ話してくれてもいいんじゃない? どうしたの?」
雪はアルコールが十分にまわって口も滑らかになってきたようだった。
「古代君がね……」
雪の打ち明け話が始まった。
今日の夕方6時過ぎ、雪は定時で帰って進の帰還を待っていた。いつもなら迎えに行くところだったが、今回の進の仕事が極秘任務とかで地球への帰還時には迎えができないことになっていた。午後すぐには帰還の予定だったが、何か問題でもあったのか、6時を過ぎても帰ってこない。
「どうしたのかしら?」
ちょっと心配になって、時計を見たとき進が帰ってきた。ところが、いつもならドアベルを鳴らして、雪の出迎えを待つ進がどうしたことか自分でキーを開けて何も言わずにづかづかと部屋に入ってきた。
「あら? 古代君? お帰りなさい」
雪は驚きながらも、笑顔で迎えたが……
「これは、なんだよ!!!」
いきなりそう叫ぶと、バシンと一冊の雑誌をテーブルに置いて、進は雪をにらんだ。
「なにって?」
雪が覗くと、それは雪の写った写真が掲載された写真雑誌だった。その写真……は、先日二人が温泉旅行に言った時、雪だけが先に行って手持ち無沙汰に散策路を歩いているとき、素人カメラマンが撮った写真だった。
その後、そのカメラマン氏から、旅館の女将を通して連絡があり、あまりにもいい出来なので、写真コンテストに応募したい旨を告げられた。
雪は当惑した。表に出るようなのはちょっと、と断わっておいたのだが、彼の言うにはきちんとした写真コンテストだし、決して迷惑はかけないという。
進はいい顔しないかもしれない……と不安があったが、宇宙航海中で、コンテストの締切前には帰って来れない。そんなことのために連絡をするのはさすがに気がひける。
そこで、雪は上司の藤堂長官に相談することにした。長官は、驚いた事に二つ返事でOKを出した。コンテストに賞を取るかどうかもわからないし、もし取ったとしても普通の写真なら問題ないし、かえって防衛軍のPRになっていいのではないか、と言う。
それなら……と雪はOKの返事をそのカメラマン氏に伝えた。そして、何とその写真が大賞を取り、先日雪は招かれてカメラマン氏とその授賞式のパーティにも出席した。
進が持っていた雑誌には、その受賞写真とパーティでのツーショット写真がでかでかと載っていたのだ。もちろん、雪のことを、地球防衛軍長官秘書だと紹介していた。
「どういう関係なんだよ! この男は!! こんな写真いつ撮ったんだよ! それに仲良さそうに二人で写真におさまったりして!」
「ちょっと待ってよ…… 古代君。この写真は、ほら、あの温泉旅行で……私が先に行ってて、あの滝の近くを歩いていたときに通りすがりの人にちょっと写真を撮らせてって頼まれただけなのよ。
たまたま、その写真が良く撮れてたからってコンテストに応募したいって言ってきたのよ。長官に相談したら別に問題ないっていうし…… かえって、宣伝になるからって…… だから……」
「だから、通りすがりの男にこんなもの欲しげな視線を送って、誘われたらいそいそと出かけて行ったんだ」
進のはき捨てるような言い方に雪も急に腹が立ってきた。
「もの欲しげだなんて! いそいそとですって! 別に私が誰かに写真を撮ってもらったからって、一々あなたに報告しなくちゃならないの? 別にわたしはあなたの持ち物じゃないんだから。自分の思うとおりに行動する権利があるわよ!」
「俺は今日帰って来るなり、これを見せられてみんなにいい加減からかわれたさ! あんまりほっとくから、婚約者を寝取られたのかってね!
俺がいつほっておいた! あの温泉の時だって、仕事終わり次第大急ぎで君のいるところに走ったんだぞ。それなのに、君ときたらのんきに他の男に写真なんか撮ってもらってたわけだ。俺が行かなかったらそいつとゆっくりするつもりだったのかっ!」
「誤解だわ、古代君! あの日はほんとに写真を一枚撮ってもらっただけだし、それに……」
「言い訳なんか聞きたくない! 謝れよ! 私が軽率でしたって! あなたに恥をかかせてすみませんって!!」
進は帰ってから同僚に何を言われたのか分からないが、もうすっかり頭に血が昇ってしまっている。雪の言い訳にも説明にもまったく聞く耳を持っていなかった。
雪だって、そこまで言われて「はい、すみません」なんて謝るような女ではない。
「いいわよ! わからずや!! 説明も聞いてくれない頑固者なんか、知らないわ、もう!」
そう叫ぶと、すごい勢いで進の横をすり抜けると、進の大切にしているワインラックの中のワインを1本と財布を掴むとそのまま、部屋を出て行ってしまった。
「雪!」
進が呼んだ時には、既に雪は玄関のドアを通りすぎていた。
「ふん! 知るもんか! 少し頭を冷やしてくればいいんだ。俺はいつも雪のことをこんなに大事にしてやってるのに、雪ときたら俺がいないときには何してるんだかわかったもんじゃない! くそっ!」
出て行った雪を探そうともせず、進はその雑誌を床に叩き付けるとソファーにごろんと横になった。
「それで、その足でスーパーでつまみやら何やらを袋いっぱい 買ってここに来たってわけ?」
黙って頷く雪。
「ふー…… 古代さん、相当ひどくからかわれちゃったのね。古代さんの焼もちってわけか。でも古代さん、あの雑誌ちゃんと読まなかったのかしら? 雪のあの表情が誰のためだと思ってるのかしらね。これは、古代さんが悪いわ」
「そうでしょう! 私に何も言わせないで一方的に怒鳴るんだもの…… 私、当分帰ってやらないんだから!! いいでしょ? 綾乃」
「ま、いいけど…… 私は、家に訪ねてくる彼氏がいるわけじゃないし……」
「島君は?」
「島さん? たまに飲みにいくときなんかみんなで一緒に行くけど…… それだけ…… 二人で出かけたことなんかないし、まだ、彼、ふっきれてないような気がする」
「そう……」
「とにかく、たまには女同士で飲んじゃいましょ!」
その時、雪の携帯のベルが鳴った。画面を見ると、発信者は進らしい。
「古代さん、反省したんじゃない? ほら、電話よ」
じっと電話を見つめる雪にさらに綾乃は促す。
「どこにいるかくらい教えてあげないと、心配させるだけよ。それくらいは礼儀でしょ?」
綾乃にそう言われて携帯の受信ボタンを押した。
「はい……」
『雪! 雪か!! どこほっつき歩いてるんだよ! こんなに遅くに! 仕方ないから迎えに行ってやる。どこにいるか言ってみろ! ほんとに世話が焼けるな! 俺は今日帰ったばかりで疲れてるんだから!』
「!! なによっ!」
いきなりの強い口調の進に雪は電話をじっとにらんでから床に投げ捨てた。バン!と大きな音がした。おそらく、進の耳にも入っていることだろう。
『な、なんだ! 雪!!』
進の声は大きくて、話の内容は綾乃の耳にも入っていた。綾乃は、黙ってその電話を拾った。
「古代さん……」
『あ…… 綾乃さん?』
「ええ、あなたの大事な人質は私が預かってるわ。とりあえず、今日はここに泊まるらしいから心配しないで…… それより、その写真雑誌の記事はちゃんと読んでおいた方がいいわよ。余計な忠告かもしれないけどね、じゃあ……」
「綾乃さんのところにいるのか…… それなら心配はいらないな…… 雪の奴…… 綾乃さんに愚痴でも言ってるんだな。
そういえば、写真雑誌の記事を読めって綾乃さん言ってたな。帰って来ていきなりみんなにからかわれて写真を見せられたから、記事なんか読んでなかった」
−受賞者の喜びのコメント−
「……(前略)……この写真は本当に偶然撮ったものでして、森さんが滝の前でとても寂しそうに立っていらっしゃる様子が、まるでその自然の中の精霊のように見えまして…… 後でうかがうと、遅れて来る予定の婚約者の方を待っていらっしゃったようでした。ちょっと遅れて来るっていうだけなのに、こんな美人にこれだけ人待ちげな顔をさせる婚約者の方がうらやましいですね。……(後略)……」
「雪……」
雪の写真の表情が誰に向かっていたのか進はこのとき初めて知った。
「カメラマンに向かって、そんな視線を向けていたわけではなかったのか…… 俺を待っていて不意に撮られたものだったんだ……」
やっとそう気づいた進は、急に頭に昇っていた血がひいて冷静になった。
「だいたい、写真一枚撮っただけで別にたいしたことないじゃないか。雪は長官の許可を受けて、写真の応募も了解したし授賞式にも参加しただけなんだし……
なんで俺はこんなに怒ってしまったんだろう…… ちょっと考えればわかる事なのに……」
すっかり反省した進だったが、こと既に遅し…… 雪はプッツン切れて綾乃の家に行ってしまったまま……
「どうしよう……」
綾乃の家の二人は、それからさらに酒盛りが続く。
「もう、古代君なんてわからずや、私の方から愛想つかせてやるわ!!」
お酒がどんどん入って大胆になっていく雪。
「そうね、たまにはしっかりお灸をすえてあげたほうがいいのよ。男なんて一度手に入れたら餌はいらないって思ってるんだから」
けしかける綾乃。
「そうよそうよ! もう、男なんかいらない!! 古代君もいらない!!」
そんなこと言ってもいいのかなぁ? 雪ちゃん……
夜も更けて飲むだけ飲んだら眠くなった二人、綾乃のベッドに入っておやすみなさい。綾乃は少し嫌な予感がしなくもなかったが、他に寝るところもないし、セミダブルのベッドは二人でも十分寝れた。
ところが…… 綾乃がぐっすり寝入った頃、急に雪が抱きついてきた。
「ううん…… 古代く〜ん!」
「ちょ、ちょっと!雪……」
慌てて押し戻す綾乃に雪はさらにまとわりつく。
「どうしたの? いっつもならすぐ抱きしめてくれるのにぃ……」
どうやら、雪は夢を見ているようだ。酔っぱらいの夢は愛しい人と眠っている夢のようだった。今まで、いらない!って叫んでたのに……ねぇ。けれども、古代君に間違えられた綾乃はたまったもんではない。
「ゆきぃ〜!! ちょっと、相手を間違えないでよ! 雪ったら!」
寝る時に服は脱いでしまった。雪に下着だけの姿で迫られても…… いくらなんでもそういう趣味はないとばかり、綾乃は雪を揺り起こした。
「んん? あれ? 古代君? ……あ……ああ、綾乃……」
「ああ、綾乃じゃないわよ。もう!」
起されてとぼけた顔の雪とぷんぷんしている綾乃。すると……急に雪が泣き出した。
「……帰りたい……古代君…… うぇぇん……ええん……」
「ええっ!! 何言ってるのよ。あなた、古代さんの態度に腹立ててたんでしょう? しばらくお灸をすえるんじゃなかったの?」
「やだ…… だって、ずっと淋しかったのに…… 今日やっと帰ってきたのにどうして別々にいなきゃならないの……」
いくらか酔いが残っているのか、寝ぼけてるのか…… 考える事が少し飛躍する。
「私……帰る!」
「えっ! 帰るって今何時だと思ってるの? エアトレインもバスもないわよ。タクシーだって呼べるかどうか……」
「じゃあ、歩いて帰る……」
「ばかなこと言わないで! こんな夜中に一人で歩いて帰したりしたら、私、古代さんに叱られちゃう!!」
「でも、帰りたい! 古代君!!」
止めても聞きそうにない。雪は寝る時に脱いだ服を着て身支度を始めた。
「ど、どうしよう……」
「そうだわ!! ね、雪、古代さんに電話して迎えに来てもらいましょ。ねっ! 私がかけてあげるからちょっと待って!」
必死に雪をひきとめながら、綾乃は電話を手にした。自宅の電話をかけるが誰も出ない……としばらくすると、携帯に転送するというメッセージのあと、呼び出し音も鳴らないうちに進が出た。さすが、古代進、電話にでるのは速い! って、電話がかかるのを待ってた風でもあるが……
『はい! 古代です』
「あ、古代さん? 綾乃です。どこか出てるの? 雪が急に帰りたいって言い出して…… 迎えに来れる?」
『すぐ行きます!』
そういうなり、プチンと電話は切れた。唖然としながらも、とにかく進が来てくれるというので、綾乃は安心して雪の方を見た。雪はまたメソメソしている。
「はぁ……」
ため息でるわねぇ、綾乃ちゃん! と電話を切って一分もしないうちに一階からの呼び鈴がなった。
「はい?」
『古代です……』
「えっ? もう?」
『開けてもらえますか?』
モニターでチェックしたが間違いなく進だった。綾乃は急いで玄関ロックを開けると雪に告げた。
「古代さん、今来るわよ」
「こんばんは…… 古代です」
あっという間に進の声がドアホンから聞こえてきた。綾乃がドアを開けるとすごい勢いで進が部屋の中に入ってきた。思わず吹き飛ばされそうになった綾乃が呆然と二人を見つめる前で、当然二人はひしと抱きあった。
どうやら進は、自分が悪いと気付いて、謝りたくて綾乃の家の前まで来ていたらしい。そこから行くに行けずに車の中で悶々としていたのだろう。
「雪…… ごめんよ! 僕が誤解してたんだ…… 君のことを疑ったりしてごめんよ。本当にごめんよ……」
「ううん、私も…… 写真撮ってもらったこと先に説明しておけば良かったのよ……
古代君…… 淋しかったわ…… 会いたかったの…… せっかく帰って来てくれたのに一緒にいられないなんて……イヤよ」
涙目で進を見つめる雪とその顔をいとおしいげに見つめ返す進。二人の目にはお互いしか映っていない…… このままでは、キスシーンもそれ以上も……
それは、困る! と慌てたのは当然綾乃。
「あ……あのぉ…… お取り込み中すみませんがぁ…… ラブシーンは帰ってからゆっくりってことでどうかしら? お二人さん?」
慌てて振り返った進。
「あ…… ご、ごめん…… こんな夜中に騒がせてすまなかったね、綾乃さん。今日は帰るよ。今度また、このお礼はゆっくりするから…… 雪を今日はどうもありがとう」
雪の方は、半分寝ているのか、酔っぱらっているのか進に抱きついたまま離れようとしない。
「雪…… 行こう……」
進に促されてやっと進から離れて肩を抱かれるようにして歩き出した。
「綾乃…… ありがとう…… 今度、島君を誘うから…… 一緒にご飯でも食べに行こう」
結構、頭はしっかりしているようだわね、と綾乃は苦笑しながら、雪と進を見送った。
「でも…… あの二人、まっすぐ家まで到着するのかしら?」
いえいえ、なかなか家まで到着できない二人! 決して、綾乃の家から二人の家まで遠いわけではなくて…… 車がなかなか発進しないだけでして……
車に乗るなり、抱きしめあってキスを繰り返し、愛の言葉を告げあって……
やっと走ったのが、それからどれくらい経っていたか……? 二人を見送った綾乃が安心してすっかり夢の中……の頃なのは間違いない。
帰ってからは、もちろん……ポッ…… 熱い熱い夜を過ごした二人だった。
「たまには…… 喧嘩するのもいいわね……」
「どうして? 雪を悲しませただけだろ? ごめんよ、本当に……」
「でも…… 仲直りした時って…… とっても…… うふふ……」
雪の微笑む顔が赤くなった。そう言えば…… 今日の雪は積極的だったな、酒のせいか、喧嘩のあとのせいか…… と進は思い返してほくそえんだ。たまには…… 喧嘩するのもいいのか。
「そう言えば、雪? 俺のワイン1本持って行ったろ? 何持ってった?」
「ん? えっとね、あなたがいつか自慢してた……『○×△□』っていうワイン…… とっても美味しかったわ♪」
「ええええええっ!!!」
あれは…… 俺が大枚叩いて買った、特上のワインだぞ! なにか特別な事があったら飲もうと思ってたのに〜! と嘆いてみてももう遅い。自業自得とはこれのこと、あきらめよう、男らしく! ね、進君!
やっぱり…… 喧嘩はするもんじゃない……か・な???
後日談だが…… 約束通り、島を誘って4人で食事した時、この話をしておもいっきりため息をついた綾乃の姿に、島が大受けした事は、誰もが想像する通りだった。『そうだろうそうだろう』と、綾乃に連帯感を持ったことは言うまでもない。
綾乃ちゃん、これで二人を許してやってね!!
−お し ま い−